第98話 公爵令嬢の日記14
ノートが熱を出した。
いつものように、食堂に集まり朝食を取ろうとしていた俺達だったのだが、そこに焦った表情のシルが来て、皆に伝えられた。昨日の夜の段階では、少し体調が悪い程度だったらしいのだが、今朝になり本格的に熱が出たようだ。今は、眠ってしまった、という事だったので、とりあえずは朝食を済ませ、少し時間を置くと、俺はノートの様子を見に行った。
「エンジ殿、お嬢様のご様子は、いかがでしたか?」
「まだ寝てた。でも、表情を見る限り、かなり苦しそうにしてたよ」
「そうですか。また後で、行ってあげてください」
「ああ」
幸いにも、今日は休日。時間はある。なので、またノートが目を覚ました時にでも行ってやればいい。エリエルも、ノートの事が心配だと言って、今日はどこにも出かけないようだった。
少し時間の空いた俺は、洗濯物を干しに行くと言っていたシルを追いかけ、庭に来ていた。これと言った理由はない。あえて言うのであれば、どこか得体の知れないメイドの観察だ。ここ最近、俺の周りで起こっている陰湿な嫌がらせには、シルの陰がちらついている。俺に優しいシルが、何かをやっているとは思えないが、一枚噛んでいる事は間違いない。
「ごめん! ごめんよ! 姉ちゃん!」
「あなたは! 本当に! 何て事を!」
庭には、確かに洗濯物が干されていた。干されていたのだが……たくさんの服やシーツと一緒に、尻を丸出しにされたアルも干されていた。最初は、変わった日光浴だな、と思った俺だったが、どうやら違う。物干し竿にぶら下げられたアルは、シルに尻を叩かれながら、なぜだか必死に謝っていた。
「あなたが! もっと! お嬢様を!」
俺は庭の芝生に寝転び、目の前の異常な光景をただ眺めていた。男の尻を眺めていても面白くも何ともないが、こうなってしまった原因には興味がある。……ノート? ノートに何かしたのか? ん~しかし、アルが変なミスをするようには思えないが。
「シル? アルが何かしたのか?」
「はい。ノート様がああなってしまわれたのも、この愚弟のせいだと言っても過言ではありません」
「ん? 待て待て。熱が出たのはアルのせいじゃないだろ? 熱なんてものは、出るときには出るんだから」
「いえ、エンジ殿。直接は関係ありませんが、間接的には関係しているのです。私はそう確信しております。弟は、ノート様の心をお守りする事が出来なかったのです」
「で、でも姉ちゃん! あれは!」
「言い訳は聞きません。あなたの能力であれば、すぐに察知して回避する事も出来たはずです。意識を逸したり、声を遮ったりする事も出来たはずです」
「そんな無茶な……」
よくは分からないが、アルは何かに失敗してしまったのだろう。……何となく、アルはそこまで悪い事をしていないような気もするが、俺が口を出すのはやめておく。余計な事に巻き込まれるのは勘弁だ。
「ま、姉弟二人、仲良くな……」
「む? エンジ殿!」
これ以上は、俺も何かに巻き込まれそうだったので、立ち去ろうとしたのだが、シルに呼び止められてしまった。
「はい……」
「どこに行かれるのですか? お嬢様のお側にいてあげてください」
「今、行ってきたばかりだけど?」
「全然足りません。側でお嬢様をずっと見てあげててください。距離は1m以内。片時も目を離さず。出来れば、瞬きもせずに」
「俺に嫌がらせをしろって言ってる?」
目覚めた時に、瞬きもしない男が自分を凝視してたら怖すぎるぞ。
「いえ、お嬢様は喜ぶはずです。穴の空くまで見られたい、といつだったかおっしゃってました」
「想像出来ないな……ま、それはお前がやってやれ。俺も一つ、思いついた事がある」
「それは、もしかすると、今私が思いついた事と、同じ事かもしれませんね」
嫌な予感しかしない。
「お嬢様を、押し倒すのでしょう?」
「何でそうなる! 違えよ! どんな自意識過剰男だ、俺は!」
「あれ?」
「あれ? じゃねえよ。余計悪化するわそんなもん! お前、本当にあいつの従者か?」
「間違いなく」
「自信満々な顔をして、言ってんじゃねえよ! 自分が今言った事を思い出せ! 従者とは思えない発言をしてたぞ!」
シルは唇に指を当て、頭を横に傾けていた。駄目だこいつ。
「あ、エンジ殿!?」
「大丈夫、大丈夫。ちょっと行ってくるわ。すぐに戻る」
俺はシルを置いて歩きだす。こんな変なメイドに付き合っていても、ろくな事がない。まずは……学園かな?
