第122話 実力
目の前には、そこそこの魔族が五体ほど。少し離れた所で戦い出した、赤髪の女魔族と比べると、力量に隔たりがあるのは確かだが、雑兵とも言い難い。現に、周囲に散らばっている大量の魔族の屍は、赤髪の女魔族を主として、この新興魔族達が作り出したものだ。
しかし、そんな相手を前にしても、動じる事なく、薄っすらと笑みさえ見せる男が立っていた。彼の名はアーメイラ。アンチェインに所属する魔術師で、一般的に知られているような魔法ではなく、少し変わった魔法を扱っている。飄々とした態度を崩さず、糸のように細い切れ長の目で、魔族達を見ていた。
「王国軍と魔王軍、停戦状態になっとるって知ってたか?」
魔族達は、得体の知れない男に何かを感じたのか、ただ、機を伺っているだけなのかは分からないが、男を睨むだけで、その場から動く気配を見せない。そんな中で、先に口を開いたのはアーメイラだった。
「ふん。俺達は、魔王軍とは関係ない。あんな腰抜けと、一緒にしないで欲しいものだ」
「腰抜けなぁ……」
その言葉を聞いて、男は関心したような声をあげた後、糸のような細い目を少し開き、その鋭利な視線で目の前の敵を見据えると、また少し笑った。
「はよ、追いかけんでええんか?」
「すぐに行くさ。お前を殺してからな」
男は楽しそうな顔をする。楽しそうな顔というよりは、目の前の者達が言ってる事がおかしい。笑える。そんな表情だ。
「なら、はよかかってこんかい。別にええんやで? ワイはしばらくこうしとっても」
「い……行くぞ! お前ら!」
「分かってる!」
二の足を踏んでいた魔族達が、いよいよ動き始める。では、なぜ二の足を踏んでいたのか。それは、本能と呼べるものかもしれない。これ以上、この何を考えているのか分からない男に、近づいてはいけないという危険信号。
魔力が見えるような特殊な者、あるいは、その危険さえも察知出来ないような者なら、こうはならなかっただろう。中途半端に力をつけている分、それもまた半端に嗅ぎつけてしまったのだ。だが、命令を受けている以上、行くしかない。
「さっきは、出しそびれてもうてな。出たくて、出たくて、たまらん言うてる奴がおるんや。相手、したってくれるか?」
「何を」
「式神……酒呑童子」
目の前の敵である魔族、いや、大多数の者には見えない魔力の奔流が、男の体に渦巻く。それは男の残った魔力を、ぎりぎり一杯食い散らかし、出現した。
「ば、化物!」
鬼。男のすぐ前に現れ、敵である魔族達を睨んでいる異形は、まさに鬼。すでに人の形は為していない。筋肉質の強靭な体に、分厚そうな皮膚。そして、体の至る所からは、ゴツゴツとした角のような物が生えていた。
「化物て。お前ら魔族も、ワイらからしたら似たようなもんや」
化物、と叫んだ魔族は、決して見た目でそう言った訳ではない。感じるのだ。自分と相手との、どうしようもない力の差を。もし、自分が百人いれば……そんな途方もなく、あり得ない妄想に縋ってしまうほどの、圧倒的な差を。
男から感じた違和感はこれだったのだ。今更ながらに気付く。こんな化物を使役してしまうほどの男を、敵に回してしまった事に。だが、もう遅い。
「久々に出てきたと思ったら、こんな奴らか。さっきは強い気配を確かに感じたんだがな?」
喋った。遠くに聞こえるような大きな声ではなかったが、確かに、低い声で喋った。
「ん? 向こうに生きのいいのがいるじゃねえか。あいつもやっていいのか?」
「ああ……あっちはあかん。あいつは、姉さんにやらしたってや。多分姉さんも、クソボスのせいでストレス溜め込んどんねん」
はあ、と大きく溜息をついた鬼は、仕方ないと言いつつ、前傾姿勢で目の前にいる獲物に向かって歩いて行く。先程までは達者だった魔族達の口も、今はナリを潜め、前進するどころか、ジリジリと後退し始めている者もいた。
「お前らみたいな雑魚に腰抜け言われて、魔王も大変やなぁ。ま、陰口に恨みつらみ言われるんが、上司の一つの仕事かもしれんけどな」
うちのボスなんて、それを楽しんどるくらいや……迷惑な事に、と男が呟いている間に、一人の魔族の首はなくなっていた。血が真上に吹き上がる横で、鬼は手に持った魔族の顔を握りつぶすと、左右に逃げ出した魔族のどちらを追うか、迷っているようだった。しかし、どちらに逃げたにせよ、大差はない。
「ああああ! 死ねや!」
「お? まだやる気がある奴もいたのか。だが」
逃げるのを途中で諦め、鬼に爪を伸ばした魔族の手が、その爪ごと握りつぶされる。手の痛みを感じる間もなく、伸びてきた鬼のもう片方の腕により、胴体には穴を開けられていた。
