第86話 公爵令嬢の日記2

 あれ、今このおっさん何て言った。護衛? 誰が誰を?

 俺が、おっさんの娘を? 何で? 本来の護衛者が怪我を負ったから?

 いやいや待ってくれ。俺はここに、そんなことをしに来た訳ではない。

 確かに来る途中、そういう事情の学園に通う娘の話は聞いていた。しかし何でそんな面倒そうなことをしなけりゃならんのだ。

 礼をするっていうから、ついてきただけなのだ。貰えるものを貰ったら、俺達はすぐにでも去るつもりなんだよ。


「残念ですが、私にもやるべきことがございます。その話は、お断りさせていただこうかと」

「ほう? それは、急ぐことなのか?」


 急いではいない。が、出来る限り早い方が良いとは思っている。

 魔法都市では今頃、俺の石像でも建てながら、帰りを今か今かと待っている人達がいるのだ。


「はい。できることならすぐにでも。なぜなら――」

「私は、たくさんのお金を持っている」


 ん? このおっさん、いきなり何を言い出してんだ?

 話を遮ったおっさんは俺の顔を真っ直ぐと見ると、突拍子もないことを言ってくる。


「もしもこの話を受けてくれるのならば、私にも用意がある。君は、冒険者だと言っていたね? ならば私の言っていることがどういうことなのか、分かるだろう?」


 そう言って、おっさんは側にいた使用人に合図を送った。

 言っている意味は分かる。それはとても魅力的なことで、人を誘う甘い蜜だ。だが、それでいいのか? 


「私は、たくさんのお金を持っている」


 朗らかな笑みを浮かべたおっさんが、再度言う。

 何て力強い響き。言葉には、これほどの力があったのか……って、いかんいかん。惑わされるな。

 今までだって、そうやって失敗してきたじゃないか。

 そうだ、生まれ変わろう。今日から俺は、武士だ。

 刀という揺るぎない一本の魂だけを持った武士――

 ドサリ、という音。足元には、人を惑わす何かがたっぷりと入った重そうな袋が落とされる。


「それは、私を助けてくれたことへの謝礼金だ。受け取ってくれ」

「あ、ああ……」

「今回の件、引き受けてくれるのならば、その倍は出そう」


 武士はこんなことでは揺るがない。

 いくら金を積まれようと、仕える主を裏切らない。それが武士道。

 俺はふっと一つ笑うと、正面にいたおっさんと握手をしていた。


「宜しくお願いします。旦那様」

「うむ。期待しているぞ」


 王女の次は公爵の娘か。護衛に続き護衛。いつから俺は、人様を守るような偉い奴になったのだろうか。

 まあ、真っ直ぐ誠実、質実剛健に生きてきた俺の人生。たまにはこういう寄り道も、ありではないだろうか。





 =====





「お父様!?」


 目の前で繰り広げられる一連の流れを、私は黙って見ていた。

 でも、もう限界。本人を前にして、本人に関わる話を勝手に進めないで欲しい。

 お父様はこの男のことをなぜか高く買っているようだけど、私にはどこがそんなにいいのかさっぱり分からない。

 今までどこで何をしていたのだろう。服は土に汚れ、髪は痛み始めている。

 顔のことをどうこういうつもりはないが、何だか少し臭う。体臭というよりは土臭い感じ。

 まあ、それは後でなんとでもなるとしてこの男、どこか信用できない。

 これは勘だけど、言葉の端々から嫌らしい企みのようなものを感じる。

 今のやり取りを見る限り意思も弱そうだし、挙句の果てには変な鳥まで連れている。


「お~、ノート。今、彼が了承してくれたところだ。明日からの学園生活も、これで安心だな」

「お父様! 私はまだ認めていませんわ! 突然現れたこんな男、信用できません!」

「ん~? 大丈夫さ彼なら。それに今回の賊の襲撃で、お前を任せられるような者をすぐに用意できないのだ。学園が始まるのは明日。どうするつもりなんだね?」

「だからってそんな! 学園なら、休めばいいではありませんの!」


 お父様は、そこで下を向いた。


「新学期なんだぞ? その、何だ……友達とか、作りたくないのか?」

「お父様まで!?」


 お父様にしろ、シルにしろ、私をどういう目で見ているのかしら?

 私は好きで一人になったというのに。別に今更、友達なんて。


「とにかく! 認められません!」

「そうだエンジ! 俺様も認めてねーぞ!」


 男の隣で、鳥さんが喋り始めました。

 気のせいだと思っていましたが、本当に喋っているようです。しかも随分と、口汚い言葉で。

 そのことに少したじろいでしまったが、どうやらこの鳥さんも男の行動には反対している様子。――いけそうだわ!


「おいこら、エンジ! 俺様とメアリーちゃんの恋路を邪魔する気か!?」

「お前、先に行ってていいよ。後から俺も行くからさ」


 鳥さんは、心底憤慨した目を男に向けます。

 いいわ。そのまま喧嘩でも始めなさい。とにかくこの場をかき回すのよ。


「エンジよぉ、一緒に行こうぜ? もう随分と日が経っちまった。もしメアリーちゃんが俺様のことを忘れていたらと思うと……。一人じゃ立ち直れないかもしれないだろ?」

「お前って、そんなだっけ?」


 喧嘩でも始めそうな雰囲気から一転、鳥さんは急に臆病風に吹かれていました。

 もう~、何でそこで引いちゃうのよ! でもこれはこれで、いい流れかもしれないわ!

 そこよ! もっと押せ、臆病な鳥さん!


「いいじゃねえか。金だってもらったんだろ? とりあえず魔法都市、行こうぜ?」

「お前の言い方、連れションに誘う奴みたいだな。でも、そうだな~」


 男が何の話をしているのか全く理解ができない。

 もう~やだやだ。本当にやだ。こんな訳の分からない男と学園に行くなんて絶対に嫌。

 鳥さん、後少しよ! 頑張って!


「なあエンジ~。……お?」


 鳥さんが、急に真剣な顔つきに変わる。その視線を追うと、一羽の小さな鳥が庭を歩いていた。

 あの娘は、野生ではなく私のペット。五歳の誕生日に卵から生まれた。

 ふふ。鳥同士、何か思うところがあるのかしらね。


「おっさん。すまんが俺様も世話になるぜ?」

「何で!?」


 お父様と鳥さんが、旧来の友人のように仲良く話し出す。

 もういいわ! あんな鳥さんに頼らなくても私が一人で! と意気込み、その後も反論を続けてはみるが、お父様の中でそれはもう決まっていることのようだった。

 とりあえず一週間だけ様子をみてみようと、押し切られてしまう。


「エンジだ。よろしくな、へその曲がったお嬢ちゃん」

「な!?」

「お~旦那様。彼は逸材やもしれませんね」

「だろう? ハッハッハ!」


 この男、私に向かって何て口を。

 それより、何でシルは怒らないのかしら! お父様まで笑って済ませているし。

 もう! 訳分かんない!


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