第72話 レティの秘密

「今度こそもう駄目だ! 今までにない苦しさを感じる!」


 あの日、俺は死んではいなかった。体がだるかったのは本当なんだが、いやはや。

 まあ、死ななかったのは良いことじゃないか。

 今日の朝は、普通に目覚めることができた。だがそれでも、日に日に体の調子は悪くなり、ここ最近は毎日のように意識を失うようになっていた。


「小僧のそれ、もう飽きたわい」

「お兄さん、毎日つらいかもしれないけど、そのまま八十歳まで生きて」

「あらあなた、今日は早かっらのね。んふふ。久しぶりに、二人っきりで外にご飯食べに行かない?」


 上から順に、爺さん、レティ、ツウルだ。

 毎日欠かさずお見舞いに来てくれるのはいいのだが、段々と俺の死が軽く扱われているような気がする。

 爺さん。死ぬことに、飽きるも何もないんだよ。一回きりなんだよ。

 レティ。それもうほとんど天寿全うしてるぞ。この日に日に苦しくなっていく状態で八十歳って、冷凍保存か何かしてくれないと耐えられないと思う。

 ツウル。妄想おままごとはいいから、お前は仕事にいけ。


「ただいま~。あ! お兄ちゃん! 大丈夫!」


 ああ……。俺の癒やし、ミウが帰ってきた。

 でももう、今日は話、できなさそうだ。いつも心配かけてごめんな。

 レティ、回復魔法をかけ続けているようだが、それは俺の癒やしにはならない。

 爺さん、頭に育毛剤をかけるのはやめろ。


「ミウちゃんか、お帰り。小僧のことなら心配するな。どうせいつもの、死ぬ死ぬ詐欺じゃ」

「お兄さんは、頑丈」

「最近はあの子達のことばかりで、私に全然構ってくえなかったじゃない。私だって、寂しかったんらから。……あ、そんな。ここで? でも、嬉しい」


 んだよ、どいつもこいつもよ~。

 死ぬ死ぬ詐欺って何だよ。騙そうと思って騙している訳じゃねえよ。苦しいんだよ。

 あの子達って何だよ。お前の妄想の中のエンジ君、最後お前に何してんだよ。……あ、もう駄目。限界。

 関係者の冷たい立会の元、俺の意識はそこで途絶えた。


 ……。


 夜目が覚めると、ミウが同じベッドで寝ていた。

 苦しむ俺を心配して、一緒に寝てくれでもしたのだろうか。優しい子だ。

 この娘には、同じ苦しみは味わって欲しくはないものだが……。

 ミウに布団を掛け直し、病室を出た。そして少し歩き、誰もいないロビーに着くと椅子に腰を下ろす。


 夜の病院は、やはりどこの世界でも不気味だな。

 散歩中の犬に加え、人が作ったお化け屋敷のお化け相手にも、死んだふりをするような男だぞ、俺は。

 今物音でもしようものなら、心臓が口から飛び出す可能性がある。

 そんなことを考えていると、コツコツコツと何かの足音が近づいてくるのが聞こえた。


「はびゃあああ!」


 溢れかけた心臓を飲み込み、周囲を見渡してみる。誰もいない、か? 音も、よし! 聞こえない。

 こんな時間に目が覚め、散歩でもしようと思ったのが間違いだった。

 そうだ。ナースステーションみたいな場所、あるだろ? そこに行こう。

 きっと誰かがいるはずだ。

 椅子から立ち上がったその瞬間。


「へあああああ!?」


 やはり、何か聞こえた。

 今はまた音が止んでいるが、いつ何が起こるのか分からない。

 俺はファイアボールを周囲に浮かべると、臨戦態勢を取る。

 薄暗かったロビーが炎の明かりで明るくなった。――これで、よし。


 コツコツコツ。足音。――こっちか!?

 その音が聞こえてきた方に、ファイアボールを向かわせる。

 いくつかが壁に当たり焦げ跡を作ってしまったが、知ったことか。俺は怖いのだ。

 炎の光に照らし出され、浮かび上がったのは人影。レティだった。


「やっほ」

「お前か、脅かすなよ」


 無表情で軽い挨拶をしてくるレティ。

 浮かべたファイアボールを消し、椅子に座り直した。

 足が小刻みなビートを奏でていたのは内緒だ。


「何やってんだよ、こんな時間に」

「お兄さんこそ、何だか楽しそうなことしてるね。やっぱり元気。これからも、元気」

「馬鹿。お前のせいで今まさに死ぬとこだったぞ。心臓が口から飛び出しかけたんだ。多分、世界で初めての死亡ケースだ。……お前、何で足音を立てたり消したりしたんだよ。嫌がらせか?」

「奇声が聞こえたから、怖くて立ち止まってた。お兄さんだと分かって、安心した」


 そういうことかよ。互いに相手を驚かせていたって訳ね。

 ま、俺の方が絶対驚いていた。間違いない。だから悪いのはお前な。


「んで? どうしたんだよ」

「今日、お兄さん寝るの早かったから、夜来ればお話できるかもって」


 俺のあれはもう、寝るって認識なのなこいつ。


「とりあえず、立ってないで座れ」

「うん」

「それで、話って?」


 隣に座ったレティはすぐに話し出すことはなく、何かを考え込んでいるようだった。

 いや、何から話そうか迷っている、の方が近いか。

 急かすことなくレティを待っていると、ぽつぽつと語りだす。


「私、お話苦手だから、遠回りせずに言うね」

「おう」

「私、実は転生者。お兄さんと同じ世界、知ってる」

「何?」


 レティの言った言葉をしばらく飲み込めなかった。

 こいつが、俺と同じ? 嘘だろ? 先程のこいつの足音より、正直驚いた。

 確かに俺だけがこちらの世界に来ているって方が、そもそも間違った考えなんだが、こいつは王女だろ?


