第95話 公爵令嬢の日記11

 日が沈み街に明かりが灯り始めた頃、俺とノートは街外れにある屋敷に帰ってきた。


「見た目は怪しげな小物店だったのに、侮れないわね。エンジ、ありがとう」


 先程購入した髪留めを、ノートは嬉しそうに眺める。

 買ってやったと言いたいところだが、俺は金を持ち歩いてはいなかったので、それはノートが自分で買った物だ。


「アルだったら、絶対に入るのを認めてくれなかったわ」


 そうなのか。ま、人の肉でも売りさばいているかのような店構えだったからな。昼の内に一度見ていなかったら、俺もノートを止めていたかもしれない。


「へへ」


 隣を歩く楽しそうなノートを見て、少し安心する。

 元護衛三人組に絡まれたあたりから、ノートはどこか変だった。元気がないというか、何かを考え込んでいるというか。

 この二日間、俺自身行きたかったというのも本当だが、少しでも気が紛れればと思いノートを連れ回していたのだ。


「理由は分からんが、もう大丈夫そうだな」

「何が? あれ……」


 俺達が屋敷の門をくぐると、一台の華美な馬車がとまっているのが見えた。


「お客様かしら?」

「こんな時間にか?」


 何やら怪しげな雰囲気を感じつつも、玄関に向かって歩いて行く。

 扉の前まで行くと、シルが出迎えてくれた。


「お帰りなさいませ。お嬢様、エンジ殿」

「ただいま、シル。どなたか、いらっしゃってるの?」

「お嬢様、それが……」

「あら? 遅かったじゃない二人共」

「エリエル様!?」


 屋敷に来ていたのは、エリエルだった。


「――お父様、説明の方お願いします」

「うむ。それなんだがな、エリエル君を屋敷に泊めることにした」


 食堂に集まり、旦那様からの話を聞く。内容はもちろん、エリエルの件についてだ。

 話を聞くにどうやら、俺とノートが寄り道をしている間にエリエルが屋敷を訪れたらしい。

 そして本来の護衛であるアルが目覚めた事を理由に、エリエルは俺の受け渡しを求めた。

 初めは渋っていた旦那様だったが、エリエルの最後に言った言葉に受け渡しを認めてしまった。それは――


「公爵、あなたが渋る理由は何となく分かりますわ。その件については、私も頭を悩ませていますから。まあ、だからこそエンジさんには早く私の護衛になっていただきたいのですが」

