第32話 少女の笑顔

 依頼達成。奪取率百パーセントは守られた。

 床に隠れ、状況を見守っていた俺は、混乱に乗じ神石を盗み出していた。

 人々の感心が沈みゆく街の方へと向かっている間、残された魔力を使い、神石を山の上に運んでいく。

 何も、精霊の湖のある上の方まで登らなくてもいい。人に見つからないような場所まで上がれば、それで。

 斜面が落ち着いた所まで登ると、どっこらしょと神石を置き、腰を落ち着ける。

 さて。ここからは、予定通りあいつらに運んでもらおう。


「おーい、エンジー」


 いいタイミングで、フェニクスが姿を見せる。


 ――あれが、ボスのボスですか? 

 ――なるほど、腕は利きそうだ。


「ばーか! ちげえよ! 俺様が、エンジの主だよ! ……あ、やべ。人の言葉で言っちまった。***! ****!」


 ――え! さすがです、ボス!

 ――人間をも支配しているなんて!


 フェニクス以外は、ピイピイキイキイと何を言っているのか分からない。

 森での痴話喧嘩であの森の主を倒したフェニクスは、この辺り一帯の新たなボスとなっていた。

 手下となった鳥の魔物達にはどうせめちゃくちゃ言っているのだろうが、今回は正直助かった。

 街に残っている人を運び出せたのはこいつの功績なので、何も言わないでおいてやる。


「あーはいはい。フェニクスさん、手はず通り頼みますよ」

「おう。お前ら!」


 フェニクスが声を上げると、鳥の魔物達が数匹掛かりで神石を運び出した。

 無事に運ばれていくのを見届け、そろそろ俺もと立ち上がると、斜面の下の方から聞こえてきた声。


「エンジ!」


 初めて見るような焦った顔。声の主はクリアだった。


「失敗したな」


 神の奇跡を起こせば、前回のように倒れると思っていたが……そうか。

 今回は、倒れるまで使わずに済んだのか。


「待って! そこから……そこから絶対に動かないで!」

「おいおい、無茶すんな」


 俺を、咎めにでもきたのだろうか? クリアは斜面を登り始める。

 ハラハラしながらも見守っていると、何とか俺がいる近くまで登ってきた。


「はぁ、はぁ。……何でなの?」

「あー。俺はな、盗賊なんだよ。この街にも盗みにきたんだ。観光なんかじゃない」


 ここまでくれば、隠していても仕方がない。


「違う。何でって、聞いたの。何で私を、置いて行こうとするの?」

「お前――」


 言葉に詰まる。そもそも連れていく理由も約束もないはずだ。

 クリアは、盗賊の俺なんかと一緒にいるべきではない。

 これからは、神の巫女としての責務もなくなり、自由に生きていけるのだ。


「そうだ、取引! 私との約束は、どうするの?」

「一緒に出かけるってやつか……悪いな」

「そんな」


 約束が守られないことを悟ったのか、クリアは悲しそうな顔をして俯く。

 言葉には出せず、心の中で謝ることしかできなかった。

 何も言わない俺に、クリアは必死な様子で話しかけてくる。


「あの、あのね。最初はね、意地悪するし、口は悪いし、何この人って思ってた」


 意地悪なんてしたかな? ま、こいつがそう言うなら、そうかもな。

 俺は苦笑する。


「今もね、思ってるよ。悪い人だって、ずるい人だって! でもね。楽しかった! 暇つぶしとか言いながらも、私に会いに来てくれるのが嬉しかった!」

「そうか」


 俺もお前のことは、変な奴だと思ってたぜ。

 だがまあ、それなりに楽しかったのは同じだ。


「私、あなたに会えてよかった」

「……エンジ。そろそろ行くぞ」

「ああ」


 耳に口を寄せ、フェニクスが小声で言う。――ここまで、だな。

 フェニクスの足につかまった俺は、浮き始める。


「あっ! 待って……待って! 私も、私も連れてっ……きゃあ!」


 クリアが風に煽られ、バランスを崩す。――ああ、くそ!


「クリア! こっちへ飛べ!」


 崖から飛んだクリアを、宙で捕まえた。

 二人分の重量に、目を充血させたフェニクスが必死に羽をばたつかせる。

 何かが飛び出しそうな気持ち悪い顔だが、それでも何とか、緩やかになっている斜面の岩場までクリアを運んでくれた。

 去ろうとする俺に、胸の前で手を握ったクリアは、何かを言おうとする。


「私ね。エンジのことが――」


 そこで、クリアはやめてしまった。

 目の前にいる俺は、どういう顔をしていたのだろう。

 クリアの目には涙が溜まり始めていたが、ぎこちなく笑うと口を開く。


「また……また、会える?」


 広い世界だ。偶然出会うのは、難しいだろう。

 何も言わない俺を見て、唇を震わせていたクリアの頭が下がり始める。


「捕まえてみろよ」

「え?」

「俺は盗賊。悪い奴なんだ。捕まえてみろよ」


 何となくだが、このままではいけないような気がした。


「取引だ。お前なんかに俺が捕まるようなことがあれば、何でも言うこと聞いてやる」

「……うん。うん!」


 約束とは言えない、約束を交わす。これで正解かは分からない。

 クリアはもう、泣いていなかった。


「その約束、絶対に忘れないで!」

「ああ……。お前こそ、もっと綺麗に笑えるように練習しとけよ。表情ブサイク」

「もう!」


 クリアは頬を膨らませた。

 かと思いきや、俺の胸に飛び込み顔を埋める。

 しかしそれも一瞬で、すぐに顔を離すと言った。


「じゃあ、エンジ……またね!」


 俺は、何も言うことができなかった。

 最後に見せた少女の笑顔に、違和感なんてなかったから。


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