第90話 公爵令嬢の日記6
まずいまずいまずい。非常にまずいぞ。
道案内をしなかった件についてはこの際どうでもいいがこの女、グレイテラ帝国と言ったか? それも第二王女。
ということは、あの下着をくれる女の妹ってことだよな。
俺が欲しいと言ったが……これはあれ、俺の命が欲しいと言っているのだろうか。
真意を探るため、正面に立つ女をまじまじと眺める。
「どうかしまして?」
「いや」
分からん。分かったのは、姉に似て胸が大きいことと、仕草がやたらとセクシーなことだけだ。
外で会ったときはそうでもなかったが、今のこいつからは妖艶な雰囲気を感じる。
まあ、とりあえずは帝国でお尋ね者の俺を、見つけ次第即確保という訳ではなさそうだ。
「お返事、いただけないかしら?」
「ちょっと待て。まず、俺が欲しいってのはどういう意味だ? まさか一目惚れってことはないだろう?」
「あら。確かに、ちょっと端折った言い方でしたわね。あなたを、私の護衛として迎え入れたいの。……ふふ。一目惚れだったなら、こんなお願いではなくもっと強引に攻めていましたわね」
「あー、お前らお嬢はそうだよな。しかし護衛にか。今、俺を捕らえている奴は護衛じゃないのか?」
「リンクは、今はそうですけど本来はお姉様の付き人ですの。学園に通うために、お姉様からお借りしているだけ。私を護衛する者は、十日後に到着予定ですわ」
「なら、そいつでいいじゃん。何で俺を……というより、そういう話は俺ではなく雇い主であるノートに言ってくれ」
「今は、あなたのことが気になっている、とだけ言っておきましょうか。それにノートさんは先程、あなたを首にすると言っていたわ。それが本当なら、あとはあなたの意思次第でしょう?」
そうなのか? と、ノートの方を見る。
口を挟まず成り行きを見守っていたノートは、ハっとした表情をすると、おずおずと話し始めた。
「まあ、その……そうしようかと思っていましたけど。エリエル様? 私からも質問してよろしいでしょうか」
「ええ、どうぞ」
「この男の、何がそこまでいいのですか?」
「おい」
「口は悪いし、態度は失礼だし、主人の命令を聞くどころか主人を貶める始末。護衛の仕事もしなければ、腕がいいというわけでもない。私が言うのも何ですが、こんな分別できないゴミのような男を雇っても、エリエル様にはいいことなんて一つもないように思いますが」
少々の自覚があるとはいえ、あんまりな言われように少しへこむ。
いくらなんでも言い過ぎだろ? 俺にだって、良いところはある。
あるのだが……今は、ちょっと思いつかないな! いや、あるんだよ? 羽交い締めにされて、頭が回ってないだけだ。あるから!
必死に自分を慰めていると、捕らわれていた体が少し楽になった。
リンクが俺を憐れんだのだろうか。それはそれで、少し複雑な気分なんだが。
後ろを向き、リンクと無言で見つめ合う。
「そうねぇ。燃えてしまえゴミの日、にしか出せないような、失礼な男であることは私も認めます。けど、何も知らないというのはフェアではないかしら。これからの学園生活、あなたとも仲良くしていきたいですし……一つだけ、教えてあげるわね」
「お前さ、俺を雇う気あるか?」
俺の言葉を無視し、エリエルがノートの耳元に顔を近づけ、何かを呟いていた。
何だ? 多分俺のことだと思うけど……この女、何を知っているんだ。
再度リンクの方に顔を向けるが、そのリンクも首を傾げていた。男二人、蚊帳の外である。
「一週間」
エリエルに何かを伝えられ、難しい表情をしていたノートが口を開く。
「エンジとは一週間、護衛の契約を交わしています。それまでは、様子をみてみようと思います」
「ふふ。ま、懸命な判断ね。私の護衛が帝都を出発するのはその後だし、ちょうどいいかしら」