それからは、一瞬だった。左右に散ったはずの魔族も、すぐに全員殺されてしまった。なくても結果は一緒だったのだろうが、鬼が追いかけた方の反対側には、男が嫌らしい笑みを浮かべ立っており、薄い魔力結界を張っていた。
「ここを通せ!」
「あ~ん? こんな結界くらい、自分で壊せや。そのために薄く張ったったんやないか。その分、広範囲やけどな……あ、後ろ見てみい。鬼さんこちら、手の鳴る方へ、ってな」
「う、うわぁぁぁぁ!」
……。
男がパン! と、両手を合わせると、鬼は薄れていく。
「今度は、もっと強い奴とやりてえな? 何で出したんだよ? あんな奴ら、あの小娘で十分じゃねえか」
「お前が出たがっとったんやないかい」
「強い気配をいくつも感じたんだ。もちろん、今の奴らじゃねえ」
「分かっとる。つべこべ言わんと、ささっと消えろや。ワイの魔力も無限やないねん」
「知らねえよ。消えるまでの時間は、お前の匙加減だと思っ……」
「ふう。あいつは、あんな顔してるくせに、煩うてかなわんわ。似合わんねん」
……こっちは終わったでぇ。
男は仲間である女性の元へ、ゆっくりと歩き出した。
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「ははは! どうした、どうしたぁ! 私はまだ、魔力もほとんど使っていないぞぉ!」
「ぐ! くぅ~! こんなふざけた女に~」
男が数人の魔族と戦っていた隣で、女性同士が戦闘を繰り広げていた。一方は魔族で、名をクリム・ペスカトール。真っ赤な髪にウェーブがかかった、新興魔族の幹部だ。もう一方は、アンチェインのNo.2、名をギアラ。見た目は凛々しい騎士そのものだが、内面は少しあれな女だ。どこかの国の近衛兵という話だが、そのままそこで使用されている制服を持ってきたのではないか、と思われるような格好をしていた。
スッスッ。ギィン。
新興魔族の幹部を名乗るクリムの攻撃は、アーメイラが相対している魔族達と比較すると、比べ物にならないくらい早く、鋭い。しかし、ギアラはそれを掻い潜り、時に剣で弾いていた。表情を見るに、まだまだ余裕がありそうだ。
「これは~。ちょっとまずいわね~」
両者、共に魔法も使える。現状はそれほど使用していなかったのだが、接近戦で押され始めていたクリムが、少し距離を取り、全身から魔力を放出した。それは何の魔法か。クリムの周囲には炎のようなものが立ち上り、火の粉がぱちぱちと弾け、地面に落ちていた。
「ここからは全力~。もう、許してあげないわよ~」
「身体能力の底上げか、魔法の威力増強か……そんな所だろう?」
「ふふ。どっちもよ~。これであなたが勝つ見込みは、もうないわね~」
ギアラはその姿を見ても、言葉を聞いても、表情は変わらない。なぜなら、彼女もまた、全力を出してはいなかったのだから。
「私の方も見せてやろう。……ソードオブマジック、アブソーブ アンド リリース!」
そして、負けず嫌いだ。
ギアラが詠唱を終えると、剣が青白く光っていく。ただ、それだけ。ギアラの体自体は、何も変わったように見えない。実際、ギアラの身体能力には何も影響を及ぼさない魔法だ。
「何をしたのか、よく分からないわね~」
「心配するな。お前のように、見掛け倒しではない」
「あら~ん。じゃあ、これでも……見掛け倒しって言えるのかしらぁ~!」
クリムが飛び上がり、炎で出来た槍を数本投げ、すぐさま、自分も槍を追うように斜めにギアラに突っ込んだ。ギアラはその場から動かず、飛んでくる数本の槍に向かって、剣を一閃した。
「は!」
剣が直接当たったわけではない。それなのに、飛んでくる炎の槍は、全て一瞬で凍りつき、氷柱となって、地面に落ちていった。そして、その後で突っ込んだクリムの爪と、ギアラの青白く光る剣がぶつかる。
互いに至近距離で睨み合う形から、ギアラが力任せに剣を薙ぎ払う。クリムは爪を弾かれるも、そのまま宙でくるくると回転し、ギアラとは少し離れた所に着地した。
「あ、あああああああ!」
今の攻防だけを見ると、互いに強さの違いはないように見えたが、クリムの片腕は凍っていた。弾かれた爪から、肩までを氷に覆われ、クリムの絶叫と共に腕が落ちる。魔族はこれくらいでは死なないとは言え、重傷である事には間違いない。
「ふっふふ。私の魔法はな、剣に魔力を吸わせた後、それを剣撃にのせ、解放するというものだ。驚いただろう?」
