第106話 公爵令嬢の日記22

 俺は屋敷に帰り、少し休憩を取ったらまた賊のアジトへ向かう事を、皆に話していた。理由は簡単。ノートを取り返し、小屋を襲撃した事がばれると、アジトの場所を移されてしまうかもしれないからだ。もちろん、何の祝いかも分からない、パーティなんてものは開かれなかった。いや、開かせなかった。


「話は分かったが、エンジ君。本当に一人で行くのかね?」

「ああ。ま、多分大丈夫だ。それに、さっきも言ったが、逃げられる前に手を打っておきたいんだよ。次は、ノートが攫われるくらいじゃ済まないかもしれない」

「そう、だな。では、お願いするよ。本当に、何から何まで済まない」

「ま、給料の範囲内だ。後処理だけは頼む」

「それは構わんが……よし! じゃあエンジ君が帰ったら、今度こそパーティだ!」


 だから何のパーティだよ。賊の壊滅記念パーティだとすると、それはそれでどうなの? だが、今はそこに突っ込んでいる場合じゃない。俺は……。


「それなんだがな……俺はもう、ここには帰ってこないつもりなんだ」


 俺が放ったその言葉に、室内が一瞬だけ静かになる。


「エンジ?」


 先程までは笑顔を見せていた、ノートの表情が曇る。すぐ側にいたエリエルは、顔をしかめつつも、黙って俺の次の言葉を待っているようだった。


「最初から決めてたんだよ。この件が片付けば、俺の本来の目的地である、魔法都市へ行こうって」

「えらく、急じゃないか。今日くらいは、こっちに泊まって行ってもいいんじゃないか?」

「俺も最初はそう思っていたんだが、方角的には丁度いいし、何より、一週間護衛をするという契約の切れる今日が、区切りも良い」


 公爵は思案顔で俺を見ると、う~ん、と唸った後、溜息を一つ吐き、口を開いた。


「そうか……。私としては、何日でも泊まっていってくれて良いのだが、君がそう決めたのなら、私は何も言わないよ」

「何だか、このままだと、ずるずると居座っちゃいそうでな。まあ、一ヶ月後か、一年後か、いつになるかは分からないけど、用事を済ませたらまた顔を見せに来るよ」

「うむ。いつでも歓迎しよう」


 そこで俺は、エリエルに視線を移す。


「エリエルも、悪い。もっと時間のある時に話しておきたかったんだが、お前に頼まれていた件、断らせてくれ。だから……今日はもう、お前の所には行かない」


 俺がそう言うと、エリエルは下唇を噛み締め、無言で部屋から出て行った。……怒らせちまったかな? でも、仕方ない。いつかは言わないと、とは思っていたんだ。タイミングこそ悪いが、遅かれ早かれこうなってはいたのだ。


「エンジ」


 エリエルの出ていったドアを見て、一つ息を吐き出すと、俯いていたノートが顔を上げていた。


「エンジは、魔法都市に住んでいるの?」

「いや、あえて言うならアドバンチェルだが、どこにも定住はしていない。魔法都市は候補の一つだが、決めるのは、もうちょっと世界を見て回ってからだな」

「決まったら教えて」

「ん? いいけど……何で?」

「学園を卒業したら、行くから。長期休暇でも、行けそうなら行く」

「何をしに?」

「エンジに会いに。友達だし」

「お前みたいなお嬢がわざわざ来なくていいって。どこにも、定住はしないかもしれないしな」

「それなら、定期的に自分がいる場所を私に教えておいてね。絶対に行くから。何なら、ずっと一緒に住んであげる。友達だし」

「一緒に住むって……お前な」


 こいつは、自分が何を言っているか分かっているのだろうか。数日くらい遊びに来るだけならまだしも、ずっとって何だ。それってもう友達じゃないよな? 誰かに、間違った知識でも教えられたのだろうか? 俺はそう思い至った所で、シルを見る。もちろん、シルを見た。その本人は、お嬢様……お強くなられて、と小さく呟いていたかと思うと、くわっと目を見開き、真剣な表情を俺に向けた。……嫌な予感しかしない。


「いいえ! エンジ殿! 今時の友達はそんなものです! 一緒に住むなんて当たり前。結婚もしますし、子供も産みます! という訳で、お嬢様がお行きになられた時は、どうぞよろしくお願いしますね!」

