第2話 さて、どうしたものか。

 奇妙な願い事をされた。人間の考えることはいまいち読みづらい。

 さて、どうしたものか。

 奇妙な人間を前に、俺は首を捻っていた。

「両手で頬を横に引っ張り、薄く口を開いて口角を上げてみろ」

 取り敢えず形から入ろうとしたのだが、させてみて後悔した。頬がこけているからか、恐ろしい形相になったのだ。

 これでは駄目だ。

 さて、どうしたものか。

 そうか。肉付きよくなれば、少なくとも見栄えはよくなるな。

 そう思った俺は、奇妙な人間の手首を握り、自分のねぐらに戻ることにした。


「喰え」

 人間でも喰える物があってよかった。

 湖で魚を捕り、火をおこして焼き、ほどよく火が通ったのを確認し人間に差し出す。

 人間は戸惑ったように俺を見上げたが、やがておずおずとその魚を手に取り喰い始めた。

「美味しい、です。ありがとう、ございます」

「……」

 礼を言われた。

 自分が喰われるのを分かった上でそう言っているのを知っている俺は、妙な気分になる。

「……お前、名は?」

 人間と呼ぶには不便だと思った俺は、黙々と喰っている目の前の人間に聞いてみた。

 きょとんとした表情で俺を見返してきた人間は、次いでフルフルと首を横に振った。

「村の掟では生贄になる時点で名前を返上するのですが、随分前から呼ばれなくなったので、わたしは自分の名前を覚えていません」

「生まれた時の名を覚えていないのか?」

 改めて聞き返すと、小さく肯いた。

「ずっと『おい』とか『お前』とか呼ばれていたので。もし名前が必要でしたら、付けてもらってもいいのですが……」

「…………」

 そう言われても、人間の名前の付け方など知るわけがない。

 考えるのも面倒臭い。

 さて、どうしたものか。

「……2文字で、『』という文字が入っていたのは覚えているんですが、もう1つの文字は思い出せません。すみません」

 俺の無言をどう受け取ったのか、この人間は自分の名前を必死に思い出していたらしい。

 別に責めていたつもりはないのだが。

 しかし『和』だけでは何だか物足りない。少し考えた俺は欠けた1文字を補うことにした。

「ではその上に『もり』という字を付けろ。呼び方は『杜和とわ』だ」

 ごちゃごちゃ考えるのは苦手だ。

 俺の『杜』にこいつがやって来たので、それを付けてやることにした。

「杜和、ですね。……分かりました。ありがとうございます」

 また礼を言われた。

 こいつは自分にとって名前など意味がないものだと分かっている。それに、喰われる前に付けられた名前なんぞに何の感慨もないだろう。

 その証拠に、礼は言ったが顔の表情は全く変わっていない。ちなみに魚を受け取った時もそうだった。

 こいつは、今までに見た人間とはどこか……どころか、だいぶ違う。だから俺もだいぶ戸惑っている。

 あ、こいつじゃなかった。杜和か。

 俺も慣れないといけないようだ。

「あの……」

 魚1匹喰い終えたところで、杜和が口を開いた。

「あなたの名前を教えて頂くことは出来ますでしょうか?」

 控え目に質問されたが、俺は途端に苛立ちを覚えた。

 名前を教えろだと? こいつは馬鹿か。人間なんかに大事な名を教えられるか。

 思いっ切り睨みつけると、俺の怒気に気付いたのか「すみません」と頭を下げてきた。

「あなたを呼ぶ時にどう呼べばいいのかと思って……。出過ぎたことを訊ねてしまいました。申し訳ありません」

「……」 

 淡々と謝る声に違和感を感じた。

 そして悟る。

 こいつは俺が怒っていることに謝っているわけではない。そして俺が怖いから謝っているわけでもない。

 ただ俺が機嫌を損ねることで、村に被害がいくことを怖れて謝っているのだ。

 こいつはどこまでも村が一番のようだ。

 あ、また忘れていた。杜和だった。

 ん? いや、待てよ。名前がないと、杜和も俺のことを『おい』とか『お前』とか呼ぶんだろうか?

