第119話 魔王と幽霊

 魔王? 今あいつ、魔王って言ったか? 


 俺達の目の前には、魔王と呼ばれた男が立っていた。現在戦争中の敵である、魔族の頂点に位置する男。敵味方、双方にとっての最重要人物だ。


 見た目は人間と大差ない。綺麗な銀色の髪を後ろに撫で付けた、初老の男と言った印象。今は抑えているだけかもしれないが、周囲にいる魔族とは違い、角や羽のようなものはなく、爪が少し長い程度。堀の深い顔立ちに、ギラギラとした目、何とも言えない迫力があるのは間違いないのだが、街を歩けば人間として認められない事もないだろう。


 だが、この男からは、迫力とはまた少し違う、威圧感のようなものをひしひしと感じる。言葉では言い表しづらいが、見ているだけで吸い込まれそうな感覚だ。俺の周りにいる王国兵も、同じような印象を持っているのだろう。動く事も、喋る事も出来ず、ただ黙って前を向いていた。よく見てみると、小刻みに震えている者もいる。


 それも当然。この男が放つ空気は異常。目に見えない何かが体中にピシピシと当たっている気がする。そして、これは俺にしか分からない事ではあるが、魔力の量が尋常ではない。意識を取り戻してからの、俺が見た魔力量の多さは、実はアーメイラがトップだったのだが、それよりもさらに上。魔力量が、そのまま強さに直結する訳ではないが、間違いなく影響はする。この男が魔王という証拠はないが、強引に納得させられる。……これが、魔王か。


 敵の指揮官の一言以降、誰も彼もが動けない中、いち早く動いた者がいた。


「……式神。大鬼、鬼姫」


 最前線に立っていた、アーメイラだ。魔族の幹部と言っていた男と戦っていた時でさえ、余裕のある笑みを見せていたアーメイラだったのだが、今は余裕のない表情で目を薄っすらと開き、魔王を睨んでいた。


「おお……これはまた」


 アーメイラと魔王の間に静かに出てきたのは、アーメイラの式神。10m程の巨大な鬼と、その肩に座った鬼姫だ。魔王は感心した顔でそれを見ると、一言呟き、歩いて距離を詰めていった。


「魔王様!」

「あー。お前らじゃ、死ぬぞ?」


 指揮官の男が、歩を進める魔王を見て走り出そうとするも、魔王が背後に向かって片手を上げ、それを制止していた。その魔王は、顔を少し綻ばせると、また距離を詰めていく。


「こりゃあ、私が来なければ全滅だったな。でかいのも油断ならないが、肩に乗ってる奴の方が……」

「ぐぉぉぉぉ!」


 魔王が何かを呟く声は、大鬼の咆哮によって聞こえなかったが、魔王の顔には余裕があった。咆哮の後、その巨体からは考えられないスピードで、大鬼の腕が魔王に迫るが、魔王はそれを正面から片手で受け止めた。


 ドズン


 辺り一面に、重厚な音が響き渡る。その音を合図にして、アーメイラの式神達と、魔王の戦いが本格的に始まった。二の足を踏んでいた俺は、その光景を見て、走り出す。


「天使使い!」

「俺が行く! あんた達は少し離れておけ!」


 呆けていた王子達も、次元の違う戦いを始めたアーメイラと魔王を見て、慌ただしく動き始めた。


「ラズベリー!」


 俺が最前線に辿り着いた時、大鬼の片腕はすでになくなり、吹き飛ばされてきた鬼姫を、アーメイラが受け止めている所だった。俺がアーメイラの隣まで走り寄ると、両手で鬼姫を抱えたアーメイラは、地面に尻もちをつきつつ舌打ちをしていた。


「強いよぉ、あいつ」

「鬼姫、ちょいと休憩や。ここはワイの切り札で……あ? なんやエンジ、来とったんかいな」

「ああ。さすがに、あれはまずいだろ」


 俺が来たことにも気付かず、本名を口走ってしまうほどアーメイラは焦っていたようだ。前を睨むアーメイラの方を俺も向くと、片腕を切られた大鬼が、腹に穴を開けられ、丁度消えていく所だった。


「きつそうだなぁ」

「せやな……逃げるか?」

「それもありだ」


 俺が地面に座り込んだアーメイラを助け起こすと、大鬼を倒した魔王がゆっくりと近づいて来ていた。しかし、俺達が魔王を見据え、戦闘態勢に入ろうとした時、魔王が表情を崩し、口を開いた。


「マジック・マクロ キャパシティインクリーズ MLC RUN」

「式神! 酒呑童……」

「あれ? そっちの君の目……あ! ちょっと待って! ストップストップ!」


 アーメイラの周りを、とてつもない魔力が覆い始めた時、魔王が突然慌てた口調で話しかけてきた。……何だ?


