第103話 公爵令嬢の日記19

「エンジさん! エリエル様!」

「ん?」

「あら? あれ、アルさんじゃないかしら?」


 俺がエリエル達と街をぶらついていると、アルが血相を変えて走ってくるのが見えた。俺は、側にノートがいない事に気付くと、小さく舌打ちをする。ノートが、アルを置いて一人で馬車で帰るとも考えづらいので、おそらく何かあったのだ。


「夜まで、待ってはくれないみたいだな……」


 俺には心当たりがあった。それは、ここ最近になって、この街の周辺で賊の被害が頻発しているのだ。どうやら、俺が来る前から少しずつ被害が増えていたらしく、シュークライム公爵は、その件についての調査を行っていた。俺がノート達と出会うきっかけになった公爵の救出も、その調査の途中で、賊達に逆に襲われてしまった結果、という事だった。


 公爵直属の腕利きが何名もやられた事から考えても分かるように、賊の規模はかなり大きい。一人一人が優れている、という訳ではないが、とにかく人数が多い。この一週間、俺は何度か戦闘を行い、捕まえたりもしていたのだが、結局、相手方の勢いは緩むことがなかった。


 標的にされているのは、賊を排除しようとしている公爵とその関係者が主だ。これは、俺が初日に捕らえた賊から聞き出した。とりあえず、公爵の戦力が整うまでは、まだ少し時間がかかる、との事だったので、俺は給料に色をつけてもらい、屋敷の警護や、賊のアジトを探っていたのである。ノートの授業中や、深夜に外出していたのは、このためだ。


「エンジさん! お嬢様を、お見かけしませんでしたか!?」

「こっちでは見ていない。……何があった?」


 アルのこの言い方だと、まだ連れ去られたと決まった訳ではないのか……だが、本人の焦り具合を見る限り、こいつもそれは考えているのだろう。


「……という訳でして、余りにもお嬢様の帰りが遅かったので、僕が学園の方に向かうと、門の側にこれが」


 アルが俺に見せてきたのは、いつだったか、学園の帰り道に買った髪留めだった。そう、あの怪しげな小物店に寄った時の。これがノートの物とは決まった訳でもないが、状況を考えるに、攫われたと思っておいた方がいいだろう。


「くそ! くそ! 僕は護衛失格だ! なぜあの時もっと……。せめて学園の門で待ってさえいれば!」

「アル、反省なら後でいくらでも出来る。それに、そんな学園のすぐ側で仕掛けてくるなんて俺にも予想出来なかった。今は、とりあえず行動しよう」

「う……そうですね。あの、エンジさん? すみませんが、手伝って頂けませんか?」

「ああ」

「エリエル様、エンジさんはその、エリエル様の護衛ですけど、どうか今回だけは、お貸し頂く訳には頂けませんか?」

「ふふ。やっぱり君は、そういう事はきちんとしているのね。どっかの誰かさんと違って」

「放っとけ」

「あら? 自覚があったのね? まあ、それはいいとして……もちろんいいわよ。私も、友人である、ノートさんの事が心配だしね」

「はい! ありがとうございます!」


 友人、か。こいつはあんな事を言ってはいたが、ノートとは本気で友達になりたいと思っているんだろうな。


「アル、俺は最悪の可能性から潰しに行こうと思う。お前はまず、公爵に報告してこい」

「エンジさん、やっぱりそれって……というより、お一人で行かれるのですか? 僕も」

「いや、こうなったからには屋敷の方も心配だ。ノートが人質として攫われただけなら、公爵は無事かもしれないが、それはまだ判断出来ない。……こっちは大丈夫だ。どうせ、夜には行く予定だったしな。屋敷が無事なら、その後援軍でも送ってくれ」

「分かりました。一番危ない所をお任せするのは心苦しいですが、今回はエンジさんに頼らせて頂きます」

「固いな~。俺とお前の仲だろ? キング・アル」

「はは、ありがとうございます」

「あ、そうだ。フェニクスがいたら先に行くよう言っといてくれ。あいつの方が、先に着くかもしれないしな」

「はい!」

「では、私とリンクはこの辺りでノートさんをお探ししておきますわね。そのくらいなら危険はないでしょう?」

「エリエル様にまで、ご迷惑をおかけして申し訳ございません。ですが……よろしくお願いします」

「ふふ。いいのよ」


 俺達は、互いに顔を見合わせると、一つ頷き、走り出した。


 ちっ……。こんな事なら、もっと早くに行動すべきだった。賊のアジトについては、フェニクスの話を聞いた時に、大体の場所は分かってたんだ。屋敷周辺の、大量の魔物の出現は、賊が魔物の住処を奪ったからだった。


