第111話 秘密基地

 記憶を失くしてしまった俺、エンジ君と獣二匹は一路、謎組織アンチェインの秘密基地へと向かっていた。秘密基地とは言っても、各地にある無数の拠点の一つらしく、今回のように、複数人が協力して行う仕事の時に、事前の顔合わせなんかで利用される事が多いらしい。


 その仕事内容だが、実はまだ分かっていない。俺が呼ばれていなかった事を考えると、俺に不向きな内容なのかもしれないが、今はまず、同僚に会ってみようと思う。俺の事に詳しい奴がいるかもしれないし、もしかしたら淫乱な恋人だっているかもしれない。……ふふ。


「エンジー! どうしたの? 顔がふやけてるよ! ガルル」

「私の勘が、エンジに噛み付けって言ってるの。いい? グルル」

「いい訳あるかぁ!」


 噛み付くって何だよ。絶対無事じゃ済まされねえよ。あとファング、ふやける、じゃなくて、ニヤける、な。


「……はぁ、はぁ。ああ……きっつい。そろそろ休憩にしよう」

「えー! またぁ!? ガルル」

「私の上、乗せてあげるの! グルル」


  俺達は走っていた。ただひたすら、目的地目指して走っていた。少し走れば着くよ~、という言葉を鵜呑みにし、走り出した俺だったのだが、どうやら獣感覚での少し、だったようだ。俺がたくさん休憩を取っているせいでもあるのだが、走り出してからすでに二日目に突入していた。


 魔法で強化しているとはいえ、獣人のこいつらに比べると体力が尽きるのは早く、休憩を取る度に文句を言われていた。四足で走るこいつらは早く、俺はほぼ全力疾走に近い状態で走り続けているのだ。そりゃ、疲れるってもんだろ。


 そんな俺に対して、今のように背中に乗れ、と、こいつらは言ってくるのだが、それは出来ない。今でさえ、全く言う事を聞かない愛犬のリードを離してしまった飼い主、もしくは、魔物に追われる人間のような見た目になっており、注目を集めてしまっている。先程すれ違った冒険者なんかは、ぎょっとした顔でこちらを見た後、俺を助けようと追いかけて来たくらいだ。すまんな。


 そんな訳で、こいつらの背に乗って行くのは、第三者から見た場合、さらに問題のある構図だろう。見た目子供、しかも少女であるクロウに乗った場合を考えてみろ。あらゆる意味で、今よりも目立つ事間違いなしだ。心優しき俺に、そんな事出来ると思うのか?


「よし、乗せろ」


 それは出来ない、と言ったな? あれは嘘だ。当たり前だろうが? 全身の切り傷、擦り傷、背中の打撲に加えて、ふくらはぎがパンパンなんだよ。ここまでよく頑張ったよ、俺。そもそもな、こんな平原走っていても、人なんてほとんど見かけねーんだよ。


「お、おい! アレ見ろよ」

「下の子、奴隷かしら? 可哀想……」


 ……。


 一つ、言い訳をするとな? きっと、記憶を失う前の俺はこんな事しなかったはずだ。だが、俺の失われた記憶の部分に、今は悪魔が居座ってしまっているんだ。ちょうどいい空きスペースだったんだろう。本当、人が留守にしてる間に、迷惑なもんだ。


 一瞬、降りようとも思ったが、やっぱりやめる。今は悪魔の甘言に、渋々騙されてやることにした。……後で見ていろ? 俺の中の悪魔よ。エンジェル・エンジ君が滅してやるからな?




