第120話 停戦と砦

「3つの判……確かに、確認した」



 俺とアーメイラを含む王国兵と、魔族達との戦闘中に割って現れた男は、魔王だった。そしてその魔王は、戦場全体に響き渡る大声で、停戦を宣告した。


「んなもん、いきなり言われても信じられるかい」


 戦闘態勢を保ったまま、少し離れた魔王にアーメイラが食って掛かる。それは当然の主張。魔族にとっては、自分達の王から直接聞かされ、否定する余地はないかもしれないが、俺達人間側にとっては、何の根拠も証拠もないのだ。俺達を油断させ、襲ってくるという事も十分考えられる。いや、そう考えておくべきだろう。


「これを見てくれ。ああ……誰か、分かる者がいてくれればいいが」


 だが、魔王は証明に値する物を持っていた。王国軍と魔王軍の戦争停止を認める文書。雑に扱ってすまないが、と言いつつ、こちら側に投げられた文書には、確かにそのような記載と、3つの判が押されていた。


 3つの判はおそらく、バルムクーヘン、モンブラット、ミルフェール王国のものだろう。現王国軍は、この三国の同盟で成り立っているからだ。俺とアーメイラでは判断出来ないので、後方にいる王子に、その文書を渡しに行ってもらった。


「はい。どーぞ」

「ありがとう。小さき天使よ」

「違う。私は鬼」


 そして、話は冒頭に戻る。マジマジとその文書を睨んでいた王子が、本物と認めたのである。つまり、停戦したというのは本当の事だったのだ。


「私は合意した。私の判が押されている文書も、今届けてもらっている所だ」


 魔王の話は続く。


「……という事だ。貴君らにも、ここは引いて頂こう」


 停戦。魔王からの説明を受け、証拠である文書まで見せられた今、それ自体は、両軍共に認めざるを得なかったのだが、王国軍にはまだ引けない理由があった。


「あと少しのはずなのだ! 別に何もしない! 迎えに行かせてくれ!」

「駄目だ」


 勇者の事である。


「軍として動かれるのは、さすがに困る。まあ、私の伝達が間に合っていれば、死んではいないはずだ。勇者はこちらで保護した後に、王国へと送り届けよう」

「そんな……」


 このまま進軍し、勇者を迎えに行く事は許されなかった。停戦中とはいえ、敵軍に自軍の領内をぞろぞろと歩かれるのは問題がある、との事だ。魔王が言うには、魔族も一枚岩ではないようで、最悪、それが新たな火種となる可能性もあるらしい。理由は、それだけではないような口ぶりではあったが、どちらにせよ、王子は反論出来るカードを持ってはいなかった。


「それなら、私だけであれば?」

「個人で向かうと言うなら、多少は認めなくもない。こちらは、一切責任を持てんがな。しかし、君は王国の王子なのだろう? やはり、認められないな」


 王子はうぐぐ、と歯噛みした後、近くにいた兵士達に、今日で王子やめるから、と、めちゃくちゃな事を言いだし、止められていた。すると、少し考え込んでいた魔王が、口を開く。


「何て、言ってたかな……そうだ。フルーツ・パフェという組織に属している者はいるか? その者達だけなら、行っても構わんぞ」


 何で? 状況を見守っていた俺とアーメイラが、その言葉を聞き、少し狼狽える。狼狽えつつも、俺は一つの答えに辿り着いた。ある男に、何らかの文書を届けるという今回の依頼の件だ。あれは、もしかして……? 俺がアーメイラの方を見ると、ほぼ同時に同じ考えに至ったようだった。なぜ、アンチェインのような怪しい組織に、そんな重要な仕事を任されていたかについては、今は置いておく。


「フルーツパフェ? そんなふざけた名前の集団、うちには……」

「……あの、ふざけててすみません。俺達です」

「天使使い!?」


 ふざけている事は、俺達も重々承知している。名前は勝手に決められていたんだ。とは、口には出せなかったが、この状況では名乗り出るしかないだろう。俺達アンチェインの、合流場所もそこだしな。


「ああ……でも良かった。君達なら信用も出来る。どうか、頼めないか?」

「分かった」

「そうだった。君は」


 前に出てきた俺を、魔王がまじまじと見つめてくる。


「君の目、どこでそれを……いや、君。魔力が見えているかい?」

「ん? ああ……」


 俺が魔力を見えている事を、瞬時に見抜かれてしまった。さすがは魔王、なのか? 何か、思う所があるようにも見えるが。


「そうか。ああいや、今はそれだけ聞ければいいんだ。……やっぱり、あの子は生きて」


 魔王が最後に小さく呟いた言葉は聞こえず、その会話はすぐに終わってしまったが、一体何だったのか。魔王の俺に対する反応からも、魔王と俺の間に関係があったようには見えない。関係があるならあるで、問題がある気もするが。俺にもやもやとした気持ちを残したまま、魔王は話を切り上げ、さっさと行ってしまった。



