第125話 変態姫
くく、この女完全に惚れてやがる。
と、通常であれば、いい気分になるものだ。それが例え、自分の好みの顔じゃなくとも。自分に愛する恋人がいたとしても。好意を寄せられる事は、素直に嬉しいものだ。
その点、こいつは顔も嫌いじゃないし、俺に恋人はいない。いるかもしれないが、今この場所、俺の頭の中。まあとにかく、今はいない。だから……嬉しい事に間違いはない。胸を揉んで、と言われれば揉むし、尻を撫でて、と言われれば、撫でる。そこんとこ、俺は遠慮なんてしない口だ。ん? 話が飛躍しすぎたか。
「ここまで来れば、大丈夫だな」
だが、何事にも許容量ってものがある。恋人同士であれば、世界中探せばそういう奴らもいるかもしれない。互いにそれを容認しているのだから、何も文句はない。端から見れば少々あれだが、二人の世界なんだ、多少は見逃してやるさ。生暖かい目で見守ってやるさ。関わり合いになりたくないので、距離をあけてやるさ。
「ふう。暑いな」
今日は日差しが強い。
「そうね……あ! ふふ」
俺とお前は、恋人でもなんでもない。お前は一人、愛を囁いて、頭がお花畑になっているようだが、お前の世界に俺はいない。仮にそういった関係だったとしても、俺は恋人にそんな事を望まないし、俺がさせない。
ペロ。
「……」
深くはない森。もう少し歩けば、獣人達の住む村があるのだが、俺達は、一度立ち止まり、休憩していた。切り株に座った俺の元に、腕を後ろに組んだスピシーが近付いてくる。その表情は楽しそうで、幸せそうで。まあ、悪い表情ではない。どちらかと言えば、惹きつけられる表情だ。今のこいつに見つめられ、迫られでもすれば、ころっと落ちる男も多いのではないだろうか。そんなこいつ、スピシーが……。
「しょっぱいね」
俺の頬に伝っていた一滴の汗を、ペロリと舐め取った。
「え、えー!? 何してるの!? ガルル」
「え、えー!? ずるいの! グルル」
予想し得る行動の範囲外。俺は何も言えず、その小さな舌が触れた頬を、手でなぞる事しか出来なかった。そうだファング。お前の反応が正解だ。残念ながらクロウ、お前は不正解だ。出直してこい。
「そりゃ、汗だからな。甘かったら変だろ」
「ううん。しょっぱい後に、甘かった」
「……そうか。良かったな」
俺は、甘いものは嫌いではないが、汗が甘くなるほど食べたいとは思わない。いや、こいつが言っているのは、そういう意味ではない事は分かっている。甘いものを取り続けても、汗が甘くはならない事も分かっている。
とりあえず、俺は冷静に返してみた。まだ、ここは慌てるべきタイミングではない。
「何してんだお前!?」
前言撤回。ここは慌てるべき所だ。受け入れてはいけない。俺の許容量はすでに越えている。……え? 何してんのお前? 何考えてんのお前? ある意味、キスでもされていた方が、納得は出来た。というより、そっちの方がまだ、傷は浅いし、罪は軽い気がする。誰の傷で、誰の罪なのかは、もはや分からないが。
「好きになったから。エンジの事」
世間に疎い、お姫様理論炸裂。いや違う。こいつは王女ではあるが、その前に勇者でもある。魔族との戦闘以外にも、各地を回っているような事を、先程言っていた。決して、深窓の令嬢などではない。
魔法の言葉だとでも思っているのだろうか? 好きになったと言えば、何をしてもいい訳ではない。素直になれとは言ったが、羞恥心や良識、その他諸々を捨てろとも言ってない。俺のくれてやった訳でもないシャツを、ずっと大事そうに抱えているのはまだ許そう。そんなの、可愛いもんだ。しかし、汗を舐めるのはさすがにどうなの?
