第118話 良い事、悪い事

「スピシー!」


 メルトの大声に、私を含め、兵士達がぎょっとした顔をしました。私は、手を止めてこちらを見てくる兵士達に、なんでもない、と続きを促すと、怒った顔をするメルトの目を見つめました。


「仕方ないじゃない」

「……あなた、さっき自分が言った事を忘れてしまったの?」


 忘れてはいない。でもいいの。だってあれは、私に対して、やめてほしいだけ。私が自分から動く分には適用されない。抜け穴を探しているみたいで申し訳ないとは思うけど、これくらいしか、大勢の命が助かる方法は思いつかない。


「別に、死のうなんて思ってはいないわよ?」


 嘘だ。


「時間稼ぎをすれば、私も追いかける予定だし」


 嘘ではないかもしれないが、50もの魔族を相手に、逃げ切れるとは思えない。下級魔族だけなら、出来ない事はないかもしれないけどね。


「そ、そんなの駄目よ。それに、そのつもりなら、私も一緒に……」

「それこそ駄目よ。あなたは、魔力がなくなればそれまでだし、足も遅い。もっと言えば、逃げる方向に魔族が待っていない保証はないのよ?」

「そうだけど、でも」

「分かって? これが、誰も死なない可能性が一番高い方法なの。私はね、誰も死なせたくないのよ。怪我人や、まともに戦えない兵士達は、あなたが守ってあげて?」


 私は、私の意志が伝わるように、出来る限り真剣にメルトに伝えました。メルトは、まだ何か言いたそうにしていましたが、私の顔をしばらく眺めた後、静かに涙を流しました。


「あなた、変わったわ」


 そうかしら。いえ、そうよね。私はあの時から……。


「良い事だと思っていたけど、悪い事もあったみたい」


 私自身は、そうは思っていない。でも、友人を泣かせてしまったという事は、そうなのかもしれないわね。


「もう知らない。勝手にすればいいわ」

「ごめんね」


 伝った涙を拭い、後ろを向いてしまったメルトの背中に、私は一言だけ謝ると、メルトはまた私の方に向き直り、抱きついてきました。


「……絶対、帰ってきて」


 嘘でもいい。私は一瞬、そう思いましたが、結局何も言えず、メルトの髪を優しく撫でる事しか出来ませんでした。……こんな時だから、こんな時だからこそ、嘘はつきたくないの。私が愛する友人に言えるのは、ただこれだけ。


 ごめんね――。





====================





 大変な事になっていると聞かされ、俺とアーメイラが向かった先に待ち構えていたものは、分厚い氷の壁だった。登ろうにも、回り込もうにも、時間は掛かってしまいそうで、膝をついてしまった俺だったのだが、氷の壁の向こうに見えている光景を見て、ひとまず安心する。


 見た所、殆どの王国兵は無傷で、勝利の雄叫びを上げていたり、氷漬けにされた魔族を見て、感心したりしていた。……ああ。確かに、大変な事になっているな。


「姉さんの仕業、やろなぁ……」


 隣で、同じように氷の壁を見ていたアーメイラがそう言った。これを、ギアラがやったのか? どこかの国の近衛兵と言っていたので、何となく、剣で戦うようなイメージがあったのだが、これを見るに……。いや、もしかすると、両方得意なのか?


 まあ、今はそれよりも、この氷の壁だ。なぜこんな東西を分断するような真似を。先程は、急いでいて気付かなかったが、プレート一人だけが合流したのはこのせいだろう。きっと、援軍を呼ぼうにも呼べなかったのだ。俺は、丁度氷の壁の方に歩いてきた、壁の向こう側にいる兵士に尋ねる。


「おーい。そこのお前。これは一体何だ?」

「ん? おお! 良かった! そっちも無事終わったんだな?」

「ああ……」


 終わるには終わったのだが、どう見積もっても無事にとは言えない人数の兵士が死んでしまった。それは後でまとめて報告するとして、とりあえずこの壁の事について聞いてみると、どこかの異常なテンションの傭兵が、逃がさぁん! と言いながら、逃げようとした魔族の退路を塞いだ結果のようだった。


「はあ」


 目の前にいる兵士は、その光景を直接見ていたのか、高揚しながらもその時の事を伝えてくれたが、俺とアーメイラはその話を聞き終えると、同時に溜息をついた。東西での違いすぎる結果に、もやもやとした気持ちを溶かす事は出来なかったが、目の前にある身内の恥を、俺は急いで溶かし始めた。


 ……。


 東西に別れていた王国兵が合流し、互いに報告を終えた後、隅の方で雑談をしていた俺とアーメイラに、一人の兵士が話しかけてきた。何でも、今回の作戦指揮官である、モンブラット王国の王子に呼ばれているらしい。


 姿の見えないギアラ達の件なのか、それとも、東側の戦いについて詳しく知りたいのか、どちらにせよ、呼ばれたからには行かないといけないだろう。俺とアーメイラは苦い顔をすると、言い訳を考えながらも王子の元へ向かった。


「ぬ? 来たか。まずは、君達の仲間が死んでしまい、私も残念に思うよ……って、貴様はぁぁぁ!?」

「え?」


 一番の懸念点だった、ギアラ達の事に関しては、どうやら死んだ事になっているようだ。その件について触れられないのは、非常に助かったのだが、俺の顔を見た王子が、ものすごい形相をして、叫んできた。何だ……?


「違うぞ」


 俺は、念のため一度自分の後ろを振り返ると、壮年の王国兵が首を横に振り、お前の事だよボーイ、とでも言うような視線を向けてきた。……え? やっぱり、俺なの?


