第49話 再び
「盛り上がってるなぁ……」
先のルーツとイオナズの試合が終わり、闘技場内はすさまじい程の熱気に満ちていた。
それもそのはず。三年連続優勝者のイオナズが、全力で戦うところを見せただけでなく、まさかの敗退という結果に終わったのだ。
かくいう俺も、結構興奮している。
しかしそれはまた別の話。自分でも勝手なものだと思うが、俺の試合前にあんな戦いをしないで欲しい。
変に盛り上げられると、こっちが緊張するだろうが。
「盛り上がってますね~。あなたには、あのような戦いは無理でしょうね。まあ、誰も期待していませんからご安心を。だから早く行って、さっさと負けてきてください」
舞台までの道をゆっくり向かっていると、いつもの所に、いつもの表情で立っていた運営の人。
表情はいつも通りなのだが、言葉は刺々しい。
「もっと盛り上がれ、君のおっぱい」
「消えてなくなれ、あなたの股間」
ある一点を凝視しながら言った言葉に、運営の人も負けじと被せてくる。――うーむ。
「なあ、頼みがあるんだけどさ」
「はい。どうぞ」
俺が何かを言う前に、カバンを渡される。
何これ? と顔を伺うと、ツンと澄まし顔をした運営の人は、話したくないとばかりにそっぽを向く。
まあ、それでもいいが……分かっているだろうな? 俺の所望の品は、確かにこの中に入っているんだろうな?
カバンの中を覗き込む。おいおい、こいつ。少しは分かってきたじゃねえか。
カバンの中には、大量のパンツやブラジャー。所謂女性の下着がふんだんに詰め込まれていた。
いや待て、冷静になれ。俺にこれをどうしろと言うのだ? 違うだろ。
頼もうとしていたのは、目元を隠せるものだ。
人の視線が気になる奴も、サングラスなんかをかけるとマシになるだろ? ああいうのを期待してさ。
「これは、お前の?」
「はい。強引に縛られ、奪われ、あんな惨めな思いをするくらいならいっその事、捨てても良さそうな下着を渡してしまおうかと思いまして。洗濯はしっかりしてあります。どれでもお好きなものをどうぞ。どうせ後で捨てます」
何だこの女。試合が進む度に、どこかおかしくなってきていないか? それとも元々こういう奴だったのか?
俺は、使い道のない大量の下着をどうしようかと考え、そして。
「くれるというなら貰っておく。サンキュ」
カバンに入っていた大量の下着を、片っ端から懐にしまっていく。
俺が行動を始めると、運営の人は驚きに目を見開いた。
「ええ! 一枚じゃないのですか!? どれか使えそうなものだけをと、お渡ししたつもりなのですが!」
「いや、全部使うかもしれない。念には念を、だ」
全ての下着を詰め終え、一回り大きくなった体で気付く。
なんてことだ。俺としたことが、こんなに大事なことを忘れていたなんて。
不意に、体がガチガチと震え出す。
「ど、どうしたのですか!? 体調が優れないのですか?」
「寒い……寒いんだ」
「そんな! 風邪でしょうか? それとも、あなたのような男のことです。呪いの類でしょうか? もし本当に駄目そうなら、三回戦は棄権しますか?」
非常に引っかかる言い方だが、風邪でも呪いでもない。
俺は気付いた。ぬくもり……そう、ぬくもりが足りない。
こんなありふれた洗濯済みの下着では、心は温まらない。誰も着けていない下着なんて、何の価値もないのだ。
人肌のぬくもり。この下着には、それがなかったのだ。
憑き物が落ちたような顔で運営の人を見据え、ニコリと笑った。
「え……? ちょっとやめて。近寄らないで! ちょ、やめ……あんっ」
サンキュ。
「今思い返しても、素晴らしい戦いでした! 会場にいる皆の熱もまだ冷めないようだが、こうしていても仕方ねえ。そろそろ次の試合をおっ始めるぜ! まずは、すでに入場しております。グレイテラ帝国内では二番目の大きさを誇る街、ギガスマルからの推薦、ローフストビー選手! この選手、非常に攻守のバランスがよく、ここまでの試合もそのバランスで特に苦戦もないまま勝ち上がっております!」
バランスね。バランスがいい奴は優勝こそできないが、途中までは大体強いんだよな。漫画の知識だけど。
よし、行くか!
「お~っと、ここで入場してきました! 今大会のほとんどの珍事件は、この選手が起こしたと言っても過言ではないでしょう。好き好き大好きストレちゃんは俺の天使ちゃん(愛の大魔術師)選手!」
何かもう、そう言われることに慣れてきたな。もしかして、これがあいつの作戦だったのか? あいつ、ストレの……って、しまった!
そうだ、ストレ! 俺が何かを忘れたようにもやもやしていたのは、あいつのことだ!
