第117話 切迫

 大変なんだ――。


 俺とアーメイラは顔を見合わせると、互いに何を言うでもなく、走り出した。……馬鹿な。向こうにはアンチェインの奴らがいたはずだ。途中で抜けるとは言っていたが、戦況が危うい状態で抜けるという事もないだろう。そうなると。


「まさか、な?」

「それは……ないと思うで。でも、もしそんな事が起きとるなら、ワイら二人が行った所で、どうしようもないかもしれへん」


 アーメイラは、アンチェインメンバーの実力を多少は知っているはずだ。そのアーメイラが言うなら、確かに俺達だけでは力不足なのかもしれない。だが……。


 エンジ! また顔がふやけてる! ガルル――。

 肩車! 肩車するの! エンジ! グルル――。


 顔も名前も知らない兵士達だけではない。向こう側には、新しく知り合ったアンチェインの仲間、そして、ファングとクロウがいるのだ。記憶を失った俺にとって、二人とは数日の思い出しかない。いや、しか、というのは違う。この数日が、今の俺にとっての全てなんだ。俺は、最後に何かを話したそうにしていた二人の顔を思い出すと、手を強く握りしめ、さらに走る速度を上げた。


「これは!」

「……嘘やろ?」


 俺とアーメイラが、急いで現場に駆けつけた時、すでに戦いは終わっていた。だが、それもそのはず。こんなものを見せられてしまっては、納得するしかない。理解は出来ないが、認めるしかない。俺は、目の前に広がるどうしようもない理不尽に対して、膝を地面につけ、項垂れる事しか出来なかった。





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「そろそろ限界ね」


 魔族領に入り、しばらく進んだ場所にある、今は王国軍が占有した魔王軍の砦で、一人の少女が呟いた。現在、この場所には王国の王女でもある二人の勇者と、数十名の兵士が残されていた。砦を強引に奪ったまでは良かったのだが、その後すぐに、魔王軍の反撃を受け、孤立化してしまった王国軍だ。


 地の利があった事に加え、二人の勇者を擁した王国軍は、何とか魔王軍を退かせる事には成功するも、ここは魔族領。王国側の援軍よりも、魔族側の援軍の方が早く、砦を包囲されてしまっていた。これは、後になって言える事なのだが、欲を欠かず、一度目の魔王軍が引いたタイミングで、砦を放棄して王国に戻れば、孤立化する事はなかったのかもしれない。


 しかし、大勢の兵士が犠牲になり、やっとの思いで奪えた砦を、安々と放棄する事も、到底運べる人数ではない、多くの怪我人を砦に残して出て行く事も、今の勇者達には出来ない決断だった。


「あの娘が、いてくれれば」


 回復魔法に特化した、仲間の一人を思い浮かべる。王国が抱える勇者は、本来三名いるのだが、この作戦にその仲間は参加していない。今は確か、魔法都市で起きた事件の後処理に尽力していると聞いた。あの娘がいてくれさえすれば、大勢の怪我人を治療して、砦を放棄して逃げる、という考えも出てきたかもしれないけど……。


「それは、無い物ねだりよね」


 今となってはもう遅い。それに、こんな状況に陥ってしまっては、いなくて良かったとも言える。勇者が一人でも残っていれば、王国の希望はなくならない。私達が特別な力を持っている訳ではない。ただ、普通の人よりは戦えると言うだけ。勇者はまた探せばいいのだから。



「食料は、どのくらい残っているの?」


 私は、腕に包帯を巻いた兵士に尋ねます。


「この人数ですと、一日から二日が限界かと……ただ、姫様達だけであれば、まだまだ十分に……」

「だから! それは言わないでって、言っているでしょう?」

「ですが」


 こんな状況になってから、兵士の皆は事あるごとに私達だけでも生かそうとしてきます。私もそうやって教えられ、長年過ごしてきたのも確かだし、こんな至らない私達を、と考えれば感謝の気持ちも沸いてきます。逆の立場を思えば、それが変だと言うつもりはないし、私もそう言っていたかもしれません。でも……。


「皆で帰るのよ。そうやって、自分達が犠牲になれば、という考えは捨てなさい」

「姫様……」


 これは戦争。死人は出る。分かっているわ、そんな事。でも私は、誰かが自分の盾になってまで生きようとは思わない。思わなくなった。あんな気持ちになるくらいなら、潔く死んでやるわ。


 しかし、そんな思いとは関係なく、そろそろ行動を起こさないと全滅だ。初日ほどの規模ではないとは言え、魔族は仕掛け続けてきています。これまでは、何とか退けてはいますが、それもいつまで持つか……。


 私が兵士を諭しながらも、これからについて考えていると、見張りに付いていた別の兵士から、とびきり悪い報告がもたらされました。


「姫様! 北門の先に魔族が現れました! 数は、50を越えてます!」


 はあ。遂にこの時がやってきました。今までは、様子見程度に、少人数が攻めて来ているだけだったのが、今回は50。私達の戦力が心もとない事がばれたのか、それとも、ただ痺れを切らしただけなのか。別に、どちらでもいいのですが、覚悟を決めるしかないわね。


「怪我人は、歩けるくらいには回復したのかしら?」

「それくらいなら……姫様?」

「そう、良かったわ。食料もすでに残り僅か。この砦を捨てて、逃げましょう」


 あっけらかんと言った私の言葉に、同じ部屋にいた兵士達が息を呑むのが分かりました。でも、皆もそろそろ限界だという事が分かっていたのでしょう。しばらくは、誰も何も喋らなかったのですが、静寂を打ち破ったのは、私の友人である、もう一人の勇者でした。


「まだ、走れない人達もいるけど、どうするの? あなたまさか……」

「大丈夫。皆を置いていくつもりなんてないわ。幸いにも、北門にしか魔族の姿は見えないようだし、反対側から出れば、交戦は避けられるはずよ」

「そこまで広くもないのに、すぐに追いつかれないかしら?」

「見つかれば、そうでしょうね。でも、ただこの砦を取り返しに来ただけだったなら、追ってはこないかもしれないし、それに……」


 う~ん、と考え始めた目の前にいる友人や、何かを言い出しそうになっていた、勘のいい兵士達が口を開く前に、大きな声で畳み掛けます。


「砦を捨て、王国に帰還します! 必要な荷物を今すぐまとめてください!」


 私の大声に、ハッとした顔をした兵士達は、何も言わず慌ただしく動き始めました。ですが、目の前にいる私の友人は、納得のいかない表情をして、しつこく食い下がってきます。


「それに? それにって何!? 待って! 待って、待って! あなた! もしかして!」


 偉そうな事を言ってしまった後すぐで申し訳ないけど、私はもう覚悟を決めた。私は、自分を見つめてくるその友人の目を見据え、口元を緩めます。そして、その娘にだけ聞こえるような小さな声で、言いました。


「私が、足止めをします」

「スピシー!」


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