第44話 波乱
「先程のご無礼をお許しください。まさかあのような名前で登録しているあなたが、あそこまで戦えるとは思ってもいませんでした」
「ん、ああ……」
闘技場からの歓声を背中で受け、歩いてくる男がいた。
その男、先の戦いでは危なげのない試合運びから、僅か一分にも満たない時間で対戦相手をくだしました。
聞こえてくる歓声。それは一部例外を除き、男への評価、賞賛、そして期待。
完全勝利と言っても差し支えのない戦いを見せた男。男は勝者のはずです。
余裕? 歓喜? それともすでに、次の戦いを見据えてでもいるのでしょうか。
いや、違う。その男からは気力というのか、何かそういった目に見えないものが欠落し、虚ろな目をしていました。
「まずは、一回戦突破おめでとうございます。好き好き大好きストレちゃんは俺の天使ちゃん(愛の大魔術師)様。……何だか、元気がありませんね。お疲れですか?」
「まあ、な」
私の言葉に顔を上げ、男は何かを言いかけます。
名前。あの女。と小さく呟いたあとは首を振り、途中で言うのをやめてしまいました。
首を一度横に傾けた後、私は続けます。
「二回戦も頑張って下さいね。私共でできることがあれば、なんなりとお申し付けください。出来る限りのサポートはさせていただきます」
戦いに行く前より随分と丁寧になったな。と、男は言います。
それはそうでしょう。男は、思っていたよりも強かった。
ただのおふざけかと思いきや、もしかしたらいいところまで勝ち上がるかもしれないのだから。
色々な意味で、注目しておくべき選手です。
その注目の選手は、私の顔をじとーっと眺めたあと口を開きました。
「分かった。さっそくだが、頼みがある。俺と付き合ってくれ」
「嫌です」
「そうか」
さすがにサポートの対象外。男はまた、一人で歩きだします。
最後に見た男の目に映る闇は、さらに深みを増していたような気がしました。
=====
「お、帰ってきたかエンジ。ご苦労さん」
「エンジさん、お見事でしたねぇ。始まる前こそあんなでしたが、あの様子ですとまだまだ余裕がありそうです」
迎えてくれたアンチェインの二人の言葉に、反応することができなかった。
考え事をしていたからだ。
あいつは一体何なんだ。何を考えている。何で俺が、こんな目に。
何で? どこで? いつから? 何で乳酸菌は、腸まで届くんだ? 乳酸菌ってそもそも何? 大体届くのはいいとして、それは腸で吸収されるものなのか? そこに届くまでは吸収されなかったのに?
違う違う。思考が脱線したな。今はストレのことだ。
何であいつは、俺を。
「エンジさん? また、引っ叩いたらいいのかしらぁ」
頭の隅でキリルの言葉を聞きながら、俺は古いテレビではない。デジタルな時代にそれはやめろとツッコミを入れる。
何も言わない俺に向かって歩いてこようとしたキリルを、カイルが止めていた。
今は放っておけと、首を横に振っているのが視界の端に見える。
しばらくの間考えるのをやめ、ぼーっとしていた。
誰かの歩いてくる音が聞こえ、話し声も聞こえてくる。
そこでようやく、意識にスイッチが入った。
「カイルさん、お疲れ様でしたぁ。無事、一回戦突破ですねぇ」
「おうよ。ま、そこまでの相手じゃなかったがな」
「カイル……お前、勝ったのか?」
「エンジ! また見てなかったのかよ!?」
いつの間にか、カイルの一回戦が終わっていた。
予選に続き、俺はまたカイルの試合を見逃したようだ。
「はぁ、全く。ほらよ。これで元気出せ」
そう言ってカイルが放り投げてきたもの。
それは、女性の下着だった。
「お前……これ」
「一回戦の相手だ。脱ぎたて、いや、脱がせたてだ。安心しろ。まだ若干幼かったが、結構可愛い顔をしていた」
普通は、幼い方がだめなのだが。
しかしカイル、お前は本当にいい奴だな。カイルの優しさが心に染み入る。
下着を握りしめた俺は、出てくる涙をその下着で拭った。
先程までは、その持ち主と共に戦いを繰り広げていたであろうその下着は、ほんのりと暖かかった。
俺は、元気になった。元気になったというのも少し違う。
ここまで長々と引っ張ってきたが、実はそれほど思い詰めてはいなかったのである。ただ、ぼーっとしていただけ。
ストレはあれでいつも通りだからだ。だからといって、許さないが。
冗談で言ったつもりではあったものの、運営の人が返してきた嫌ですという即答が、実の所一番効いている。
そんなどうでもいい個人の想いの裏で、闘技大会はさらに進み、一回戦最終試合であるキリルの試合が始まろうとしていた。
「いよいよグレイテラ帝国闘技大会も、一回戦最終試合までやってきました!
