第71話 入院生活
今日も今日とて、病院に缶詰。朝の定期検査以外何もやることがない俺は、院内の見回りをしていた。
――よお、今日もバインバインだな。いつもありがとう。
――お、その下着中々セクシーじゃないか。よく似合っているぞ。
――あれ? 何それ? 何履いてんのそれ。もっとよく見せてよ。
――君は、素晴らしいお尻を持っている。誇っていいことだよ、それは。
朝の日課が終わる。今日も異常なしだな。
病院内をぐるっと一周し、見かけた人には声をかけていく。こういうコツコツとした活動が実を結ぶのだ。
勤勉な俺のおかげで、今日も病院に平和が訪れる。
「……何? あの歩くセクハラ男は?」
「ほら、最近例の病気で入院した、確かエンジさんよ」
「ああ、あの。じゃあもう、一月も経たないうちに?」
「でしょうね。ま、少しくらいは見逃してあげましょう」
「そうねぇ。それにしても、あの病気って何なのかしらね? 壮絶な最後ってのは聞くけど、その場に立ち会ったことがないのよね」
「私もないわ。多分、院長を始め数人くらいしか見たことないと思うわよ。でも、あまり首を突っ込まないほうがいいわ。悪い噂も聞くしね」
「そうなの?」
「うん。跡形も残らず消えているっていうのが、どうもね。まあ、市長もかなり重く考えて下さっているみたいだし、そのうち何とかなるでしょ」
「ふーん」
毎日の大事な仕事である病院の見回りを終えた俺は、自分の部屋に帰ってくる。
すると、丁度ミウが服の前のボタンを外し、聴診を受けているところだった。
「おっと、こりゃ失礼」
ニコリと爽やかな笑顔を見せ、自分のベッドに戻る。
買ってきた本を開き読み進めていると、いつの間にか側には、朝の検査を終えたミウがいた。
「むー。お兄ちゃん? さっき私の裸見たでしょ?」
「ああ、見事な絶壁だったな。誰も山頂には辿り着けないだろうよ」
「そんなこと言っちゃっていいのかなぁ? 将来大きくなっても、触らせてあげないよ?」
「間違えた。将来性を感じる見事な蕾だった。きっと満開の花を咲かせることだろう」
「お兄ちゃん調子良すぎ~。でも、ふふ。楽しみにしておいてね!」
「ああ。俺がその甘い蜜、一番に吸ってやるぜ」
「や~ん、なんかエッチ~」
将来か……。今は快活に笑ってはいるが、ミウは夜中になると声を殺して泣いている。
それに、知ってか知らずかミウはよく自分が大きくなった時の話をする。
やっぱり嫌だよな。死ぬのは、怖いもんな。
でも、今の俺にできることは何もない。
せめて少しでも、ほんのちょっとの時間でも、ミウが起きている間は笑って過ごさせてやりたい。
「ねえ。またお兄ちゃんの国のお話、聞かせてよ」
「ん~。そうだなぁ。じゃあ、現代版シンデレラの話でもしてやるか」
「現代版? まず、シンデレラっていうのも私知らないけど……まあいいや! お兄ちゃんのお話は、どれも面白いから好きー」
「そうか? なら始めるが。あるところに、至って平凡なサラリドマンと呼ばれる男がいました。その男には、部長、課長、係長という、意地悪で金に汚く、ついでにちょっと臭い兄弟達がいました――」
……。
「十二時だ! そろそろ残業という魔法も……ん?」
寝たか。さすがにまだちょっと、社会の闇を教えるのは早かったかな。
ミウをベッドに運び、病室の窓を開ける。今日もいい天気だ。
サラリと柔らかな風が室内に入り、俺達を包み込むように融けていった。
朝の落ち着いた雰囲気とはうって変わり、今や病室は一触即発の様を呈していた。
病室には俺、ミウ、レティ御一行に、ツウルだ。
皆、見舞いに来てくれたことは素直に嬉しいのだが。
「何で私の夫の所にお前が来てうんだ。邪魔だ! どっかいけ!」
「私は毎日来てる。邪魔なのはあなたの方」
「夫の看病をするのは妻の役目だ! こえからは、私が毎日来る。もうお前は来んな!」
「嫌。まず、あなたとお兄さんは夫婦でも何でもない。あなたこそ、来なくていい」
「絶対行く!」
「いや、仕事行けよお前ら」
レティとツウルが、会って早々喧嘩を始めていた。
余程相性が悪いのか、初めて二人が出会ったあの日以来ずっとこんな調子だ。
「お兄ちゃんも大変ね~」
「分かるか? やっぱり、ミウが俺にとって一番だよ。大きくなったら、すぐに結婚しような」
「仕方ないわね~。いーよ」
二人の言い争いをしばらくミウと眺めていると、隣にいた爺さんが呟いた。
「姫様、楽しそうじゃのう」
「は? あれのどこが?」
「いいや。小僧は知らないだろうが、この旅が始まるまでの姫様はそれはひどいもんでのう。ずっと、塞ぎ込んでおったのじゃ」
「あいつが?」
俺とアドバンチェルで再会した時には、特に変わりないように見えたが。
長年付き添ったであろう爺さんにしか分からない変化か?
