第91話 公爵令嬢の日記7
初日と同じく、次の日もノートと共に学園へと向かう。
本日はノートのお小言もなく、俺自身も特に話す事はなかったため馬車の中は無言だ。
別にそれは構わないのだが、一点だけ気になっている事があった。ノートの視線だ。
窓の外を眺めている俺に先程から……いや実際はもっと前、朝ノートに会ってからずっと、突き刺すような視線を感じていた。
人を怪しむような、見定めるような、そんな視線。
「どうかしたか?」
しかし、問いかけつつもノートを方へ顔を向けると、フイっと視線を逸された。朝からずっとこんな調子。
何なのだろう……もやもやする。
そのまま時間は流れ学園に着こうかという頃、ついに視線の合ったノートが、口を開いた。
「ずるいわ」
怒っているような気がするが、何となくそういうのとも違う気がする。
このままでは気持ち悪いので、念の為。
「怒ってる?」
「……半分はね」
よく分からん。まあそれでも、半分は怒っているのか。
もしかして、昨日の体力テストでわざと負けたのがバレたか? いやだってよ、護衛の奴らがあんなに強そうだなんて思っていなかったんだ。正直舐めてた。
さすがは上流階級が集まる学園といえるが、あんな奴らとあと七回も戦うなんて、俺には考えられなかった。
学園もあんな事をさせて、本来の仕事である護衛の方はどうするのか。
昨日の帰り道に襲われでもしたら、主人を守り切れない奴もいるのではないだろうか。
「どこに行くの? 入っていいわよ」
そんな二日目の始まりだったが、予想外の事が起きる。
昨日の今日でどういう心境の変化があったのか、ノートを教室に送り届けた俺が廊下に出ようとすると呼び止められ、さらには教室への入室も認められていた。
「だってあなた、勝手にどこかに行っちゃうでしょう?」
訝しげな目を向けると、ノートはそう言った。二日目にして、信用はゼロだ。悲しいな。
俺は自分の仕事を全うしているというのに。
「あー、今日はパス」
「……は? ちょ、ちょっと!?」
「大丈夫、大丈夫。俺をもっと信用しろ。授業参観には出てやるよ」
じゃあなと手を上げ、廊下に出る。
授業が始まり、何度も何度もこちらを確かめてくるノートに満面の笑顔で手を振った。
その度に、なぜかノートは気持ち悪そうな顔をしていたが、きっと体調が優れないのだろう。
まあいい。これで約束は果たした。これ以上はやっていられるか。
要はあれだ。屋敷まで無事に送り届けさえすればいいんだろ? 違うのか?
ノートが聞いたら怒りそうな言い訳を自分に言い聞かせ、授業が始まってから十分程が過ぎた頃、俺は廊下を後にした。
その後はこれと言って特筆すべき事はなかったのだが、昼食時にそれは起こった。
ノートとその友人二人、さらに俺を含めた護衛三人の計六人で、一つのテーブルを囲んでいたのだが。
「やっぱりいなくなったじゃない!」
「腹が痛くてな。どうしようもなかったんだ」
「それが本当だとして、お昼休憩になるまでずっといなかったのはどういう事かしら? まさかずっとお腹を痛めていたとでも、言うのではないでしょうね?」
「そのまさかだ」
「そんな訳ないでしょうが! 何時間経ったと思ってるのよ!」
「まあまあ、落ち着けよ。お前の友人もびっくりしてるぞ。お? この野菜炒め美味いな。腹を痛めていた俺にとって、炒めるという言葉は少々くるものがあるが、これはいけるわ」
「ああああ! うるさい! うるさい! 何でこの男はこうなの!?」
「あはは。ノート様、少し落ち着きましょう? 最初はアレだと思っていましたけど、話してみると楽しい人ではないですか」
「君、アレって何だい?」
「そうですよ! 最初は、そんなまさかと思っていましたけど、いつもいつもこうではないのでしょう?」
「君、そんなまさかって何だい?」
「いつもよ……」
「え」
「え」
「こいつはいつもこうですの! 常にあるがまま、常態で、こんなですのよー!」
うわあああ、と叫ぶノートを友人二人が慰める。護衛の二人が睨んできたので、ニコリと笑顔を返しておいた。
ノートの皿にある肉をフォークで刺し、食べようとしているところを護衛の二人に止められていると、険しい顔をする三人の男達が現れる。
「おいお前、エンジって言ったな? ちょっと俺達に付いてきてくれないか?」
あん? こいつらは……確か昨日の。
「何ですの! あなた達は! いきなり現れて、失礼ではなくて!?」
異常に気付いたノートが、男達に迫る。
「ち……公爵の娘、だっけか。まあ今の俺達には関係ないか。おい女、あまり調子に乗るなよ」
「え――」
「お~っと、待て待て。お前らは俺に用があるんだろ? こんなヒステリックな女は置いておいて、さっさと行こうぜ」
男がノートに伸ばしかけた腕を掴み、男達とノートの間に入る。
「ち……付いてこい」
「エ、エンジ……?」
「男だけの楽しい秘密の話だよ。ちょっと行ってくる。あ、その肉中々美味かったぞ。ごちそうさん」
=====
突然現れたこの男達は何なのだろう。
ひけらかすつもりはないが、仮にも公爵の娘である私のいる席に来ては、護衛であるエンジに付いてこいだなんて。失礼にも程がある。
異様な雰囲気を醸し出す三人の男達に、友人も怯えているのが分かる。
ここは、私が――
「何ですの! あなた達は! いきなり現れて、失礼ではなくて!?」
私は言います。しかし男達が示した反応は思っていたようなものとは違った。
敵対的な目を向けられ、続くはずだった言葉が出てこない。この時の私は、確かに怯えてしまっていたのだ。
「お~っと、待て待て」
頭が追いつかず立ち尽くしていた私に、男の手が迫る。
ビクンと体が震え目を瞑った私の前に、いつの間にか男を遮るようにエンジが立っていた。
そして私の頭に一度手を乗せたかと思うと、ちょっとピクニックにでもというような軽い雰囲気で、エンジは男達と歩いて行く。
明らかに異常事態。エンジを追おうとするが、体が動かない。
今までに、こんな経験をした事は一度もなかった。私に怯える人はいても、あのような……。
「あっ」
小さくなっていくエンジを見ながら、そっと髪に触れる。
震える体の中、エンジが触れた頭の一部分からは、確かな暖かさを感じていた。
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