第105話 公爵令嬢の日記21
俺様の名前はフェニクス。鳥界一の甘いマスクに、鳥界一の強さ、そして、将来は、伝説の鳥である不死鳥へと進化する事が内定している、スーパーバードだ。こんな、何もかもを併せ持ち生まれてきた俺様は、鳥界だけでは飽き足らず、最近では魔物の王になるだろうとも、目されている。当然だな。なんたって俺様だし。
俺様には、飼いぬ……面倒を見てやっている人間がいる。名前はエンジ。いつも俺様に迷惑をかける、貧乏で、冴えない男だ。今は仕方なく面倒を見てやってはいるが、それもいつまでかな。まあ、俺様という世界の宝を、雛から育てた事だけは感謝しているので、もう暫くは一緒にいてやろうと思っている。
そんな俺様の飼いぬ……連れであるエンジが、また何か面倒な事に足を突っ込んでいるようだ。仕方なく、今回も協力だけはしてやってはいるが、日が経つごとに、エンジとその周りの人間共は、どんどん複雑な関係になっているみたいだ。どうやら、あんなうだつが上がらない男の事を、メス共が取り合っているらしい。俺様には、理解出来んな。
「フェニクス君?」
「ん? 何だ? メア……ベル」
危ない危ない。考え事をしていたせいか、失言をしてしまう所だった。
「メア? ……ノートちゃん、上手くいくのかなって」
「どうだろうな。俺様には分からん」
「えー、そんなぁ」
「待て待て。そんな悲しそうな顔をするな。俺様がエンジにビシっと言っといてやるからよ」
「本当! ありがとう! フェニクス君スキー」
「ベルのためだ。それくらい、何てことないさ」
正直、あの嬢ちゃんが上手く行こうが行くまいが、俺様にとってはどうでもいいのだが、ベルのためだしな。帰ったら、エンジに言ってやろう。可愛いメスがいたならば、卵を産んでもらえばいいじゃねえか? とでもな。我ながら、複雑な人間関係に一石を投じる素晴らしいアドバイスだ。
帰ったら、と言ったように、俺様とベルは、今屋敷の外でデート中だ。道行く野郎共がベルの可愛さに、目を奪われる事も多々あるが、この周辺はすでに俺様の縄張り。つまりは俺様がトップ。野郎共は俺様の姿を見ると、へこへこと頭を下げて逃げていった。その様子を見たベルも、さらに俺に惚れたようだ。ふふん、いーい気分だ。
「フェニクス君……あれ」
「ん?」
気分良くベルといちゃいちゃしていると、ふらふらと人間が歩いていた。こいつは……。俺様は、異様な雰囲気を感じ取り、ベルの前に出る。ベルが早く逃げようよ、と背中から言ってくるが、俺様には少し気になった事があった。
「おい、止まれ。そこの奴。こんな所で何してる?」
「うお! 魔物が喋った!」
「何をしている、と聞いたんだ。この辺りには、お前ら人間共が住むような街はないはずだが?」
そう、俺様達は、街からも距離があり、人間なんかは簡単には来られないような、場所にいた。これと言った資源は見当たらず、さらには食料関係も乏しい、来れたとしても、旨味はない。そんな場所だ。
「迷子なんだよね、俺。実は探している人間がいてさぁ」
「はぁん?」
人間、ね。俺様は自分の勘が当たった事が分かり、ニヤリとする。
「お前、魔族だろ?」
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エンジに背負われていた私は、一言も喋らないまま、ずっと目を閉じて、ただぎゅっとエンジを抱きしめていました。私がそうしようと思っていたのではありません。そうせざるを得なかったのです。何かの魔法を使っているのか、走るエンジは凄まじい速さで、話しかける事が出来ませんでした。まあ、私はそれでも満足していたのですが。
「ここまで来れば、もう大丈夫だな」
エンジがそう呟いたかと思うと、走るのをやめ、歩き出しました。私が目を開くと、そこはすでに見慣れた平原で、少し遠くには、私の住んでいる屋敷が見えていました。
「悪い、ちょっと休憩」
「お疲れ様。ありがとうね、エンジ」
私が座り込んだエンジにお礼を言うと、私の方を向いて、ニッと笑いかけてくれました。それは、私がよく目にする嫌らしい笑顔ではなかったので、私はまた少し体温が上がるのを感じ、視線を逸しました。ですが、エンジのその表情を、もう一度見てみたくなり、下唇を少しだけ丸めると、視線をエンジの方に戻し、少し上目遣いになりつつも、その表情を盗み見ていました。
