第110話 弟と妹

 俺の名前はエンジ、アンチェインとかいう謎組織に所属する魔術師だ。あ、これで自己紹介は終わりです。それだけ? と、思うだろうが仕方ない。だってあいつら、これしか知らないって言うんだ。まあ、名前と勤め先さえ分かっていれば何とでもなるだろう。少なくとも、餓死するような事はあるまい。


 それにしても、記憶喪失か……あるある。あるよね~。長い人生、大抵の人は、一度は経験するっていうよな? 何も、俺が特別な訳ではないはずだ。だから教えてくれ。こうなってしまった場合、何をどうすれば記憶が戻るんだ?


「頭を、思い切り叩いてみてくれないか?」


 俺は、目の前に座った二人に、案を示してみる。どこで聞いたかは分からないが、知識として持っていたものだ。きっと、そういうやり方があるのだろう。


「え、思い切り? ガルル」

「私達が思い切りやったら、エンジの首と胴がお別れしちゃうかも? グルル」

「はい、却下」


 俺は首まで失くしたくはない。……おい、何で爪研いでんだよ。頭を叩くにしろ、爪はしまっとけよ。


「エンジ、強かったから大丈夫じゃない? ガルル」

「私、エンジの血を舐めてみたい。グルル」

「その案は、棄却した。別の案を考えろ」


 俺の体は、普通の人間だぞ? 決して、体が頑丈な訳ではない。あと、もう一人の奴、お前何口走ってんの? 危険だ……。


「まずは、お前らが知っている事だけでも教えてくれ」


 こいつらに直接的な解決を期待するのはやめよう。あ、やっちゃった、とか言って、俺を死体に変えそうだ。二人は顔を見合わせると、同時に頷いた。


「名前はエンジ! 多分魔術師! ガルル」

「私達と同じ、アンチェイン! グルル」

「それは、さっきも聞いたな。他にないか? ああ、今更だが、お前らの事も教えてくれ」


 俺の質問に、二人は顔を見合わせ、また同時に頷いた。


「僕達は双子の獣人、僕の名前はファング。エンジの弟。ガルル」

「私はクロウ。エンジの許嫁なの。グルル」

「え?」


 あら~。俺はまた随分と複雑な家庭環境にいたみたいね~。……双子なのに、片方は弟で、片方は許嫁ってどういう事だよ。閉鎖的な環境だと、兄妹で結婚するって事もあるかもしれないが、そもそも俺だけ人間じゃん。しかし、頭から否定も出来んな。血がつながっていなくても、家族になることはある。もし、何らかの理由で、俺がこいつらの兄の立場にいたとするなら、下手な事も言えんな。


「ファングにクロウな」

「うん! そうだよ! ガルル」

「これからよろしくね! グルル」


 これからよろしくね、って兄だった奴に言うか? 家族の再出発的な意味なら、う~ん。まあ、その辺の事情は考えないで、今は名前だけ覚えておこう。


「……」

「……」

「え? 終わりか?」


 俺が黙って続きを待っていると、二人はだんまりとしていた。あれ? 俺って兄なんだよな? それにしては、情報が少なすぎない? こうなると、俺が兄でない事は間違いないだろうとは思うのだが、それは口に出すと傷つけてしまうかもしれない。俺が眉をひそめていると、二人が慌てたように口を開いた。


「僕達、やっと昨日出会えたんだ! ガルル」

「ずっと会えなくて寂しかったの! グルル」


 さらに複雑な家庭環境だったという事が判明してしまった。ええい。もういい。悪い奴らじゃなさそうだし、俺の事を多少なりとも知っているのは、今この場には、こいつらしかいないんだ。そうすると。


「アンチェインの他のメンバーがいる所に連れて行ってくれ。まさか、俺達だけじゃないんだろ? そもそもアンチェインって何をする組織なんだ?」

「何でもするよ~。悪い奴らを懲らしめるとか。ガルル」

「盗みもすれば、人助けもしたことあるの。グルル」


 よく分からん。盗みもするって、それもう俺らが悪い奴らじゃん。そんな所で働いていたなんて、色々と大丈夫なのか? ……大丈夫だった? 昨日までの俺?


「ん~。普段は皆、各地に散ってて中々会えないんだけど、丁度いいのがあったよね? ガルル」

「うん。エンジが呼ばれていないのは不思議だけど、今度、何人か集まりそうな依頼がきてたの。グルル」


 依頼? それは、各々に伝えられるものなのか? うーむ。いよいよ怪しい組織だ……。


「あ! エンジって今、魔法は使えるの? ガルル」

「そっか! さすがに丸腰じゃ危ないよね? グルル」

「使えるぞ? RUN」


 俺は適当に、風の魔法を二人に向かって放つ。地面に座っていた二人が風の力に負け、がう~、と言いながら、ころころと転がっていった。そう、こういう事は別段忘れちゃいない。記憶だけなのだ、俺が失ってしまったのは。言葉や生活する上での基本的な事まで忘れてしまっていたなら、俺はもう生きてはいけなかっただろう。


「う~。ひどいよ! エンジ! ガルル」

「戦った時も思ったけど、詠唱してないよね? グルル」

「ああ。今の俺には、原理は分からないんだがな。とりあえず、今覚えているものについては、使い方も分かるし、大丈夫そうだ」


 戦ったって何だ? もしかして、俺がここに寝てたのってこいつらと戦ったせいだったのか? 俺達、どういう関係なんだよ、本当。


 ……でもまあ。


 俺が言った言葉を聞いて、二人は俺と一緒に仕事が出来る事に喜んでいた。何だか微笑ましい光景だ。やはり、俺はこいつらの兄だったのかもしれない。真実はどうあれ、今はそれでいいんじゃないか?


「で、どこに向かうんだ? 聞いても、俺は分からないんだけどさ」

「そうだね! 行こう行こう! ガルル」

「アンチェインの秘密基地! グルル」


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