「お前は、しゃしゃり出てくるんじゃねえ! それに、何をお願いしてんだ! お前の中の友達どうなってんだよ! 拡大解釈にも程があるぞ!」

「そんな事はありません! エンジ殿が何も知らないだけです! あ、一つ言い忘れましたが、お嬢様は、この屋敷以外では、誰かに抱きしめて貰わないと寝られませんので! 私がいない場合はお願いしますね!」

「嘘つけ! ってか、話の流れ的に、絶対お前来る気ないだろ!」

「もう一つありました! おやすみのちゅーをしないとお嬢様は! ……」 


 やはり、この悪いメイドに何か吹き込まれたのか? 俺が、やたらと前へ前へ出たがるシルを押し返していると、ノートの目がうるうるとし始めていた。


「エンジは、私とお友達は嫌なの?」

「え、そういう事じゃないけど、俺の思っている友達と、お前らが思っている友達に差異があるというか。シルが馬鹿というか」

「良かった。じゃあ、教えてね」


 うるうるとしていたかと思えば、ころっとその表情を変えた。シルが何かをしたってより、こいつ自身が少し変わったのか? さっきは色々とぶちまけてたもんなぁ……。晴れやかな顔をする、今のこいつを見ると、その変化は良い事なんだろうとは思うが。何か、色々なものが吹っ切れ過ぎてないか?



 その後も少し、雑談をしていた俺だが、日が沈み始めたのを見て、出発することにした。公爵は馬と食料を用意していたが、俺は馬を操る自信がなかったので、食料だけを貰って行くことにした。


 屋敷の門の近くまで来た所で、ノートが俺に渡したいものがあると言って、部屋に戻ってしまったので、俺は、門の横にある壁にもたれてノートを待つことにした。


「本当に行くのね」

「悪いな」


 エリエルが、俺に話しかけていた。


「あなたが悪い男なのは知っています。それに、何となくこうなるんじゃないかって思っていましたから」

「そっか」

「でもね、エンジさん。これだけは言っておきますけど、私、諦めた訳ではありませんから」

「そっか……」


 そこまで言い切ったエリエルは、俺に近づいてきたかと思うと、俺の手を取り、両手で包み込むように握ってきた。


「エンジさん、これをお渡ししておきますわね」


 何かを手に握らされていたので、俺は手を開いてそれを見た。俺が手に握らされていた物、それは女性用の下着だった。……だから、何でやねん。やっぱり人に渡すのが流行ってるんだな? そうなんだな!? 


「お姉様がやっていた事に、今まで間違いはありませんでしたから」

「やっぱり姉妹だよ……お前ら。もう、姉の影は追わない方がいい。俺の評価で申し訳ないが、お前があいつより優れている所なんてたくさんある。あと、色々な意味で、お前に悪影響を及ぼしている。実は間違いだらけなんだ、あいつは」

「そうします。あなたにそう言って頂けると、何より自信が持てるわ。ありがとう、エンジさん。……じゃあ、やっぱりさっきの」

「これは、一応貰っておくな。ありがとう」

「え? ええ。そう……ですか。どうぞ」


 俺は、ポケットに下着を仕舞い込む。この先、何が起こるか分からないからな。念のためだ。


「やっぱり姉妹、ねぇ」


 エリエルは、門の外に広がる、赤く染まリ始めた平原を見ながら、優しい顔つきで微笑んでいた。


「こんなに、おかしな人なのにね。……お姉さま。私達、同じ人を愛してしまったみたいです」

「ああああ! させるかぁぁぁぁ!」


 エリエルの最後に言った言葉は、シルの乱入により俺には届かなかった。まあ、独り言みたいだったので、それは構わないのだが、またこの駄メイドは。今度は一体何を……。


「あっぶなかった! 今の絶対危険でしたよ! そこの性悪王女、ここにきて、私がエンジ殿の一番、みたいな雰囲気出してんじゃないです!」

「は、はぁ?」


 まーた、おかしな事を言いだしたよ。こいつは。





====================





 私は、以前にエンジが読みたいと言っていた魔法技術について書かれた本を抱きしめるように両手で抱え、エンジの待っている門へと走っていました。私の部屋の本棚に唯一残されていた、第三巻です。私は、少しでもエンジが喜ぶ事をしてあげたくて、この本を取りに戻りました。……いえ、私が、喜ぶエンジの顔を見たかっただけかもしれません。


