第101話 公爵令嬢の日記17
今日も学園は休日。俺は今、シルの一人芝居を見せられていた。上演時間はおよそ九時を回った頃、会場はシュークライム公爵家の庭。ついでに客も、俺一人だけだ。
少し遅めの朝食を取った後、俺は庭のベンチに座り、寛いでいた。すると、シルが澄ました顔で屋敷から出てくるのが見え、始めは、庭の掃除でもするのかな、くらいに思っていたのだが、どうやらその様子ではない。俺の目の前まで歩いてきたかと思うと立ち止まり、突如として、甘ったるい台詞を言い始めた。
「ケホッケホッ……月、綺麗ね。こんな夜は、素敵な人と出会いそうな予感がするわ。……きゃん!」
「驚かせて悪い。俺だよ、こんばんは」
登場人物は二人。足を伸ばして座り込む人物に、誰かが会いにきた、という構図みたいだ。
「エンジ君。そんな、窓からだなんて……今の私、まるで囚われのお姫様ね」
「そうすると、俺は囚われた姫を救いに来た勇者ってとこかな? ノート、体の調子はどうだ?」
どうやら、座っている方がノートで、話しかけているのは俺、という事らしい。俺が登場する時に、何かをノックするような挙動をしていたが、あれは窓だったのか……。
この阿呆みたいな芝居の詳細は省くが、昨日の夜、俺とノートが話していた時の再現のようだ。まあ、初っ端から何もかも全然違うけどな。誰だよこいつら。
「ノート。ああ、俺の可愛いノート」
言ってない。
「あの綺麗な星空よりも、私はあなたに目がいってしまうわ」
言われてない。
「月の光が、ノートのいる場所を教えてくれたんだ」
気持ち悪い。
「頭、撫でて?」
……。
俺は何も考えず、ただぼーっと、その気持ち悪い芝居を眺めていた。
「ああああ! お嬢様かんわぃぃぃぃ!」
途中から聞き流していたが、無事、公演は終わったようだ。
「あのお嬢様が! あのお嬢様が! ああああ! ……オホン。エンジ殿、今のどうでした?」
「お前は首になった方がノートのためになると思う。芝居についての感想なら、あまりにもひどかった、とだけ言っておこう」
「そんな、嘘でしょう? この件はお嬢様の成長記録として、私が劇にして後世にお伝えしていくつもりだったのに」
「どこで聞いていたのかは知らんが、あいつも熱が出て弱ってただけだろ。やめてやれよ……」
「えー」
えー、じゃねえ。そんな劇、お前しか喜ばねえよ。
「お嬢様にも、一度感想を聞いてきますね」
「多分、めちゃくちゃ怒られるぞ? お前」
「それはそれで。私は、恥ずかしがりながら怒るお嬢様を見るのが大好きなんです」
「ああ、そう。早く首にならねえかな。お前」
嬉々とした表情をしてノートの部屋に向かったシルを見送った後、しばらく時間を置き、俺もノートの部屋に向かった。
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夢じゃない。あれは、夢なんかじゃなかった。
今、私の部屋にはホクホク顔のシルがいます。私は、朝起きてすぐに昨日の夜の事を思い出していました。あんな風に甘えてしまった自分が恥ずかしく、夢だと思い込む事にしたのですが、先程シルがやってきて、強引に現実に引き戻されてしまいました。私は満足気な表情をするシルを、顔を半分隠した布団の中から睨みます。
「うう」
「あ、ああ! お嬢様、いいです! いいですよ、それ!」
何が? 私にとってはちっとも良くない。私がシルに何か言ってやろうとしたその時、エンジが部屋に入ってきました。
「お、少しは元気になったようだな。……あれ? お前、怒られなかったのか?」
「ええ。もう少しエンジ殿が遅ければ、という所でしたかね。でも、これはこれで。むふふ」
「他人が解雇される瞬間を見ようと思って来たのに、残念だな」
エンジとシルが話しているのが聞こえます。私は、シルを怒りたかったのだけど、それよりも、エンジと顔を合わせる事の方が恥ずかしく、頭からすっぽりと布団を被ってしまいました。
「ああ、こんなお嬢様を見れる時が来ようとは。やはりこれは……エンジ殿? このお屋敷で、雇われる気はございませんか?」
「は? 何だ唐突に」
「いえ、前々からそういう話は出ていたのです。旦那様もお認めになっておられます」
私はそんな話、聞いてない。でも、そうなれば……。私は話の続きが気になり、布団から少し顔を出します。エンジの顔を伺うと、昨日の今日でなぁ、と小さく呟き、少し考えている様子でした。
「ん~。しかし」
「お? 意外ともうひと押しでいけそうですね? エンジ殿、これをお渡し致しますので、どうか前向きに考えて下さいませんか?」
そう言って、シルはエンジに下着を差し出していた。何やってるの、この娘!?