「ごめんごめん! いきなりだったし、血が疼いちゃったのは確かなんだけど、私は戦いにきたんじゃないんだ! だから、そんな危なそうな奴を出さないでくれ!」


 いきなり、何を言っている? どういう事だ? 俺とアーメイラが何も言えないでいると、魔王は息を吸い、戦場全体に聞こえるような大声を張り上げた。


「双方! ここまでだ! 戦いをやめろ!」





=============





 砦の外、草が生い茂る平原で一人の女性が息を切らしながらも戦っていた。周囲には、おびただしい血の跡と、息絶えた魔族が転がっている。この場面だけを切り取れば、女性の快勝のように思えるが、その実、追い込まれているのは女性の方だった。


「あ、はあ! はあ! まだまだぁ!」


 息をつく暇もなく、絶えず敵を切り続けるが、まだまだ終わりは見えない。迫る魔法を避けつつも、敵を切る。しかし、すぐに新たな敵が自分を囲み、逃げる隙さえ与えてもらえない。というよりも、まだ逃げるには少し早い事に加え、逃げ切る体力など、残されてはいなかった。


「くぅ!」


 私は、ここで死んでしまうのでしょう。でも……。


「ああああ!」


 歯を食いしばり、戦い続ける。少しでも、数秒でもいいから、ここで時間を稼ぐ。それがきっと……。


「つぅ……」


 私の思いは砕けちゃいない。私の心はまだまだやれると言っている。しかしそれでも、敵の攻撃が、私の体を捉え始める。敵が強くなった訳じゃない。私の体が、思うように動かなくなってきているのだ。


「うぐ! はあ、はあ」


 飛びかかってきた魔族を何とか切り伏せた後、私は剣を地面に突き立て、寄りかかってしまった。まだまだ多くの敵は残っているけれど、とりあえず、近くにいたのは今ので最後。手が痺れ、足が痙攣し始めている。名高い鍛冶師に作らせた剣も、もうぼろぼろだ。次の攻撃には、私の体も、剣も、きっと耐えられない。


 私は、いったん攻撃の手を緩め、こちらの様子を伺っている魔族達を確認した後、周囲にざっと目を通してみる。1、2、3……。そんな。まだ、半分も倒せていないなんて。


 死体の数なんて、数えなきゃ良かった。あと少しという事であれば、力が湧くかと思ったけど、逆に、力が少し抜けてしまった。正面に目を移すと、また数人の魔族がこちらへ向かって歩いてくる所だった。


 視界がぼやける。突き立てた剣を抜きはしたが、その重さに体がよろめいた。いくら技術があっても、いくら心が強くても、これではもう戦うことは難しいだろう。それなら、と私は後ろを向き、よろめきつつも歩きだす。私を殺すまでは、こいつらはどこにもいかない。少しでも距離を取って、時間を稼いでやる。それが、数秒にも満たない時間だとしても。


「はあ、はあ……あ」


 少し歩いた所で、手をつくことも出来ず、顔から地面に倒れ込んでしまった。土が口に入ってくる。……もう、駄目みたいね。


 迫りくる魔族の足音を聞き、死がすぐそこまで迫っているのを感じると、一滴の涙が地面に伝い落ちた。


「皆は、逃げられたよね」


 そこそこ時間は稼いだはず。戦い始めたのも、皆が逃げてからすぐという訳ではない。兵の皆が止めるだろうと思って、砦を出る所までは皆と一緒にいたのだ。そして、全てをメルトに任せて、私は逆の方向に走った。私を追いかけようとする兵の皆を、メルトが大声を出して止めているのを最後に聞いた。