 先程、エンジがここには帰ってこないと聞いて、少し落ち込んでしまったのは事実です。ですが、二度と会えない訳ではありません。エンジも、顔を見せに来てくれると言っていたし、来ないようならこっちから会いに行けばいいだけなのです。私は、すぐにそう思い直しました。以前の私であれば、こんな風には思えなかったのではないでしょうか。変えてくれたのです、彼が。埃を被っていた私の心を、優しい風で撫でてくれたのです。


 あ……。


 やがて、エンジの姿がはっきりと見えてきました。ただ、視界に捉える。それだけでも、心が弾むのが分かります。退屈なんて感じる暇のないほど、胸がドキドキします。


「お嬢様、最後のチャンスです。エンジ殿の心に、ざっくりとお嬢様を刻んで頂きましょう」

「ざっくり、って何だか痛そうね。何をすればいいの?」

「始めに言っておきますと、友達の関係なら、これくらいは普通ですからね?」「その前置きを聞くと、聞きたくなくなるんだけど」

「それはですね……」


 エンジを見ていると、私が部屋に本を取りに行った時に、シルから言われた言葉を思い出してしまい、顔が熱くなります。もしかすると、顔は真っ赤になっているのかもしれません。でも、偶然にも今は、辺りは夕焼けで赤く染まっています。この夕焼けが、私の、ほんのりと赤く染まった顔も隠してくれるでしょう。


 門の近くまで行くと、シルとエリエル様が喧嘩している声が聞こえてきました。


「こんな出口で待っているなんて、嫌らしいですね。どうせ、怒ったように部屋を出たのも、エンジ殿の記憶に残るための演出なのでしょう?」

「この使用人は、また勝手な思いつきばかりをぺらぺらと。妄想もいい加減にしなさいよね!」

「私は妄想なんてしていません。それこそ、エリエル様の妄想では?」

「じゃあ、あの変な芝居は何なの? 最後の方で、エンジさんがノートさんの胸を揉みしだいていたじゃない! そんな仲になっているのなら、私だってさすがに身を引いたわよ!」

「ええ、ええ。その通りです。お嬢様の胸は揉みしだけませんからね。だから、あの場面は、本当はつまんでいたんです。お嬢様の、可愛いさくらんぼを。私のは事実に基づく演出です。芝居の中でくらい、大きくたっていいでしょう、という私の配慮です。何を責められようか!」


 初日に私がシルの芝居を見た時には、そのようなとんでもないシーンはありませんでした。どうやら、日に日にシルの裁量でひどいものが付け加えられているようです。私は無言でシルに近付き、後ろから頭を引っ叩きました。


「痛い……あ、お嬢様。この性悪は、私が足止めしておきますので、後はお嬢様が、有終の美を飾ってください!」


 私はシルの言葉を無視して、エンジに向かって歩いて行きます。シルの放った言葉にエンジが警戒心を見せているのが分かります。……もう、私のためだって事は分かるけど、シルの行動は、良いのか悪いのか分からないわね。


「何を警戒しているのよ。エンジに、受け取って欲しいものがあるって言ってたでしょう?」


 私は、胸に抱きかかえていた本を、胸の前で掲げ、表紙をエンジに見せます。


「おお! そうだったそうだった。サンキュ」

「貸して、あげるね」


 私は、貸すの部分を強調して言いました。エンジは、くれるんじゃないのか? と、いう顔をしていましたが、そんな事は許してあげません。私は、ほんの些細な所でも、エンジとの繋がりを残しておきたいのです。いつか、この積み重ねが、エンジとの架け橋になる事を信じて。


「まあ、いいか。借りていくよ。その代わり、返すのはいつになるか分からないからな?」


 私は頷きます。体がぎくしゃくとしてしまって、言葉に出すことが難しかったのです。エンジが本を受け取るため、私に近づいてきます。先のことを思うと、心臓の鼓動が、より早くなっていきます。


 一歩、また一歩。


 本当に、ギリギリまで考えてしまいましたが、もう駄目。頭で思い浮かべるのと、実際にこうやって話すのでは、何もかもが大違い。さっきまでは、そんな事、出来るとは思えなかったけど。