「小僧のその病気、何とかならんもんかのう……」
「俺にできるようなら、もうしているさ。それより、調査の方はどうだ?」
「順調、とは言えないのう。姫様もどこか上の空じゃし。小僧、無理を言っているのは分かるが、姫様を手伝ってやってくれんかのう?」
爺さんがそう言うと、ミウが不安そうな顔で見てくるのが分かった。
「日に日に、体の調子が悪くなっている。今はちょっと厳しそうだ」
「そうか」
「それに、俺には毎日可愛い看護師を眺める方が性にあってる」
「小僧……お主は一体、何をしにきたんじゃ」
「ま、そっちは大丈夫だろ。爺さんが助けてやりゃいいし、フェイもロックもいる。あの様子を見る限り、レティも問題なさそうだ」
「そうかのう。姫様が元気な時は、小僧が――」
「俺も、時間があるときに手伝うからさ。とりあえず爺さんはあの二人、止めに行ってくれ。今にも殴り合いが始まりそうだ」
「む。姫様ー! そのへんでおやめくださいませ!」
爺さんが介入し、病室に静けさが戻ってきた。
二人は睨み合ったままだったが、まあいいだろう。俺はフェイとロックを近くに呼ぶ。
「悪いな。レティの護衛を任せきりにしてしまって」
「それも、やぶさかではない」
「仕方のないことだよ。君は病気なんだ、ゆっくり休むといい。何か、僕達に話が?」
「ああ。ちょっと気になることがあってな。二人にやってもらいたいことがあるんだが、まだレティや爺さんには言わないでくれ。もしかしたら、厄介なことに巻き込まれるかもしれん」
「ふむ、分かった。その内容は?」
「それなんだがな――」
気になっていることについて、フェイとロックに話す。
その内容を聞き、二人は少々驚いているようだったが、快く引き受けてくれた。
「そういうことか、分かった。そうだとすると、あの話もしておいた方がいいかな。エンジ、この街の魔力税が昨日上がったよ」
「そうか。なら、急いだ方が良さそうだな。二人も頼んだぞ」
「任せてくれ」
「それも、やぶさかではない」
魔力税が上がったとなると、やはり市長が関わっているのは間違いないか。
しかし一体、何のために……。
「エンジ! 聞いてうの、エンジ! はいこれ! 私からのお見舞い!」
考えに耽っていると、ツウルがベッドの側に立っていた。
見舞いの品か、こいつは一体何を。
俺が渡された物、それは女性者の下着だった。
「何だこれ」
「あ、間違えた! そえは違うの!」
何をどう間違えるとこうなるのか。
異世界では、下着を男に渡すのが流行っているのだろうか。それはまあ、素晴らしい文化だな。
「後で洗濯しおうと思ってポケットに入れて、部屋を先に掃除しえたら忘れちゃってたの!」
「まあ、貰っとくけどよ」
「え、返してよ!」
伸ばしてきたツウルの腕を払うと、枕の下に下着をしまう。
これで夜もグッスリだ。安眠グッズだなんて、気が利いているじゃないか。
「それで? 他に何か持ってきたのか?」
「……本当に渡したかったのは、こっち」
もうあの品だけで満足しているのだが、と考えていた俺だが、ツウルが渡してきた物を見て目を見開く。
「これは、マジックファクトリーの設計図か?」
「うん。兄ちゃんの部屋にあったやつ。エンジ、知りたそうだったから」
「ああ、ああ! よくやったツウル! これは、お前のことも見直さないとな」
「じゃあ、明日結婚してくえる?」
「そういうことではない」
というより俺はもうすぐ死ぬのだが、こいつはそれでいいのだろうか。勢いだけで言っているんじゃないか?
設計図を見ているかたわら、俺の喜ぶものを渡せたことで、したり顔のツウルがレティを煽り、また言い合いになりそうな雰囲気だった。
おいおい、またかよ。お前らいい加減に――
「うっ」
「どうしたの!」
「お兄さん!」
「お兄ちゃん!」
「小僧!」
爺さんを除けば、まるでたくさんの妹に囲まれているかのようだ。
ふふ。こんな終わりも、悪くないかな。
「はあ、はあ……。なんだか、体がしんどい。俺はもう駄目みたいだ」
「お兄さん、生き返って!」
レティ、俺はまだ死んでいない。
「そんな! まだ会って一週間も経ってらいのに、私を未亡人にすうの!」
そう、まだ一週間も経っていない。未亡人も何も、俺とお前の間には何もない。
「お兄ちゃん! 死なないで! お願い!」
大人になったミウと結婚したかった。
「小僧! 許さんぞ! フサフサのまま逝くなんて許さんぞ!」
爺さん。多分俺、これから死ぬんだが? こいつら、死ぬ寸前にまでつっこみを入れさせんなよ。
ああ……本格的にだるくなってきた。この苦しさは、間違いなく死ぬ。もう、目も開けていられない。
「エンジー!」
「お兄さん!」
「お兄ちゃん!」
「小僧!」
「エンジ!」
「それも!」
意識は、そこで途絶えた。
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