第五章 公爵令嬢の日記
第85話 公爵令嬢の日記1
太陽の光が心地良い。胸一杯に新鮮な空気を吸い込み、ぐぐっと体を伸ばす。
吸い込んだ空気を勢い良く吐きだすと、体中に溜まっていた淀みのようなものが消えていった。
そのまましばらくその場に立ち、太陽の暖かさがじんわりと体に染み渡るのを待つ。
人間、一日に一五分は太陽の光を浴びた方が良いとは聞いたことがあるが、まさにその通りだったのだなと、今は思う。
「やったな、エンジ」
「ああ、しばらく暗い所は勘弁だ。今俺は、蝉の気分を味わっている」
俺とフェニクスは、一週間強にも渡る洞窟生活を終え地上に出てくることができた。
これからの生活を考えると顔がにやけるのを抑えられないが、とにかくまずは腹ごしらえをしたい。
何か食べられそうなものを探して、周囲を見渡してみる。
「フェニクス、あの木にでかい芋虫がいるぞ。お前どうだ?」
指し示した木を見て、フェニクスが気持ち悪そうな顔をする。
「エンジよぉ、品のいい俺様があんな気持ち悪いもの食えるわけないだろ?」
「でもお前鳥じゃん。あんなん好物だろ?」
フェニクスは首を横に振ると、こいつ何も分かってねえわという表情を俺に向ける。
心底人を馬鹿にした表情に、思わず手が出かける。
「俺様、虫は食えないんだ。火を通したとしても、駄目だろうな」
「じゃあお前、何が好きなんだよ?」
鳥で魔物のこいつが、火を通すということを前提に考えていることに違和感を覚えるが、参考までに聞いておく。
目線を上にしたフェニクスは少し考え、好きな食べ物をいくつか挙げていった。
「俺様は、焼肉とフルーツ全般が好きだな。あとはビーフシチューにグラタン……ああ、お前が前に気まぐれで作ったオムライスも中々だったな」
「お前はもう、野生には帰れない。俺は今、そう確信した」
前の二つはまあ分かる。人にとっても、魔物にとっても美味しいもの。
今更こいつに対して、火を通す通さないはどうでもいい。問題はその後だ。
何だ、ビーフシチューにグラタン、オムライスて。人の手が入るどころか、人が一手間かけないと作れないようなものばかりじゃねえか。
「ちなみに、生肉と焼いた肉ならどっちが好きなんだ?」
「馬鹿かお前! 肉にしろ野菜にしろ、ちゃんと焼かないと危ないだろうが! 何トチ狂ったこと言ってんだか……」
「いや、多分お前は大丈夫だと思う。生まれというか、種族というか、体の構造的に」
「やれやれ。これだからエンジってやつはよ」
やれやれ、とフェニクスは人間の所作のように翼を外に広げる。
腹さえ減ってなければ、間違いなく殴っていた。
「はぁ。飯の話題でさらに腹が減ったな。何かねえのかよ?」
「見渡す限り何もないな。街まで戻った方がいいかもしれない。というか、ここはどこだ?」
大きな魔法都市、地上に出さえすれば視認できると思っていた。
しかし前を見ても後ろを見ても、街の姿は見当たらない。もしかしたら、街からかなり離れた所にまで来てしまったのかもしれない。
街に戻るどころか、方向すら分からなくなった俺達は二人して頭を悩ます。
「エンジィ……こりゃいかんぞ。非常にまずい状況だ」
「分かっている。このままでは、俺達の夢が」
「うおお! メアリーちゃんに会えないなんて嫌だぁ!」
メアリーちゃあん等と叫びながら、フェニクスが空に上がる。
くるりと一回転すると、何かを見つけたのか目を細めた。
「エンジ! 馬車だ! 馬車が走ってるぞ!」
「よっしゃ! 案内しろ!」
フェニクスの案内の元向かった先、確かに馬車は走っていた。だが少し、様子がおかしい。
走る馬車を、野盗らしき奴らが集団で追っていた。俺は側にあった草むらに身を隠す。
「あれは……」
様子を伺っていると、野盗らしき集団が馬車に追いつき取り囲む。物取りか、人攫いか、あるいはどちらもか?