ここまでほとんどの出場者を見てきたであろう観客の皆さんには、一押しの選手がいるかもしれない。だが! それを決めるのは、この試合が終わってからにしてもらおうか! この試合にもとんでもない奴がいるんだぜ? まず紹介するのは! ここで登場、予選突破順位第一位! この場に全くそぐわないヒラヒラとした格好に、ピクニックにでも行くのかと思っている方も多いだろう。しかし! その実力は本物。格好とは正反対の凍てつくような雰囲気に、間違いなく人を何人も殺めてきたであろう鋭い目が、前髪から見え隠れしている! 個人的見解ではこの選手、陰湿で根暗なのだろうと俺の中で話題になっている! キリル選手!」
本当、言いたい放題だな。あの年になるまでよく生きたよ、あいつ。
司会者のキリルへのあんまりな言いように、俺とカイルは苦い顔をする。――火の粉が、こちらに飛んできませんように。
「対するは! お隣の国メルガモルからの推薦枠。去年の闘技大会ではベスト四入り! ジョッシュ選手だぁ! ……あれ? ジョッシュさん? ジョッシュさんて、こんなに老けてたっけ?」
人気があったのだろう。ジョッシュ! ジョッシュ! というかけ声が聞こえてくる。
だが観客も、司会者と同様のことを思ったのだろう。
ジョッシュってもっと若くなかったか? あれだれ? と、いったような声が、ちらほらと聞こえだしていた。
「まあいい! 人間一年も経てば、色々変わるさ! 試合開始ぃぃぃ!」
何かおかしな雰囲気だが、とにかく試合は始まった。
始めは、ちょっとした魔法の撃ち合いから。
小手調べが終わったのか、互いにもういくつか魔法を放つと、一度距離を取り一息つく。
この時点で、両者に差はなかった。
「おお~っと、ジョッシュ選手! 何とこの一年で魔法を習得していた! 一年経てば色々変わるとは言ったが、これは予想外だぞ~!」
司会者の話を聞くに、ジョッシュは元々剣で戦うタイプの選手のようだ。
しかし一年か……。
司会者や観客は、ジョッシュのあの魔法に彼の剣の技術がのれば、優勝も目指せるのではないかと興奮しているが。
「あなた、そこそこできるようですねぇ。まぁ、私には勝てませんが。外からは互角に見えているのでしょうが、分かっているのでしょう?」
「ちっ……」
キリルがそう言うと、ジョッシュは懐から剣を取り出した。
「出ました! 出ました! そうです。本来のジョッシュ選手が得意としているのは、剣を使っての近接戦闘! 先程の魔法とどう組み合わせていくのでしょうか! ……って、あれ? ジョッシュさんの剣て、あんなのだっけ?」
司会者が、試合開始前と似たようなことを言う。
元の剣がどんなのかは知らないが、えらく禍々しい形をしているな。
それにあの剣、どうやら何らかの魔法が込められている。――キリル、その剣には気をつけろ。
「おやぁ? ここからが、本気という訳ですかぁ。では、存分にやり合いましょう」
「……死ね」
ジョッシュの速度が、先程までよりも一段階上がる。
力を隠していたのか、と驚いているのは俺だけではないようだった。キリルの表情も少し歪んでいるのが分かる。
キリルに近付いた男が、剣を振り上げた。――なんだ? あの距離じゃ当たらないぞ?
男の振った剣はもちろん、キリルにはかすりもしなかった。何しろまだ剣の先から二人分は距離がある。
皆が疑問に思う中、男はそのまま剣を地面に叩きつけていた。
「……これは!」
地面に叩きつけられた剣を中心に、爆発が起こる。
キリルはすんでのところで魔法による障壁を張ったようだったが、それでもその威力と爆風で後ろに吹っ飛んだ。
「キリル!」
横にいたカイルが叫ぶ。今のは、少々まずいな。
キリルは無事なのかと俺も心配していると、幸いにもキリルはすぐに立ち上がった。
良かった。どうやらぎりぎり、魔法の展開は間に合っていたようだ。
しかし全身に擦り傷を負い、服はボロボロ。一安心はしたが、そうなると別のことに考えがいく。
キリルは魔法による防御をしていた。それでもあの有様だ。
だがあのジョッシュとかいう奴は、無事では済まされないのではないか?
