第62話 出発前

 俺は今、冒険者の街アドバンチェルの出入り口にあたる門の側にいた。

 渋々と何者かの護衛依頼を引き受け、追い出されるように宿を出るとサラは言った。

 私は皆を連れてくるから、先に行っておいてと。

 嫌々ながらもその場所へ向かうと、すでに出発準備を整えた一台の大きな馬車があり、誰かが馬車の近くに立っていた。

 声をかけようと近寄ると、その誰かが振り向き目と目があう。レティだった。


 レティは俺の顔を見るやいなや、胸に飛び込み泣き出した。

 苛めた訳ではないし、人が大事にしていた物を捨てられ燃やされた訳でもない。

 心当たりというものがあるにはあるが、自信はない。

 もしそうであったなら、多少なりとも嬉しいのだけれど。今はそれよりこの状況を何とかしたかった。


「お嬢さん。申し訳ないのですが、おそらくあなたは人違いをしていらっしゃいます」

「え……」


 レティが人間違いをしている、という設定でいくことにした。

 顔を上げたレティは、俺の顔をまじまじと見つめる。


「多分、よく似ている人なのでしょうね。私はお嬢さんと会うのは初めてなのです」

「でも、この顔はエンジお兄さん」

「別人です」

「この声、エンジお兄さん」

「別人です」

「この匂い、エンジお兄さん」

「別人です。え?」


 匂い? 少し気にはなるが、今は置いておこう。


「私のこと、忘れたの?」


 レティの目がうるうるとし始めた。

 やめてくれ。そんな顔で見ないでくれ。

 ルーツのためにも、俺がここで認める訳にはいかないのだ。


「すみません。しかし私は、そのエンジという方とは別人なのです」

「別人?」

「はい。申し訳ございませんが、別人です」

「……アトム」

「鉄人です」

「やっぱりお兄さん!」


 再度嬉しそうな表情になったレティが、抱き付いてくる。――え? 何で?

 理由は分からないが、俺はまた振り出しに戻ってしまったようだ。

 どうやって説得しようかと右往左往していると、サラが何人かを引き連れこちらへとやってくるのが見えた。

 笑顔で談笑していたサラだったが、俺とレティを見て表情が変わる。


「あ、あんた!」


 一体、何をしているのよ――

 サラがそう言い切る前に、何者かが飛び出した。


「貴様! 姫様に何をしとるんじゃー!」

「うお!」


 白いお髭のダンディな爺さんが、俺に飛び蹴りをする。

 抱きつかれ、動くことのできなかった俺はまともに受けてしまい、地面をころころと転がっていく。


「姫様! お怪我はございませんか!?」

「私は大丈夫。でも……」


 蹴られた頬を手で押さえ、地面に倒れ込んだまま横目で睨む。――いきなり何しやがる、あのクソジジイ。

 頬を手で擦りながら起き上がると、そのクソジジイがつかつかと俺の側にやってきた。


「貴様! どこの者かは知らんが一体何をしておるんじゃ! この方を誰と心得る! 身の程をしれい!」

「あぁ? 俺はな――」


 反論しようと口を開きかけると、その前にレティが叫んだ。


「爺! やめて!」

「姫……様?」


 初めて聞くようなレティの大きな声に俺は驚くが、ジジイの方がもっと驚いていた。

 目は見開かれ、口は半開きになっている。そのまま天にでも召されてしまいそうだ。

 俺とジジイが何も言えないでいると、口を割ったのはサラだった。


「すみません! この者は、今回の護衛依頼を承りましたC級冒険者のエンジという者です。レティ様への蛮行、こちらでもよく言い聞かせておきますので、どうかお許しを!」

「こいつが~?」


 ジジイが値踏みするように、俺を睨んでくる。

 鼻で笑った。


「は! C級冒険者なぞ、もう必要ない! それに、姫様へやったことは到底許されることではないわ! この男は今回の護衛からは外すこととする。姫様も、それでよろしいですな?」


