第87話 公爵令嬢の日記3

「あなた、大人しくしてなさいよ」

「ああ、分かってる分かってる」

「本当に、本当に何もしなくていいからね。あなたはただ突っ立っているだけでいいの。分かった?」

「ああ、分かってる分かってる」

「私の話、聞いてる?」

「ああ、分かってる分かってる」

「……私よりかわいい女の子なんて、世界中どこにもいないわよね?」

「そんなことないんじゃないか?」

「何でそこだけ反応するのよ!」


 馬車に揺られ、学園へと向かう。

 今日から新学期が始まるらしく、前に座るノートも何だかテンションが高い。

 行ってきますと屋敷を出て、ものの数分もしないうちに始まったお小言。途中までは聞いていたのだが、どれも大した話ではなさそうなので右に左に流すことにした。

 ぼーっと窓の外を眺めていると視界に入ってきた、石造りでできた城のような建物。

 あれが学園かとノートに話を振ろうとしたが、振られていたのは俺だった。

 何で突然そんなことを? 白雪姫ごっこでも始めたのか?

 ま、確かにお前はある意味お姫様のような女だが、その年でそれはちょっと痛いのではないだろうか。

 普段は優しく、時に厳しく、主人のためになることならば提言だってする。付き人の鏡のような俺は、そろそろ目を覚まさせてやろうと考え、否定の言葉を口にした。


「自分に自信を持ちすぎだ。世界中探せばいるさ、お前よりかわいい奴もな」

「それはちが――」

「むしろパーツの一つ一つが整いすぎてて、トータルで見るとすぐに忘れられそうな顔ってのが、俺の評価だ」

「なんてことを言うのかしら、この男。本当に私が雇った護衛なの?」


 分かりきったこととはいえ、ノートは怒っていた。

 仕方ない。誰かが、言ってやらなくては駄目だったのだ。誰かが、気づかせてやらなくては駄目だったのだ。

 今はこんなだがきっと将来、俺に感謝する日が来るだろう。


「ついたわよ」

「へえ、立派な建物だな。何階くらいあるんだ?」


 俺の問いかけは無視され、ノートは先に歩いていく。

 何だよ? そこまでツンツンすることないだろ。少なくとも一週間は一緒にいるんだ。

 質問にくらい答えてくれてもいいだろうに。

 一つ溜息を吐くと、学園に入っていくノートを追った。


「え~。今日から新学期。このクラスの担任を務めることになった、ドーナツだ」


 教室に着くと、生徒は思い思いの席に自由に座っていた。

 室内は広く、斜めに配置された席。日本で言う大学や、広い講堂のようなものを想像すれば分かりやすい。一言で言うと映画館スタイル。

 ざっと数えたところ百人くらいは座れそうな席の数に、制服を着た奴らは三十人ほど。

 この生徒数にこの広さの教室はいらないだろと思ったが、なるほど。主人と仲の良さそうな護衛なんかは、一緒に座っている奴らがそこそこいるようだ。

 という訳で、俺もノートの隣に座る。


「ちょっと、何であなたがそこに座るのよ」

「あん? 友達でも待ってんのか?」


 言いつつ、室内を見渡してみる。

 クラス替えがあったとはいえ、知らない仲ではないのだろう。教師の話を聞きながらも、すでに何人かはお喋りを楽しんでいた。

 こいつもそうなのかと思ったが、教室の扉はすでに閉まり、教師も全員が揃ったような話し方をしている。

 そんな中、ポツンと一人隅の方の席に座るノート。


「違うけど、あなたには座ることを許可していないでしょう? あなたは、あっち」

「ん?」


 ノートの視線を追った先は廊下。

 そこには数人の男女が立ち、教室を眺めていた。


「おいおい、あいつら初日から立たされてんのかよ。一体何をどうしたらそんなことになるんだよ。はは!」

「あのねぇ、あの人達は護衛よ。主人が授業を受けている間は、ああやって外で待ってるの」

「嘘だろ?」

「主人が認めれば教室の中に入ることはできるけど、半分くらいはあんな感じね」

「俺は?」

「私が認めるはずないでしょう」

「嫌だよ。あんな、授業参観に来た父兄みたいな真似」

「行きなさい」

「えー嫌だよ。今出たら変に目立っちゃうだろ? これだから、目立ちたがりのお嬢様は……」

「あなたね」

「ちょっとそこ、さっきからうるさいですよ」


 俺達は、怒られる。

 ノートは言葉につまり下を向いたが、俺にとっては少し懐かしい感覚。

 ああいや、優等生で通っていた俺は怒られたこと等もちろんない。懐かしい、ではなく新鮮だ。


「申し訳ございません、先生。護衛の躾がなっておりませんもので」

「躾ってどういうことだ、コラ。鳴けばいいのか?」

「ノート様!?」


 俺は番犬としての忠義を果たすべく、こちらを注意してくる教師にワンワンと吠える。

 しかしノート様て。教師が一生徒に様付けしてるのか。


「ノート様でしたか。いえ、良いのです。どうせこの後、護衛の方も含めた自己紹介の予定でしたので」

「う~! ワンワン!」

「お黙りなさい!」

「くぅ~ん」


 主人から躾をされていると、その教師の言葉通り自己紹介が始まった。





 =====





 あーもう、何でこんなことに……。

 だから私は反対だったのだ。口は汚いし、話は聞かない。さらには主人を主人とも思わない失礼な態度。

 お父様には丁寧な口調で話していたというのに、何で私には? まあ、口調はともかく、私の命令に従わないのはどうなの?