 そんな横柄な呼び方はしないだろうが、そうなると確かに不便さを感じる。

 さて、どうしたものか。

 俺は杜和を凝視しながら黙考した。

 そうだ。本名を教えなければいいのか。

 杜和が俺を呼べればいいのだ。そして俺が呼ばれたことを認識出来ればいいだけだ。

 しかし考えるのはやはり面倒臭い。

「……お前が勝手に付けろ」

 結果、杜和に丸投げした。

「では、『くろさん』でいいでしょうか?」

「!」

 ピクリと反応する。

 何故、即答出来る?

 よもや心の中で勝手に付けていたわけではあるまいな?

 いや、そんなことよりも。

「気持ち悪い。人間のような敬称をつけるな。呼ぶ時は名だけでいい」

「それは、あなたにとって失礼にはなりませんか?」

 人間の観点でものを言う杜和に、「そんなことくらいでなるか」とつっけんどんに言い放つ。

「ただし俺の虫の居所と、俺に対する態度たいど如何いかんによっては、無礼に当たるかもしれないがな」

 しかし釘を刺すことだけは怠らなかった。

「……」

 杜和は何かを考え込むように黙った。

 何となく分かる。

 きっと杜和はどれが無礼になるのか考えているのだ。

 俺の機嫌を取って喰われるのを回避するためではない。先にも言った通り、村に被害が及ばないようにだ。

 全くもって難儀な性格をしている。

 目の前でじっくり考えているらしい杜和に、呆れた視線を向けた。

 もうそろそろ思考を止めてもらおう。

 俺は「杜和」と名を呼んだ。

「!」

 いやに反応が大きい。

 初めて名を呼ばれたからか、杜和は驚いた表情で俺を見つめてきた。

「お前は何をもらえば喜び、何をされれば嬉しいのだ? 何をすれば楽しみを感じ、何を見れば感動する?」

 『笑う』という現象は、そういう感情から引き出されるものだと俺は認識している。

 杜和が望んでいるのが顔だけの笑顔だったのなら、最初にやったようにその形だけを教えればいい。

 だが、杜和は心の内から出る自然な笑顔を望んでいる。

 それを教えるのは、なかなか骨が折れることだ。人間のことをよく知らない俺にとってはなおさら。

 まずは杜和のことを知らなければならないだろう。

 しかし。

「………………」

 あ、これは長考に入ったな。

 俺はまずい質問をしたようだ。

 神妙な面持ちで黙考している杜和にげんなりとした。

 そんなに悩むようなことだろうか? ただ自分の好きなことを言えばいいだけだろう?

 人間とは本当に不可解な生き物だ。

 そう思った時、何か引っ掛かりを覚えた。そしてその引っ掛かりの最たる疑問を投げる。

「杜和。お前は、生きたいと思ってないのか?」

 人間なら夢中になれるほど好きなことや家族などの大切な者があれば、生に執着するはず。大人しく生贄になんてならないだろう。

 だが杜和には、生に対する執着が全く見られない。かと言って投げやりになっているようにも見えない。

 杜和は自分の意思で生贄になったと言った。その言葉からでさえも、頑なな意思は感じても、自暴自棄のような感じはなかった。

 変な人間が来たとは思っていたが……。

 再び質問をされ、考え込んでいた杜和は不思議そうに俺を見上げた。

「生きたいとも死にたいとも思っていません」

 その答えに、俺は胡乱な表情を浮かべる。

 ……ん? これは新手の言葉遊びか何かか?

「だから、どっちだ?」

 詰めて聞く俺に、杜和は困ったような眼差しを向けた。

「生きたいと思えるほどの未練も、死にたいと思えるほどの絶望も抱いたことがないので、そう答えるしかないのです」

「……」

 ますます分からん。

 今の人間は杜和のような奴らばかりなのか?

