第4話 考
いつ死んでもいいと思っているが、死にたくはない。だから生きてる――
こういう考えを持っている人は、どのくらいいるのだろうか。
学生という身分が終わり、何とか就職し、社会人と呼ばれるようになった。
でも、ふと思うのだ。残りの人生って何だろう? あとはもう、消化するだけだろ? と。
二十そこそこの若造が、何を言っているんだって人もいると思うし、それはお前の視野が狭いだけだろって言う人もいるだろう。
お前は幸せだからそう思えるのだ。そう憤る人もいるかもしれない。
ああ、確かに。そう言われれば自分でもそう思うし、言われた時はしっくりくる。
一時はそれでも納得するし、こんな風に考える事なんて、普段生活している上では起きないんだよな。
それでも、根底には残り続ける。何でだろうな。
考えてみると、自分で出した、芽生えた、気付いた思いだからかな、と思う。
こんな経験がある。たくさん緊張して、考えて、練習なんかもして取り組んでいた就職活動。
思えば、あの時が一番最初だったような気もするが実際はどうなのか。
とにかく、あれほど頑張っていた就職活動だが、まず馬鹿みたいに感じた。
何でこんなに必死になんだ? この先、この行動を続けるとどうなる?
それで気づいた。自分は周りに流されて、何となく就職活動しているのだと。
就職活動しなければと、思わされていたという方が正しい。
ここまで悪い風に言ってはいるが、少なくとも俺はこの考えに救われている。悪い事だとも思っていない。
いつ死んでもいいと思うと、気持ちが楽になるのだ。逃げるという意味ではない。
多少の事では動揺もしなくなるし、悩みも大きくならない。それどころか、何でもできる気がしてくるし、明らかにそう思う前よりは、自分に自信も持てるようになった。
皮肉にも、そうなってからの方が人生うまくいっている。
うまくいっているのか? 考え方が変わっただけで、本当は何も変わっていないのかもしれない。
しかし、世界が変わったとは、こういう事をいうのだろう。
今思ったがあれだ。大きく広がる海を見てると、自分がちっぽけに見えるっていうだろう? あの感覚に近いかもしれない。
話は少し戻るが、俺はそんな考えを抱きつつもアルバイトは始めた。生きていくのに金は必要だったからな。
その次は正社員として就職した。それがIT系の会社だったのだが、それはまあ関係ない。
ちなみに、この二度目の就職活動の時は本当に驚いた。
焦りや緊張をほとんど感じる事なく、面接なんかでもしっかりと話せた。唐突な質問にだって答えられた。
この時はさ、何を言われても、何を失敗しても、もうどうせ会わない人だし関わらない会社なんだ、というような事を思っていたのだが、これも引いては、いつ死んでもいいという考えが、根底にあったからだ。
結果、一度目では全く引っかからなかった就職活動も、最初に受けた二、三社全てから内定が出た。
笑えるよな。特に後先考えず、その内の一社に決めた。
無気力だとか、達観しているとか、そういう事ではない。
娯楽の溢れた現代。何かに手を出せば、それはそれなりにやりがいがあるし、実際面白いと思うものもたくさんある。趣味だって、人より多い方ではないだろうか。
お金を稼げれば嬉しいし、そのための努力もする。上昇志向も持っている。
仕事が嫌いってわけでも、苦手ってわけでもない。むしろ何をやっても、ある程度まではこなす自信まである。
生まれも裕福な方だったし、親からも大事に育てられた。友達だって多い。
そんな考えは、誰しもが一度は持つということも分かっている。
自分だけがその考えに至ったと思い、周囲を小馬鹿にしたり、自身は特別なんだ等と思うのは、思春期くらいのガキの頃にはよくある話なのだ。
でも……違うんだよ。そういう事じゃない。
不安なのか? と言われれば違う。不満なのか? と聞かれれば、それも違う。
鬱であるとか、虚しいとか、無気力とか、それも全部全部違う。違うのだけれど。
答えは見つからない。
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