第88話 公爵令嬢の日記4

 楽しい自己紹介が終わり、その後。

 一緒に授業を受けようと思っていた俺だが、絶対に認められないと、鬼気迫る表情でノートは言った。

 さすがに少し時間をおかないと駄目だなと思った俺は、言われるがまま教室を出る。


「痛えな……」


 何て完成されたビンタをするんだ、あいつは。審査員がいたなら、全員が満点を出すであろうビンタだった。

 公爵の娘ともなると、あんなことまで教育されるのか? ということは、王女であるレティなんかも?

 お兄さん嫌い、とか何とか言いながら、引っ叩き回すのだろうか。想像できない。

 頬を擦りながら廊下に出ると、父兄の方たちが会釈をしてきた。どうもと会釈を一つ返すと、そいつらの間を抜け廊下を後にする。

 あれ? だとか、いいのあの人? なんていう声が聞こえてきたが、無視をして歩を進める。

 生徒一人に対し一人の護衛。あれほどの人数が一箇所に集まっている状況で、何が起きるというのか。授業参観なんてやってられるか。

 校内を少し見学した後、敷地内にある庭に出た。

 庭とは言うが、大きな公園に近い。そこかしこにベンチが設置され、噴水まである。

 よっこらせ、と噴水近くのベンチに腰を降ろし、何を考えるでもなくただぼーっとする。


「あら? あなたは……」

「ん?」


 背もたれに片肘を乗せ噴水を眺めていると、明るかった目の前が影になった。

 影の作られた方向に顔を向ける。日傘を持った女学生が、側に立っていた。


「よお」

「ええ、ごきげんよう」


 片手を挙げ挨拶をすると、女学生はスカートの端を持ち上げ、優雅な挨拶を返してきた。


「こんな所で、何をしていますの? 服装を見るに、どなたかの護衛の方ではなくて?」

「お前こそ何してんだよ? サボりか?」


 今更だが、俺は執事服といえるものを着ていた。もっと楽な格好の方が好きなのだが、ノートがそれを許さなかったのだ。

 それはともかく、こいつは一体誰なのだろう? 挨拶をするだけで通り過ぎるのかと思いきや、立ち止まり話しかけてきた。

 格好だけを見るに、ここの生徒のようだが。


「先に私の質問に答えるのが、筋ではなくて?」

「ん? ああ。俺は……この学園の教師。今は休憩中だ」

「教師? あなたのような男が?」


 あなたのような男、って何だ。


「うるせえ、放っとけ。お前も俺の質問に答えろよ。今は授業中のはずだろ? 新学期早々サボリか?」

「私は……そうね。似たようなものかしら。本日よりこちらの学園に転入してきたのだけれど、道に迷ってしまいましたの」

「へえ。方向音痴なんだな、お前。ご愁傷様」

「あなた教師ですわよね? 普通はこんなとき、案内でも買って出るのではありませんの?」

「嫌だよ、面倒くさい。今日はもう諦めて、明日から来たらどうだ?」

「とても、教師の言葉とは思えませんわね。本当に、案内してくださらないの?」

「方向だけ教えてやる。どこに行きたいんだ?」

「学園に」

「それならもう着いてる。良かったな。目的地周辺となりましたので、エンジ君の案内を終了します」

「いえ、そうではなく教室に」

「じゃあな」


 この場はすでに、心落ち着ける場所ではなくなった。場所を変えよう。

 俺は背後で固まった女生徒を一人残し、その場を去った。


 ……。


「ふふ」

「お嬢様ぁ!」

「あら? どこに行ってましたの? リンク」

「それはこちらのセリフですよぉ……。突然いなくなっちゃったのは、お嬢様の方でしょう? 学園長に話を通しに行くから待っていて下さい、と言ったではありませんか」

「そうだったかしら?」

「そうです。そんなことよりお嬢様、すでに授業が始まっております。早く教室の方に向かいましょう」

「ええ、そうね。ふふ」

「何か、嬉しそうですね?」

「いえ、何でも。行きますわよ」

「はい!」


 あの男は、確か……。ふふ。面白いものみ~っけ。





 =====





 男を教室から追い出した後、そのまま頭を抱えていた私。気がつくと小休憩に入っていた。

