第63話 少しずつ

「まずは自己紹介しておこう。ワシはヴェルター。そして此度お主らを雇ったのが我が主、ミルフェール王国王女、勇者の一人でもあらせられるレティ様じゃ」

「まだ痛む?」

「いえ、もう大丈夫です。だからそろそろ手を離していただけませんか?」

「もうちょっと」

「いえ、もう完治しております。痛みもありません」

「まだ腫れてる」

「いえ、おそらくそんなことはないはずですが」

「パンパン」

「いえ……」

「話を聞かんかぁ!」


 アドバンチェルの街を出発し、大きな馬車は先へと進む。

 馬車に乗っているのはレティとヴェルター爺さん、俺を含め護衛の男が三人だ。

 全部で五人だが、座席部分に座っているのは四人。じゃんけんに負けたフェイは、馬車の操縦役。

 出発前、護衛の誰かは外にいた方が都合が良いだろうという話になったのだが、それで負けたのがフェイだった。

 ちなみに俺は、じゃんけんに参加していない。レティがそれを許さなかったからだ。

 代わりに送られた爺さんが、何でワシ!? と狼狽えていたが、レティの譲らない表情を見ると諦めてじゃんけんをしていた。

 ま、負けたのはフェイだったが。


 そんなこんなでようやく街を出発した馬車の中、爺さんに蹴られ、さらにはサラに殴られた俺の頬をレティが治療してくれていた。

 レティは頬を両手で包み込むようにして治療を始めたのだが、すでにその体勢のまま五分ほどが過ぎようとしている。

 いい加減手を離させようと説得していると、爺さんが大声を出したのだ。

 俺はその声にビクッと反応しただけだったが、レティは少し泣きそうな顔になっている。


「ひ、姫様のことではございません! この小僧に言ったのです!」

「言い訳は見苦しいぞ爺さん。どちらにせよ、姫さんを驚かせたことに変わりはないだろ」

「ぬ、ぬぬぅ。そうなのじゃが、それもこれも貴様が――」

「全く、血圧の高い爺さんだ。血管が切れても知らねえぞ?」

「貴様ぁ……覚えておれよ」


 ギラギラとした目を向けてくるが、ここにはレティがいるので暴れられないようだ。

 俺はそんな爺さんに向けて、ニヤリと悪い笑顔を作る。


「まあいい、自己紹介だったな。俺の名前は――」

「エンジ」


 自己紹介の途中で、レティが遮ってくる。


「だから、人違いだと言っているでしょう? ギルドに登録した名は仮の名だったのです。本当の名前は――」

「エンジ」

「そう、エンジというのです。って何でや!」


 くそ。乗りやすい体質を利用された。

 何で偽名も実名もエンジなんだよ。おかしいだろ。


「やっぱり、お兄さんだ」


 嬉しそうにレティは微笑む。


「はあ、分かりました。それでいいです。もうそれでいきます」


 意気消沈した俺は、席に座り込む。

 次に、隣に座っていた体の大きな護衛の男が口を開いた。


「俺はロック」


 ん……。え? 終わり? まあ、いいけどさ。


「フェイと申します! 宜しくお願いしますね!」


 話を聞いていたのか、前の方から爽やかな声が聞こえてくる。

 あいつとこの男の位置、逆の方がよくないか? 何となく、空気的にさ。


「ふむ、ロックにフェイだな。今回の旅、少々厄介なことになるやもしれんがよろしくの」

「任してくださいよ!」

「それも、やぶさかではない」

「俺は?」

「うむ。A級冒険者二人、さすがに心強いぞ」

「おい爺さん、俺は? 俺はどこいった? やっぱりその目、腐ってんじゃねえか? おい、見えてるか? おーい」


 俺が何を言っても、爺さんは反応しなかった。――ちっ、徹底的に無視するつもりか?