 これでは笑わせることなど到底無理なような気がしてきた。

 さて、どうしたものか。

 俺は遠い目をしながら長嘆を洩らした。

「あの、すみません。あなたの望む答えでは、なかった……ですか?」

 俺の不機嫌な長嘆に、怒らせたと思ったのか不安気な表情をする。そして村のためを思い、俺に謝るのだ。

「では、もう一つ聞く。お前は憎しみや恨みを抱いたことはないのか?」

 杜和に喜怒哀楽の感情が欠落しているのは分かったが、その中でも負の感情はどうなのか気になった。

 生贄になる時も村の奴らから騙されている。

 それだけでなく天涯孤独の身である杜和には、負の感情を抱くだけの要素がこれまでにもたくさんあったはずだ。

 次いだ質問に杜和は少し考えた後、顔を上げて話し始めた。

「幼い頃に、亡くなったおばあちゃんが言っていました。人を憎んだり恨んだりすることはとても疲れることだから、お前は人を許すことを覚えなさいと。疑うよりも信じなさい、騙すより騙されなさいと。そうすればお前の心は豊かでいられると。おばあちゃんは死ぬ間際まで言っていました」

 何だ、それは? と言おうとしたが、杜和の言葉は続いた。

「それがおばあちゃんの最期の言葉でもあったので、今までその言葉を守って生きてきましたが……最近、わたしは思うんです」


『でも、おばあちゃん。許すことにも、信じることにも、騙されることにも疲れた時は、どうすればいいの?』


「お前のばあさんは悟りを開いた仏陀か何かか? ガキに妙な考えを植え付けやがって」

 苛立った俺に、杜和はまた不安気な表情になる。

 杜和の感情が欠落している理由がやっと理解出来た。

 俺はじっと見上げてくる杜和を見つめ返した。

 自分を騙した村の奴らも許し、そいつらを助けるために生贄になり、今もこうして村を守るために必死になっている。

 取りようによっては健気とも言えるだろうが、俺にとっては単なる自殺行為にしか見えない。

「杜和。村の奴らは好きか?」

「……分かりません」

 嘘はついていない。もちろんそれが杜和の本心であることは分かる。でも「嫌い」と言うことも出来るはずだ。少なくとも「嫌いな人もいる」と言うことも出来るはずなのだ。

 人間には成長に必要な負の感情だってある。それによって育つ個性もあるだろう。そんな糧になる感情まで、ばあさんが押し殺させた。

 その結果が『感情欠落これ』だ。

 苛立ちを抑えるように溜息を吐いた。

 ただ間違えてはいけないのは、杜和が悪いわけではないということだ。その教えを守ってきただけだから。

 問題なのは、と教える者がいなかったことだ。

 杜和の小さな頭に俺の黒い手をポンと乗せる。そして頭をグリグリと撫でた。

ようやく笑い方を教える、その道筋が見えた。

「杜和。お前はまず『人間』になれ」

「?」

 グリグリと強く頭を撫でられながら、杜和は意味が分からないと眉根を寄せつつ首を傾げる。

 何も難しいことを言ったわけではない。杜和に欠けている人間らしさを取り戻すだけだ。その時々に抱く感情に素直になるだけ。そのためには素直にさせる必要がある。

「そうだな……最初は感じたことを口に出すことから始めるか」

 そう言って撫でていた手を離すと、杜和はボサボサの頭のまま俺の言葉の意味を考え始めた。

「俺に頭を撫でられてどう思った?」

 思考を止めた杜和がきょとんとする。

「……えっと……い、痛い?」

 む? 強過ぎたか? どうも加減が分からん。

「あと、くすぐったい……です」

「まぁ、いいだろう」

 こんな感じで人間らしくなっていけば、そのうち何をすれば楽しいのか、何をするのが好きなのかも自分で分かってくるはずだ。

 そうすれば心の底から笑うことが出来るだろう。

 手探りの状態から脱し、安堵した俺だったが……。

「ん? 何か匂うぞ……俺の手? ぎょわぁ! 杜和! お前今すぐ髪の毛洗ってこい!」

 杜和には、常に清潔さを保つ重要性も教えなければと、異様な匂いのするベタベタした手を洗いながら思った。

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