「でもお前……」

「お兄さんの考えていること、分かる。私は王女。だから転移者ではなく、転生者。お兄さんと違って、召喚されたわけじゃない。向こうで死んで、すぐにこっちで生まれた」


 そんなことがあるのか。

 転生者……言い方を変えれば、ただ前世の記憶を持っているだけで、レティはこちらの世界の住人ということだが。

 今にして思えば、たまにレティは向こうにしかない言葉を話していた気がする。それも――


「何でそれを俺に?」

「私は、ずっと寂しかった。事故で死んでしまったことは仕方ないと思うし、地球ではないどこかにまた生を受けたのも、納得はできる。でも、私には地球で過ごした記憶が残ってしまっていた。全て最初からなら良かったのだけど、大好きだったお父さんやお母さんの記憶が残ってしまっていた。こっちの世界のお父さんやお母さん、その周りの人もとっても優しくしてくれる。でも、一人でこの世界に来てしまったようで、私は寂しかった」


 そういうことか。実際それは、かなりきついことなんではなかろうか。

 俺のような成熟してしまった大人なら、割り切れることも多々あるだろうし、何なら意識を持って生まれ変わりたいと思っている奴も多いだろう。

 しかし今までのレティの話し方なんかから考えるに、まだ子供だったであろうこいつには相当堪えたはずだ。


「そんな時、お兄さんと出会った。すぐに分かった。お兄さん、日本のことたまに言ってたから」

「お前も日本だったか。じゃあ、俺がいい加減なことばかり言っていたのも知っていたってことか」

「うん。スピシーやメルトに、いつも嘘の知識を教えてた。笑える範囲の嘘だったから何も言わなかったけど、私はいつもローブに顔を隠して笑ってた」

「そうだったのか。これからは気をつけないとな……」


 何だかちょっぴり恥ずかしい。

 あ、でも俺は嘘なんてついていないぞ。ちょっとばかし、誇張した表現をしていただけだ。


「お兄さん。私の知ってるエンジさんとは、別人のはずじゃ?」

「お前な……」


 レティはくすくすと笑う。

 お前、今それを持ってくるのかよ。正直このタイミングにはやられた。

 言い逃れは、できそうにないな。


「スピシーやメルトには、俺が生きてること内緒にしておいてくれないか? 理由も、話せる時がくれば話すから」

「それは、分かった。私にも、お兄さんにあんな扱いをしていた責任がある」

「いや、お前は一番まともだったよ。三人の中じゃさ。理由も予想はできるし、お前を責めることはないぞ? さらに言えば、俺はあの件についてはもう気にしていない」

「うん、ありがとう。でも言わせて? 本当に、ごめんなさい」

「ああ。しっかり受け取った」


 ずっと胸につかえていたのか、レティは少し晴れやかな顔をした。

 今言ったことは嘘ではない。俺は本当に、気にしていないのだがな。

 それは、スピシーやメルトに対してもだ。


「二人だけの秘密、嬉しい。でもね、いつか私以外の二人にも会ってあげて? あの二人も、お兄さんがいなくなってから元気ない」

「いやぁ、それはないんじゃないか? 特にスピシーなんかは……原因は、別にあると思うぞ?」

「ううん。そんなことない。私には分かる。理由は話さなくてもいいし、すぐにとは言わない。ただ、いつか会ってあげてほしいの」


 レティが真剣な表情で見つめてくる。

 そうか、あの二人がな。俺はまだ、あの二人については半信半疑なのだが、いつかまた……な。


「んー、あいつら二人の件はともかく。お前のこと、もっと早くに教えてくれよ。そうすりゃ俺も」

「私は、今のお父さんやお母さんも好き。この世界も好き。だから、勇者として一緒に旅をしていた時は言わなかった。何だかそれは、裏切りのような気がして」


 こちらと向こう、どちらの世界の両親もレティにとっては大事なんだな。


「私、お兄さんと会えて嬉しかった。向こうでは知り合いでも何でもなかったけど、それでもこの世界で一人じゃないって思えたから」

「そっか。俺も今、少し嬉しいよ」

「うん。でも、お兄さんはいなくなった。まだまだお話したいことがたくさんあったのに、私の前からいなくなった」


 何だか、こいつには悪いことをしたなと思う。

 知らなかったから仕方ないとはいえ、心情を考えるとな。


「会えるはずのなかったお兄さんとまた会えた時、私は本当に嬉しかった。次は、もう絶対に離れないでおこうと思った。なのに、今度はお兄さんの命が……」

「それが今回、俺に話した理由か?」

「うん。ずっと後悔してた。何で話さなかったんだろう、何でもっとうまくできなかったんだろうって。別にこのことを話しても、私が今のお父さんとお母さんを裏切ったことにはならないのに。これからも、大切にしていけばいいだけの話だったのに」


 そうだな。裏切る裏切らないも、こいつの心一つで決まる。

 言い方は悪いが、こいつの両親からしたら前世の記憶があるというだけで、大したことではない。

 レティは間違いなく、この世界で、その両親の元に生まれたのだから。


「お兄さんには知っていて欲しかった。私の事。ねえ、お兄さん。死なないでよ。死んじゃ、やだよぅ……」


 レティは俺の胸に体を預け、泣き出してしまった。

 ずっと溜め込んでいたものを吐き出し、秘密にしていたことも言えた。

 これから、これからだというのに、今度は俺の命が消えようとしている。

 薄暗いロビーの中、何も言うことができないまま、レティが泣き止むまで頭を撫で続けていた。


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