それはある意味、無詠唱で魔法を使っているのと同じだ。剣に込めた魔法は、ギアラの得意な氷属性だが、その込めた系統に至っては、魔法の力を発揮しながら、戦えるというもの。剣のみで戦っても強いギアラだ。戦う相手からしたら、恐ろしいものがあるだろう。
「くっ……なぜ私の動きについて……お前の動きが、先程よりも早くなった気がしたが?」
失くなった肩口を抑え、余裕のなくなっているクリムが放った言葉を聞いて、ギアラが種明かしをするように、嬉しそうに言った。
「簡単だ。私が、全力を出していなかっただけ」
「へ、へぇ~。あの動きで、ねえ……」
「私が使える身体強化の魔法は、一般的な奴だけだ。だが、私にとってはそれで十分。何せ、私は強いからな! ほほほほ~!」
「人間のくせに~、化物みたいな身体能力ね~。……私の、負け、かしら~?」
「そう。フルーツ・パフェを、馬鹿にした罪は重い」
ギアラが膝をついたクリムに近付いていく。クリムは勝てないと思ったのか、その場から動くことなく、黙ってギアラを睨んでいた。そして、クリムの側まで近付いたギアラが、止めを刺そうと、剣を構えた瞬間。
「ダークミスト」
その声が聞こえるのと同時に、一瞬で辺りに黒い霧が立ち込める。ギアラはその霧に視界を奪われるも、すぐに立ち直り、目の前にいるはずのクリムを切ろうと、剣を横に薙ぎ払った。
「ソードオブマジック、アブソーブ アンド リリース!」
すぐさま、剣に込めた魔法の属性を風にし、黒い霧を払う。しかし、目の前には10m程先まで凍りついた地面があるだけで、クリムの死体はなかった。
「姉さん! 上や!」
戦いを見守っていたのか、離れた位置にいるアーメイラが声をあげる。ギアラがその声の通りに上を見ると、一人の魔族らしき男に抱えられたクリムがいた。ギアラがその二人に向かって剣を振り、風の刃が飛んでいくが、男の展開した、魔法の盾に弾かれる。
「貴方様は……助けて、くださったのですね」
「クリム。私には、まだお前が必要だ」
地面に着地した男は、戦おうとする気も見せず、クリムを抱え、一目散に走り去っていった。ギアラが追おうとするも、また黒い霧のようなものが行く手を塞ぎ、
霧が晴れたときには、すでに魔族の姿は見えなかった。
その後、地面に膝をつき、悔しそうな顔をするギアラに、アーメイラが走り寄っていく。
「しまったぁぁぁ! 逃げられた!」
「姉さん! 最後のドヤ顔説明! あれ何やねん! 絶対いらんかったやろ!」
「だって……」
「だってやあらへん! ああ、もう! ほんま、何してんねん!」
アーメイラの文句に、ギアラは口を尖らせ、三角座りをしていた。煮え切らない思いは残ってしまったが、紆余曲折あった砦の戦いは、少しの火種を残し、終結した。
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「なあ。俺ら、今回手紙を運んだだけだよな? 戦闘もクリーム……じゃなかった、ギアラがほとんど一人で暴れてただけだし」
「金を貰えるなら何でもいいがな。この際、郵便屋にでも転職するか。人を運ぶのも、手紙を運ぶのも、そう大差ねえだろ」
「はっ!」
渋い男二人は、皮肉のような事を言いながらも、魔族領を抜けようという所まで来ていた。
「お! 来た来た~! 多分お前らだよな? 魔王からの文書を運んでる奴らってのは?」
「誰の事だ?」
「知らねえ。俺達はただのポストマンだ。……おい、そこの魔族。怪我したくなけりゃ道を開けな? 俺達は今、万感の思いが篭ったラブレターを大量に運んでいる最中なんだ」
「くっくく。威勢だけはいいようだな。それに、魔族領からラブレターを運ぶって、相手誰だよ。くく」
「チクショー! 叶わぬ恋だとしても、それを笑う事は許さねえ!」
「お前も誰だよ。キャラ変わってんぞ? だが、その意見には同感だ。俺達の邪魔をするからには死んでもらう」
多分、こいつが魔王の言っていた、新興魔族って奴だろ? 二人は視線を合わせると、首を鳴らしつつ魔族に近付いていく。
「解放。ドラゴンズフォース」
「くっく……ん? 何だそれ! おい! お前人間じゃねえのか!? ……おい!」
……。
「あっけないもんだな。俺、何にもしてねえじゃん」
「くそ弱え。身体能力に自信があるって言うから、俺も同じ土俵で戦ってやったのによ」
「お前のそれは、反則だろ」
男達は行く。魔族の屍を踏み越え、王国へとラブレターを届けるために。
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