第53話 百獣の王

 何だあの、ふさふさのタテガミ。あれ髪の毛か? セットしなくてあれなのか?

 ライオンじゃん。オスライオンじゃん。マジかよあいつ、絶対強いわ。

 カイルもそう思うだろ? 俺はカイルに視線を向ける。


「あいつ、やべえな。いかにキリルといえども、ここまでか。俺も明日に向けて、作戦の練り直しだ」

「やっぱ、そう思うよな。だってライオンだし」

「ライオンだからな……」

「エンジ君。予選でも似たようなこと、言ってた気がするよ?」


 三回戦最終の、第四試合が始まろうとしていた。

 我らがキリルに相対するは、百獣の王ライオン、に似た男だ。

 金色のフワっとしたタテガミ、のような髪の毛に野性的な顔。ここからではよく見えないが鋭い爪と牙を持っている、に違いない。いやきっとある。

 遠目で見てもあの威圧感だ。近くにいるキリルなんかは、多少漏らしていてもおかしくない。

 しかし誰が責められようか。あんな男を前にすれば、誰だってそうなる。俺だってそうなる。

 道場破りをしようものなら、戦わずして看板を渡してしまうだろう。それほどの威容。


「カイル、着替えと風呂の用意だ」

「ああ。あいつが帰ってきても、何も言わず優しく迎えてやろうな。だがエンジ、ここには風呂はないぞ?」

「大丈夫だ。闘技場の端に、捨てられたドラム缶を見つけておいた。少し洗えば綺麗になりそうだったので、あれを使おう」

「オッケイ、そうしよう。俺はちょっと、外に行って薪を集めるか、買ってくるかしてくるな」

「頼んだぞ」

「任せろ」

「ん~。二人共、何を想像しているか知らないけど、そんなことにはならないと思うな~」


 ストレ、お前は本当に何も分かっていない。

 一流のホテルマンは、ありとあらゆる配慮と準備を欠かさないもの。キリルお嬢様を何の過不足なく迎えるには、様々な準備に先を読む力が必要だ。

 全くこいつは。現に三人いるうちの二人が行動しているんだぞ? 間違いなんてはずがない。

 俺達がせっせと準備をしている中、戦いが始まろうとしていた。


「俺の名前はエンライオン! お前に予選で惜しくも破れた、ゴリゴーラの兄だ。弟を覚えているか?」

「あらぁ、それは災難でしたねぇ。でも私、強い方しか覚えていないの。あなたの弟に、心当たりはありませんねぇ」

「ふむ、まあよかろう。あいつもまだまだ鍛錬不足ということだな。しかし、俺が一言言っておきたい相手は他にいる。お前の仲間、好き好き大好……痛、舌噛んだ」

「エンジさん?」

「そう、そいつだ。俺はそいつに言いたいことがあったのだ」


 ん? 聞こえてきた声に手を止める。

 おいおい、あんな奴の恨みを買ったのであれば最悪だぞ。

 もしそうだとすれば、明日の試合は棄権し、早々にこの街を出て行く必要がある。

 俺はびくびくと震えながら、ライオンの次の言葉を待つ。


「好き好き大好……つ、いやエン何とか! お前が奇怪な行動を起こし、シャープさんに嫌がらせをしたあの一件で、予選から疑いが晴れる本戦まで、それはもうとんでもない嫌がらせをされ続けたのだ!」


 え? ああ。『エン』ライオンだから? エン何とか、俺以外にいたのか……。


「お前は変な名前で登録し、悠々と過ごしていたのだろう。だが俺は、そうはいかなかった。多少はこの帝都で名が知られている身。ご近所様の無視から始まり、石を投げられ、家の窓ガラスを割られ、さらに噂は広がり、道行く知らないやつからも誹りを受ける! あれほど、惨めな思いをしたことはない!」


 何だかすまん。でも、あれは俺ってより司会者のせいだろ。

 あと、お前は知らないだろうけどストレってやつのせいで……。

 頼むから許してくれ。怖い顔で吠えないで。目の敵にしないで。


「決勝で叩き潰す! 待っていろ!」

「あらぁ、それはお可哀そうに……でもあなたは、決勝までいけませんよぉ?」

「ふん。俺が貴様のような小娘に負けるとでも? 百獣の王の力を見せるまでもない。まずは、十獣の王の力からだ!」


 十獣の王って何だ。だがそれが本当だとすると、あの威圧感で十分の一の力!

 くそ、急がねば!


 ……。


「ただいま」

「ふー! ふー! おお、お帰り~。ちょうどいい、湯加減だぜ!」

「キリル、残念だったな。まあそう落ち込むな。相手が悪かったんだ」


 キリルが帰ってきた。

 俺とカイルは満面の笑みで、試合に負けたであろうキリルお嬢様を迎える。


「はあ? それにしてもこのお部屋、暑いですねぇ」


 それは、そうだろ。だってここは室内だ。湯気が充満するのは、目に見えている。


「何で、こんな所にお風呂? お二人の態度も、とっても気持ちが悪いですしぃ。何がどうなってますのぉ」

「はぁ。この二人はね、キリルが負けて帰ってくると思ってたみたいだよ。あと、試合中におしっこを漏らしたとか何とか」

「何から何まで意味が分かりませんがぁ、私、勝ちましたよぉ?」

「またまた~。キリルお前、またまた~」

「俺らくらいには、弱いところもみせていいんだぜ。仲間じゃねえか」


 俺とカイルは笑顔を崩さない。

 だってそれが、キリルの精一杯の強がりだって分かるから。

 だってあのライオンに勝てるビジョンが見えなかったから。


「何だか私、イライラしてきましたぁ。その仲間の強さを信じられないお二人には、ちょ~っとお仕置きが必要ねぇ――」


 シュバババババ。


「腹、減ったな。無事に全員勝てたことだし、飯でも行くか?」

「そうだな。おいストレ、いつまで遊んでんだ。ほんっとお前は、駄目な奴な」

「えぇ……」


 瞬時に真面目な顔に戻した俺とカイルは、キリルを伴い室内を出る。


「エンジ君! これ! これ、どうするの!」

「ああ? じゃあお前、入ってからこいよ。せっかく作ったしな」

「エンジ君それって……先風呂入れよ、っていうあれ? もうもうもう! 待っててね! すぐに追いつくから!」


 ……。


「るんるんるん~。ふふ、エンジ君の作ったお風呂気持ちいいな~。むふふ、エンジ君の作ったお風呂の後は、エンジ君と……きゃ!」


 風呂に入っていた一人の少女の元に、複数人の足音。そして、開くドア。


「む! 何だこの湯気は! 湯気で何も見えないぞ! どうなっている!?」

「あの通報は本当だったのか! 待合室で風呂を作って遊んでいる馬鹿がいるというのは!」

「湿気が、湿気が凄い! おい! よく見たら床が焦げてるじゃねえか! コラお前! 何やってる! 早く出てこい!」

「わ、わわ! 何してんのよ! エッチ!」

「何してんのはこっちのセリフだ! お前こんなことして……牢にぶちこむぞ!」

「ちょ、近づかないで! 人、人を呼ぶよ!」

「俺達は人に呼ばれてきたんだ! 観念しろ!」

「エ、エンジく~ん!」


  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る