「こういう時は、ハンカチでも渡そうな。持っていないなら、別に何もしなくていい。言い直そう。何もするな」
「……分かった」
分かってなさそうな顔だ。納得してなさそうな表情だ。どこで何を間違って、こんな変態姫が誕生してしまったのだろうか? 元々こうだったというのも考えづらい。言っておくが、変態姫・メイドインエンジではない。俺が手を加えた訳ではないし、俺の預かり知らぬ所で勝手に出来上がっていたのだ。外注に出したら、仕様とは違うものが出来ていたのだ。
しかし、今はこいつを窘めるよりも先に、俺達が置かれた状況の説明をしておきたい。昨日あれだけ苦しんだのだ。もしかしたら、体が塩分を欲していただけなのかもしれない。前向きに捉えよう。変態姫の事は、一旦隅に置いておく。どうかそのまま、埃でも被っていてくれ。
「もう少し行けば、獣人達の住む村があるんだが……まずは、俺達の状況を話しておく。そうだな……王国軍と魔王軍が今、停戦状態にある事を聞いているか?」
「そうだったのね。それであの時……」
話は、俺達が村の入口に近付いた時まで遡る。
……。
「エンジ! 見えてきたよ! ガルル」
「あれか。このまま突っ込んでも大丈夫なのか?」
「村の人達の事は心配しなくていいの。でも、村に入れるかどうかは、運次第なの! グルル」
どういう事だ?
「この速さなら行けるよ! 僕達も、あの頃より成長してるんだ! ガルル」
「そうだよね。うん。きっと行ける。行けるの! グルル」
説明をしろ! 説明を! 何が起こるって言うんだ? ……あ、ああ! そんな事を言っている内に、もう入口近くじゃないか! くそっ! 南無三!
スピシーを抱えた俺と、ファング、クロウが村の入口近くに足を踏み入れた瞬間、そいつらは現れた。
ずるずる。ずるずる。
「うわ!」
「駄目だったの。グルル」
「これは……。何やってんだ! 足を止めるな! こんな奴ら、お前らだったら楽勝だろうが!」
地面を這うようにして現れたのは、全長10mは軽く越えているであろう、蛇に似た形の魔物が数匹。……ん? 何だこいつら?
「でもエンジ、こいつらは……。ガルル」
「俺がやる!」
なぜか、その場に立ち止まり、戦意を失ってしまったファングとクロウに、抱えていた勇者を預ける。
「こっちは急いでるんだ。まとめて消えろ……ファイアバード! RUN」
俺は、見えている『それ』に狙いを定め、大きな炎の弾丸を数発撃ち出す。鳥の形にしたのは、何となく蛇を捕食するイメージがあったからだ。
ゴウ。
大蛇のような姿をした魔物に、炎の鳥が当たると、肉体が弾け、粉々になっていった。
「あれ?」
二人が警戒していた割には、特に何もなかったな。これなら、あいつらでも簡単にやれるはずだが……。何だったんだ? と、俺が少し考えていると、二人が目を見開き、驚いていた。
「すごい! すごいよ、エンジ! ガルル」
「やっぱり、エンジがいれば大丈夫だったの! さすがは、私の許嫁なの! グルル」
「ん? こいつらくらいなら、お前らでも……まあいい。道は開いた! 急ぐぞ!」
二人の反応が気にはなったが、今はとにかく、この女を助けるのが先だ。そう判断した俺は、また勇者を抱え直し、村へと走った。
「これを」
「助かる。飲ませればいいのか?」
「はい。ただし、劇薬ですぞ? 毒よりも、この薬の苦しみに負け、自ら命を断ってしまうかもしれません」
「このままじゃ、どうせ毒でも死ぬんだ。大丈夫。俺が何とかしてみるよ」
「はい。それと、先程の件も……」
「分かってる。こいつが落ち着けば、また来る。その洞窟には、誰も近寄らないんだな?」
「おそらく。あのような場所、行っても何もいい事など、ございませんので」
とある理由から、俺達を快く迎え入れてくれた村の獣人に薬をもらうと、俺達は人気のない洞窟へと向かい、スピシーに薬を飲ませた。
「エンジ……大丈夫? ガルル」