どうやら一週間を待たずして解雇されるところだった俺は、エリエルの登場により期限が伸ばされたようだった。いや、本来約束していた日数に戻っただけか。
俺個人としては、今日解雇されたとしてもさして問題はなかった。
金が手に入らないのは正直もったいないと思うが、謝礼金はすでに貰っている。
そもそもお嬢同士で話が進んじゃいるが、当人の意思はどこにいってしまったのか。
「今のあなたの評価では、エンジさんは私のものになりそうね。ふふ。それでは、ごきげんよう」
「ええ、ごきげんよう」
最後に俺の方を向いたエリエルは、ウインクをするとどこかに立ち去っていく。
それを見たリンクも、強く生きてと小さく呟き、エリエルを追って行った。――涙が出てきそうだ。
「俺達も帰るとするか」
「そうね。そうしましょう」
今日の授業は全て終わっている。すでに迎えに来ていた馬車に乗り込み、屋敷へと帰った。
=====
「はぁ……」
「ん? 溜息なんてついてどうした? 嫌なことでもあったか?」
学園からの帰り道。互いに無言だった馬車の中、私は溜息を一つ吐く。
今日一日で、本当に色々なことがあった。その色々なことを考えているうち、無意識に出てしまったのだ。
「あなたのせいよ、あなたの。自分のしたことを忘れたの?」
「終わってしまったことは仕方ない。今日のところは反省して、明日にいかそう」
まるで、私が何かをやらかしてしまったような言い方。反省するのはあなたでしょう? 本当に……この男は。
ジトっとした目を向けていると、窓の外を眺めていた男が突拍子もないことを言い出す。
「悪い、ここで止めてくれ。野暮用ができた」
「ちょっと、何なの?」
「お前、分かってるくせに俺の口から言わせる気か? 清楚な見かけに反して、意外とサディスティックな一面があったんだな。いや? 金持ちのお嬢様だし、むしろイメージ通りか?」
「あなたが失礼なことを言っていることだけは分かるわ。一体どうしたのよ?」
「トイレだよ! トイレ!」
「え、屋敷はすぐそこよ? 我慢なさいな」
「馬鹿お前! 俺の括約筋が活躍できるのも、あと一分ってところだ! ああ……辛抱たまらん! 耐えろ、俺の体!」
そう言って、男は自分にいくつかの魔法をかけると、馬車から飛び降りる。
「ちょ、ちょっと!?」
「ここからなら、走って帰れる距離だから! 先に帰っててくれー! あ、寄り道はするんじゃないぞ~」
難なく着地を決めた男が小さくなっていく。寄り道しているのはあなたでしょう? もう!
本当に、なんて男。今日一日振り回され続けた気がするけれど、最後の最後までこれ!?
あの男が今日やらかしたことと、今しがたのやり取りを思い浮かべ、すぐにでも解雇しようと再認識する。
しかし、エリエル様の言っていたことが胸の奥に引っかかった私は、確認が先かと心を落ち着けた。
「お父様に、相談してみましょう」
ごうごうと風が入ってくる開け放たれたドアを閉め、屋敷へと帰る。
括約筋って、何かしら……?
「お帰りなさいませ、お嬢様。……何だか、一日で随分と」
「ただいま、シル。ちょっと色々とね。その件については、後で話すわ。お父様はどこにいらっしゃるのかしら?」
「旦那様でしたら、ご自室にいらっしゃいます」
「分かったわ、ありがとう」
疲れが顔に出ていたのだろうか。まあそれも、仕方のないことよね。
長い、本当に長い一日だった。できる限り普段通りの表情を意識し、お父様の部屋のドアをノックする。
「お父様? ノートです。今お時間よろしいでしょうか」
「構わんよ。入ってきなさい」
「失礼します」
お父様のお部屋に入り顔を付き合わせると、開口一番お父様は言う。
「おお、ノート。何だか、一日で随分と……」
お父様にも、シルと全く同じ反応をされてしまう。私、そんなにおかしな顔をしているのかしら?
