第97話 公爵令嬢の日記13
朝、大きな物音を聞いて俺は目を覚ました。聞こえてきたのは部屋の外、廊下からだとは思うのだが、音の大きさを考えると、俺の部屋の近くみたいだ。まだ少し寝足りないが、気になったので起きることにする。そして、ベッドから降り、廊下へ繋がるドアへ向かおうとした所で、誰かが走り去る音が聞こえた。
「ふぁ~あ。何だ?」
念のため、何か良くないことが起こっていると仮定し、気を引き締めた俺は、息を一つ吐き、ドアを開ける。
「あん?」
結果から言うと、俺の予想したような事は何一つなかった。しかし、床の絨毯が濡れ、俺の部屋のドアが少しへこんでいた。……嫌がらせか? 俺はそれらを一瞥すると、ドアを閉め、部屋の中に戻る。何者かの陰湿な嫌がらせを受けた俺は、朝からへこんだ。
朝食の時間になり、俺達は昨日同様、食堂に集まっていた。食事が運ばれ、さあ食べるか、となった所で、一人足りない事に気付く。
「あれ? エリエルは?」
「エンジ殿、エリエル様は今、シャワーを浴びておられます。何でも、朝から廊下で踊っていたら、置いてあった花瓶を引っ掛けてしまわれたようで」
何か嬉しい事でもあったのか、声を弾ませたシルが答えてくれた。
「朝から廊下で? 変わった奴だな」
「はい。頭がおかしいのでしょう。エンジ殿も、エリエル様には気をつけてくださいね」
「……お前、エリエルの事が嫌いだったりする?」
「いいえ? そんな滅相もない。好き嫌い以前に、私ごときでは本来お話すら出来ないような身分のお方ですから」
いいえ、と最初に言ってはいるが、何だか濁した言い方のような気がする。俺が皆の顔を見渡すと、旦那様は窓の外を眺め、ノートは難しい顔をして、う~ん、と唸っていた。アルとリンクの二人は、俺の方を向き、ニコニコとしていた。最後にもう一度、シルの方を盗み見るとエプロンがびしょびしょに濡れているのが分かった。……この話題はよそう。
その後、笑顔を崩さないシルから、何らかの威圧を受け続けた俺達は、黙って朝食を取っていた。時折、ノートからの視線を感じてはいたが、俺は無視を決め込み、今はただひたすら、目の前の料理だけを見ていた。
そんな静寂の中、一人の使用人が室内に入ってきた。室内に入ったその使用人は、食堂のおかしな雰囲気に一度息を詰まらせるも、深呼吸を挟み、何とか口を開いた。
「旦那様、エンジ殿。フェニクス殿が……!」
ガタ。
「親友に、何かあったのか?」
旦那様が席を立ち、怪我をしたというフェニクスの元へ向かった。俺は、とりあえず目の前にあった朝食を平らげ、少し遅れて旦那様の後を追った。
俺がフェニクスがいるという部屋に入ると、フェニクスはソファに座り、治療を受けている所だった。頭に包帯を巻かれている間も、足を組み、肘掛けに翼をのせてふんぞり返るその様は、まるでこの屋敷の主のようだ。
「悪いけど、俺様のトサカが隠れないように巻いてくれな」
「うふふ、はいはい。可愛いトサカですもんね」
「おい姉ちゃん、格好良いと言え」
「うふふ。格好良いトサカですね」
「分かればいいんだ」
やっぱり、焦る必要はなかったな。メシを食べてきといて正解だ。偉そうな態度を取るフェニクスに呆れた目を向けていると、フェニクスが俺に気付いたようだった。
「おう、エンジ。来てたのか。あと、おっさんも」
「フェニクス君、怪我は大丈夫なのかね?」
「そんな焦った顔をするな、おっさん。大した傷じゃねえ。ちょっとばかし、数が多かっただけだ」
「そうか、それは良かった」
「ま、終わってみれば、俺様なら楽勝だったな」
「お前、その言い方だと、本当にやったのか?」
俺の問いに、フェニクスは足の親指を立てる。何だそれ? 人間で言う、手の親指だけを立てるあれ? 見てていらつくんだけど。
実は、フェニクスはここ数日間、この屋敷周辺の魔物と戦っていた。理由は、そろそろ言わずとも分かるだろうが、この屋敷で飼われているメス鳥だ。名前は、ベルと言うらしい。初日から猛アプローチをかけていたこいつは、なんやかんやで、そのベルちゃんと仲良くなっていった。そして、そろそろいけるな? と思ったこいつは、ベルちゃんに愛の告白をした。