「エンジ、この本だけどね?」


 私は適当なページを開きます。別に、どこだっていい。エンジがもっと近くに来てくれれば。……シルに騙されている事にしてでもいいし、自分を騙してしまってもいい。小さな繋がりも大事だけど、やっぱり私はそれ以上のものが欲しい。欲しくなったの。いいじゃない。私は公爵の娘なのよ。ちょっとくらい、欲深く立って許される。


「受け取ってくれる?」

「ん? 汚しちゃったのか? 俺は、別に気にしないが……」

「違うの。本はあなたに貸すだけ」


 私が本を閉じると、開かれたページを見るために少し前かがみになったエンジが、訝しげな目をしながら、私の方に振り向こうとします。この距離なら、この高さなら、私にも届きます。


「受け取って欲しいのは、こっち」

「あん? ……んむ!?」


 私は、持っていた本を地面に落とし、エンジの首に両腕を回すと、エンジの唇に、自分の唇を重ねました。


「ん……」


 舌を絡ませるでもなく、ただ唇を合わせただけ。それでも、私に取っては、この上ない幸せを感じました。体がふわふわしていて、力が入っているのかどうかも分かりません。いえ、力の入れ方が分からない。それが一番近い表現でしょうか。エンジの首に回した手を解くと、そのまま崩れ落ちてしまいそうな、そんな錯覚を感じました。


 実際には、本当に短い時間だったと思います。でも、これ以上ないくらい濃密な時間でした。エンジから顔を離し、回していた腕も解くと、体がぶるっと震えた後、少しの間、余韻に浸ってしまいました。おそらく、この時の私は、溶け切った表情をしていたと思います。自分でも見たことのない、エンジだけに見せてしまった私の顔。この後、自分がどのような表情をしていたのか、気にはなりましたが、決して見たいとは思いません。


「あ……その、エンジ? これは、そう、あれ……友達だから」

「友達って、お前……」


 すでに、夕焼けでは隠しきれない程に、赤くなってしまったであろう私の顔を、エンジは怪訝な表情で見つめていました。ああ、もう! 分かってる、分かってるったら。私は、最後の最後で、羞恥心に負けて素直になれなかったの! 


「エンジは、私の特別な友達だからいいの! ほら、早く行った行った」

「え? しかしだな。俺にも聞いておきたい事が……」


 ちょっと、本当にやめて。そうやって責めるの、今だけはやめてよ。何もかも気付くのが遅かった私と違って、この男は、決して鈍感ではない。他人の機微を察する力がある。本当に、何も分かっていない時もあるけど、大抵はとぼけているだけ。あなたは、今のがどういう事か、察してはいるんでしょう? ここは何も言わず、立ち去ってよ。


「ん~。まあいいか。ノート、俺は行くから。またな」


 ほら、やっぱり察してくれた。まあ、今の私の表情は、誰がみても分かるような表情だったかもしれないけどね。


「エリエルにシル、あと、どこかで覗いているであろう男三人、お前らも、またな」


 ひたすら地面を見ていた私は、エンジが歩き出した音を聞いて、顔を上げます。エンジの後ろ姿を見ると、悲しさと切なさで、胸が苦しくなりました。


「またね、エンジ」


 私は、エンジの背中に向かって、胸の前で小さく手を振りました。私の声はとても小さいものでしたが、それでも、エンジはその声に反応して、顔だけをこちらに向けると、ニッと笑い走り出しました。


 エンジの後ろ姿が見えなくなるまで、ずっと見ていた私は、足元に、エンジに貸すはずだった本が落ちている事に、気づきました。私は最初、渡しそびれた事を悔やんだのですが、すぐに、別の考えに思い至り、少しだけ笑いました。


「余裕そうにしちゃってさ。あの男も、少しは動揺してたんじゃない」


 

 これが、私の初恋だったのです――。





「ノートさん? 今よろしいでしょうか? お菓子を持ってきましたので、一緒に食べませんか?」

「あっ、エリエル様? 少々お待ちを」


 私は、毎日欠かさず書いていた日記を机に置き、席を立ちます。う~ん、と体を伸ばして、固まった体をほぐした後、窓を開けました。


「……だった、っていうのは、間違いよね」


 あの男と出会った日のような、爽やかな風が部屋中を駆け巡り、机に置かれていた日記のページを、パラパラと捲っていました。



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