どちらにせよ、放っておくわけにはいかない。なんたってあの馬車からは……。
俺はのそりと立ち上がる。
「助けるのか?」
「いや、俺達が助けてもらうんだ。少し考えたんだが、この辺りに街や村があったとして、俺には魔法都市へ行く金がない」
「お前いつもそれだな! いい加減何とかしろよ!」
「あんな目にあって、金を持ち歩いている方がおかしいだろ」
「はあ。俺様の新しい飼い主、そろそろ真面目に探した方がいいかもしれんな」
「俺も一緒に飼ってくれる奴、探しといてくれ」
無駄なお喋りをしている間に、馬車に乗っていた人達が外に引きずり出されていた。
男が一人に、その従者らしき女が一人。
「助けてもらうね……ははーん、分かったぞ? 俺様たちが、あの馬車を奪おうってんだな?」
「ちげえよ! それだと完全にあいつらの仲間だろうが! 恩を売るんだよ! あの馬車をよく見てみろ。金持ちの匂いがするぜ」
「はぁん……」
こいつ、思考が盗賊寄りだな。俺より向いているんじゃないか?
「そろそろマズそうだな。行くぞ」
「うひゃひゃ。金持ちが飼ってるメス鳥、さぞやお美しいのでしょうなぁ!」
まず鳥を飼っているかも分からないし、それが雌である保証はない。それにメアリーちゃんはどうしたんだよ、こいつ……。
腹に一物抱えた男と鳥は、野盗に襲われた馬車を助けるべく駆け出した。
=====
私の名前は、ノート・シュークライム。
モンブラット王国の公爵である父を持つ、所謂世間一般ではお嬢様と呼ばれるような貴女。
顔のできは良く清楚で可憐、さらには性格も良いと評判の私には、未だ学生の身でありながら求婚する男性があとを絶たない。
生まれも育ちも一級品。花よ蝶よと愛でられ、何不自由なく暮らしてきた私。でもそんな私にも、一つ悩みがあったの。それは――
「退屈ねぇ」
退屈で仕方のない日々。欲しいと思ったものはすぐに用意され、望んだことは全て叶えられた。
期待していた学生生活も最初こそ良かったものの、私が公爵の娘だということが広まると、ひどくつまらないものになってしまった。
気さくに話しかけてくれた友人は萎縮してしまい、時が経つうちに自然と距離が空いていた。教師でさえ、私を贔屓する。
今となっては、私の顔色を伺いつつありきたりなことしか言えない者か、父の爵位に目が眩んだどこぞの坊っちゃんがごまをすりに来るくらい。
それら一切が面倒になり、いつしか一人で過ごすようになっていた。
一人で過ごすというのも語弊があった。同じ生徒ではないものの、私の側には常に一人の男がいた。
基本的には、位の高い者だけが入学することを許される学園。
学生一人に対し、一人の護衛を付ける決まりがあった。それが、彼だ。
名前はアル。幼少の頃より、私の世話をするよう育てられた姉弟の内の一人。
子供の頃は喧嘩もするような仲だったが、年を重ねるごとにそれもなくなり、今では何を言っても肯定しかしないつまらない男の筆頭だ。
「はぁ、退屈ね」
「お嬢様、明日から新学期です。ご用意の方はよろしいのでしょうか?」
「んー? それならもうできてるわ。あとは、明日になるのを待つだけね。でも……」
「どうかされましたか?」
「退屈ね」
退屈。今日も、きっと明日も。
「では、庭を散歩にでも行かれてはどうですか? 日がな一日、部屋に篭っていらっしゃるから、そういった気分になるのです」
「あまり、関係ないと思うけどね」
「お嬢様、最近足にお肉がついてきたように思います……散歩に行かれてはどうですか?」
「え! 嘘!?」
「遠回しにお伝えしようと思ったのですが、私には難しかったようです。それでも、頑張って気遣おうとした私を褒めてくださいますか?」
「あなたね……」
今私に言いがかりをつけてきたのが、アルの姉にあたるシル。
言葉遣いこそ丁寧になったものの、私に対して昔のように接してくれる唯一の存在だ。
この娘の歯に衣着せぬ言葉には、たまにイラっとすることもあるが、私にとってはそれが嬉しかったりする。
さっきの言いがかりも、私を退屈させないためにわざと言っているの。うん、きっとそう。――そうだよね? シル?