 秘密基地、ねぇ……。


 二人の背に、代わる代わる乗って行く快適な……心痛める旅は、遂に終わりを迎えた。辿り着いたのは、城塞都市ソリッドネーブル。深い堀と、高い壁が外敵を阻む、魔族領に最も近い都市だ。この場合の外敵とは、もちろん魔族の事だ。今は人間同士で戦争はしておらず、戦線も、砦を越えた先の魔族領が主なので、時折、兵士がうろついているのを見かけるものの、街は随分と平和な様相を呈していた。


 だが、住民達も、どこかでこれは仮初めの平和なんだと思ってはいるのだろう。よそ者である俺に対して、道行く人の視線は冷たい。さっきなんて、八百屋の親父にりんごを投げられた。……でも、俺は怒らない。本当はきっと、優しい心の持ち主であることを知っているからだ。今は臆病になっていて、心が狭くなっているだけなのだ。俺は首を横に振り、晴れやかな顔をして、秘密基地を目指す。


 ファングとクロウの案内の元、秘密基地へと向かったはずだが、俺の目の前には、ボロボロの小さな家が一軒建っているだけだった。強風で吹き飛びそうな屋根と壁に、なぜか張り巡らすように、キープアウトと書かれたロープが巻かれていた。……う~む。


「着いたよ~! ガルル」

「秘密基地なの! グルル」

「……なぁ。この家で最近、殺人事件とか起きなかったか?」

「ん? 僕達も、ここに来るのは久々だよ? ガルル」

「ここでは多分起きないと思うの。……何で? グルル」

「いや、何となくだ。理由はない」


 どうやら、俺が想像していた秘密基地とは違ったようだ。少し悲しい気持ちになっていた俺が、その家をまじまじと見ていると、ある事に気付いた。


「あれ? あのロープ、魔力が通ってるな?」

「え? 分かるの!? ガルル」

「すごーい! グルル」

「ああ、どうも俺の目は、魔力が見えるらしい」


 褒められて、いい気分になっていた俺だが、同時に、見たくもなかったものも目に飛び込んできた。家の表札に、魔力を使って小さく文字が綴られている。俺は目を凝らし、その文字を追うと、そこにはこう書かれていた。


 アンチェイン第六拠点 プレハーブ


 ……嫌な気分だ。なぜかは分からないが、嫌な気分だ。俺が、裏切られた気分を味わっていると、ファングが口を開いた。


「エンジ! ここが秘密基地かどうか、疑ってるでしょ! ガルル」

「正真正銘、秘密基地なの! だってここには、アンチェインのメンバーしか入れないの! グルル」


 入れない? 嘘つくなよ。こんなボロい家、誰も入ろうとしていないだけだろ? 俺が疑惑の目を隠さないでいると、ファングが玄関に向かって歩いていく。


「エンジ! 見てて、見てて! ガルル」

「よく見ておくの! エンジ! グルル」 

「あん?」


 玄関の前で立ち止まったファングは、そのままドアを開けることなく歩いていった。俺が何やってんだ、あいつ? ぶつかるぞ? と、訝しげな目で見ていると、ファングの体はドアをすり抜けていった。


「マジかよ」

「ね! 私達も行こう! グルル」


 張り巡らされたロープはこのためだったのか? よくは分からんが凄い技術だ。俺は第六拠点プレハーブを少し見直しつつ、クロウと一緒に家に入っていった。


「エンジはやっぱり、アンチェインで間違いないみたいだね! ガルル」


 俺が中に入ると、ファングが嬉しそうな顔で万歳していた。何だ? 俺はアンチェインの一員かどうか疑われていたのか? 兄なのに? 


 とりあえず、ファングの言ったことは後回しにして、プレハーブの中をぐるりと見渡す。……狭! 玄関の仕掛けを見て、実は内に入ったら別世界なんだろ? と、思っていたのだが、現実はそんなに甘くはなかった。5畳ほどの何もない空間に、丸机がポツンと置かれているだけだった。


「エンジー! 下だよ! 下! ガルル」


 今度こそ期待を裏切られた俺が、何も言えないでいると、とてとてとファングが歩いていき、丸机を引っくり返した。すると、その机がスイッチになっていたのか、床が開き、下へと続く階段が出現した。


