第20話 白い少女

 宿のベッドから体を起こし、伸びを一つして準備をする。

 目的の街に着いたはいいが、まだ何を盗めばいいのかも分からない。

 最悪、失敗してもいいよな。だって俺、新入りだし。


「アイムソーリー、ヒゲソーリーってな」


 鏡の前で、さっと顎をひとなで。髭は濃い方ではないので、産毛が生えているだけだった。


 ……。


 宿から出発し街外れを歩いていると、一人の少女が俺の方を見ていた。

 少女がいる場所は小高い丘になっており、そこにあるのは一本の木だけ。


 俺よりは年下で間違いないだろうが、いくつくらいだろうか?

 幼い雰囲気はあるものの顔は整っており、白いワンピースに青いリボンのついた、これまた白い帽子を被っている。

 髪は腰に届くくらいの長さだが、髪の先まで真っ白。

 少女は木陰に座り、ただじっと俺の方を見ていた。


 何となく気になった俺は、少女に近付いていく。

 声の届く距離まで近付いても、少女は視線を逸らすことなく、ただずっと前を見つめていた。――何だ?

 俺も負けじと、見つめ返す。


 互いに無言で見つめ合う。そうしている内に、話すタイミングを失った。

 いや、これは戦い。先に声を上げた方が、負けなのだ。

 初対面の男との、気まずい空気を楽しめ。

 勝手に始めた面白くもない戦い。互いに動かずそうしていると、不意に風が吹いた。

 少女の帽子が、風に舞う。


「あ……」


 少女が声を出す。勝利は、いつも虚しい。


「帽子」


 足元に落ちていた帽子を、拾い上げる。


「遠くまで、飛ばなくてよかったな」

「あ……」


 ありがとう?


「誰?」

「気付いとらんかったんかーい!」


 下手な関西弁を叫びつつ、拾い上げた帽子を少女の反対側に思いきり投げ飛ばす。

 戦いは、始まってすらいなかった。

 振り向き少女の顔を伺うと、不安げな表情で風に舞う帽子を目で追っていた。

 そして溜まり始める、目に涙。――う~む。


 全力で走った。距離は十メートルってところだろうか?

 このままでは間に合わないと思い、ある魔法を使い急加速する。

 急加速した俺は、ふわふわと風に乗った帽子が地面に落ちる前に、何とか滑り込み拾った。

 ふうっと息を一つ吐き出し、ゆっくりと少女の元へ戻る。


「ぼ、帽子……」

「ああ」


 早く渡して、とばかりに少女が手を伸ばしてきたので、俺は何となく帽子を引っ込める。

 少女の手は、空を切った。


「……ん?」


 帽子を近づける。引っ込める。

 少女の手は、空を切った。

 無表情で見つめ合う俺達。少女の目には、また涙が溜まり始める。


「こ……」


 この野郎? 殺してやる?


