第115話 混乱

 敵襲。どこかから聞こえてきたその大声に、俺とアーメイラは目を覚ました。素早く体を起こし、二人で同じテントから出ると、周囲はすでに慌ただしく動き始めていた。


「隊長」

「来たか。よし、プレート班全員いるな!」


 先に来ていたフォークとスプーンを合わせ、四人がそれに頷く。今更だが、筋肉隊長の名前はプレートだ。運命のイタズラか、食器の名前ばかりがこの班には集結している。ただし、皿の上に乗っているのは、ブルーベリーとラズベリーだけなので、少々味気ない食卓だ。


「数は50。左右、つまりは東西からの挟み撃ちだ。数は少ないが油断するなよ!」


 魔族一人一人にも質の違いはあるが、一般的な兵士が五人いれば、魔族一人と戦えると言われている。それほどまでに、人と魔族では、生まれついての身体能力に差があるのだ。実際の戦闘では、魔法や個々の技量も関わってくるため、一概にそうとは言い切れないが、それは相手にとっても同じ事だろう。


「ワイらは、どっちに行くんや?」

「東だ。敵の数は、向こうより少ない。だが、指揮官らしき男がいるそうだ。新入り二人を抱えた俺達は、後方待機となっている。まともにぶつかることはないだろうが、気は引き締めておけ!」


 ま、そりゃそうか。実戦経験のないフォークとスプーンに加えて、怪しい傭兵二人だからな。と、新入り二人を見ると、少し震えているのが分かった。……無理もない。周囲の皆は慌ただしく動き、怒号が飛び交っているこの戦場の真っ只中。俺も、自分がなぜここまで落ち着いているのかが不思議なくらいだ。


 俺がそんな事を考えつつも、周りを伺っていると、一際異彩を放っている集団がいた。


「よーし! 集まったな! 優しいクリームに包まれし、果物達よ!」

「おい、クリーム。本当にやるのか?」

「俺はやらないぞ? 俺は女としか手は繋がない事にしてるんだ」

「……駄目。嫌だ。あ、それなら、今回の報酬はなしだから」

「それはひどいぜ!?」

「ぐぅ。俺はそれでもやりたくねえ。いや、やれねぇんだ! 実は、男に触れると俺の持病がな……医者にも止められている!」


 アンチェインの奴らが集まり、何やら揉めていた。何やってんだ? あいつら?


「オレンジ、私とレモンが隣に行ってやる。それで解決だ」

「え? あ、ちょっと待て!」


 嬉しそうな顔をしているギアラと、楽しそうに尻尾を振るファングとクロウに強制的に手を繋がれ、ブルーウィとジェイサムは恥ずかしそうに下を向いていた。いやほんと、何してんのあいつら!?


「主食の座を奪う気で行け! フルーツ・パフェ、ファイトぅ!」

「んん……レッツ糖分!」


 ……。


 俺、こっち側で良かったのかもしれん。ふと、横にいるアーメイラを見ると、今までに見た事もないような真顔で、それを見つめていた。うんうん。分かるぞ。


 俺とアーメイラが他人の振りをしようと顔を背けた後、目の前で俺達と同じ方向を向いていたフォークが、引きつった顔をした。


「ねえ。何か、こっちに来るんだけど」


 主語を省いたその言葉の意味する所は分かったのだが、俺達は信じたくなかった。だから前を見る。フォークの胸を見続ける。これが俺の幸せ。アーメイラに至っては、目を閉じ耳を塞いでいた。


 ザッザッザ。


 聞こえて来る足音は、死神の足音。少し先の未来は、生か死か。すぐそこまで迫る脅威に俺達は無防備過ぎたのだ。どこにも逃げられない。魔族が俺達を殺そうと迫ってはいるが、俺達はそんな事では死なない。きっと、その前に殺されてしまうからだ。


