第94話 公爵令嬢の日記10

 ノートの護衛を始めて三日目の朝、アルが目覚めた。


「お嬢様! アルが、アルが目覚めました!」

「本当!?」


 朝食を取っていたノートは食べるのも中断し、そのアルとやらの部屋に向かう。

 どうしようかと思ったが、ここで行かないのも何だかあれだ。

 ノートの皿に残っていたレタスとウィンナーを摘むと、俺もアルの部屋に向かう。


「エンジ君、それは娘のウィンナーでは?」


 旦那様がまだ残っていた。


「なくなってるな。旦那様の皿から何本か分けてやってくれ」

「それでは、私のウィンナーが減ってしまわないか?」

「おぉう。ミステリー」


 俺は部屋を出た。


「お嬢様、ご心配おかけしました」

「ああ、アル。良かったわ、目が覚めて。どこか痛むところはない?」

「少し体が重いですが、傷の方は大丈夫そうです。ですが、あの、旦那様は?」

「お父様はご無事よ。あなたのおかげでね」

「いえ、でも……僕は、最後まで旦那様を」

「アル! いいのよ、そんな風に考えなくても。結果的にお父様は傷一つ負ってはいないわ。それは、あなたが命を賭して守ろうとしてくれたからよ。えと、その……よくやったわね、アル!」