目が覚める前にベッドに括り付けておこうと思っていたが、忘れていた。
「さーて、観衆の熱視線がこの選手に注がれます。今回は一体、どんな騒ぎを……いえ! どんな戦いを見せてくれるのでしょうか! シャープさんも気持ちワクワクしているように見えます!」
俺は周囲を見回す。いない、か? 良かった。まだ、起きていなかったんだな。
早くこの試合を終わらせよう。
「おっと、そうだった! 今回もこの実況席に、ストレちゃんを招いております! 何でも、目覚めたことがエンジ君にバレるとひどいことされちゃうよ~と言っておりましたので、個人的に私が匿っておりました! 満を持して、このタイミングで発表させていただきます!」
あの司会者め、余計なことを。
あいつが出てくると、おかしなことになるのが分からないのか。
上がりに上がっているはずの観客の女の子達の評価も、あいつがいると下がるんだよ。
「おや? ストレちゃん。その手に持っているビンは何でしょうか? 見たところ、何かの液体が入っているようですが」
「気付いちゃった? えへへ。これはね、エンジ君の……あ! これ以上は、さすがに言えないや! ゴメンね」
「ま、まま、まさかそれは、恋人の……」
「私も、さすがにそれは引くぞ……」
何だそれは! またいい加減なこと言いやがって! 俺があいつに何かを与えたことなんて、一度もないはずだ。
大体お前、今日はずっと寝ていただろうが! どうせ中に入っているのはただの水って落ちだろうが、あいつは何かを仕込んでおかないと死んじゃう病にでもかかっているのか?
「試合に集中できないか? なら、俺があいつを殺してきてやろうか?」
「あ?」
対戦相手である直毛サラサラヘアーの男が、物騒なことを言っていた。
何だこいつ……それに気配が少し妙だな。魔力の流れも、おかしいような。
「それには及ばん。お前を倒した後で、直々に相手をするつもりだ」
「俺を簡単に倒せるつもりなのか。くくっ、舐められたものだ」
漠然と感じる男の威圧感に、気を引き締める。
最後に厄介そうな奴と当たっちまったな。
「ビンの中身が非常に気になるところですが! それでは、いきましょう! 試合開始ぃぃぃ!」
開始の合図とともに、直毛サラヘア野郎が一歩ずつ歩き出した。
まあ、警戒していても始まらない。俺はいつも通り、無詠唱で魔法を放つ。
「RUN」
「おっと! 早いな」
直毛サラヘアは、何てことなしに一発目を避ける。
「続けて、RUN RUN」
さらに男を囲むようにファイアストームを展開する。だがそれも、服をほんの少し焼くくらいで、すんなり躱されていった。
さすがに、ここまで上がってくるような奴らは厄介だな。武器を持っていないところを見るに、魔術師タイプだとは思うのだが……。
男は不敵な笑みを浮かべたまま、立っているだけだった。
「エンジ君! 頑張って~! ふぅ、喉乾いた」
「ぬ……! ストレちゃんが、謎の液体を口にしたぞ~! 結局詳細は分からなかったが、色々と大丈夫なのか~!?」
外野がうるせえな。こっちは結構、マジにならないとまずそうなのによ。
「ん? やっぱり気になるか?」
直毛サラヘラはそう言うと、肩についた虫を払うように魔法を放つ。
それは俺に向けてではなく、実況席の方だった。
「ストレちゃん! その液体なんなの? 何でそんな美味しそうな顔をしてるの! 教えてくれ! ……ん、あれ?」
今にも実況席に魔法が当たるかという時、黒い影が飛び出した。魔法の盾を展開する。
「あー。ギリだな」
「エンジ君!」
「なんとなんと! ローフストビー選手が放った魔法は、私達がいる実況席を襲撃! なんという蛮行! なんという狂犬! だが間一髪! 好き好き大好きストレちゃんは俺の天使ちゃん(愛の大魔術師)選手が、私達を守ってくれました! いや助かった! 今回ばかりはお前さんを応援することにするぜ! あの不届き者を懲らしめてやってくれ!」
エンジ君、エンジ君と後ろのストレが悶えているが、今はお前に構っている場合ではない。
あいつ、何のつもりだ。
「おー。よく防いだな。今のスピードは……一体どうやったんだ?」
「は、自分で考えろ。それよりお前」
俺がそう言うと、目の前にいる直毛サラヘアが笑いだした。
「君の本気が見たくてつい、ね。ああでも、もう駄目だな。もう耐えられない。前の試合を見た時から我慢はしていたんだけど、限界だ」
直毛サラヘアが謎の身悶えを始めたかと思うと、その姿を変え始める。
頭の中心に一本の角を生やし、背中からは羽を生やした魔族の姿に。
「魔族……」
また出たよ、魔族が。すぐに姿を現しちゃう短気な魔族がさ。
ちょっと運営の皆さん、管理とかどうなってんのこれ? 結局、闘技大会に二人も出たじゃねえか。
しかもこいつ……ちょっと強そうだし。
俺はキリルのような自信を持ち合わせてはいないので、皆の力を借りようと叫ぶ。
「ま、魔族が出たぞぉ! 至急応援を――」
だが、実況席からのストレの声が俺の声を遮り、闘技場内に響いた。
「エンジ君ならできるよね? 私、信じてるから! ヴォイス君達もそんな焦らなくて大丈夫だよ! あの魔族はエンジ君が倒してくれるからね!」
えぇ……。本当にあいつは、いつも余計なことを言う。
何で? 皆で倒せばいいじゃん! 四方八方囲んで袋叩きにすりゃいいじゃん!
何なら、キリル先生にもう一回出張って貰おう。
俺がそう考えていることとは裏腹に、なぜか周りの雰囲気は魔族との一対一という形に落ち着いていった。
観客も二度目ということで慣れたのか、それとも闘技大会の参加者の力を信じているのかは分からないが、席に座り戦いを見守るつもりのようだった。
「へるーぷ! カイルにキリル! ルーカス君! 誰でもいいから来てくれ! へるーぷ! みー!」
虚しく響く声。こうして俺は、そのまま闘技大会の三回戦のような扱いで、魔族と戦うことになってしまったのだった。
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