 紆余曲折を経て、結果的に俺とアーメイラの二人で勇者を迎えに行く事となり、両軍が撤退し始めたのを確認すると、俺達はゆっくりと歩き出した。停戦となった以上、ゆっくり行けばいいや、と気軽に考えていたのだが……。


 少し遠くの方から、一人の女性と、数十人の兵士が走ってくるのが見えた。服はぼろぼろ、全身は擦り傷だらけ、さらには皆が皆、妙に焦った表情をしている。戦闘を走る女性に至っては、涙を流していた。何だあいつらは? と、思っていると、その集団は俺達の方ではなく、撤退し始めた軍の方に一目散に走り寄っていった。


「シビル王子!? 近くまで来てたのね! ……良かった。早く! 早く助けてあげて!」

「んお! メルト君!? もしや、自分達だけで逃げて来たのか!」

「姫様だ! 姫様が無事戻って来られたぞー!」


 姫様? ってことは勇者か? あれ? じゃあもう、迎えに行かなくて良いのか?


 そう思いはしたのだが、どこか様子がおかしい。気になった俺とアーメイラは、聞こえてきたその会話を、少し離れた所で立ち止まり、聞いていた。


「スピシーが! スピシーが!」

「……妹に、何が」


 話を聞くと、一人の勇者が皆を逃がすため、砦に残ったのだという。今合流した奴らは、その勇者が囮になった事で、敵の薄い所を突破出来たようなのだが。それは……いつの話だ? 急いで走ってきた疲れだけではない。つい先程まで、戦闘を行っていたかのような雰囲気だ。


 もしかして、停戦となった事が、まだ伝わっていない? 俺達も、先程聞いたばかりだし、それは十分にありえる話だ。俺とアーメイラは、その話を聞き終えると、一にも二にもなく走り出した。


「あ、ああああ! ど、どど、どうしよう! ……よし! 皆聞けぇ! 今日で王子やめるから! これから私の事は、シビル・モンブランと呼んでくれぇ」

「王子~! 話は聞いとったでぇ!」


 動揺を隠せない王子に、俺も一言、言っておく。


「ここからなら~、走ればすぐなんだろ~? お前はおとなしく王国に帰れ!」

「あああ。天使使いぃぃぃ! 頼むぞぉぉぉ!」


 ……。


 ……え?


「シビル王子……今のは?」

「ああ、本当に頼んだぞぉ! ……く、詳しくは後で話すが、私達は今、妹を助けに向かう事が出来ないのだ。だが、私達の代わりに、彼らが助けに行ってくれる。彼らは信頼に足る人物。きっと大丈夫だ!」

「い、いえ、それもありますが、そうではなく……あの人は?」

「ああああ、頼むぞぉぉ! 愛の大魔術師ぃぃ!」

「え? ちょっと!? 今のは!? 誰! 誰なのよぉぉ!」


 聞こえてきた大声に、後ろを振り返ると、王子が、勇者の女に襟首を掴まれ、激しく揺すられていた。何だか、話に聞いていた勇者と違うな。という事は、残ったもう一人が、とっても優しいと噂の勇者か?


「メ、メルト君……? 急に怖い顔をしてどうし……ああ、えっと、ブルーベリーだっけ? ラズベリーだっけ?」

「こんな時に、ふざけないでよぉ!」


 きっと、合流するまでに大変な思いをしたのだろう。なぜか、王子が引っ叩かれていた。俺はそれを見届けると、走る速度を上げる。無事に帰ってきた勇者でさえ、ああなのだ。一人残った方は……急がないとまずそうだ。





==========





 誰だお前って……。あれ? エンジじゃない、の? 


「今のは危なかったでぇ。ナイスや、ブルーベリー。あとな、誰やあらへん。その女が、多分勇者や」

「天使天使って言うから、もっと神々しいものかと」

「アホか。あんなん、ただのシスコンの延長や」

「そのようだ。体が発光していたら、どう接しようかと思っていたが、泥まみれで逆に安心した」

「そこまで人間やめてたら、ワイら助けにこんでもええんとちゃうか?」


 頭が混乱していましたが、いえ、正確には、まだ混乱中なのですが、この男はやっぱりエンジに見えます。その顔、その声、その仕草。私が知っているエンジそのものです。……生きて、生きていたのね。


「エンジ」


 エンジが生きていたと知り、私の体の中心が暖かくなるのを感じました。しかし、その後すぐに、冷たいものが広がっていきます。笑顔になりかけていた顔も、すぐに沈んでいきました。