「そうだ。だから、もう少し待って――」

「あ、良い事を思いつきました! 私を、このお屋敷に泊めてくださらないかしら? ノートさんの、友人として!」

「ノートちゃんの、友人だと!?」

「え? ええ。少なくとも、私はそう思っていますけど」

「そうか。それなら……認めよう!」

「ありがとうございます!」

「こちらこそ、ノートちゃんを末永く頼む!」

「もちろんですわ!」


 という訳だった。ノートお前、友達いなかったのか……。

 話を聞きノートの様子を伺うと、そのノートは旦那様を恨めしそうな顔で見ていた。

 昔のこいつの事は知らないが、今は普通に友達くらいいるだろ? ほら、名前は知らないが、いつも一緒に昼食を食べているあいつらとか。

 ま、そんな怖い顔するなよ。旦那様が俺を出し渋ったのは、それだけが理由ではないのだ。


「勝手に決めてしまってすまないが、明日からはノートの護衛をアル君が。エリエル君の護衛をエンジ君にやってもらうことにした」

「分かりました。また、よろしくね。アル」

「お嬢様……」


 本来の護衛が戻ってきたはずなのに、ノートは少し気を落としているように見えた。先程までは、楽しそうにしていたと思うのだが。

 もしかすると、エリエルのことが苦手なのかもしれない。学園で話していた時は、そんな風にも見えなかったのだけれど。


「私も、よろしくお願いしますね! エンジさん」


 考え事をしていると、腕にエリエルが絡みついてくる。――こ、これは。

 何ということだ、こんな……こんなに素晴らしいものを持っていたなんて。


「マーベラス」

「ん? どうかしましたの?」

「あ、いや、この料理がな」


 二つのマシュマロを入念に味わっていると、ノートが席を立つ。


「今日は疲れましたので、お部屋に戻りますね」


 最後に俺を睨みつけたかと思うと、ノートはシルと共に部屋に戻っていった。





 =====





 はあ――

 胸の中で、溜め息を吐く。一体どうしてしまったのだろう。

 お父様のお話を聞いた後、何やら胸が苦しくなり私は席を立った。体調が悪いわけではなさそうだが、何かが胸に引っかかっている感覚がするのだ。


「私って、そんなに独占欲強かったかなぁ」


 エリエル様に言われたことを思い出し、それが原因だと思った。が、どうにも違う気がする。

 結局原因については分からないままだがあの男、エンジの事を考えると胸の苦しみが強くなる気がする。やはりあの男が関わっているのは間違いなさそうなのだが。

 ええ、そうね。きっとそう。きっと……あの男がだらしないせいで。


「あんなに鼻の下を伸ばして、デレデレしちゃってさ!」


 先程の、エリエル様に抱きつかれていたエンジの顔が思い浮かんだ。

 私と一緒にいる時はあんな顔……って、違う違う。

 そもそも私は、あんな風にエンジに抱き付いたことなどないのだし、あんな真似なんて到底出来そうにない。


「なんだか、変」


 得体の知れないもやもやとした気持ちを抱えた私は、お風呂に入ることにした。疲れた体と共に、そのもやもやを流してくれることを期待して――


「――お嬢様、申し訳ございませんでした」

「何でシルが謝るのよ?」


 お風呂から上がり、少しサッパリとした私が部屋で寛いでいると、シルがやってきた。

 部屋に入ってきたかと思うと、突然謝りだしたのだ。


「いえ、その……エリエル様が旦那様とお話されている間、私も側にいたものですから」


 確かにエリエル様の行動は突然すぎるけど、何もシルが謝ることはない。

 お父様とエリエル様の決めたことに、シルが逆らえるはずもないのだから。


「エリエル様とも仲良くしたいのは本当だし、アルが復帰してくれたのだもの。私にとっては、良い事じゃない」

「お嬢様……」


 シルは顔を上げると、私の目をじっと見てくる。

 何かを言いたくても言えない。そんな表情だった。


「そう言っていただけると……。実は私も、お嬢様の友人とお聞きし、あの場では飛び上がる程喜んでいました」

「シルゥ?」


 お父様もシルもひどい。でももう、私にはエリエル様以外にもお友達がいる。

 こんな事を言われたって、笑って流すことが出来るのだ。


「お嬢様、私とアルはお嬢様の味方ですからね?」

「シル?」


 一体何の話をしているのだろう。

 訝しげな目をシルにむけていると、チリンチリンと聞こえてきた鈴の音。


「あの、女狐ぇ……!」

「どうしたの? シル?」


 鈴の鳴る音に素早く反応したシルが、私に事情を話すことなく、険しい顔をしたまま部屋を出ていった。――何? 何なの!?


「シル!」


 シルを追いかけ廊下に出る。すると何部屋分か離れたエンジの部屋の前で、シルとエリエル様が、取っ組み合いをしていた。

 何をやっているの、あの娘!?


「くぅ。扉にこんなものを仕掛けておくなんて……油断したわ。やるわね、あなた」

「エンジ殿に、何の用があるのでしょうか?」

「あら。お話をしにきただけよ? 私は。いいからそこをどきなさい」

「こんな夜遅くに、それもそんな薄着で? 何を企んでいるのかは知りませんが、いかにエリエル様といえど、エンジ殿の安眠を妨害する事は私が許しません」

「安眠ねぇ……。私は別に、妨害なんてしないわよ。エンジさんが気持ちよく寝られるように、添い寝でもしてあげようと思って」

「そんなもの、必要ありません!」

「ぐぬぬ。こんな狂犬メイドを飼ってるなんて、ノートさんもやるわね……。仕方ない。リンク!」


 エリエル様が名前を呼ぶと、エリエル様のすぐ後ろに従者のリンクが姿を現した。


「くぅ。そっちがその気なら……アル!」

「任せろ、姉ちゃん!」


 リンクがシルに近づこうと動き出した瞬間、今度はリンクとシルの間にアルが現れる。

 少しの間目線があったかと思うと、二人はシル達から五メートル程離れた所に突然現れ、互いの拳をつかみ合っていた。……何これ?


「リンクと同格!? くっ……仕方ありませんわね。今日のところは、これで引きますわ」

「はあ、はあ。もう、ここには来ないでくださいませ」


 エリエル様がシルから離れると、それを見ていたリンクとアルも互いの手を離す。

 そして何事もなかったかのように、私の方に向かって優雅に歩き出すエリエル様。


「あなた、案外いい駒をお持ちでしたのね。おやすみなさい」

「はい。おやすみ、なさい」


 最後に不敵な笑みを見せたエリエル様が、自分のお部屋に戻っていく。一体、今のは何だったのだろうか。

 その後、シルとアルを問い詰めてみるも、二人は満面の笑みを見せるだけで何も言ってはくれなかった。

 私の味方だと言ってくれたシル。彼女のことは、信用しているけど……。


「――何だったの?」


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