「俺? ですか?」

「貴様は! いつぞやの天使使いではないか! 今回の作戦に参加していたのか!」


 俺の事ではないようだ。だって、天使使いって何? 俺は天使なんて大層なものを、使役しているはずはないのだから。俺が助けを求めるように、アーメイラの方を向くと、天使? やるやん、ブルーベリー。と、適当に返してきた。


「いや、多分人違いだと……」

「はっはー! そうか! 東側の戦いで魔王軍の幹部を倒したという報告を聞いた時は驚いたが、貴様なら納得だ! なぁ? 好き好き大好きストレちゃんは俺の天使ちゃん(愛の大魔術師)よ?」

「は?」


 やはり、俺の事ではないようだな。今ので確信した。頭の隅で、チクリと何かが反応した気がするが、俺はそれを無理やり押さえ込み、またアーメイラの方を向いた。そのアーメイラは、何やそれ? あれでも……ストレ? と、何かを考え込み始めていた。おい、何でこっちには反応するんだ。考えるのをやめろ。何も思い出さないでくれ。俺は、この件とは無関係でいたいんだ。


「俺はブルーベリーと言います。あと、幹部を倒したのは、横にいるこいつ、ラズベリーですので」

「初戦での被害が甚大で、部隊の再編成をする上で困っていた所なのだ! だが! 貴様がいるというのなら、話は変わるぞぉ!」

「あの、話を……」

「いや~。ありがたい! 私は、直接見た事のある、君の腕なら信用出来るよ。その君が仲間だと認める男も同じくな! 前回も、君共々、素晴らしい活躍をしていたしな! はっは~!」


 駄目だ、この王子。何も聞いちゃいねえ。はっは~、じゃねえんだよ。しかし、発言の内容はともかくとして、記憶を失う前の俺を知っているようだ。一国の王子と俺に何か関係が? ……今回のように、アンチェインの依頼絡みなら可能性はあるか。


「君の天使は、今回不在か? 気持ちは分かる。とても切なく、悲しいよな。本当なら、1秒たりとも目を離したくないというのに……。よし! 一緒に、天使を助けよう!」

「はい……」


 俺の気持ちを、何も分かっていない王子が元気に騒いでいた。しかし、幸いにも、この件で俺達プレート班は王子のすぐ側の配置となった。プレート含め、特に新入りの二人は、驚いた顔をしていたが、あの強さですもんね、と最後は納得していた。



 部隊の再編成が終わり、また勇者救出に向け、進み始めた俺達だったのだが、事態は思わぬ方向へ向かっていく。それは、俺が記憶喪失である事を明かし、王子から過去の情報を聞き出している時に起こった。


「俺が、闘技大会に?」

「そうだ。私とも、天使を賭けて戦ったんだぞ~。……ふむ。本当に覚えていないようだな?」


 俺が闘技大会にねぇ。しかも、あの変な偽名を使って? 天使を賭けて戦ったというのも訳分からんし、王子のくせに何やってんの? と、思う気持ちもあるが、それより、俺がそんなものに率先して参加するのだろうか……。きっと、何かの陰謀に巻き込まれたに違いない。


「ちなみに、勝敗は?」

「勝ち進んだのは君だが、真実の天使を巡る争いには勝敗はつかなかった。私の大人の対応により、そっちは引き分けだ」


 この王子の、天使絡みの話は無視した方がいいな。多分、余計な情報だ。俺が次に、何を聞き出そうかと迷っていると、アーメイラが声をあげた。


「ワイの子鬼ちゃんが何か見つけよったでぇ。多分、魔族や。正面から20ってとこやな」


 アーメイラは今回、部隊の前の方に配置された事によって、数十の子鬼を召喚し、索敵に出していた。そして、そいつらが早くも、目視ではまだ確認出来ない、迫る魔族を嗅ぎつけたようだった。


「君の仲間は、やはり優秀だな。すまないが、どちらか最前線に出てはくれないか? これ以上、味方の数を減らしたくはないのだ」


 俺とアーメイラは視線を合わせると、俺が言うより先に、アーメイラが口を開いた。


「今回は、ワイが行くわ。ブルーベリー、こっちは任せたで?」

「ああ」


 走り出そうとしたアーメイラは、何かを思い出したかのような顔をした後、一度向きを変え、フォークの胸を、むにゅ、むにゅ、むにゅ、と三度揉むと、満足気な表情で頷き、走り出した。


「な、なな……何をしてるんですか!」

「ワイの故郷に伝わる必勝祈願や。堪忍やで~」

「え? あ、それなら、仕方ないのかな?」


 顔を赤くしたフォークに、顔だけをこちらに向けたアーメイラが、いつものようにでまかせを言って、最前線に飛び出していった。納得してしまうフォークの将来が心配ではあるのだが、まあ、実はそれはどうでもいい。


 アーメイラが、最前線で魔族を数匹倒し始めた段階で、一人の銀髪の男が戦場に降り立った。その男は、どこかから飛んできたのか、アーメイラと魔族達との間の地面に、小さなクレーターを作って着地した。そして、着地点の近くにいた、アーメイラが中級と言っていた鬼を三匹瞬殺すると、息を一つ吐いた。


 敵味方、誰もが口を開けない静寂の中。その静寂を打ち破ったのは、一人の魔族。見る限り、今回襲ってきた魔族達の指揮官だ。そして、その魔族の男は、味方を押しのけ飛び出してくると、こう言った。


「魔王様!?」


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