第58話 カイルVSキリル

 俺がちょうど待合室に戻ると、カイルとキリルの二人が揃って出ていくところだった。


「お疲れ様、いい試合だった」


 と、カイルが一度肩を叩く。

 キリルは、簡単に負けを認めた俺をこっぴどく責めてくるのかと思いきや。


「仕方ありませんねぇ。あのような戦いを見せられては」


 そう言って、優しく労ってくれた。

 まあここまでは、全力で戦って良かったなであるとか、なんやかんやでいい奴らだよなと、感慨深いものを感じていた俺だが、驚いたのはこの後だった。


「エンジ君、頑張ったね。お疲れ様」


 近付いてきたのはストレ。だが、その雰囲気はいつもと違い、えらく落ち着いている。

 誰これ? 妹さんか何か? と思いつつも、口を半開きに開けストレを凝視する。

 そんな様子のおかしいストレが、さらに続けて言った。


「ルーカス君だっけ? 彼は本当に強かったね。でも……うん。カイル君とキリルも頑張ってね。どっちが勝つかは分かんないけど、決勝でエンジ君の仇、取ってよね」


 誰だお前と、突っ込む気にもなれなかった。多分、カイルとキリルも同じ気持ちだったと思う。

 言っていることは間違いではないし、何もおかしくない。ただ、仕草から声色、何から何まで普段のストレとは違っていたのだ。

 訝しげな表情をするカイルとキリルが会場へ向かったあと、部屋には俺とストレの二人だけがいた。


「んー。すでにかなり高いレベルの戦いだけど、ここからだね。あ、エンジ君。お水飲む?」


 カイルとキリルの試合は始まっていた。しかしストレの言うように、戦いはまだまだこれから。

 互いに相手の動きを確かめるような攻防で、様子を伺っている。


「ああ……」


 水を受け取る。

 何なのだろう、この得体の知れない感覚は。戦闘とは別の緊張が、室内に満ちる。

 何かを悟ったような澄まし顔。

 隣に座っているストレがいよいよ怖くなってきた俺は、無言でロープを取り出し、ささっと縛る。


「え、ちょっと。何これ? 何で縛るの?」

「いやだって、怖いだろ?」

「何が?」

「お前」


 カイルとキリルの戦いをよそに、俺とストレの間にも無言の火花が散る。


「もう~、エンジ君? 何を言ってるの? ささ、そのお水でも飲んで少しは落ち着いてよ」

「何か気持ち悪いな、お前」

「駄目だよ? 女の子にそんなこと言っちゃあ。お水でも飲んで、一息ついて?」


 元の性格でも気持ち悪いと言った覚えはあるが、今も相当気持ち悪い。

 よくは分からないが、とにかく変なのだ。

 横目でストレを警戒しつつ、水の入ったコップに手を伸ばす。


「あ」

「何だ?」

「ううん。何でも」


 俺はさらにストレを警戒しながら、水の入ったコップに手を伸ばす。


「あ」

「だから何だよ!」

「あ、い、いや……」


 全く、何なんだ。ストレを睨みつつ、手に持ったコップを傾けていく。

 そこで気付く。ストレの鼻息が、荒くなっている。そして、ストレが見ているのは俺ではない。

 アイマスクで分かり辛いが、手に持ったコップを凝視していた。


「くそ! そういうことか!」


 コップを地面に落とす。

 何とかぎりぎりのところで、水は飲まずに済んでいた。


「お前、この水に何か入れたな?」

「そ、そそ、そんなことないよ!」


 ストレの挙動が明らかにおかしくなっていた。

 ふと足元を見ると、水の落ちた場所が変色していく。

 俺はストレに、怒りの表情を向ける。


「う……。あーん! 失敗したぁ! 今ならうまくいくと思ったのに~!」


 ジタバタと暴れだすストレ。

 こいつめ、本性を表したな! と、暴れるストレを捕まえ話を聞くと、こういうことだった。

 この街に着いた初日、ストレが怪しげな商品、確か惚れ薬と呼ばれる物を買っていたのだが、それを俺に飲ませようと虎視眈々と狙っていたそうだ。

 しかし、機会は中々訪れない。まず、俺がこいつから貰ったものを口にしなかったからだ。

 そこでこいつは考えた。

 優勝して舞い上がっている時、もしくは敗退し、心が弱くなっているであろう時、その時ならいけるのではないかと。

 そしてその時は訪れた。わざわざあの変な性格を作って登場したのも、俺を自然と慰められるように、油断させるようにと配慮した結果だったらしい。


 馬鹿だろ。やっぱりこいつ馬鹿だろ。

 油断するどころか警戒したわ。むしろそれで気付いたわ。

 もしかすると、魔族あたりが化けているのではないかと疑ったりもしたが、全くそんなことはなかった。

 ああいや、魔族ではなかったが、こいつはもはや敵だろ。

 惚れ薬も駄目だけど、こんなのもう毒じゃん。飲んだら多分死ぬからね? 毒殺だからね?