「ベル、俺様の卵を産んでくれ」
「フェニクス君、嬉しい。でも……」
「でも何だ?」
「ここ最近、凶暴な魔物たちがこの辺りをうろついているの。そんな中で、卵を産むなんて怖くて出来ないわ。もし、私達の子供が食べられちゃうかと思うと」
「ベル、俺様に任せろ」
フェニクスは、ベルちゃんのため、いや、自分の欲望のために、日々魔物たちと戦う決意をした。その話を聞いた俺や旦那様も、手伝おうか? と言ったのだが、こいつは一人でやらせてくれ、と譲らなかった。真剣な表情をするフェニクスを見て、本当に危ない時だけは助けてやるか、と俺は心に決め、その場を去った。そして、今に至る。
「フェニクス君、いや親友よ。本当によくやってくれた。魔物達を退けた事は、人間である私達にも、非常に価値のある事だ」
「はぁん。まあ、ついでだついで。おっさん、俺様達の愛の巣、作っといてくれな」
「よしきた! 庭にある一番大きな木に、豪邸を建ててやろう」
おっさんの言葉に、フェニクスは足の親指を立てていた。
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あの男、私が見ていた事に気付いていたくせに、無視したわね?
今日もまた、何の変哲もない一日が過ぎて行きます。いえ、違いました。今日はエンジが学園に来ていません。あの鳥さんと、もう少しお話して、後から来るそうです。お父様やシル達もいるので大丈夫だと思うのですが、何か聞きたい事があるようでした。
昨日に引き続き、私はまたもや気が抜けてしまっています。上の空で授業を受けている間も、頭に浮かぶのはあの男の事ばかり。いてもいなくても、私に迷惑をかけるなんて、どうしようもない奴ね、あいつは。
「迷惑な男……」
私が口に出してしまった小さな囁きに、三つほど前に座っていたマーク君がぎょっとしました。私の射線に入っているとでも思ったのか、すぐに横の席に移動しました。あ、違うの。ごめんなさい。マーク君の事ではないの。……ああ、もう。どうしちゃったのよ、私は。
それでもやはり、二人の友人とお話している時は、余計な事は忘れられます。今日も、私たちはいつものように、同じ席で昼食を取っていました。
「あ! ノート様! エンジさんが来たみたいですよ?」
エンジがやっと学園に来たようです。それも違うか。だってあの男は、朝から来たとしても、お昼休憩と、帰る頃にしか姿を現さないのだから。ある意味では、いつもと同じね。
「エンジさ~ん!」
「こっちこっち~!」
「ちょっと!?」
突然何をしているのか、友人がエンジに呼びかけました。エリエル様がいらっしゃる席に向かおうとしていたエンジがこちらに気付き、何だ? という顔をして、こちらに向かってきます。
「こんにちわ、エンジさん」
「おう、どうしたんだ?」
「何か、ノート様がお話したいことがあるんだって」
「私!?」
エンジの方を見ずに、お料理を見つめていた私に、とんでもない爆弾が落とされました。何? どういう事!? 私は、友人の顔を伺いますが、お二人は笑顔のままで何も言いません。そして、そのまま横を見ると、頭に疑問符を浮かべるエンジがいました。当然よね。私だって分からないもの。
「何かあったのか?」
「……いえ、特に、これと言っては」
「はぁ?」
何が何だか。固まってしまった私は、エンジに見られていることが恥ずかしくなり、俯いてしまいました。
「ま、いいか。何かあるなら屋敷に帰ったら聞いてやるよ。それよりあれ見ろ。エリエルさんがご立腹だ。俺は行くから。じゃあな」
「あ……」
そう言うと、最後にエンジは私のフォークを使って、お皿から料理を摘んで行きました。目の前で行われた蛮行に、叱ってやろうとも思いましたが、結局私は何も言い出せず、ただ、そのエンジが使ったフォークを見つめていました。
「今のは」
「ごめんなさい。ノート様」