「ひ、秘密基地じゃん!」

「もう~。だからそう言ってるでしょ? ガルル」

「早く行こう! 皆、そろそろ来てる頃なの! グルル」


 俺達は階段を下っていく。ごめん、プレハーブ。俺、勘違いしていたよ。お前はボロイ家なんかではない。立派な秘密基地だ。しかし、こうなると、ますますアンチェインという組織が怪しくなってくるな。何でこんな、隠れるようにして……悪い奴らってのは、大体地下に住みたがるもんだが。


 階段を降りた先には、扉が一つあるだけだったが、その横におかしなものが置いてあるのを見た。それは、飲食店なんかで見るような、立て看板だったのだが。


 喫茶店 アンチェインズ ~ま、とにかく入ってよ~


 喫茶店な……。いや、もう何も言うまい。誰が何のために? であるとか、絶対に赤字じゃんとか、キャッチフレーズそんなんだけど、アンチェインの奴らしか入れないよね? という考えは捨てよう。ここは喫茶店で、俺達は今からそこに入る。それでいいじゃないか。


「ああ、喫茶店だな。うん。確かに喫茶店だ」


 俺達が中に入ると、そこはまさに喫茶店と呼べる内装だった。カウンターには酒が並べられ、四角いテーブルがいくつか用意された、どこにでもありそうな喫茶店。記憶を失くした俺でも、これは喫茶店だな、と思うような、あからさまな喫茶店だ。


 入店した俺達に、視線が集まる。カウンターの中に、ニコニコ笑顔の女性が一人。カウンター席に糸目の男が一人。後は四角いテーブルに、渋い男が二人だ。俺が何も言わず黙っていると、カウンター席に座っていた糸目の男が立ち上がり、両手を広げ、話しかけてきた。


「よ~来たなぁ! まずは適当に、寛いどいて~!」


 何で関西弁やねん。……あれ? 関西弁ってなんだっけ? 俺が失われた自分の記憶に呼びかけていると、四角いテーブルに座っていた男二人が声を上げる。


「チクショー! 双子と一緒かよ! 今回の仕事、絶対面倒な事になるぜぇ!」

「違いない。だが、まだ分からんぞ? 詳しい話を聞いてみない事にはな?」


 こいつらを見ていると、何かを思い出しそうになる。だが、それが何なのか、分からない。とにかく、言われた通り、空いてる席にでも座ろう。俺達が席に向かうと、糸目の男が興味深そうに呟いた。


「しかし、あれやなぁ……双子が誰かに懐いとるの、初めて見たわ。どうやったんや? 兄ちゃん?」

「俺も分からん。詳しい事は後で話すけどよ、そんなに珍しいか? どちらかと言えば、人懐っこい感じだが」

「あかんあかん! そいつら、全く懐きよらんねん! この前会った時もな、ワイの手に大きい歯型残しよってん、こいつら。ワイ、今の兄ちゃん見てびっくりしてるで! それもう、懐くってレベルやないやん!」


 そうなのか。まあ、俺は兄だし……ん? 懐くってレベルじゃない? そこでようやく気付く。俺はなんと、クロウに跨ったままだったのだ。


「あ、悪い」

「いいの! エンジなら! グルル」


 何かに目覚めてしまったのか、顔を赤くしたクロウが俯いて、はあはあと息を吐いていた。……ん? 待てよ? 街の人が冷ややかな視線を俺に向けていたのも、八百屋の親父にりんごを投げられたのも、まさかこのせいでは?


「そうか。さすがに、変だと思った……」


 大きい街だ。俺の他にも、よそ者はたくさんいる。なのに俺だけ? と、実は傷ついていたのだ。俺は、今更ながら絶望的な勘違いをしていた事に気づき、床に四つ這いになり項垂れた。その俺を見て、クロウが俺の床についた手をペロリと舐めた。


 ……どうやら、俺の中に天使は降臨しなかったようだ。


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