 不貞腐れ、外の景色を眺め始めると、突然立ち上がったレティが膝に座ってくる。


「こっちの方がいい」

「姫様!?」


 さすがの爺さんも、レティの行動は無視できなかったようだ。

 俺は爺さんの方を向くと、再びニヤリと悪い顔をする。


「ぐ、ぐうう……」

「俺は、爺さんにとっていないことになってるんだろ? 空いてる席に座るのは姫さんの勝手だ。まあ、あんまり深く考えるなよ。ハゲるぞ?」

「貴様ぁ! 許さんぞ! ワシのふさふさの髪が抜けることなどない! これから死ぬまで、フッサフサじゃ!」

「おいおい、夢見がちなハゲはこれだから困る。爺さん、前の方が随分と綺麗なMになってるぜ?」

「大丈夫だもんね! ワシ、トリートメントだってしっかりしてるもんね!」

「何がトリートメントだ、格好つけるな。それにあんなもの関係ない。いくときは一気にいくんだよ」

「……いいな」


 俺と爺さんが言い合っていると、レティが羨ましそうな声を出していた。


「姫様!?」

「気をお確かに! こんな爺さんとの会話、何もいいことなどございません!」

「おい貴様! それは聞き捨てならんぞ! ワシのどこがいけないんじゃ! ワシのどこがハゲなんじゃ!」

「髪を流して誤魔化そうにも程があんだよ! 太陽の下に出てみろ。地肌が光に透けてるぞ?」

「マジかよ! おい! 今すぐ馬車を止めろ! ちょっと確かめてくる!」

「……いいな」


 外に飛び出そうとしている爺さんを必死に止めていると、レティがまたもや驚愕の言葉を口にする。

 そのまま続けて言った。


「お兄さん。私も、爺と同じがいい」

「そんな、おやめ下さい! この爺さんのように、ハゲ散らかしたいなどと言うのは!」

「ワシは散らかしてはおらん! 綺麗に整備されておるわ! 道端の草も綺麗に刈り取っておるわ!」

「その草が大事だったんだよ! もう生えることのない、大事な草だったんだよ!」


 レティが首を振っていた。


「違う。私とも、同じようにお話して?」

「姫様……」


 レティの真剣な様子に、俺も爺さんも黙り込む。

 それは……俺のレティに対する話し方のことを言っているのだろうか。

 確かに、一緒に旅をしている時はこうではなかった。だが、今の俺はその時のエンジではない。

 エンジは、死んだことになっているのだから。


「おい、小僧。さっきのことはワシも謝る。だから、姫様の願いを聞いてやってくれ」


 爺さんが頭を下げ、謝ってくる。――おいおい、今更そんなことで、俺は。


「お願い」


 レティの声と表情からは、必死さが伝わってきた。

 それが何なのかは分からなかったが、この時の俺は根負けしてしまった。


「あー、分かった分かった。でもお前から言ったんだ。後で取り消すのはなしだぞ?」

「うん」


 そう言い切った俺は、レティの対面にどっかりと座る。


「ああくそ、爺さんのせいで喉が渇いたな。レティ、そこの水取ってくれ」

「うん」

「お、おい小僧! 誰が態度まで直せと言った! 姫様はそんなこと――」

「爺」

「姫様?」

「いいの」


 何が嬉しいのか、レティは少し微笑むとまた、テテっと俺の座っている方までやってきては膝の上に座る。


「爺さん、まあそういうことだ。あ、水飲むか? 肌が砂漠のように枯れてるぜ? おっと、それは元々だったな」

「ぐ、ぐぬぬぬ。ワシにはやはり認められん! 小僧、覚悟しておけよ! いつか貴様の痴態、姫様にも曝け出させてやる!」

「はいはい。出来れば早めに来てくれよ。髪が抜け切った後じゃ、誰だか分かんなくなるからな」

「ワシは認めん、認めんぞぉ!」


 馬車は進む。血圧の高い爺さんと、岩のような男。

 そして、少しだけ前の関係に戻った、俺とレティを乗せて。


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