 もう一度視線を下に向けると、すでに床の部分は黒くなっていた。

 うーうーと、何かを言って騒いでいるいつものストレに戻りなぜか少しホッとする気持ちと、呆れる気持ちが混ざり、俺は溜息をつく。


 ストレをロープで縛ったまま天井に逆さ吊りにした後、俺はまたカイルとキリルの試合を見始めた。

 試合は中盤。キリルが一回戦で使った魔法、ニードルワークを展開したところだった。


「ふふ。あなたの場合、ハードがいいかしらねぇ」


 カイルが手を伸ばし、魔力糸の強度を確かめる。今回キリルが選択したのは、固く伸びることのないピアノ線のような魔力糸。

 確かにあれなら、カイルの持ち味である速さを大幅に削ることができる。

 カイルの速さであの糸に突っ込んだなら、体がそのままちぎれてしまいそうだ。


「ふぅん。こういうこともできるのか。でも、こっちの方が分かりやすくて、俺は助かるぞ?」

「分かっていても辛いでしょう?」

「まあな」


 ナイフを両手に一本ずつ持ったカイルは、糸を避け、時に断ち切りながらも応戦していく。

 だが、得意の速度を殺されたカイルは、徐々に徐々に追い込まれていった。


「あはは! どこかの魔族にはとてもできない、流麗な動きですねぇ。でも。スパイダーネット!」


 蜘蛛の巣のような張り巡らされた魔力糸の塊が、カイル目掛けて飛んでいく。


「ちくしょう、避けらんねぇ!」


 ついにカイルは捕まってしまった。

 体を動かそうとはしているようだが、動けないでいる様子。


「よく頑張りましたねぇ。勝負ありです」

「まだ、それは早いんじゃないか? 腕一本なら動かせるぞ?」


 糸の隙間からカイルの右腕が突き出ていた。だが、動かせるのはその部分だけで、他は完全に絡めとられてしまっている。


「腕一本で何ができるというのかしらぁ?」

「へ、こいつさえ動かせれば、十分さ!」


 カイルはそう言うと、その手に持っていたナイフを放す。

 放たれたナイフは、地面に落ちることなくそのまま宙に浮いていた。


「舞え、ダンシング・ナイフ」


 宙に浮いたナイフが、まるで意思を持っているかのように動き出す。そして、カイルを捕らえていた糸を断ち切った。


「だろ?」

「くっ、しぶとい男ですねぇ。いいわ。そんなナイフ一本動かせるくらいじゃ、どうにもならないことを教えて差し上げます。……ドールプレイ」


 キリルの膝ほどの背丈の人形が現れ、魔力を流し込まれる。

 一言で言えば、不格好な人形だった。着ている服のサイズは合っておらず、身に着けている手袋なんかは糸が解れたりもしている。

 その人形は地面に立つと、軽快な動きでキリルの周囲を走り回っていた。


「なんだその、へたく――」

「この人形が身に着けているのは、私が弟のために作った手編みのセーターと手袋です」

「……そうなんだ」


 へたくそと思ったことは、胸にしまっておこう。

 カイルも俺と同じことを思ったようだが、すんでのところでとどまっていた。――いや、ほとんど言っていたか?