「やっぱり、ちょっと散歩にでも行こうかしら」
「それがよろしいかと。私もお供致します」
私達二人は屋敷を出て、庭を歩く。
決してシルの言ったことが気になったわけではない。ただ何となく、散歩したい気分になっただけ。
だってほら、こんなにいいお天気じゃない。
「シ、シル? さっき言ったことって、その――」
「お嬢様、何だか……門の様子がおかしいです」
「ん?」
シルが注目している門の方へ視線を向ける。
「あの馬車、お父様がお戻りになられたのね。でも確かに、様子がおかしいわね?」
私達が様子を伺っていると、お父様を迎えに行っていた執事の男が血相を変えて走ってくる。
その男は、私とシルの前で立ち止まると悲痛な顔をして言った。
「お嬢様! 旦那様の乗った馬車が、賊に襲撃されました!」
「何ですって!?」
そんな……お父様の馬車が? でもあの馬車には、護衛の方がたくさんついていたはずだけど。
「じゃあ、あの馬車は?」
「はあ、はあ。まずは、ご安心を! 旦那様はご無事です! ですが……」
男はそう言い、シルの方を見る。
シルには予想がついていたのか、一つ息を飲み込むと口を開いた。
「アルは、弟はどうなったのですか?」
今回アルは、護衛の一人としてお父様に付いていた。しかし帰ってきているのは、馬車一台だけ。
護衛は全員、それぞれが馬に乗っていたはずなのに。
「生きては、いるようです。ですが大怪我を負っており、意識が戻りません」
シルがその話を聞き、唇を噛むのが見えた。
私が、慰めようと口を開きかけると。
「そう、ですか。あの子にしては、よくやってくれました。運も良かったようです」
「あなた!」
鋭い視線をシルに投げかけると、シルは首を横に振る。
「お嬢様、それがあの子の仕事です。何があったのかは分かりませんが、あの子が傷を負うことで、旦那様がご無事にお帰りになられたのです。それがあの子の栄誉です。状況を見るに、他の護衛の方はお亡くなりになってしまわれたのでしょう。ですが、あの子は運のいいことに死んではいません。お嬢様の考えていることも分かりますが、どうかあの子が目覚めた時、よくやったと褒めてやってはくれませんか? それが、あの子の幸せです」
シルはいつになく真剣な表情で、私の目を見て言う。それは友人に対して向けるような目ではなく、もっと別の何か。
私は、二人にそんなことを望んでいるわけではないのに――
「分かったわ」
それだけを言うと、シルはその言葉に満足そうな笑顔を見せ頷く。
それから少しの間、二人で黙って玄関の方に視線を向けていると。
「明日からのお嬢様の護衛、誰がやるんでしょうね?」
「別にそんなの……私は、アルが目覚めるのを待っていてもいいわよ?」
「それはいけません。新学期は、新しいお友達を作るチャンスなのです。お嬢様には、絶対に行ってもらわないと」
「それ、どういう意味かしら」
私がシルをジッと睨んでいると、お父様が歩いてくる。
良かった。話には聞いていたけれど、お父様は元気そう。
父の無事を確認するのと同時に、父の横を歩く奇妙な鳥を連れた男が一人、視界に入ってくる。
笑顔のお父様にバシバシと背中を叩かれながら歩いているその男は、渇いた笑みを見せていた。
「お帰りなさい、お父様。ご無事で何よりです」
「ただいま。えらい目にあったよ。でもまた、お前の顔を見ることができて良かった」
「はい、私もです。ですが、その……護衛の方たちは?」
「彼らはよく戦ってくれた。僕がこうやって生きて帰ってこられたのも、彼らの頑張りあってのことだ。彼らの家族には、僕が直々に説明してくるよ。あと……」
お父様は、私の隣にいるシルの方へ体の向きを変える。
「アル君も本当によくやってくれた。絶対に死なせやしない。僕に任せてくれ」
「はい。旦那様にそう言っていただけるだけで、あの子にとって、それ以上の幸せはありません」
うむ、とお父様は一つ頷きます。
お父様が断言したのだ。きっと、アルは助かる。
「それで、お父様? そちらにいらっしゃる方は一体……」
「ああ、彼はな」
「エンジを忘れてやるな、おっさん」
「いや、お前の方だろ」
「すまんすまん。彼らはな、賊に捕まってしまった私を救ってくれた者達だ。 礼をしようと屋敷まで連れてきたのだ。あと彼エンジ君が、明日からアル君の代わりにお前の護衛をするから」
「は?」
「え?」
「俺様は? おっさん」
退屈だった私の日常に、ヒビが入った瞬間だった。
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