「お父様、聞いていただきたいお話があります」
「その表情の訳、だね? いいよ~。何があったのか、私の方から聞きたいくらいだ」
お父様に、今日起きたことを話す。私の恥ずかしいところは、出来る限り包み隠して。
しかし期待していた反応とは違った。話を聞いたお父様は、大笑いをする。
私にとっては全く、笑える話ではないというのに。
「お父様!?」
「アハハ! ああ、すまんすまん。でもそうか……それで? 帝国の王女様が言ったものは?」
「こちらです」
お父様にお渡しした物は、体力テストでのエンジの戦績通知。三勝七敗という、アルに比べればあまりにも出来の悪い結果。
私には何度見ても変わりない紙だったが、エリエル様はそれをお父様に見せれば、エンジのことが多少は分かると言っていた。
何か仕掛けがあるのかな? と、思っていたのだが。
「なるほどね。ノートは、彼の試合を見ていたのか?」
「はい。あ、でも……どの試合もすぐに終わってしまって、戦いぶりを見ることは叶いませんでした」
「そうか。そうだとすると、彼は」
お父様が、戦績が書かれた紙を見て、ニヤリとします。――何? 何なのよ?
「お父様? 私はそういったものに詳しくありません。何かカラクリがあるのでしたら、教えて下さいませんか?」
「カラクリなんてものはないよ。エンジ君の戦績は三勝七敗、ここまでは分かるね?」
「はい」
「勝ったのは三回だけ。そして、その三回は最初の三人だ」
「そうですね」
「では、この三人がどういう者たちなのか知っているかい?」
「え……」
私は、その三人のことは全く知らない。でも、お父様のこの言い方だと。
「この三人はね、A級冒険者を始めとする名だたる者たちなんだよ。おそらく、アル君でも苦戦するようなね。ノートの話から推測するに、その三人をエンジ君は圧倒したことになる。いやぁ、しかし三連戦とは、エンジ君も運がないね」
お父様は笑う。そんな……嘘でしょう?
あの男、そんな力を隠し持っていたなんて。でも何で。
「お父様。では、どうして残りの試合は負けてしまったのでしょうか?」
「それも、すぐに終わったのだろ? 理由は分からないが、わざと負けていたんじゃないか。彼なら、十回も戦うのは面倒だった、とか言いそうだな」
「そんな!」
あの学園において護衛とは、主人の一種のステイタスなのだ。それを面倒だからという理由で?
ああでも、それも説明していなかったような気がする。
全力で戦ってくれると勝手に思っていたけど、あいつならそう言いそうだわ。
「旦那様、エンジ殿がお帰りになられました。それで、報告したいことがあるのですがよろしいでしょうか?」
「どうぞ~」
「失礼致します。ああ、お嬢様もいらっしゃったのですね」
私が戦績の真実を知り沈んでいると、シルがお父様のお部屋に入ってきた。そのままお父様の近くに行き、小声で何かを伝える。
「そうか……そうだとすると、困ったなぁ」
また、あの男が何かしでかしたのだろうか? 私に向かって何かを言おうとしているお父様を見て、胃が痛くなってくる。
「ノート、君が言っていたエンジ君を首にする件だが、やはり彼を解雇することは認められない。当初の予定通り、一週間はお前の護衛を務めてもらう」
「はい……」
悪評を伝え解雇を訴えるも、望みは叶わなかった。
戦績が悪いという切り札も、なくなるどころかあの男の評価を上げてしまう結果に。
私は何も言うことができず、トボトボとお父様のお部屋を去った。
……。
「旦那様、エンジ殿を本格的にお迎えすることはできないのでしょうか? せめて、今回の件が片付く間だけでも」
「そうなれば良いけどねぇ。でも彼、流されやすそうに見えて、意外と意志が強いと思うんだよね。まあ、ノートちゃん次第じゃないかな」
「お嬢様ですか? そういえばお嬢様、今日は別のお顔をされていましたね。お疲れではあるようですが」
「一昨日までは、あんなに生気のない顔をしていたのにね。うん、良いことだよ。シルも後で、本人から愚痴を……いや、話を聞かされるんじゃないかな?」
「楽しみです」
「しかし、こんな時に王女様の登場か。話を聞く限り、かなり手強そうだ。……ノートちゃんには、ちょっと荷が重いかもしれないね――」
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