「ふんふん~」


 小粋な鼻歌が聞こえてくる。これは別名、死神の唄。聞きすぎると精神がおかしくなってしまうので、用法用量をお守り下さい。……駄目だ。俺は、何を考えてるんだ。頭が回らない。俺がまたアーメイラの方を向くと、アーメイラは無言で涙を流していた。


「ブルーベリー、ラズベリー。良い所にいた。さあ、お前達も一緒にやろう!」


 ……。


「んん……レッツ糖分!」





 すでに魔族と一戦かましてきたのか? と言うような顔で帰ってきた俺とアーメイラに、三人からの生温い視線が突き刺さっていた。何も言わないでくれ、頼むから……。


 しかし、ギアラは何も、俺達に恥を欠かせようと思った訳ではないようだった。ああいや、本人は絶対楽しんでいたが。円陣が終わった後、俺とアーメイラに、アンチェインのこれからの動きについて、伝えてきたのだ。


「私達は、西の魔族を担当する。それと、この機会に乗じて、部隊を抜けるつもりだ」

「……早くないか?」

「いや、思っていたより魔族との戦闘が少ない。この先、こんな機会はもうないかもしれない。なので、少し作戦は変わるが、私達五人で文書を届ける。お前達二人は、そのまま勇者救出の方に協力してくれ」

「ん~。ワイらも、ちょっとやる気出してた所やし、それはええんやけど」

「文書を届ければまた合流する。合流ポイントは、勇者が籠城しているはずの砦だ」

「分かった」

「抜ける前に、西側はあらかたやっておく。後は任せたぞ」


 そう言って、ギアラはまた先程の変なテンションに戻り、走っていった。


 ガルル。

 グルル。


 ファングとクロウが残って、何かを言いたそうに俺の顔を見ていた。だが、これも仕方ない。また後でな、と言って二人の頭を撫でると、元気のいい返事を残して、ギアラ達を追っていった。




「そう言えば、お前らも傭兵だったな。あそこまで、変わった傭兵団に所属しているとは思わなかったが」


 何も言えない。ただ、俺達は苦い顔をするしかない。


「でも何だ? さっきのやり取りのおかげで、こいつらの緊張も少しは解れたみたいだしな!」


 意図したことではないが、あんなのが役に立って良かったよ……。あんなのが。俺とアーメイラが何とも言い難い顔をしていると、遂に、前線では戦いが始まったようだった。


 夜の暗闇を照らす魔法の光、そして、敵と味方どちらとも分からない雄叫び。俺達がいる所までは、まだ距離があるはずなのだが、夜ということもあり、すぐ近くでの事のように思える。……いや?


 最初は、緊張や環境のせいかと思っていたのだが、明らかに、それは少しずつ迫っている。まさか。


「押されている?」


 俺の呟いた一言に、周囲の者達が一度黙り込み、前方を伺う。そして、双眼鏡を手にした男の、息を飲む音がいやに大きく聞こえたかと思うと……。


「化物だ……。化物がいる! 押されているぞ!」


 その言葉を皮切りに、後方待機組を混乱が襲った。


「う、嘘つくなよ! 今、前線で戦っているのは、俺達の先輩達だぞ!」

「嘘じゃない! お前も見てみろよ!」

「ああ、駄目。そんなの見なくても分かるわ! だって、声が、音が、近づいてきているもの!」

「あ、ああああ! どうしたら……どうするんだよぉ!」


 ちっ……。これはまずい。押されているように見えるのは確かだが、それよりも、この状況がまずい。各班の隊長達が、落ち着くよう怒声を上げているが、戦闘経験の薄い者達は、それでさらにヒートアップしていった。


