第82話 決意

 天井が、崩れ落ちてくる。それを俺は、スローモーションを見るかのようにじっと見ていた。

 最初に剥がれ落ちてきた瓦礫は俺達に当たることはなかったが、どすんという大きな鈍い音を立てすぐ側に落ちる。

 数瞬の後、叫んだ。


「みんな、逃げろぉ!」


 大声に、その場にいた全員がはっとした顔をした。

 爺さんは一にも二にもなくレティの側に付き、フェイとロックがレティと爺さんの周りを固める。


「とにかく走れ!」


 走り始めた四人のすぐ後ろに回った俺は、いざというときのために魔法を準備する。


「お兄さん! 制御装置は! どうするの!?」

「死んだら元も子もない! 今は走れ!」

「でも! でも!」


 走るレティの目には涙が溜まり始めていた。

 分かってるさレティ。これを止められなければたくさんの人間が、いや、レティの両親がいる王国にだって。

 だが今は。


「マジックファクトリーは強固だ、崩壊するようなことはない。とにかく、シェルターがあった階より上に急げ!」


 おそらく崩れ落ちているのは、この部屋の上だけだ。

 天才と呼ばれたツウルの兄が設計したマジックファクトリー。この程度で、建物全てが崩壊するようなことはないと思いたい。

 しかし、マッドの野郎。俺達が止める止めないではなく、最初から誰にも制御装置を触らせる気なんてなかったんだな。

 唇を噛み締め、前を走るレティ達を見た。

 しゃあねえか――


「ロック!」


 ロックの側に近付くと、小声で話しかける。


「ロック、悪い。レティを頼んだ」

「エンジ?」


 それだけを言うと、ロックに向かってニヤリと笑いかける。

 大丈夫。こう見えて、ロックは頭の回転が早い。

 伝わったはずだ。何をしようとしているか。それを見たレティが、どういう行動をとるのかも。


「それも……それはやぶさかだ! エンジ!」


 いつものように、ただ頷いてくれると思っていた俺は、ロックの大声に目を見開く。

 何事かと、レティ達も振り返っていた。


「そんな、そんなこと……」

「悪い。でも、誰かがやらないとな。それは俺にしかできないし、レティをもう泣かせたくはないんだよ」


 真剣な目をロックに向ける。そして、少し笑みを見せ言った。


「ま、大丈夫だって。何とかなるさ」


 しばらくの間、歯を強く噛みしめていたロック。一つ息を吐くと、口を開いた。


「エンジ、俺はお前を気に入っている。今度飯でも食いに行こう」

「いいぜ。もちろんお代は、先輩持ちだよな?」


 岩のような大男は、護衛依頼についてから初めて口元を緩めた。


「それも、やぶさかではない」


 前を走るレティは、背後にいる俺達を見て首を傾げる。

 そしてレティ達が階段を登り始めた時、俺は走るのをやめた。


「……え? お兄さん!?」


 四人に向かって手をあげると、制御装置の方へ引き返す。


「お兄さん! お兄さん! そんな……やだぁ!」


 背後から声。チラと伺うと、レティが立ち止まり引き返そうとしていた。

 ロックが抱え、連れて行く。


「ロックさん!? お兄さんが! 離して! 離してよ!」

「申し訳ないですが、その命令だけは聞けません。俺はエンジと約束しましたから。このまま、地上まで上がります」

「やだぁ! やだよぉ! 行かないで、お兄さん! 死んじゃ駄目! また……また私を一人にするの!? お兄さん!」


 レティの泣き声が聞こえてくる。さっそく、泣かせてしまったようだ。

 だがこれをどうにかしないと、結局一緒だしな……。

 落ちてくる天井を避けつつ、制御装置へと走る。徐々に徐々に小さくなってはいるが、レティの叫ぶ声は聞こえ続けていた。


 悪いな。最初から最後まで、仕事をすっぽかしてばかりで。

 でもな、お前には両親や爺さん、フェイもロックもいる。仲は悪かったようだがツウルも助けてくれるさ。

 お前は一人なんかじゃない。

 俺は……今回はさすがに生きては帰れないかもしれないが、それでも元気にやってくれ。

 お前に再び会うことができて、よかった。


 レティの声が聞こえなくなり、制御装置へと辿り着く。

 周囲は悲惨なことになっているが、柱だけはびくともしていない。

 やはりこの柱が折れるようなことにでもならない限り、マジックファクトリーが崩壊するようなことはなさそうだ。

 地球でいうコンソールに似た何かに手を触れると、そこには魔法の文字が浮かび上がってきた。


「ログインはっと……これだな」


 まず、制御装置を始めマジックファクトリーの装置を動かすには、この街の魔法技師として登録されていなければならない。