 ノートの熱から始まり、さらには、エリエルとノートの衝突など、色々とあったのは確かなのだが、念には念を入れて、慎重に動いていたのが、今回は失敗だった……。くそっ、待ってろよノート。




 ===================




 薄暗い室内で、私は目覚めました。目を覚ました私が周囲を見渡すと、木で作られた小さな部屋の中に、一つだけある窓から光が差し込んでいました。ここは、どこかの小屋でしょうか? ベッドもなく、埃っぽくて禄に掃除もされていないその部屋には、手足を縛られた私が一人、部屋の隅の方に転がされていました。


「そっか……私」


 私は、顔も知らない男達に攫われてしまったのだった。


「くっ」


 地面を這いずり、壁を利用して何とか上半身を起こします。最近は、私が眠りから覚める度に、何かが起こっている印象です。あの、退屈と言っていた日々は何だったのでしょうね。でも、いくら退屈と言ってはいても、こんな事は望んじゃいなかった。私が思いつく限りで、最悪の状況。アルは、私が攫われてしまった事に気付いてくれたのでしょうか……。


「エンジ……」


 私は、意識を失う前まで考えていた男の顔を思い浮かべます。色あせた私の日常を変えた人。長い付き合いではないとはいえ、その内容は濃く、良し悪しはともかくとして、私に色々な経験や感情を与えてくれました。こんな状況だと言うのに、私の頭の中には、エンジとの様々な思い出が、出ては消えを繰り返しています。……割り切ろうと、思ってたんだけどなぁ。


「やっぱり私は、エンジの事を……」


 私が、少しの間考え事をしていると、にわかに小屋の外から話し声が聞こえてきました。何人いるのかは分からないけれど、決して少なくない人数です。その声が段々と大きくなり、やがてそれは小屋付近まで来ると、大きな音を立てて開かれるドアと共に、室内に入ってきました。


「お? 目が覚めたようだな」

「お~。お前ら本当に攫えたんだな」

「どれどれ? お、かなり可愛いじゃん」

「はぁ、あんたら男共はいつもそれだね。こんな小娘のどこがいいんだい」


 ぞろぞろと、小屋には男達が入ってきます。中には女の人もいるようですが、もちろん、私の味方という訳ではありません。……怖い。私は、ぶるぶると体が震えてくるのを感じました。


「あなた達、私にこんな事をして……ただで済むと思っているの?」


 それでも、震える体を抑え、何とか声を絞り出します。


「おーおー。いいとこの娘さんは肝が座ってるねぇ。だが、声が震えてるのが丸分かりだぞ?」

「何だか苛めたくなってくるな。こういう女を見るとよ」

「……目的は、何?」


 声が震えてる事くらい、私にだって分かっている。でも、今は助けが来ることを信じて、少しでも時間を稼がなくてはいけないし、何より、何かを喋っていないと、恐怖に心が折れそうだったのです。


「お前は、人質になったんだ。俺達の邪魔をしようとしている、公爵の娘って事でな。ま、おとなしくしてりゃ、命までは取らねえよ。お前の父親は、見せしめにやっちまうかもしれないがな!」


 そんな……。命までは取らないと言った、こいつらの言葉を鵜呑みにする訳にはいきませんが、私が捕まってしまったせいで、お父様が。私は、先程よりも、目に見えるほどにガタガタと体が震えだしました。


「お願い、やめて」

「あ? 何だって?」

「……お願いします。やめて下さい」

「出来ねえ相談だな、そりゃ。ま、最後に一言話すくらいは、させてやってもいいぜ?」


 私の中に冷たいものが広がっていきます。目の前が暗くなるような絶望感とは、こういう事を言うのでしょう。……何が、最近は平和よ。こんな、こんな事が起きるなんて。


「あんなに平和な日々だったのに……」


 私が小さく呟いた一言を聞いたこいつらが、突然、大笑いを始めました。


「あはははは! 平和! 平和ねぇ! これだから何も知らないお嬢様は!」

「本当面白いわ。思わず殺したくなっちゃうくらいな」


 何、何なのよ。


「お前知らなかったのか? お前の護衛が、俺達にしてきた事を?」


 護衛? アル……いや、エンジ?