「こんにちは?」

「挨拶ぅー!」


 再び帽子を後ろに投げ飛ばし、少女の反応を見た後、全力で走り拾う。

 フリスビーを投げては拾ってくる犬のようだった。この場合、飼い主も犬も全て俺なのだが。

 色々とずれている気はするが、挨拶すること自体は間違っていない。

 落ち着け、振り回されるな。いつもの俺、ハウス。


「ああ、こんにちは」

「あの、帽子返して?」


 若干怯えた声で、そう言われる。心外だ。最初から渡すつもりだったのだ、俺は。

 職業は盗賊だが、別に盗るつもりなんてない。やってみただけだ、さっきのは。

 安心できるようにと少し笑顔になった俺は、帽子を前に出してやる。


「ほら」


 しかしそんな気遣いとは裏腹に、少女はまた俺が手を引っ込めるものと思ったのか、逃さないとばかりに体ごと飛びついてきた。

 普通に返すつもりだった俺は、そのまま後ろに押し倒される形となる。


「ぐお! 何しやがる、てめえ!」


 胸の中にいた少女が、顔をあげる。

 少しだけ申し訳なさそうな表情をしたあと、口を開いた。


「また、意地悪すると思った」

「馬鹿! もっと人を信じろよ! 俺がそんなことするかよ!」


 全く、人を何だと思っているんだ。ちょっと帽子を投げたり、返す振りをしただけだ。


「……すると思う」


 今度は恨めしそうな表情をして、そう言われる。

 出会ったばかりのはずなのに、俺への評価は厳しい。

 初対面の人間を頭から疑ってしまう世の中に、憤りを覚えた。


「それで。お兄さん、誰?」

「俺はエンジ。ここへは観光にきた。お前は?」

「クリア。私は……ここに座っていた」

「そうか」


 いや知っている。お前がそこに座っていたのは。

 クリアと話していても、何の進展もない会話になりそうだと思ったが、せっかく知り合えたのだ。

 念の為、神の涙について何か知っていることはないか聞いておく。


「この街に来れば、神の力を感じられるって聞いたんだが本当か?」

「うん。皆そう言ってる。私は、いつもよく分からない」


 こいつは、神の奇跡を経験していないのか?