 同級生の皆はお喋りを始めています。

 最悪のスタートを切ってしまった私は、誰とも話す気が起きず、再び机に突っ伏しました。

 ま、元々話相手なんていないのだけど……。

 がやがやと聞こえる話し声に耳を傾けると、別段やらかしてしまった私のことを話しているわけではなかった。

 それならば、今までと大して変わりない。ただ、さらに近寄り難い存在になってしまっただけ。

 そうやって諦めの境地で自分のことを慰めていると、すぐ近くで誰かがお喋りを始めました。

 何となく耳を傾けてみると、どうやら話しているのは私のこと。

 威厳を失った公爵の娘に、嫌味でも言いに来たのだろうか。


「――ト様! ノート様!」


 違った。近くに来た同級生は、私の名前を呼んでいた。

 何もかもを失ってしまった私に、一体何の用が。


「ごめんなさい。私?」

「あ、良かった! ノート様、先程は災難でしたね!」

「え?」

「うんうん! あんな男が護衛だなんて、ノート様が可哀想!」


 その娘達は、私を慰めにきてくれたようでした。

 共感し、励まし、声をかけてくれます。あのようなことをしでかしてしまった私に、何で……。

 理由はよく分かりませんが、私はそのことに驚き、同時に喜びを感じていました。


「ノート様、すっごく格好よかったです!」

「そうそう! ノート様が、あの男をスパーンと殴られたときは、私もスッキリしちゃいました!」

「そ、そうかしら?」

「はい!」


 席を囲む同級生達は、嘘を言っているようには見えません。


「でもあれは、ちょっとやりすぎたんじゃないかなって……」

「そんなことありませんよ! あの男が出まかせばかり話しているのは、皆分かってました。あの場はあれで正解です!」

「うん。冗談にしても、ちょっとひどいよね~」

「……ありがとう」

「ノート様!?」


 私は涙ぐんでしまいました。


「ありがとう、私を信じてくれて」


 そして、話しかけてくれて。


「大丈夫ですよ! ノート様! さすがにあれは嘘だって、皆分かってます!」

「そうですよ! さすがにあれは」


 男が嘘を言っていたことも信じてくれ、ささくれ立った私の心は癒やされていきます。

 そうよね。さすがにあれはないわよね、言い過ぎよ。わざとでしょう? って思うくらいにはひどかった。

 男が言ったことの中で唯一当たっていたことがあったが、それは胸にしまっておく。だって、これから成長するしね。

 元気を取り戻した私は、その後同級生達とお喋りを楽しみました。ひどく落ち込んでいた私にとってそれは、至福の時間だった。

 しかしその時間も、もう終わり。授業のチャイムが鳴り響き、席に集まっていた同級生たちが、手を振って散っていく。

 そんな中、最初に話しかけてくれた二人が、少しモジモジとすると口を開いた。


「怒らないで聞いて下さいね。ノート様って、もっと近寄り難いお人だと思っていました」

「私も……。でも! さっきの自己紹介で印象が変わっちゃいました! もちろん、いい意味で!」

「いえ、そんな。学園に通うからには、私も皆と同じ一生徒なのです。だから……これからも、私とお話してくれる?」

「はい!」

「もちろんです!」

「ありがとう」


 良かった。本当に良かった。一時はどうなることかと思ったけど、幸か不幸か。

 あの男のいき過ぎた嘘によって、私のことを変な目で見たりはしない、話し相手ができた。

 じんわりとした喜びが、胸の中に広がっていくことを感じます。

 いつの間にか怒りが消え失せていた私は、今回だけは許してやろうとふと思い、廊下にいるはずの男を呼びに向かいます。


「エンジ?」


 姿が見当たりません。廊下に顔を出しキョロキョロと周囲を見渡していると、すぐ近くにいたどなたかの護衛の方が教えてくれました。


「ん? ノート様? ノート様の護衛なら、教室から出てすぐどこかへ行っちゃいましたけど……」


 あああああああああああ。


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