第2話 異世界召喚

 あ?――

 場違いな場所に立っていた。俺が立っていた場所は台所だったはず。

 室内を見渡してみると、まずその広さに驚く。天井も高そうだ。

 そして、そんな大きな部屋だというのに、清掃が行き届いているのが分かる。


「よくぞ来られた、異世界の者よ……」


 さらに、やたらに広いその場所は何もかもが豪華だった。

 足元には真っ赤な絨毯が敷かれ、背後の開かれた扉の先まで続いている。扉の先の通路には、見るからに高そうな壺や甲冑が並んでいた。


「うぉっほん。よくぞ来られた、異世界の者よ……」


 一体、俺は何でこんな所に。まだ寝ているのか? ここは、夢の中なのか?

 そうは思うが、これほどはっきりと思考できる夢は見たことがない。


「ん、んっんん! あぁ、落ち着くのだ皆の者。我の喉の調子がよくないだけだ。んん! よくぞ来られた、異世界の者よ……」


 意識しないようにしていたが、さすがに無視できなくなってきた。どう考えても、俺に向かって言っている。――異世界?


「はい。私のことでしょうか?」

「いかにも」


 偉そうなおっさんがいた。この宮殿の主だろう。宮殿というより、城だなこれは。

 偉そうな髭を蓄え、最上段のこれまた偉そうな椅子に座っているおっさん。

 朗らかな顔をしているが、周りを囲んだ部下らしき人達は少し怒っているように見える。おそらく俺が無視をしていたからだ。


「突然だが、お主はこの国、いや、世界の人々を救う勇者として召喚された者だ」


 本当に突然だな。よくぞ来られたとは言うが、別に望んじゃいねえよ。

 あれだろ? これ、やっぱり夢だろ。

 俺はこれでも、日々を電子の世界で戦うエンジニアだ。こんな何もかもめちゃくちゃな状況、信じられない。

 随分と色々な感覚がしっかりとしている夢だが、そういうことなら勇者ごっこを楽しもう。


「勇者ですか? 俺が?」

「いかにも」

「おっさんは?」

「わしも、勇者じゃ。名をシュガー・バルムクーヘン。お主と共に、魔王討伐の旅へ出ることになっておる。よろしくの!」


 え、このおっさん仲間なの? 王様っぽいけどいいのか? 

 いずれ覚める夢。俺はなんでもいいけど……というか、今バウムクーヘンって言った?


「嘘じゃ」


 嘘なのかよ。

 仲良くも何でもないのに、こんな状況で分かりづらい嘘つくなよ。


「わしはこの国の王、シュガー・バルムクーヘンじゃ。そして、わしの横におるのが娘のメルトという。一緒に行くのはこの娘じゃ」

「バウムクーヘン!?」

「む。何じゃ? 何か、おかしなことでも?」


 お菓子? シュガーにバウムクーヘン……。ああ、全ては繋がった。

 ここまでヒントを貰えば、誰でも分かる。何か手頃なものはないかと周囲を見回す。あった。

 俺はおもむろに、近くにあった黒い椅子を舐めた。


「な! 何をしておるんじゃ!?」


 おっさんの慌てふためく声が聞こえてきた。どよどよと、その周囲もざわついているのが分かる。――ふん、なるほどな。


「私の国の挨拶です。その、親愛の証を示しています」


 マジかよ。お菓子の国じゃなかったわ、ここ。

 周りからは、至って冷静に振る舞っているように見えるだろうが、そんなことはない。

 夢の中ではない、加えてあり得ない行動。脇と尻には汗が吹き出していた。


「そ、そうか……そうなの? まあいい。勇者として旅立ってくれるのなら、何も言うことはない。それと、細かな説明を始める前にもう一つ聞いておきたいことがある」

「何でしょう?」

「お主の、その手に持っているのは何じゃ。卵?」


 そう、俺は卵を持っていた。会社からの帰り、寄ったスーパーで買ったものだ。

 自転車で荒い道を通り、家に帰って確認したら割れていた。

 近道なんて、しなければよかった。


「これは卵ですね。何でもない、ただの食用の」


 唯一生き残った卵。反対側の手は割れた卵の黄身でベッタリと汚れていた。

 だって、しょうがないだろ? そんなタイミングで呼ばれたのだから。

 汚れた手を、偶然側にあった黒い椅子で拭う。


「食用の? と、とにかく! この世界の状況から話しておこうと思う」


 何も言わず、頷いておく。おっさんの話は続く。


「今、この世界は危機にさらされておる」

「ふむ」


 適当に相槌を挟む。おっさんの話は続く。


「ここまでが、我ら人間の置かれた状況だ」

「なるほど」


 知ったかぶりをする。おっさんの話は、まだ続く。


「そんな訳で、こちらの都合に巻き込んでしまい誠に申し訳ないとは思うが、お主を召喚させてもらった」

「はい、分かりました」


 さらっと流した。

 先程の椅子の件が尾を引き、恥ずかしさと後悔からあまり集中できなかった。

 まぁ、ゲームなんかは結構やっていた方なので、何を言われたかは大体想像できる。


「お主、聞いておったか?」

「それはもちろん!」

「本当か? 上の空だったような気もするが」

「何をおっしゃいますやら! 王様! 今日もお髭が偉そうですね!」

 

 焦って、今度は意味が分からないことを言ってしまった。

 もういい。異世界から来たということで、大抵の粗相は許されるはずだ。


「お主と会うのは、今日が初めてなのじゃが……まあいい。では、やってくれるかの?」

「委細、承知致しました」


 地球ではないどこかの世界。謎の力で呼び出された俺が、勇者としてこの国を救えとか、そういう話だろ?

 国を救う。出来る出来ないはともかく、そういう余生もいいかと思う。

 断りなく呼び出されたことは少々不快だが、特に向こうに未練はない。

 それに……俺の先はもう、閉じているのだ。


 これが、悪夢の二年間の始まりだった。


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