 ちっ。このジジイはむかつくが、俺にとってはそちらの方が都合はいい。このまま、帰らせてもらおう。

 そう思い、無言でジジイの横を通り過ぎようとすると。


「いや」

「姫様?」

「いや。お兄さんも、行っちゃ駄目」

「ひ、姫様!? こんな男のどこがいいのです!」


 ジジイが狼狽えていた。

 レティのその言葉を聞いて、怒ったふりをしていた俺も狼狽える。


「そうだ! 俺なんて必要ない! こんな役立たず、いても邪魔になるだけだ!」

「何であんたがそっちの立場なのよ!」


 サラが睨みつけてくる。が、無視だ。


「この者もそう言っております! さあ、そんなことはおっしゃらず、さっさと出発しましょう!」

「いや」

「そんな! C級冒険者の代わりなんていくらでもおります! 何なら、もっと人数を増やしても構いません!」

「そうだ! C級なんてそこら辺にごろごろいるぞ! だから俺のことは置いていけ!」

「だからあんたは……」

「いや」


 俺とジジイが結託し、レティを説得しようとするも、頑なに認めようとはしなかった。


「駄目。お兄さんが一緒じゃないと、私は行かない」

「姫様!」


 どうしたらいい。どうすれば、説得できるんだ。どうすれば、お家に帰れるんだ。

 何でこいつはここまで俺を……。

 ぬぬぬ、と俺とジジイが必死に考えを巡らせていると、サラの連れてきた冒険者の一人が、突如口を開く。


「あれ? お前さん、どこかで見たことあるなと思ったら、帝国の闘技大会でかなりいいところまでいってた奴じゃないか」


 余計なことを言う奴がいた。

 俺にとっても、どこかで見たことがある奴。A級冒険者のフェイだ。


「あれほどの戦いができる奴だってのに、まだC級だったのか。何だか自信なくすよ。優勝したのも、まだ学園生だって言うしね……」


 その言葉に反応したのは、俺でもサラでもない。ジジイだった。


「ほう、噂には聞いておる。今回の闘技大会は、とんでもない強者がわんさかいたとな。貴様、どこまでいったんじゃ?」

「多分、それは俺のそっくりさんで――」

「ベスト四です! こいつはこう見えて、準決勝までいったのです!」


 どう? 凄いでしょ? と、なぜかサラが自慢げにしていた。


「いや、あれは運がよくてだな」

「王国からも、腕のいいのが何人か出ていたはずなのじゃがな?」

「俺の対戦相手、皆腹を壊していたんだ。試合後はひどいもんだったぜ」

「はは! そういう君も中々ひどかったじゃないか。懐から、何十枚も女性の下着を取り出してさ。結局、あれは何だったんだ?」

「は?」


 おい、それ以上言うな。サラの顔が、とんでもないことになっているじゃないか。

 いくら貰ったって言ったって、怒るんだぞこいつは。


「ま、何はともあれ、こいつの腕は信用できますよ?」


 俺の肩に手を置き、フェイがぐっと親指を立てる。

 いや、違うから。俺は行きたくないんだよ。


「ふむ。気が変わった。貴様の同行を認めよう」

「何でだよ! 諦めんなよ! まだやれるって!」

「ただし、姫様には指一本触れるでないぞ!」

「ようし、分かった! そういうことなら話は早い。事故なんかで、触れてしまうこともあるかもしれん。俺は念のため、この街に残り護衛することにする」

「あんた、何言ってんの? どうやったらそんなことできるって言うのよ!」

「サラお前、祈りの力って信じるか? 俺は信じる。どうか、レティ様御一行に幸せが訪れますように!」

「意味分かんないわよ!」

「幸せ……」


 話の流れを黙って見ていたレティが、俺の手を握る。


「貴様! 言うてる側から! 触れるなと言っておるじゃろうが!」

「今のは違うだろ! 俺は何もやってねえ! ジイさん、耄碌しすぎて何も見えてねえぞ! 早くその目、交換してもらってこい!」

「人の目を代替品のように言うでない! ワシにはちゃんと見えておるわ! そっちのねえちゃんの胸が、頭より大きなこともな!」

「そんな奴いたらこえーよ! 頭よりでかい胸って、バランス悪すぎるだろ! 爺さんの目、もう消費期限過ぎてるから! サラの胸がそんなにあるはずないだろうが! お前が見えてるそれを、四分の一にして適当に丸めろ。それがサラの胸だ!」

「さっさと行けやー!」


 サラが俺を殴った。爺さんに蹴られた方とは、反対側の頬を。


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