 キリルはその不格好な人形を、愛おしそうに眺める。

 何か理由があるのかもしれないが、それは今、気にすることではないか。


「ふふ、この子は結構強いのよぉ。試してみる?」


 人形は、キリルから一本の小さな剣を受け取るとカイルの方を向く。

 じっと見つめていたかと思うと、凄まじい速度でカイルに襲いかかった。


「な!?」


 力こそそれほどではなさそうなものの、速度や剣の技術はカイルと同程度に見える。

 魔法を使えないことを考えるともちろんカイルの方が強いのだろうが、魔力糸が張り巡らされた舞台の上では、大きさの有利もあるのかやや人形が押していた。


「ちっ……風の刃よ!」


 カイルが魔法を放つと、人形はくるくると後ろに回転しつつ距離を取った。

 同時に切られていった魔力糸も、キリルが魔力を込めると瞬時に元踊りに。


「どう?」

「まあまあ、かな」


 まあまあなんてものではない。かなり強いじゃねえか。

 キリルを相手にしながらあの人形を相手にするのは相当厳しいはず。

 だが、ニードルワークにドールプレイの併用。キリルの魔力も、消耗している。

 現に今、キリルは少し息を乱していた。カイルにとって、キリル本体がそこまで攻めてこないってのは救いだな。


「キリル、さっきお前動かせるナイフは一本って言ったよな? だが残念。俺のナイフは一本じゃない」


 カイルはそう言うと、一本また一本と、ナイフを宙に投げていく。

 最終的に、その数は数十本に及んだ。

 数十本のナイフが、カイルを中心として縦横無尽に動き回る。魔法の目が捉えているのは風の魔法。

 あれらを全て操っているのだとしたら、これまた凄い技術だ。

 ただ風にのせるだけでも難しそうなものだが、それをあの数。風魔法を極めているカイルにしか、あんな芸当できないだろう。


「お互い、ルーツ坊に切り札を見せちゃったがいいのかよ」

「ここを勝たないと意味はありませんからねぇ。それに私は、あなたとは全力で戦いたいと思いました」

「悪いな。それでも、勝つのは俺だ。ダンシング・ナイフ!」

「お戯れを。ニードルワーク! ドールプレイ!」


 カイルとキリルの全力がぶつかった。

 まずはカイルが走り出した。行く手には、魔力糸と人形、そしてキリルだ。

 どうするのかと思っていると、カイルは張り巡らされた糸を避けることなく突っ込んでいく。

 走る、走り抜ける。

 幾重にも張り巡らされた魔力糸だが、カイルの周囲をヒュンヒュンと舞っているナイフが全てを切っていく。

 今から修復したところで、カイルはすでに通り過ぎたあと。


「スパイダーネット!」


 カイルが一度捕らわれた、蜘蛛の巣状の糸の塊が放たれる。だがそれでも、カイルの勢いは止められない。

 真正面から蜘蛛の巣に突っ込みバラバラに切り刻むと、また駆け抜ける。

 蜘蛛の巣を抜けた先に現れたのはキリルの人形だ。

 カイルのナイフを潜り抜け、持った剣がカイルの頬をかすり、肉を削ぎ落としていく。

 それでも、カイルの勢いは止まらなかった。


「悪いな、後で直してもらえ」


 カイルと人形が交差すると、人形は胴から真っ二つになりその場に崩れた。

 そして風になったカイルが、そのまま舞台を駆け抜け、キリルの喉元に刃を向けていた。


「はあ、はあ。少しは、見直したか?」

「う、私の負け……ですねぇ」


 勝ったのは、カイルだった。


「準決勝第二試合! 決着~! 俺には早すぎて何が起きているのかあまり分からなかったが、素晴らしい戦いだったということはビンビン伝わってきた! 息を飲むとはこういうこと。一試合目に勝るとも劣らない激闘を制したのは! カイル選手ー!」


 わーと観客の盛り上がる中、キリルはぺたんとその場に座り込んだ。


「まさか、私を打ち負かすことのできる男が、いるなんて……」

「正直、相性が良かった」

「いえ、負けは負け。私は、あなたのことを認めていますよぉ。次も勝ってくださいねぇ」

「ありがとう。任せろ」


 そう言って、カイルとキリルは握手をした。

 ニっと笑うカイルに、キリルも微笑みを見せる。

 しかし、まだもう少しこのままでいたいと言うキリルを残して、カイルが歩き出したその時だった。


「死ねやぁ! 女ぁ!」


 顔を包帯でぐるぐる巻きにした男が舞台に飛び出し、キリルに襲いかかっていた。


「……え?」

「キリル!」


 その凶刃は、キリルには届かなかった。カイルが間に入り、それを止めたからだ。

 巻かれていた包帯が飛ばされ、キリルを襲った男の顔が露わになる。


「お前は……キリルに負けた、魔族、か」

「カイルさん!」


 それを見た俺とストレは、控室から飛び出していく。

 こんな時まで緊縛プレイで遊んでいたストレが、少し鬱陶しかった。

 場内に駆けつけた時、観客席にいたイオナズとベギラゴ兄弟が舞台に乗り込み、その魔族を灰にしたところだった。

 しかし、まずいのはそこではなかった。


「エンジさん! カイルさんが……カイルさんが!」


 カイルはキリルを庇った際、魔族の持っていた剣で脇腹あたりを刺し貫かれてしまっていた。

 ストレが慌てて治癒魔術をかけ始めるが、血はどくどくと流れ続ける。


「カイルさん! カイルさん!」

「痛ぇ。そういやキリル、弟がいたんだな。そいつは今、どうしているんだ?」

「あの子は、三年前に死にました……」

「ああ、そりゃ悪いことを聞いたな。すまん」

「謝らないで下さい! 大丈夫です! 私はもう、気持ちの整理は済んでいますので。それよりも喋らないで! あなたまで死んでしまったら、私」

「多分大丈夫だって、うん。それよりさ、服に穴が開いちまったよ……お前、裁縫が好きだって言ってたよな? 直しといてくれないか」

「直します、直しますから。お願い……」


 普段からは考えられないような狼狽えぶり。

 キリルは切羽詰った様子でカイルの手を握り、涙を流していた。

 その後、運ばれていくカイルに付き添いキリルも走っていく。

 カイルの治療のため、手を血でベットリと濡らしていたストレの頭をポンポンと撫でると、カイルの無事を祈った。


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