「何これ?」
「私の下着です」
「お前やっぱ馬鹿だろ? 俺がこんなものでなびくと思ってるのか?」
「分からない、分からないのですが、なぜかエンジ殿にはこれを渡すと効果的な気がしたのです。現に、私の手から奪ったそれを、すでにポケットにしまわれているようですしね」
「え? 馬鹿! もう、いつもこの子は! 悪い子! 悪い子!」
エンジはハッと気付いた顔をすると、勝手に受け取っていたらしい自分の腕を叩いていました。
「お前、俺に何かしたな? 魔法か? 卑怯だぞ!」
「いえ、私は特に何も……そうですか。では、仕方ありませんね。お嬢様の下着もお持ちしましたので、これで手を打って頂けませんか?」
「え?」
シルはそう言うと、両手で下着を広げ、エンジに見せつけるようにしていました。あれは確かに、私の……。ちょ、ちょっと! そんなに広げないで!
「いかがでしょう?」
「は! 安い手を使いやがって、俺がそんなものに……」
口ではそう言っていますが、どうやらエンジの体は受け取ろうとしているようでした。伸ばした腕が、徐々に徐々に、私の下着へと向かっています。
「ちょっと! 駄目! 駄目だったら!」
私は布団から出ると、ひったくるように下着を回収しました。私が二人を睨むと、エンジは自分は悪くないと両手を上げ、シルはテヘリ、と舌を出していました。……全く悪いと思ってないわね、この娘。
「もう! 何なのよ! あなた達は!」
私は二人に説教します。しかし、あの手この手で言い訳してくる二人に、困らせられる私でしたが、なぜかこの状況を楽しんでいる自分がいました。シルがいて、アルがいて、そしてエンジがいる。そんな未来を思い浮かべて。
私が説教を終え、それでも全く反省している様子のない二人が、雑談をしているのを聞いていると、ドアをノックする音が聞こえてきました。
「ノートさん? 私、エリエルです」
エリエル様か……。あれ? 今、私。
「はい。どうぞ」
「失礼するわね。お体の方、大丈夫かしら?」
「はい。少しは、良くなったみたいです」
「それは良かったわ。あ! エンジさん、やっぱりここにいたのね」
「ん? おう」
エリエル様がエンジの腕に抱きつきました。何だか、今までよりも過剰なスキンシップになっている気がします。私はそれを見て、心に黒い何かが広がっていくのを感じます。エリエル様に対して、こんな感情を持ってはいけないはずなのに。
「出やがりましたね。エンジ殿から離れて下さい。お嬢様にとってはこれが初めての……ライバルなんて必要ありません!」
「使用人は引っ込んでなさい。エンジさん、昨日のお話、考えて頂けましたか?」
「それはまだ……というかお前ら、仲が悪いの、もう隠す気はないんだな」
「私はもう、決めましたから」
私が自分の嫌な感情を抑えていると、エリエル様がこちらを向きました。決めた? 決めたって、一体何を……。
「ふふ。その様子ですと、まだウジウジと悩んでいるのね。それは構わないのだけど、ノートさん? これだけは言っておくわね。私は本気よ。本気でエンジさんを私の護衛にしたいと思っているわ」
「……なぜ、そんな事を、私に」
今だって、私の護衛はエンジではないはずなのに。何で。
「なぜかしらね……。とにかく、そういう事ですので。エンジさん? 今日で公爵との一週間の約束は終わりですよね? 明日からどうされるおつもりですか?」
「ん? そういやそうか。どっか適当な宿でも探して……」
「でしたら、明日の学園が終わったら、私の屋敷に帰りましょう。エンジさんはこれから、私の護衛になるのですし」
「その件については、まだ決め兼ねているが、そうだな。とりあえず、泊めてくれると言うのなら、明日は世話になるか」
「はい! ふふ、やった」
話を横で聞いていた私は、少し息苦しくなるのを感じました。体の中心に穴が空き、そこに冷たいものが流れていきます。熱のせいなんかじゃなく、もっと違う何かが。
「……出てって」
「え?」
あ、駄目。違うの。それだけは……。
「出てって! わざわざそんな事を話しに来ただけなら、私の部屋から出てってよ!」
「ノ、ノートさん?」
「出てって……お願い、しますから……」
言い切った私の頬には涙が伝っていました。理由は分かりません。自然と溢れてきたのです。私が今、どのような表情をしているかは分かりませんが、エリエル様が、私の顔を見ると、少しだけ寂しそうな表情を見せ、部屋から出ていかれました。
「そうです! 出てけぇ! あいたっ!」
シルが無言でエンジに叩かれているのが横目で見えました。でも、そんな事はもうどうでもいい。ああ……どうしよう。私は、エリエル様になんて事を。
今私がやってしまった事、エンジが明日には出ていく事。色々な事が頭を巡ります。まだ少し熱っぽかった私の体は、耐えきれず、そこで意識を手放しました。
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