バタン、と後ろに倒れ、寝転んでしまったエンジの横に私も座ると、エンジが眩しそうな目をして、手の平で自分の顔に影を作っていました。私は、それを見て微笑むと、ちょっとした悪戯心が湧いてきました。
「陽の光、好きじゃなかったの?」
「もちろん好きだ。太陽を信仰する宗教があれば、俺は信徒になるかもな」
「じゃあ、遮ったら駄目じゃない」
「好きなんだが、今だけはちょっと緩めて欲しいかな」
「都合の良い信徒さんね。その内、太陽に見放されてしまうのではないかしら」
「うるせえな。分かったよ。これで良いんだろ? 太陽万歳」
エンジはそう言うと、光を遮っていた手を降ろし、口を尖らせていました。どうやら、少し拗ねちゃったみたいです。
「私が遮ってあげる。私は太陽に対して、何とも思ってないからね」
「お前のいる所にだけ、ずっと雨が降ればいいのに」
私が寝転んでいるエンジの顔の上に手を伸ばし、影を作ろうとしますが、私の手では、顔全体を覆う影は到底作れそうにありませんでした。
「お前の手、小さいな」
「そう? 女の子だったら皆これくらいじゃないかしら」
「小さいよ。そんで柔らかい。勢い余って、握りつぶしそうになったしな」
「私の手、握った事あったっけ?」
「ない。今のは想像で言っただけだ」
「ふ~ん」
涼しい風が葉を揺らし、私達の間を通り抜けます。エンジは目を閉じ、心地よさそうに、その風を感じていました。
「もういい。そんな小さな手じゃ、俺の顔は覆いきれない。このまま日に焼けでもしたら大変だ。パンダになっちまう」
「あら、そう?」
私が手を引こうとした時、エンジが胸も小さいよな、と小さく呟いたので、私は手刀をエンジの額に落としました。
「つ……今の聞こえたのかよ」
「悪口はよく聞こえるものなのよ」
私は落とした手で、そのままエンジの頭を撫で始めます。
「ん?」
「痛そうだし、撫でてあげる。それと、頑張ったご褒美」
「いいって。何様だお前は……あ、偉いさんの娘だったな。というか、お前が殴ったんだろーが」
「じゃあ手、握らせてあげる」
「唐突に何だ?」
「握った事ないんでしょ? 女の子の手」
「それくらいはある。さっきのは、お前の手の話だろ?」
「ふ~ん。誰の?」
「誰のってか、誰かしらはあるだろ。特に、幼い頃なんかは」
「とぼけちゃって。でも、私の手は握った事ないんでしょ? 握らせてあげる」
「お前さ、熱は下がったんだよな? それとも、賊に攫われた事を、まだ怖がってんのか?」
「そうかも」
「かもって何だ。お前の事だろ」
「いいでしょう。そんな細かい事は。早く手、出して」
「ったく……ほら」
私は面倒そうに差し出された手を握ります。こいつは、握った事ないなんて言ってたけど、私は、覚えているんだから……。
私がエンジと休憩している頃、近くの草むらに身を隠し、こちらを伺っている者達がいました。
「ふおお! お嬢様、エンジ殿は少し弱っていらっしゃるご様子。色々とやるチャンスですよ!」
「ちょっとシル君、色々って何だい? 色々は、まだ早いんじゃないかい?」
「いいえ、旦那様。すでにそういう段階なのです。私の芝居をご覧になられたでしょう?」
「え! あれって本当にあった事なのかい? あれはさすがに盛り過ぎじゃない? というか、エンジ君と娘って、あんな性格だったっけ?」
「少しだけ、ほんの少しだけ、事実と異なる点がありますが、大体はあんな感じです。……私の、妄想の中では」
「あれ? 今、小さい声で妄想って言った? 妄想って言ったよね? 最後の最後で何もかもが崩れちゃったよ。いや、もしそうだとしても、こんな所で?」
「お嬢様は退屈を嫌っていらっしゃいます。きっと、そんなアブノーマルなのは、大好きのはずです」
「……子供の成長って、早いよね」
「全くです。あ! お嬢様が、頬を染め出しましたよ! いよいよです!」
「ぬ!?」
「エンジ、その……言っておきたい事があるのだけど」
「何だ?」
「私ね、あなたと過ごした数日間、本当に楽しかったの。否定的な事ばかり私は口にしていたけど、本当は楽しかったの。あなたにとっては日常でも、私にとっては非日常的な事ばかりだった。買い食いなんて初めてだったし、あんなに怪しげなお店に入ったのも初めて。他にもたくさんの場所にエンジは連れて行ってくれたけど、何もかもが新鮮だった。私はね、学園の行き帰りの、馬車の中での会話さえ、楽しかったの」