「ごめんなさい。勝手な事しちゃって」
私が、今の件についての説明を求めようとすると、先に謝られてしまい、言葉に詰まりました。理由は分かりませんが、まあいいでしょう。きっと、何か理由があっての事だと思います。それに、エンジとお話することで、何か悪いことが起きるという訳でもないのですから。
……私のお料理は、少し減りましたけど。
「ノート様? エンジさんと最近、お話されてます?」
「確か、今はノート様のお屋敷に住んでいるんですよね? エンジさん」
「ええ、そうだけど。話は、あまりしてないかしら」
そう。この二日、エンジとはあまり話せていない。別に、話す必要はないのだけどね。同じ屋敷に住んではいるが、エンジとは噛み合わない。私はすぐに部屋に篭ってしまうので、あいつから話をしに来ない限りは、そうそう話す機会なんてない。
学園についても同じ。まあ、元々すぐにどこかへ行っちゃうのだけど、今のあいつは、エリエル様の護衛です。そうなると、私がエンジと話せる機会は、朝食の時と、今日はいませんでしたが、学園に向かう時くらいでしょうか。
そうです。今日の朝だって、何でも良いから喋って欲しかったのに、あいつは無視していました。ずっと見てたのだから、無視してる事くらい、私にだって分かるんだから……って、違う違う。私は、あの空気を何とかして欲しかっただけ。
その後、授業が終わるまでは何事もなく、私は帰り支度をして、庭を歩いていました。今日は、最後の授業が長引きそうだったので、エリエル様とは別の馬車です。
「お嬢様、思ったより早く終わりましたね?」
「そうねぇ。これだったら、エン……エリエル様と一緒に帰ればよかったわ。迎えを二つも用意させてしまったのは申し訳ないわね」
「う~ん。まあ、仕方ないかと」
アルと話をしながら門の近くまで歩いて行くと、少し遠くにエンジとエリエル様を見つけました。どうせなら、一緒に帰ろうと思った私でしたが、聞こえてくる声に、足を止めてしまいました。
「そういやよ。俺がこの先の人生で、絶対に食べることはないであろう高級レストランを見つけたんだ」
「ふ~ん。で?」
「そういやよ。俺がこの先の人生で、絶対に食べることはないであろう高級レストランを見つけたんだ」
「あの、それは私に、払えって言ってます?」
「そんなことないぞ?」
「じゃあ、帰りますわよ」
「そ、そういやよ! 俺が……」
「ああもう、分かった。分かりましたわよ! 連れていけば良いのでしょう?」
「え? 何だか悪いな。そんなつもりじゃなかったんだけど」
「はいはい。いいから行きますわよ」
「お、リンクも腹減ったって顔してるな」
「おいしいご飯は好きですよ?」
……。
「お嬢様、僕達もご一緒しましょうか。……お嬢様?」
「帰りましょう。今日は何だか、少し体調が悪くて」
私は、追いかけるでもなく、声をかけるでもなく、ただじっとそこに立ち、今のやり取りを見ていました。エリエル様への感情、エンジへの感情、色々なものが出てきては消えていく中で、ただ一つ私が覚えていたことは。
楽しそう……。
私は無意識のうちに想像していました。少し何かが違えば、あそこには私がいて、強引に話を進めようとするエンジを叱りながらも、心のどこかではそれを楽しんでいる、そんな私を。
「っと、ノートは待たないのか?」
「ノートさんなら、今日は遅くなると言ってましたわよ? 私達とは別の迎えが来ると思いますわ」
「ふ~ん。じゃあ、しゃあねえか」
「ごっはん! ごっはん!」
「お前って腹ペコキャラだったのか? おいエリエル! リンクが行きたくて仕方のない顔をしている! 早く行くぞ!」
「また人のせいにして……行きたがってるのはあなたもでしょうに。ちょっと待ちなさい! 何で護衛二人が私を置いて行きますの!?」
この夜、私は熱を出してしまいます。この日の事は、あまり覚えていませんでした。
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