「じゃあ、神の涙ってものに心当たりは?」

「知らない」


 そうだよな。ま、予想はしていたけど。

 朝からそれとなく神の涙について調べていたが、これといった情報は出てこなかったのだ。

 この街に来てから調子がいいんですよ! とか。長らく使えなかった魔法が使えるようになりました! とか。

 怪しい広告のような話はちらほらと出てきたが、そんなものは絶対思い込みか何かだ。


 しかし、どうするか。神の涙は何かの比喩で、神由来の何々という感じでどこかに宝石でも飾ってあると楽なのだが。

 今夜の神の奇跡とやらに、期待するしかないかな。


「さっきの、凄かった」

「ん?」


 考え事をしていると、クリアが話しかけてきた。


「帽子。ビューン」


 ビューン、て。


「あれは、魔法で身体を強化しただけだ」


 別に隠している訳ではないが、正確には少し違う。

 身体強化魔法は存在しているが、俺の使ったものとは異なるのだ。


「私もやりたい」

「やめとけ。すぐには覚えられないし、魔力もある程度ないと使った瞬間倒れるぞ?」


 俺の使った魔法は教えてもできないのだが、身体強化の魔法であれば。

 そう思ったのだが、すぐに思い直す。少女から見える魔力は、微量だった。


「魔力……ある」


 腕のブレスレットを外し目を瞑った少女は、全身に魔力を巡らせ始める。


「へぇ」


 少女は、魔力を抑えていたのだ。理由は分からないが、あのブレスレットで抑えているのだろう。

 魔力量は現時点でも相当なものだし、初級魔法である身体強化くらいであれば、少し練習すれば覚えられるだろう。――しかし、なぜだ。


「魔力、ある。教えて?」


 俺は魔法の目に魔力を流し込み、教えて? と首を横に倒しているクリアを観る。

 道具で強制的に魔力を押さえ込むと、自身の許容量を越えてしまい、体に悪影響を及ぼすと聞いたことがある。

 突然、身体が爆発してしまうようなことにはならないが、普通に生活する分には、垂れ流す量より生成される魔力の方が多いので、問題はないはずなのだ。


「今のところは、大丈夫そうだな。だがお前、その魔道具は――」

「うん?」


 するとそこで、街の方から修道服を着た男が走ってくるのが見えた。

 恰幅がよく、ドスドスと音が聞こえてきそうな出で立ち。身なりは綺麗にしているが、頭は禿げ上がっている。

 男は俺とクリアの近くまでやってくると、焦ったような、怒ったような顔をして言った。


「こら! あれほど、そのブレスレットを外すなと教えただろう?」

「……でも」

「でもじゃない! あなたは神に選ばれた者なのです。そのブレスレットは、神の力が宿った神聖なもの。神の御前でしか、外すことは許されません!」


 あの、ブレスレットが? 俺の魔法の目には、特に変わったものには見えなかった。

 考えつつも、叱られているクリアの表情を伺うと、説教を聞きながらも助けてほしそうな視線をチラチラと送ってきていた。

 仕方ない。少し、気になることもあるしな。


「あのー」

「ん? 何ですか、あなたは?」

「昨日、この街にやってきた者です。神の奇跡とやらを、経験できると聞いたもので」


 クリアを止めるのに必死で、気付いていなかったらしい。

 ハゲ神父は俺に気づくと、人の良さそうな顔をした。


「お~。そうでしたか。あ、私はこの街の神父を務めているブライと申します」

「どうも」

「神の奇跡ですか。幸運にも、今夜がその日です! きっと、あなたにも神の奇跡が訪れるでしょう。楽しみにしていて下さい!」


 俺も経験できるみたいだな。

 正直なところ、神の存在なんてかけらも信じていない男だが、どうなることやら。


「それはよかった。遠い所から、はるばるやってきた甲斐があるというものです」

「ええ、ええ。ああ! あと、奉納金をお納めになるおつもりでしたら、出来る限り多く奉納されることをお勧めします」


 奇跡の力を強く感じられるってやつか。


「奉納金は、必要なのでしょうか?」

「いえ、必要という訳ではございません。ただ、神の奇跡を大きく感じることができると言われております」


 やはりそうなのか。

 俺が興味のなさそうな相槌を打っていると、ハゲ神父は照れくさそうに続ける。


「こんな、辺鄙な所にある街です。商売的な側面もあることは、否定できません。ですので神の奇跡が起こる当日、奉納金の多かった方については、優先的に神殿近くに行けるよう配慮しております。ああいや! 神の奇跡は、商売関係なく本物ですよ!」

「そうですか」


 この神父は、強引に入信を勧めるようなタイプだと思ったが意外とそうではないのか。

 俺が外部の者とはいえ、そこらへん正直なのは好感が持てる。

 それとも、奉納金なんて用意するつもりがないことを見透かされでもしたかな。


 続けて、神の奇跡に詳しそうな神父に話を聞くと、神に選ばれた巫女が奇跡の神殿とやらで舞を捧げた後、神殿に祀られている『神石』とやらに魔力を通すことで、神の奇跡が起こるのだという。

 さらには、奉納金を用意しようがしまいが、この街の中ならどこにいたって神の奇跡はもたらされるらしいのだ。

 気持ちの、問題なのだろうか? お金をたくさん払って食べる料理が、おいしく感じるように。

 しかし、神石ね。――もしかしてそれが、神の涙なのか?


「それで、その娘は?」


 クリアの方に視線を向け、聞いてみる。


「ああ。先程は、お見苦しいところをお見せしてしまいましたね。この娘が、神に選ばれた巫女なのです。神の奇跡を起こすためには、必要なこと、があるものでして……。巫女がブレスレットを身につけているのも、その一つです」

「へぇ」


 伝統のようなものがあるのだろうか? そうだとすると、俺には口が出せない問題だが。

 話が一区切りついた後、神父はクリアに向かって説教を再開した。

 もう一度視線を飛ばしてくるクリアだったが、今の俺にできることは何もない。悪いな。


「神は寛大です。ブレスレットも……ま、このくらいなら問題はないでしょう。今日は大事な日なのです。あなたには神殿にいていただきます」

「……はい」


 これからこの神父は、クリアを奇跡の神殿とやらへ連れて行くのだろう。

 クリアがブレスレットを腕にはめ、立ち上がる。

 この場で、俺にできることは何もなかった。何かしようとも、思ってはいなかった。だが。


「頑張れよ」

「うん」


 俺が後ろ姿を追っていると、少し歩き始めたクリアが振り返る。


「頑張ったら……。ううん。やっぱり、いい」


 クリアは何かを言おうとしたようだが、少し考えたあと最後には諦めた。

 その時のクリアの悲しそうな表情が、なぜか頭から離れなかった。


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