私がそこで一度話を区切ると、エンジが口を開きました。
「……怒ってるって、言ってなかった?」
「怒ってたわよ? 当たり前でしょう? 後になって、別の理由があるのは分かったけど、あなたは必要以上に、暴れてたでしょうが」
「そうか?」
「そうよ。でも、今はいいの。続きを言うね? あなたは、何を言っても怒らないから、私は憎まれ口ばかり叩いていたし、ひどいこともたくさん言ってしまったと思う。でも本当は、そんな事を話したかったんじゃない。もっと違うお話がしたかった。もっとたくさんのお話を、してみたかった」
エンジと過ごした数日を思い出し、私の口からは、とめどなく言葉が出てきます。恥ずかしい事もたくさん言っちゃっている気はするけど、この機会を逃せば、エンジには私の思いは届かない気がして。
「学園で、三人の男達に囲まれた事があったでしょ?」
「ああ……あったな。そんな事も」
「でも、怯えてしまった私の前に、エンジが入ってきてくれた。今回だってそう、エンジはいつも、私を守ってくれた。私を害しようとする人達から、私を遮るように間に立ってくれた。それがどれだけ私を安心させてくれたか、心を救ってくれたか、あなたに分かる?」
言えば言うほど、言葉に出せば出すほど、私の胸は苦しくなっていく。でも、もう逃げない。逃げたくない。だって、私はエンジの事が……。
「これは、後で気付いた事だけどね。私はあなたに護衛を続けて欲しかった。仕方ないとは思うけど、エリエル様ではなく、私を選んで欲しかった!」
私の目には、いつの間にか涙が溜まり始めていました。それでも、最後まで口に出して言わないと駄目なの。言葉にしないと伝わらない。素直になれない私は、言葉で伝えないと誤解されてしまうから。
「エンジ、私は……私はあなたを手放したくない! ずっと側にいて欲しいの!」
「お前……それって」
私は大きく息を吸い、エンジの目を見て言いました。
「私と、お友達になって欲しいの!」
「……ん? おう」
「うわあああああぁぁぁぁああああぁぁぁ!」
私がそう言い切った時、少し離れた草むらからシルが飛び出し、私とエンジの前で、ズザザァ、と盛大にこけていました。……何やってるの、この娘?
「こんな! こんなのあんまりですよぉ!」
シルは、そのまま地面に手を叩きつけ、喚き出しました。そして、すぐに顔を上げたかと思うと、私の方を睨んできます。
「お嬢様!」
「な、何!?」
「鈍い鈍いとは思っていましたが、こんなのはあんまりです!」
「鈍いって私の事? 何もない所で転ぶシルには言われたくないわ」
「私のは、そういうのじゃ……ああ、もう! うわあああ!」
この世の終わりのような顔で叫ぶシルの肩を、アルがうんうん、と頷きながら優しく叩いていました。……何なの? アルだけでなく、お父様もいつの間にかいらっしゃいますし、一体どこに隠れて……というより、今の聞かれちゃってたのかしら!?
「ノート、無事で良かった。エンジ君、本当にありがとう! 君がいなければ、今頃うちの娘は……」
「まあまあ、積もる話は屋敷に帰ってからにしようぜ。少し、急がないといけない事がある」
「そうだな。まずはパーティだ。お前達、一旦屋敷に帰るぞ!」
「いや、急がないとって言ったよな。俺……」
お父様がそう言うと、お父様が連れてきたと思われる兵の方達が、一斉に立ち上がり、草むらから出てきました。あの賊を相手するには、まだ人数が少ないような気がしますが、エンジの援軍に来てくれる予定だったのでしょう。
私は屋敷に向かって歩き出したエンジを見ると、シルに絡まれて迷惑そうな顔をしていました。何を言われているのかは分かりませんが、私はその光景を見て、笑顔になります。
「本当に、良かったのか?」
いつの間にか、私のすぐ側にお父様が立っていました。
「何がです?」
「いや、その……お友達で」
ニヤリとしたお父様を見て、私の顔は真っ赤になってしまいました。
「もう! お父様!」
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