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目を覚ました私は、外から聞こえてくる声に、窓の外を見ました。そこにいたのは、エンジにシル、そして物干し竿にぶら下がったアルでした。なぜかお尻を出したアルも、無視は出来ない存在なのですが、それよりも、私はエンジとシルの方に目がいってしまいます。
「ふふ。シルったら、あんなに楽しそうな顔をして……」
少し、変な所のあるシルが、私やお父様、弟のアル以外に、あんなに打ち解けて話しているのを見たことがありません。エリエル様に対しては……あれは、どうなのでしょう? まあ、とにかく。今はシルの事です。
理由は分かりませんが、日に日にエンジの評価が上がっているような気がします。それはシルだけでなく、アルやお父様からも。体力テストでの一件は、確かに凄い事だったのかもしれないけど、それだけであのような信頼を得られるのでしょうか? むしろ、護衛として雇われているはずなのに、主人を置いてすぐにどこかへ行ってしまうあいつは、本来なら首にされてもおかしくないのに。
私はそこまで考え、楽しそうにお話するシルに視線を向けます。そして、その話相手である、あいつに。
……私とも、お話してくれないかなぁ。
「ケホっケホっ」
今……何を考えてたの? 私は。きっと、熱で心が弱っちゃったのね。何で私があんな奴と。
「……」
そう、思い直したはずなのに、私はまた窓の外を見てしまいます。熱に浮かされたように、じっと二人を見てしまいます。
「私、起きたわよ、エンジ。顔くらい、見せにきなさいよね」
ぼーっとしてしまった頭で、何を考えるでもなく、窓に映った小さなエンジを、私は窓越しに指でつつきます。そのまま、エンジの顔辺りを、指でなぞるようにして遊んでいると、エンジが外に出かけていきました。……もう、私がこんなだっていうのに、あいつは。
早く、帰ってきなさいよね。
エンジを見送った後、ベッドに横になった私は、いつの間にかまた眠っていました。そして、次に目が覚めると、学園でいつも一緒にいる友人二人が、私の部屋にいました。
「あ! ノート様が起きたよ!」
「うるさい! ノート様のお体に障るでしょう? こんにちは、ノート様。お邪魔してます」
「あなた達……」
「ノート様が熱を出したって聞いて、お見舞いに来たんです、私達」
「熱、大丈夫ですか? ノート様?」
「ええ、まだちょっと、体は重いですが。でも、そんな事より私は、二人が来てくれてとっても嬉しいわ」
「そんなこと……私達、友達じゃないですか」
「そうですよ。当たり前の事です」
当たり前……友人はそう言ってくれました。私にとって、その当たり前は当たり前ではありませんでした。本当に、本当に価値のあるもの。口では言い表せない幸せな気持ちが、私の胸の中に広がっていきます。
「ありがとう」
ニコニコとした友人二人の顔を見ていると、辛いはずの私の体が、少し軽くなったような気がして、自然と顔がほころびました。
「あら? それは?」
心に余裕の出来た私は、二人の側に置いてある、過剰な荷物に気づきました。アクセサリーや食べ物に始まり、果てには大きめのツボまであります。
「これは、公爵や、使用人の方に頂いたんです」
「うん。私達がノート様の友人としてお見舞いに来たって言ったら、それはもう、すごい勢いで」
「ああ……そういうこと」
「お屋敷に入った時も、どこの王女様かってくらいの待遇で、お見舞いにきたはずなのに、私達のほうが色々として貰っちゃいました。何だか悪いです」
「そうよね~。これなんて見てよ。小さなお家なら買えちゃうんじゃないかしら?」
「あはは……ごめんなさい。家の人達が、迷惑をかけてしまったみたいで」
「いえ、そんな! 迷惑だなんて!」
「感謝することはあっても、迷惑だなんて思ってませんから……でも、私達が持ってきたものが、余りにも申し訳なくて」
そう言って、おずおずと友人に渡された物は、手作りのクッキーと小さな花が咲いた植木鉢でした。
「申し訳ないだなんて思わないで。私にとっては、何よりも嬉しいものだわ。ありがとうね、二人共」
私がそれらを大事に受け取ると、友人の二人は照れくさそうに笑ってくれました。その後も、少しお話をした私達でしたが、私の体調が悪くなってくると、二人は心配そうにしながらも、帰って行きました。
体調は悪くなる一方だった私ですが、今の出来事を思い出し、幸せな気持ちを感じたまま、私は眠りにつきました。
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