「ありがとう。メルト」


 私の意思を尊重してくれて。でも、ごめんね。私、帰れそうにない。ごめんね。レティ。何も言わず、いなくなっちゃって……。


 私が、一人一人、皆の顔を思い浮かべていると、最後に出てきたのはあいつの顔でした。もう、かなりの時間が経ったはずなのに、何でかな……。それは、あいつがやった事と、今の自分が重なるからなのか、それとも、私の心に、唯一傷を残した男だからなのか。ま、どうでもいいわね。今更。


「はは。先にいって、あいつを叱っておくわね」


 ……。


 私が全てを諦め、目を瞑ると、聞こえていた魔族の足音が、ピタリと止んでいました。それは、数秒経った後もそのままで、変に思った私は、目を開き、後ろを振り返りました。その瞬間。


「停戦だと!? だが、あと少しで!」

「駄目だ。魔王様直々の命令だ。まだ生きているのなら、勇者は殺すな」

「ふ、ふざけるなぁ! 私の部下が何人やられたと……」


 停戦? 何?


 指揮官らしき魔族と、後から来たと思われる魔族が言い争っていました。しばらく、訳が分からない状況に私も混乱していると、私に迫っていた魔族が指揮官に命令され、引いて行きます。……あれ? 何で? もしかして、私、助かったの?


 

 しかし、そのよく分からない状況が、さらに目まぐるしい動きを見せました。どこからともなく、凄まじい速さで近づいてきた魔族達が、戦場に乱入していました。


「あははは~。やってしまいなさい~」

「お、お前らは!?」


 なんと、私の目の前で、魔族同士が戦いを始めました。


「弱いわね~。やっぱり、あのジジイなんかに従っているようじゃ、こんなものよね~」

「ぐわぁ!」


 私を殺そうとしていた魔族が、乱入してきた数人の魔族達に殺されていきます。全く頭は追いつきませんが、乱入した魔族達の一人一人が強い事は分かります。特に、真ん中で命令している赤髪の女は、とてつもない強さです。私の体が全開で、一対一なら分かりませんが、それでも苦戦しそうな相手でした。


「はい。これで終わり~」


 戦いは、乱入した魔族達の完勝で終わりました。


「あら~?」


 戦いを座って見ていた私の存在に、その赤髪の女が気づきました。命は少し伸びはしたけど、やっぱり駄目みたいね。当たり前だけど、その女からは、友好的な意思など微塵も感じられませんでした。


「あらあら~? 人間がいるじゃないのぉ! どちら様かしら~?」

「……ゆ、勇者」


 私は立ち上がりました。こいつらからは、危険な匂いがします。何で、魔族同士で争っていたのかは分かりませんが、ここで座っている訳にもいきません。まあ、立ち上がっただけで、体は動かせないのですが。


「勇者! これはまた、ぼろぼろの勇者様ね~? 立ってるのがやっとじゃないの~。あははは~」

「どうしましょう? クリムさん?」

「そりゃあ、殺すわよ~。あの方にも、褒めて頂けそうだし~。らっき~」


 ま、それはそうよね。……今度こそ、もう駄目ね。先程の魔族達が、せっかく私を見逃してくれそうだったのに、こんな奴らが現れるなんて。私も、運がないわね。


「綺麗な顔ね~。そんなあなたに、串刺しの刑~」


 赤髪の女が、その手に炎の槍を持って、嬉しそうに迫ってきます。私の顔に穴を開けるのでしょうか? 死に方なんてどうでもいいけど、その嬉しそうな顔は蹴飛ばしてやりたかったな。……バイバイ。皆。


「あははは~! ぶぎゃ!」


 やっぱり、私は運が良かったのかもしれません。片手に炎の槍を持って、飛び込んできた赤髪の女が、私のすぐ目の前で、顔を蹴り飛ばされ転がっていきました。


 私は驚きました。赤髪の女が蹴り飛ばされた事もそうなのですが、それよりも。


「お~う! 間一髪ぅ!」


 嘘? 何であなたが? 何でこんな所に? いえ、それよりも。何で? あれ? あなた、死んだはずじゃ……? 幽霊? 実は、私はもう死んでいて、これは死後の夢か何かだったり?


 私は、自分の前に現れた、あり得ない存在に声をかけます。先程までは止まりそうだった心臓が、どくどくと脈打ち始めているのを感じます。


「エンジ? エンジなの?」


 男は私の顔を見ると、眉を寄せ、言いました。


「……誰だお前?」


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