「俺達はな、お前の護衛の男に散々邪魔をされたんだよ! 仲間の何人かは捕まっちまって戻ってこねえし、運良く戻って来れたとしても、もう使いもんにならねえくらいに、痛めつけられてた。……くそが!」

「何が平和だ、馬鹿馬鹿しい。俺達がこの一週間、何もしなかったと思っているのか? いくら人数を割いても、昼夜で時間を変えても、あいつがいた。何でお前が授業を受けている間にまで、あいつが出てくんだよ。おかしいだろうが!」

「そうだ! そのせいで、俺達がボスの評価をどれだけ落としたと思っているんだ? あいつが目を光らせてなければ、お前らはもうとっくに終わってたんだよ!」


 そんなのは、逆恨みじゃない。私はそう言ってやりたかったのですが、怒気に押されて、何も言えません。……でも、そうだったのね。あいつは、隠れてそんな事を。何も分かっていないのは私の方だった。あいつは、エンジは、私の事を守ってくれてたんだ。


「ま、もういなくなったみたいだし、いいけどな」

「次に見かけた時は、殺してやるからよ? どこかで会ったならそう伝えとけ」


 エンジがやっていた事の真実を知り、なぜか少しの勇気が出てきた私は、こいつらに言ってやりました。


「あなた達じゃ、エンジには勝てないわ」

「あ?」

「あなた達じゃ、エンジには勝てない。そんなに怒ってるのは、エンジに歯が立たなかったからでしょう? 何が殺してやるよ。エンジがいなくなって安心しているだけだわ。みっともない。エンジはね、あなた達のような臆病者なんかじゃ相手にもならないわ」

「言うじゃねえか。だがな、その愛しのエンジ君は、ここにはいないんだぜぇ?」

「何があったかは知らんが、お前はあいつを手放したんだろ? この状況で、何でそこまで強気になれるのか、俺達には分からないね」


 そう、こいつらが言う事は認めたくはないが、合っている。こいつらが恐れているエンジも、今やエリエル様の護衛で、今日もすでに街の方へ行ってしまいました。私が、私自身がエンジを手放してしまった。チャンスはいくらだってあったはずなのに。でも……。


「エンジは来るわ。私を助けに来る。あいつはちゃらんぽらんだけど、そういう所は目ざといもの。絶対、助けに来てくれるわ!」


 私が言い切ると、男達の雰囲気が変わりました。


「生意気な女だな」

「ボスからの命令は、殺すなって事だったよな? やっちまおうぜ、もう」

「賛成だ。まあ、最初から俺はその気だったんだが」


 え……。


「おい、外の奴らを呼べ。この女に、思い知らせてやろうぜ」

「分かった。お~い、始めるぞ? 混ざりたい奴は入ってこい」


 私は、これからとんでもない事をされてしまうのを予感し、身を竦ませます。先程まで湧いていた力も、今は奥底に沈んでいきました。……やめて。お願い。それだけは、絶対に嫌。……エンジ、助けて。


「お~。思ってたより可愛い女じゃねえか」

「ゾクゾクするねぇ~」

「おい待て、胸が小さくないか? お前らはこんなので満足なのか?」

「あんたら男はいつもそれだ。胸が小さい、大きいと……」

「俺はこういうのも好きだぜぇ? お前もそう思うだろ?」

「ああ、悪くねえな」

「まあまあ、落ち着けよ。もう少し胸が大きくなってからにしようぜ? バストアップの本も毎日読んでるんだ。可哀想だろ?」


 私の願いとは裏腹に、男達がぞろぞろと部屋に入ってきます。女の人も、特に止めようとはせず、ニヤニヤとこちらを見ているだけでした。


「俺、一番な。悲痛に歪む顔を間近で見てえんだ」

「趣味悪いな、お前。本から出てきたようなゲス野郎とはお前の事だ。今日の所は勘弁してやろうぜ?」

「駄目だって。俺溜まってんだからさ。もう、いてもたってもいられねえ!」

「それなら、ここにでかい乳を持った女がいるだろ? こいつで良いじゃねえか」

「そいつは不細工だからな。俺のは反応しねえ」

「ああ! 何だって!?」

「せめて、鷲掴みが出来るくらいの大きさになるまで待とうぜ? まだ収穫時期ではない。あれ? お前ら、もしかして男好きか?」

「別に、俺はそこまで胸に固執してねえが……って、さっきから誰だ! 萎える事ばかり言ってる奴は!」


 私は目を瞑り、体を縮こまらせていたのですが、確かに男達の中に、失礼な事ばかりを言ってる奴がいます。根も葉もない嘘を言い、私の身体的特徴をつついてくる男が。私は、その声に聞き覚えがありました。胸の中に、暖かい光がじんわりと、溢れてきます。そして、希望に胸を高鳴らせ、目を開けると……。


「あ、もしかして俺の事かな?」


 エンジがそこに立っていました。私が今一番見たかった人。私が今一番会いたかった人。私が、ずっと信じて待っていた人。その人が今、不敵な笑みを浮かべ、それでもどこか優し気に、私を見下ろしていました。


「よう。待ったか?」

「エンジ!」


 暗い室内に、明るい光が差し込んだような気がしました。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る