「ほーん。あいつの護衛、王国の兵隊長なんだってよ。まだ若そうなのに大したもんだな。……お? お前の番がきたようだぞ。こういうのは最初が肝心だ。いっちょ決めてやれ」


 これからどうしようかと考え俯いていた私に、自己紹介の順番が回ってきたようだ。

 変な注目を浴びてしまったことだし、ここは簡潔に終わらせてしまおう。


「私は――」

「僕の名前はマークと言います。……え?」

「あ、もう一個先だったわ。すまん」


 席を立ち自己紹介を始めようとすると、三つ、四つ前に座っていた男子学生も立ち上がり話を始める。

 私とその男子学生が互いに固まっていると、ニヘラと笑った隣の男は間違いだったと言った。――あああああああああ。


「ノ、ノート様。僕なんかに構わず、お先にどうぞ……」


 男子学生が遠慮していた。悪いのは私、いえ、ほとんどはこの男のせいだというのに。

 これでまた、私に変な印象がついてしまった。


「いえ、そんな。私が先走ってしまいましたの。申し訳ございませんでした」

「ノート様! お顔を上げてください!」

「本当に、本当に良いのです。私のことはお気になさらないで?」

「でも……」

「おい、マーク君。うちのお嬢様もこう言っている。後がつかえているんだ、さっさとやれ」


 隣の男は、なぜか迷惑そうな顔をしてマークとかいう男子学生を急かしていました。


「あの、マークです。十六歳です。以上です」


 そのせいか、マーク君の自己紹介は名前と年齢だけに終わる。隣にいたマーク君の護衛と思われる方は、席を立ってすらいませんでした。

 恥ずかしさと申し訳なさの余り、私は手で顔を覆ってしまいます。


「じゃ……じゃあ次。ノート様、お願いします」

「お、来たか」


 お、来たかではありません。今までに、こんな状況での自己紹介があったでしょうか。

 先程までの一件から、これまでとは違う意味での注目を受けていることは間違いない。皆の目が好奇心に燻っています。

 公爵の娘として見られることには、不快ながらも慣れてはいた。でも、こういう視線を投げて欲しかった訳ではないのだ。

 ああ、恥ずかしい。もう屋敷に帰りたい。


「ノート・シュークライムです」


 覆った手から赤面した顔の上半分だけを出すと、名前だけを伝え席に座る。

 先程のマーク君よりも短い自己紹介。しかし今の私には、これが限界だった。

 何でこんな辱めを私が……。全ては隣に座るこの男のせい。そう、この男のせいなのです。

 端から見ただけでは、教師に少し注意され、自己紹介の順番を間違えただけ。それでも公爵の娘として恥ずかしくない生活を送ってきた私にとっては、由々しき事態だった。

 するとそこで、紹介するつもりのなかった私の護衛が席を立つ。


「ノートの護衛を務めるエンジだ。皆が気になっているうちのお嬢様について、補足を入れておこうと思う」


 え……。


「まずはそうだな。俺の見立てでは、スリーサイズは上から――」

「ちょっと!」

「――って、とこだな。胸は小さめだが、これからに期待してくれ。屋敷では日々、涙ぐましい努力をしているんだ。金持ちの特権を活かし、バストアップ専用の本棚もあるくらいだ。まあ俺は、大きさよりも形やバランスに拘る派なんだが、マーク君も分かるだろう?」


 マーク君は頷いていた。男の勢いに頷かされていた、が正しい。


「それでだ。先程はかわいこぶってはいたが、あれは演技。内心では、どう? 可愛いでしょ? 今のこれ? パリコレ~って具合だ。もちろん趣味もひどいもので、人の食べてる物を横から奪うであるとか、人が大事に育てた花を踏んづけてその反応を見る、といったことだ。悲しいな。そんなうちのお嬢様も、学園では友だちを作りたいと心から願っている。バストアップにかける想いと同じくらいな。だから皆、どうか仲良くしてやってくれ。以上だ」


 教室は静まり返り、同級生は口をポカンと開けていた。

 全てを言い切った男は席に座り、どうだった? という表情をする。


「今の……何?」

「ん?」


 少し間を置いて、体中にどくどくと血液が流れ出すのを感じた。すでに手は震え出しています。


「今の、何なの?」

「人と打ち解けるには、まず自分を曝け出さないとな。恥ずかしがるお前の代わりに、言ってやったんだ」

「言ってやった? 何を?」

「お前のこと」


 私? 私のこと? 今のが、え? いやだって、あれ?


「な……」

「な?」

「何もかも、間違っているわよぉ!」


 席を立ち、男の襟首をつかみます。


「何もかも間違ってる! 何もかも嘘っぱち! あなたの言ったことは、全部が全部作り物!」

「うっうっうっ」


 男の頬を、右に左にビンタする。


「出会ったばかりのあなたが、私の何を知っているの!? いい加減なことばかり言わないで! ああもうほんと、何でこんなことに! おかしい! おかしいわ、こんなの!」


 パンパンパン。うっうっうっ。


「もうやだ! こんな! こんなはずじゃなかったのに! うわあああ!」


 最後に、全身全霊の力を込め男の頬をひっ叩いた。スパーンという高い音を立て、男は転がって行く。――ああもう! 何で、何で、何で、何で!?

 全身の力が一気に抜け、席にストンと座ると、私は机に突っ伏した。


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