そのことについて、カイルの意見を聞こうとすると。
「エンジ、様子がおかしいぞ」
そう言われ、カイルの方に向けていた視線を再び場内へと向ける。
爆風の中からは、無傷のジョッシュが現れた。だが、おかしいのはそこではない。
破れた衣服の背中側からコウモリのような羽、さらに頭には角。
「魔族だと!?」
ジョッシュは魔族だったのか? 違う。闘技場は静まり返っている。
俺がそう考えるのと同時に、場内は混乱し始めた。
「ま……魔族だー!」
「ジョッシュは魔族だったのか?」
「バカ、何言ってんだ! そんなはずないだろう! 早く逃げるぞ!」
「ジョッシュは魔族だった―! なんて言ってる場合じゃない! 皆さんは落ち着いて避難を! 闘技場に詰めている兵の皆さん! 魔族が出ました! 今すぐすっ飛んでこいコラぁ!」
今回ばかりは司会者も冗談を言っていられないようだ。いや、微妙にいつも通りか。
闘技場全体が見える実況席から、司会者が避難指示を飛ばす。
俺とカイルは、キリルのいる場内に向かって走った。
辿り着いた俺達が見たのは、魔族の正面で笑うキリル。俺達の姿を認めると、手で止まるよう合図をした。
「あーあ。お気に入りの服でしたのに、もう捨てるしかありませんねぇ。それよりエンジさん、カイルさん。私の戦いはまだ終わっていませんよぉ?」
「キリル選手! 逃げて下さい! これはもう、試合ではありません!」
司会者の声を無視し、キリルは魔族に向かって近づいて行く。
「あなた、魔族でしたのねぇ……それなら納得。さっきの爆発も、その姿でないと耐えられないのでしょう?」
魔族の男は何も言わない。が、何をしにきたのかは知らないが、隠していた姿を見せたからにはそういうことなのだろう。
「一回戦の相手にしては上出来ね。私とあたったのは、運が悪かったってことでぇ。見せてあげましょう、私の魔法を。発動! ニードルワーク」
キリルは魔族の男に対してではなく、なぜか上空に向かって魔力の塊を放出した。
宙に浮いた塊はすぐに弾け、一メートルはあるであろう魔力で作られた針が、雨のように場内へ降り注ぐ。
落ちてくる速度は、それほど早くない。
魔族の男も、針の隙間に入るよう避けていた。
「準備完了っと。あなたはソフトかハード、どちらがお好みですかぁ?」
魔族の男が地面に刺さった針を避けつつ、キリルに向かって走る。
それを見たキリルは薄っすらと笑うと、魔族から距離を取り逃げ始めた。
本気を出した魔族の方がやや早いのか、時々追いつかれはするが、事も無げにひょいひょいと攻撃を避けていくキリル。というより、わざと追いつかせているようにも見える。
「ああ……なるほど。あの女、やっぱり性格悪いわ」
魔法の目を持つ俺には、キリルのやろうとしていることが分かり呟いた。
「私ね、こう見えてお裁縫が結構好きなの。でも、不器用でね。いつも不格好な物ばかりできちゃうの」
「何の! 話を! している!」
キリルの動向を見守りつつも、ソフトにハード……それ、何の話ですか? 人が見ているところでやめて下さいよ。と、場違いなことを考えていた俺。
そんな中、状況は目に見えて変わっていく。
魔族の動きが最初に比べ、明らかに遅くなっていくのである。
「今回はあなたの苦しむ顔が見たくてソフトにしてみたのだけどぉ、やっと気付いたかしらぁ?」
「……ぐ、これは」
場内には、先程の地面に刺さった針を起点とし、薄く細い魔法の糸が目に見えないレベルで張り巡らされていた。
見ていた限り、糸自体は剣で切れるようだが数が数。
剣を触れる場所以外の腕や足、胴。糸は、絡まる一方だ。
針が落ちてきた時点ですでにいくらか糸が絡んでいたが、ここまで入念に絡めたのはキリルの性格だろう。
「魔族って凄い身体能力ねぇ。あれだけ動けるなんて。でも、そればかりに頼っていますと、こんな風に雁字搦めになってしまいますよぉ。このにぶちん」
「こんなもの、すぐに断ち切って――」
「もう無駄。バインド」
キリルがさらに詠唱を加えると、男に絡みついた糸に魔力が通り太くなっていく。
やがて、男の体は一つも動かなくなった。
「はい、おしまい」
キリルはそう言うと、俺とカイルに向かってウインクをする。
俺達二人からは、乾いた笑いしか出てこなかった。
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