 街に来たばかり、よってもちろん認められていない俺だが、この件については手が打ってあった。


「ツウル、サンキュな」


 ツウルから渡されたIDとパスワードが書かれたメモを開く。

 俺がツウルに依頼していたこととは、魔法技師長としての立場を利用……いや有効活用し、登録してもらっていたのだ。


「IDはエンジっと。あとはパスワード……ん? 何だこれ? 何か長い――」


 正確には少し違うが、似たようなもの。

 まさかこんな世界にまできてIDとパスワードを打ち込む時がくるとは、等と考えていた俺は溜息を吐く。

 そこに書かれていたものは。


 『汝、あなたはその健やかなるときも、病めるときも、喜びのときも、悲しみのときも、富めるときも、貧しいときも、これを愛し、これを敬い、これを慰め、これを助け、その命ある限り真心を尽くすことを誓いますか』


 ――これがパスワード?

 ツウルに渡された紙、他のどこを見てもその言葉以外に該当するようなものはない。


「結婚式かよ!? 何でパスワードがこれ? あいつ馬鹿だろ! いや、パスワードは八文字以上の分かりにくいものをとはよく言うけど、これはないだろ!」


 しかし時間に余裕のない今、入力していくしかない。

 あいつは本当、肝心な時に何かしでかしてくれるな……。

 うおおっと、勢い良くパスワードを打ち込んでいく。そして。


「あー! 決定ボタン押したくねー!」


 決定ボタンを押すのをためらっていたその時、頭上から一枚の壁が落ちてきた。


「あ――」


 これは避けきれない。そう思った瞬間、黒い影が壁との間に入り、覆いかぶさるように盾になる。


「ぐへぇ! さすがに、威力を殺しきれないか」

「フェニクス!」


 現れたのはフェニクスだった。こいつ、俺を庇って……。


「大丈夫か!?」

「痛え、がタンコブができた程度だ。いつかのお前とお揃いだな、エンジよ」


 フェニクスは軽口を叩いてはいるが、地面に血がポタポタと落ちていた。


「俺様がいないと、やっぱ駄目だなぁ。エンジ、早くやっちまえ。しばらくは俺様がお前を守ってやる」


 いつもの自信満々な表情。俺は頷く。


「ああ、悪いな。助かるぜ! フェニクス!」

「はっ」


 フェニクスに身を預け、再びコンソールの前に立つ。

 すぐさま身に覚えのない誓いの言葉に決定ボタンを押し、制御装置を動かし始めた。しかし。


「止め方が分からん……。というか、止まらないんじゃないか? これ」

「おいおい、エンジよぉ! 今更そりゃないぜ? 俺様の体を見ろ、タンコブだらけでラクダみたいになってるぞ!?」

「羽と体毛でよく分からん。そういや市長も、止めることはできないって言ってたっけなぁ。でもまあ、照準だけは真上にすることができたぞ?」

「お前それ、撃ったらここに落ちてくるんじゃ」

「まあな。だが、これで他国には迷惑かけないだろう。やったな!」

「馬鹿かお前! 俺様が死んじゃうじゃねえか! 世界の財産である俺様が死んでもいいのか!? どこでもいい。今すぐ照準を変えろ!」

「それはできん。俺にもプライドがある。あ、お前不死鳥になりたかったんだよな? 一回皆で死んだ後、全員生き返らせてくれや」

「そんな荒業、本家でもできねえよ!」


 俺達は頭を悩ませる。フェニクスの頭には、ガンガンと小さな石が当たっていた。

 こいつ、大丈夫なのか? 関係のないことに少しの間気を取られていると、フェニクスが突然何かを思いついたようだった。


「そういや、エンジさぁ。一度、血がついたことでこれ止まったんだろ? 俺様のタンコブも全て弾けさせて、ドバドバとかけてやるのはどうだ?」

「ん~。あれは、偶然に偶然が重なって起きたことだろうしな。確信が持てない。それに、過激すぎないか?」

「じゃあ、どうすんだよ! エンジお前、何か考えがあるって言ってたじゃん! それやれよ!」

「実際に触れば、いけるだろうと思ってたんだ。でも、現実はどうだ? ちんぷんかんぷんだ」

「かー! 使えねえ! もう、ありったけの攻撃ぶち込もうぜ! お前お得意の魔法でよぉ!」

「俺得意の魔法ね……」


 その言葉に、少し考える。

 待てよ。このデカブツは魔力で動いている。そして、発射されるのも魔力の塊だ。ということは……。


「いけるかもしれん。フェニクス、この柱から出ている管を探せ。その辺にあるはずだ」

「分かった。頼むぜ、エンジ?」

「ああ。やってみようじゃないか。……コンパイル!」


 思いついた考えに最後の希望を託し、俺はコンパイルを始めた。


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る