「そうだよ。お前、何で……」


 徹底的に他人の振りをし、眉を寄せ、睨むような視線でエンジが私を見てきます。……そうよね。私がエンジにしていた事を思えば、恨まれているのは当然。命を助けてはくれたけど、私だって知らずにやった事のようだし。


「ごめんなさい」


 目の前では、蹴飛ばされた赤髪の女の元に、仲間の魔族が集まって行くのが見えます。こんな状況だというのに、私の口から出てきたのは謝罪の言葉でした。目からは、自然に涙が流れ落ちてきます。許されたくて言った訳ではない。こんな謝罪の言葉一つで、過去にやってきた事が許されるはずはないのだけど、それでも、私は謝らずにはいられませんでした。


「何、泣かしとんねん」

「え! 俺か!?」


 しかしエンジは、私の想像していたどの反応とも違い、慌てふためき出しました。演技には見えない。もしかして、よく似てるだけで、本当に別人なの? 両手をふらふらとさせ、泣いてしまった私をどうしようかと、目の前の男はおろおろとしていました。……あ。


「あぶな……!」

「エンジ! よそ見すんな!」

「ん?」


 赤髪の女が、立ち上がるなり魔法を撃っていました。


「ぺちゃくちゃ喋ってる場合~?」


 エンジは無事でした。私にはそれが分かります。だって、私は今、エンジにお姫様抱っこされているのだから。


 動けなかった私を抱え、一瞬で魔族達と距離を取った今の動きにも驚きましたが、私の中ではそれよりも、仲間らしき男が言った、エンジという名前の事ばかり考えてしまっていました。もう、間違いありません。私を腕に抱く、この男はエンジです。顔も声もここまで似ていて、名前まで同じだなんてあり得ない。


「お前、ぼろぼろじゃねーか。……大丈夫か?」

「エンジ。生きていたのね」

「あららん~? そっちの男、生きていたのね~?」


 私が小さく言った一言のすぐ後、赤髪の女も私と同じ事をエンジに向かって言っていました。二人同時に、生きていたのか? なんて事を言われてしまったエンジは、渋い顔をしています。


「……なあ、ラズベリー。俺の過去に一体何が?」

「さすがに、ワイも気になってきたわ」


 過去? 私が、気になる単語を聞いた時、いよいよ魔族達が襲いかかってきそうな雰囲気を見せ始めました。そうよ。今はそんな事よりも!


「逃げて! エンジ! あなたじゃこいつらには……」

「RUN」


 勝て、ない。……え?


 赤髪の女はぎりぎりの所で避けましたが、すぐ横にいた魔族の男が燃え上がりました。今のは……嘘? エンジがやったの!?


 一瞬で殺されてしまった仲間を見て、魔族達が二の足を踏み、こちらを睨んできます。しかし、エンジはその魔族達を見て、恐れるどころか不敵に笑っていました。


「ゆ! 油断しちゃ駄目よ! あの赤い髪の魔族は、半端じゃ……」

「心配すんな。俺だけでも勝てるとは思うが……ああ、来た来た」


 私の目を見つめ、心配するな、と優しい声でエンジは言いました。少しの間、なぜだかその顔から目を離せなくなったのですが、エンジが来たと言ったのを聞いて、エンジの視線の先を追いかけました。すると。


「や~ん。遅刻しちゃったぁ! ごめ~ん! 待ったぁ~? きゃるるん」

「……おいクリーム、何だそれは?」

「頭がイカれてる。うちの20年生きた愛犬も、最後はこうだった」

「はっ! ってそれ、笑えねえよ」

「わーい! エンジだー! ガルル」

「やっと会えたの! あ! 誰その女! グルル」


 まだ少し距離はありますが、魔族を取り囲むようにして、その人達は現れました。その表情には余裕があり、雑談をしながら、魔族達との距離を詰めていきます。獣人の女の子に至っては、魔族達ではなく、こちらを睨んでいる気がしました。


「先に着いてた男二人……分かってるでしょうね? さあ、言え。言わないと、給料抜きだから」


 エンジと、一緒に来たエンジの仲間の男は、揃って溜息をつくと、すぅ~っと、息を吸いました。


「今、来たところだよ!」

「今、来たとこやでぇ!」


 それを聞いて、騎士風の格好をした綺麗な女性は、うんうんと満足そうに頷いていました。


「あなた達、何者~? ふざけるのもいい加減にしなさいよね~」


 近づいてくるエンジの仲間を見ていた、赤髪の女が口を開きました。この女と一緒の気持ちなのは不愉快でしたが、ふざけるなという意見には、私も同意見です。……この人達は、一体?


 騎士風の綺麗な女性が、剣を抜きながら言いました。


「何者だとう? 私達を知らないとは、どこの田舎魔族かな? 無知なお前らに教えてやる。私達はそう……秘密結社! フルーツ・パフェ!」


 その女性と、魔族達を除く全員が、頭を項垂れました。


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