「ラズベリー」

「待て。ワイも考え中や。とりあえず、この混乱を……」


 アーメイラが何かを言いかけたその時、一人の兵士が飛び出した。


「待て! どこへ行く!」

「ああああ! このまま先輩達の数が減っちゃう前に、行かないと!」


 それはおそらく、仲間の兵士を助けるためではない。それも、ないことはないのだろうが、数で勝っている内に参戦しないと、という恐怖からくる行動。こうなってしまっては、後はもう雪崩式だった。どこかの隊長の静止を振り切り、飛び出していった兵士に何名かが付いていく。一人、また一人。徐々に徐々に数を増やしていく。


「おい! 止まれと言っとるだろうがぁ!」


 止まらない。この流れを止めることは出来ない。唯一止められそうな、全体の指揮官である王国の王子も、敵の数が多い西側寄りにいる。直接の指揮は期待できない。


 西側の援軍を待つか、それとも今飛び出すか。俺が歯噛みしながら考えていると、すぐ近くで誰かが動いた。俺はこの時、忘れていたのだ。俺達の班にも、冷静でいられなくなるような仲間がいたのを。


「あ、あああああああ!」

「フォーク! スプーン! 行くなぁ!」


 プレート隊長の一際大きい声が、俺を思考の海から引きずり出す。


「ラズベリー!」

「分かっとる! 隊長はん! ここはワイらが行く! 隊長はんは、西側に援軍要請や!」

「それなら、俺が二人を! ……それに、援軍を呼ぼうにも、向こうの方が数が多いと聞いている!」

「あかんあかん! この人数で押されとる言う事は、多分優秀な魔術師混ざっとるで! ワイとブルーベリーに任せとき! あとな、こう言っちゃなんやが、向こうの方が、はよ終わるで! 姉さん、えらい張り切っとったしな!」

「ぐ、だが!」

「時間ないんや! ここはワイらを信用したってくれ!」


 その言葉に、プレートはほんの一瞬だけ考える素振りを見せた。


「……二人を、新人達を、頼む!」


 プレートが後ろに走るのと同時に、俺達も急いで走り始める。本来であれば、有り合わせの傭兵ごときに、王国兵、しかも隊長であるプレートが従うはずもない。プレート本人も、相当焦っているという事だろう。


「ブルーベリー! ワイの魔法は時間かかるやつばっかや。ワイが援護する。お前は突っ込め!」

「ああ!」


 鎧を脱ぎ捨てた俺とアーメイラが走り始めると、すぐに新兵達の後ろ姿が見えてきた。それと同時に、敵の魔族の姿も視界に捉える。一、ニ、……。くそ! おかしい! 半分も減っていないだと!? 前線にいた奴らは何してたんだ!?


 だが、その理由もすぐに分かった。中央にいた指揮官らしき男から魔法の光が放たれたかと思うと、それは大きな爆発を伴い、俺達の眼前に広がっていた兵士の大半が、死んだ。


「え? え?」

「あれ? 先輩?」


 それを見た新兵の足が止まる。今起きた事が信じられず、そのほとんどが棒立ちだ。魔族の指揮官がもう一発を放つと、先に飛び出して行った新兵達もが、地面に崩れた。残っているのは、足の遅かったフォークとスプーン。そして、少し遅れて飛び出した、十名程だけだった。


「何だ? ただの寄せ集めだったか? 者共、蹴散らせ!」


 敵の指揮官がそう言うと、指揮官の周りにいた下級魔族が、その場から逃げ出した新兵を追い始める。そのタイミングで、俺とアーメイラも戦場に飛び込んだ。


「ははは! 逃げるだけじゃ勝てんぞ~! 人間風情が!」


 これ以上はさせない。ファイアバレット RUN


「あ? ぐあああぁぁ!」


 逃げる兵の背中を切り裂こうとしていた魔族数人を、ファイアバレットが燃やし尽くす。危ねえ……。


「おい! こっちだ! 走れ!」


 俺の姿を見て、新兵達がまた走り出す。だが、魔族もすぐ後ろに迫ってきている。俺だけじゃ手が足りない……が。


「食べぇ」


 アーメイラの魔法が敵を襲い始める。……何だあれは。鬼?