「私達に手伝える事があれば、手伝うよ? グルル」
洞窟の入口近くで見張りをしていたファングとクロウが、何度目かの叫び声を聞きつけ、心配そうな顔で、入ってきた。
「ありがとう。こっちは大丈夫だ。それに、こうでもしないと、自分で舌を噛み切りそうだからな……こいつ。悪いけど、濡れたタオルを持ってきてくれないか? あと、こいつが目覚めるまでに、服を洗っておいてくれると助かる」
「分かった。じゃあ、僕がタオルを取ってくる! ガルル」
「うん、お願い。……エンジ、傷だらけ。痛そうなの。グルル」
血に汗、そして先程まで吐いていた吐瀉物やらで、スピシーが着ていた服は、えらい事になっていた。額にはまだ、汗を浮かべていたが、少し落ち着いたきたように見えたので、俺は窮屈そうな服を脱がし始める。
「タオル持ってきたよー! ガルル」
「あ、エンジ! そこまで脱がさなくていいと思うの! グルル」
俺がスピシーのパンツを膝まで降ろした辺りで、ファングが帰ってきた。そして、状況を見守っていたクロウに言われ、ハッとする。……確かに。
「服が乾くまでは、俺のシャツで我慢してもらおう。少し大きいし、俺の匂いがするかもしれないが、汗で濡れたこいつの服よりはマシだろう。ファング、クロウ。ありがとう」
「えへへ。どうしたしまして! ガルル」
「えへへ。私も、それ欲しいの! グルル」
……。
「寒い」
「寒いのか?」
こうして、今に至る。所々ぼかしたが、俺はスピシーに、今の状況を伝えた。先程まで、恍惚とした顔をしていたスピシーは、顔を赤らめたり、青ざめさせたりして、俺の話を聞いていた。
「そうだったのね……。改めて言うわ。ごめんなさい。ありがとう。ファングにクロウ? あなた達も、ありがとうね」
「うん。エンジにも謝ったし、僕は許してあげる! お姉さんが大変なのは知ってたし、僕が嫌いって言ったのもなしね! ガルル」
「エンジが許してあげるなら、私も。でも、う~ん。グルル」
良かった。ファングとクロウも許してくれたようだし、これでようやくスタートラインだ。後は、この村のアレを何とか解決出来れば。
「エンジ、大好き。責任取ってね?」
これでようやくスタートラ……ん? 責任って何だ? 嫌な言葉だ。この言葉を良いように受け取れる事など、基本的には一つもないはずだ。
「私の裸、見たのでしょう? 王女がそんなはしたない姿を異性に見せるという事は、どういう事なのか分かるでしょう? 大好きよ」
俺は、確かに服を脱がせはしたが、パンツまで降ろそうとした話は、もちろん省いた。下着姿は裸と言えるのか? それに、お前が自分から見せたんじゃないだろ。あれは事故みたいなもんだ。
「暗くて、よく見えなかったからセーフ」
「見られたのが、あなたで良かった。大好き」
話を聞け。一人で勝手に進めるな。あと、口癖のように大好きって言うのをやめろ。俺を慕っているのか、俺を脅しているのか、どっちなんだよ。
「何だろう、この気持ち。とても幸せな気分。こんな気持ちがあったなんて」
俺の幸せも考えて? 俺は今、とても幸せな気分とは言えないぞ?
「もう、溢れてしまいそう」
何が? 俺の側にすっと近寄ったスピシーは、俺の耳を甘噛した。俺は、はむはむと口を動かすスピシーを、冷静に分析する。さすがは勇者。身体能力が高い。気付いた時にはこんな近くにいるとはな。ふん……一瞬、ほっぺにキスでもされるかと思ったが、まさか耳を食べられるとは。
「んん! やめろぉ! 何してんだ! お前!」
「何が溢れたらそうなるの!? お姉さん!? ガルル」
「やっぱり私は許さない! 嫌い、嫌い、嫌い! グルル」
スピシーはえへへ、と笑っていた。傍若無人に振る舞っていたとは聞いていたが、なるほどな。種類は全然違うかもしれないが、その片鱗が、少し垣間見えた気がした。
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