「お嬢様……ありがとうございます!」

「うん!」


 何だか知らないが、少しいい雰囲気だな。ここに俺が入ってよいものか。


「お嬢様、そろそろ学園へ出発のお時間です」

「あ、そうね。じゃあアル、今日は一日何もしなくていいから、ゆっくり休むのよ?」

「あの、お嬢様? 学園に行かれるのですか? 護衛は誰が――」


 ここだな。


「ああ、心配しなくていいのよ。今は……」

「初めまして、キング・アル。怪我で故障中のお前に代わり、代打で出場中の3割バッター、エンジだ。よろしくな」

「よろしくお願いします。え? キング? 代打? 出場?」

「目覚めたばかりの患者を混乱させるな! アル? 彼がね、今はアルの代わりに護衛を務めているの。馬鹿だけどね」

「今の話にその補足いるか? それより、キング・アル。俺はお前を尊敬している。目が覚めた事は本当に嬉しい。早くこの女を……イテ」


 言い切る前にノートに引っ叩かれていた。

 何だか、段々と早くなってきてないか? 失礼な事を言いそうになっていたのは確かだが、今のはもう予測で叩いただろ。


「僕の眠っている数日で、よくもまあ。というかお嬢様、少し変わりました?」

「やだ! 老けちゃったのかしら! ……そうよねぇ。だってこの男が」

「人のせいにするな。お前はもっと自分を見つめろ。あーあー。今もお前、顔にレタスが張り付いてんぞ?」

「え、嘘!? って、そんな訳あるかぁ!」

「イテ」

「あはは……」

「お嬢様? アルはそんな事を言っているのではありません。ね? アル」

「そうだね、姉ちゃん。ん~だったらまあ、今日は僕休ませてもらうね。エンジさん、よろしくお願いします」

「キングの頼みとあらば」

「ねえ? あなた、何でアルにはそんな態度なの?」

「八割も九割も打てる奴が、この先見つかるとは思えない。俺はこいつを育てて、将来こう言うんだ。アルは俺が育てたと」

「全然意味が分からないのだけど……アルを育てたのはお父様よ?」

「そうか。残念だが……俺の未来のため、旦那様には消えてもらう」

「何言ってるの!?」





 =====





「はぁ……」

「何だよ。また怒ってんのか?」


 先程までは、アルが目覚めたことで忘れていたが、この男と二人きりになると思い出してしまう。

 勝手に迎えの馬車を帰され、歩いて帰った昨日の事。


「ちょっとね」

「ちょっと、ね。ああ、あれか? ウィンナー、好きだったのか?」

「違うけど。今度やったら、あなたのウィンナーは全て焦がした状態で出させるから」

「俺の?」

「ええ、エンジの」

「ウィンナー?」

「そうよ、エンジのウィンナーを」

「……そうか。俺のウィンナーを、か。恐ろしいな」

「何なの?」


 今日も今日で、この男については一つも理解出来ない。

 今も、俺のウィンナーか等と呟き、何かをやり遂げたような満足気な表情をしていた。


「ふぁ~あ」

「眠いの?」

「ま、ちょっとだけ」


 本当に、もう。昨日も行きの馬車では眠そうにしていた。

 護衛の仕事を何だと思っているのだろうか。やる気を感じられない。


「シャキッとしなさいよね」

「そうだな。レタスを見習おう」


 と言ったやり取りがありつつも、学園に着き、いつものように教室へと向かった。


「あれ、いない……」


 すぐにどこかへ行ってしまうあの男を椅子に括り付けておいたのだが、お手洗いから帰ってくると男は消えていた。

 唖然と、縄が解かれた椅子を見ていると。


「ごめんなさい! ノート様! 私が、縄を解いてしまいました!」

「え?」

「子犬のような目で見てくるあの護衛が、少し可哀想になってしまって……本人も、絶対逃げないからって言ってたのに……本当にごめんなさい」


 そういう事。しかし私は、二人を責める気は全くない。

 何をどうしたのかは知らないが、全てあの男が悪いに決まっているのだから。


「いいのよ、いつもの事だしね。私の方こそごめんなさい」

「何でノート様が謝るのですか!」

「そうです。私達がやってしまった事なのに」

「いいえ。お二人には、あの男がどういう行動を取るかの説明もしていなかったことですし、こんな些細なことで罪悪感を与えてしまったのだもの。私の方こそ、ごめんなさい」

「ノート様……」

「それより、もっと楽しいお話をしましょう。あいつも、お昼ごはんになったら勝手に帰ってくるわよ」

「はい!」

「やっぱり優しいです……ノート様」


 エンジの行先は少し気になったが、友人とお話するうちにその事も忘れていた。

 そしてやはりと言うべきか、昼休憩の頃にフラっと姿を現しては、何を言うでもなく私達とご飯を食べ始めた。

 あの男は犬ね、犬。それも駄犬。今度、鎖でも買ってこようかしら――


 ……。


 授業も全て終わり、言うまでもなく午後の間もどこかに行ってしまったエンジを探して、私は庭を歩いていた。

 大きな噴水の横にあるベンチまで来ると、そこにはエリエル様が。エンジも、いるにはいたのだが。


「エリエル様……」

「ふふ、可愛い寝顔でしょう?」


 エンジは寝ていた。それも、エリエル様の太腿に頭を乗せて。

 何をやっているのかしら、この男は……。

 最初から頭を乗せて寝たのか、それともエリエル様が後から来てこうなったのか。

 そんな変な事が気になった私だったが、今はそれよりもこの馬鹿を起こす方が先だ。


「エンジ、起きなさい」

「……あ? ノートか。授業はもう終わったのかって、エリエル? お前も何でこんな所に」


 どうやら後者のようでした。良かった……。

 良かった? いえ、間違っていない。エリエル様に、失礼を働いたわけではなかったのだから。


「あら? もう少しこうしていても、私は構いませんのに」

「もう十分だ。サンキュ。中々気持ちよかったぞ」

「それは良かった。何だかお疲れのようでしたから」

「ノートのいびきがうるさくてな。あまり寝れてなかったんだ」

「何よそれ! そんな事ある訳ないでしょう!? あなたの部屋と、私の部屋がどれだけ離れていると思ってるのよ!」

「お前が怖くて誰も言えなかったんだろう。お前の部屋と、俺の部屋の間にいる奴ら、全員寝不足だぞ。今度ボーナスでも出してやれ。もちろん俺にも」

「あなたねぇ!」


 エリエル様には最低限、失礼はなかったようですが、私にはとことん失礼だった。

 寝顔はあんなだったのに、起きた途端こんなに憎たらしい顔になるなんて。エンジを睨んでいると、エリエル様が口を開く。


「そういえば、ノートさんの護衛、目が覚めたんですってね?」

「え? ええ。そうですけど」


 どこから情報を仕入れてきたのか、さすがは王女と言いたいところだが、この後エリエル様がおっしゃられる事に予想が付き、少しそわそわとしてしまう。


「ということは、エンジさんはもうあなたの護衛ではなくなるのね?」

「そうかもしれないですけど、えと、それは――」


 私は、助けを求めるようにエンジの方を見てしまう。

 よく分からない。分からないのだけど、何かを期待して。


「そういやそうだな。明日のキング・アル様次第だが、朝の時点では元気そうだったしな。そうなるのかもな?」


 そうよね。あなたは、そう言うわよね……って、何を考えてるのだろう私は。

 アルが復帰しさえすれば、こんな男はもういらないというのに。

 護衛の仕事もせず、主人に迷惑をかけるだけの、こんな男は。


「ではエンジさん? さっそくですけど、明日から私の護衛をしてくださらない?」

「金さえ貰えるなら、俺としてはそれでいいんだがな」

「はい! じゃあ決まり! ノートさんも、それでいいかしら?」

「一週間……」


 ――あれ?

 エリエル様の言葉を肯定しようと思ったはずなのに、私の口から出てきた言葉は肯定でもなく否定でもない、また別の言葉だった。

 二人が少し不思議な顔をして、私の方を見てくる。

 ああ……もういいや。今からさっきの言葉を取り消すのも変だし、言っちゃえ――


「あ! その、エンジとは一週間っていう約束だったし、この件はお父様にも聞いてみないと決める事は出来ませんの。ですからエリエル様、もう少しだけお待ちいただけないでしょうか?」

「ふふ」


 エンジ自身はそれもそうかと納得していたが、エリエル様は含むような笑顔を見せる。

 そして、私の側に近寄って来たかと思うと。


「あなたって、意外と独占欲が強かったのね?」


 と、耳元で呟かれてしまう。

 違うのに。そんなのじゃないのに。


「ち、違います! 私は……その」

「まあいいわ。そういう事なら私にも考えがあります。ノートさん、エンジさん、またね」


 もう少し何かを言われそうだと身構えていたが、エリエル様は何も言わず、すんなりと帰っていった。

 最後に見せた笑顔が、少し気になりはしたが……。


「そんじゃ、俺達も帰るか?」

「うん」


 歩き出したエンジの後ろ姿を見て、唇を噛む。

 後から考えると、この時の私は冷静ではなかったのだろう。先程エリエル様に言ってしまった勢いのまま、私は口を開く。


「エンジ、今日も歩いて帰らない?」


 あ……。何を言っているのだろう私。何でそんな事を。

 自分で言った先程の言葉を取り消そうと、再度口を開きかけた瞬間。


「別にいいぞ? というかな、実はすでに馬車には帰ってもらっている。今日もその予定だったからな」

「え、そうなの? でも、いつ?」

「俺が寝る前だから、一時間くらい前だな。迎えって、あんなに早くに来てんだな。お前も、もっと感謝しとけよ?」

「ええ」

「っと、そんな事言ってる場合じゃないな。今日もまた、面白い店を何件か見つけたんだ。早く行くぞ」

「あなたは、また……」


 歩き出した男の背を追う。

 勝手な事ばかりをしている男を叱りながらも、私は自然と笑顔になっていたのだ。


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