 下半身のない、顔と手だけの化物が、戦場を駆け巡り、新兵を追う魔族を襲っていく。その鬼が通り過ぎると、魔族の頭や腹が、食い破られたようになくなっていた。


「ブルーベリーさぁぁん!」


 俺がその声に反応すると、数十メートル先から、フォークとスプーンが走ってきていた。無事だったか! ……って、まずい!


「馬鹿! 油断するな!」

「え?」


 敵の指揮官の側に立っていた女の魔族が、二人を仕留めようと、急接近していた。……間に合え! オーバークロック RUN。


「死ね!」

「させるかよ!」


 女の魔族が振りかぶり、その鋭い爪で、フォークとスプーンに襲いかかるが、何とかそこに俺が滑り込む。


「ファイアウォール RUN」


 二人を両手に抱え、敵の初撃を避けると、俺は自分と魔族の間にファイアウォールを張り、一度、アーメイラが立っている所まで引いた。


「はぁ、はぁ! あっぶね!」

「ブルーベリーさぁぁん! ラズベリーさぁぁん!」

「た、助かった~。の?」


 ああ……右手柔らかい。左手重い。敵の追撃がないことが分かると、俺は二人を地面に降ろした。二人は何かを言いたそうにしているが、今は無視をする。まだまだ油断は出来ない。一番厄介そうな奴らが、残ってるからな。


「お前らは、そこの岩にでも隠れてろ。ここは俺達がやる」

「は、はい!」

「うん! ……あの! 勝手に飛び出してごめんなさい!」

「それは隊長はんに言ってやりい? とりあえず、これはしまいや!」


 最後の下級魔族を食いちぎった後、アーメイラが手をパンっと叩くと、鬼は薄れて消えていった。こいつの魔法も気になるが、後回しだな。俺達が残った二人の魔族を睨んでいると、二人は不敵な笑みを浮かべ、ゆっくりと近づいてきた。


「威勢がいいのも混じってるじゃないか!」

「私は、邪魔されてしまった、あっちの男を。いいですよね?」

「構わん」

「女からのご指名やでぇ。羨ましいなぁ、ブルーベリー。ま、今回は譲ったる。ワイが、あのごっついのやるわ」

「ああ」


 記憶を失っている俺を気にかけてくれたのか、それとも、ただ強そうな相手と戦いたいだけなのか。アーメイラは薄く目を開け、笑っていた。


「早く終わったら、手伝ってくれよ?」

「いきなり弱気なんなやぁ。さっきの動き見る限り、大丈夫やて」


 何だかんだ言っても、記憶を失ってからの初戦闘。さっきはがむしゃらに戦いはしたが、自分の力が、何となくでしか分からないのはやはり怖い。相手の魔力は見えてはいるのだが、比べる相手も出てこない。……比べる相手?


 そんな事を考えていると、唐突に、銀色の髪をたなびかせた男が、俺の頭をよぎった。見た目、男か女かも分からないが、俺はそいつが男であることを知っている。それが誰なのかは分からない。名前すら出てこない。でも……。


「まあな。ああ……終わったら手伝ってやろうか?」


 こいつらには、負ける気がしない。


「ええな……その顔。ま、こっちもいらんで? はよう終わったら、座ってお茶でも飲んどき」

「もしかして、めちゃくちゃ舐められてます? 私達?」

「力で思い知らせてやればいいだけだ。後悔する時は、死ぬ時だ」

「ですねぇ。じゃあ始めましょう?」


 魔族二人が臨戦態勢を取り、先程よりも威圧感が増す。それでも……。


「何の恐怖も感じないな。どうやら、銀髪の男の呪いにかかったみたいだ」

「何やそれ? まーた、変な事口走りよってからに。……まあ、ワイもやけどな!」


 魔族による奇襲。東側での最後の戦闘が始まった。


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