では、さて、何を……。

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第1話 では、わたしに笑い方を教えて下さい。

 あれは何の音だろう?

 鳥? 獣? 草木? ……ただの風?

 暗くてよく分からないが、どうやらわたしは『生贄』としてこの暗い森の中に行かされたらしいことだけは薄々分かってきた。


 この森に入る前は、わたしと同じ年頃の女の子が3人いた。

 ある者は泣き崩れ、ある者は必死に神頼みし、ある者は狂ったように叫び、そしてわたしは……ボーッと夜の空に光る星を眺めていた。

 だが、時が経つにつれ、迎えに来た者たちの手に引かれて、1人また1人と女の子たちは姿を消していった。

 残ったのはわたしだけ。

「さぁ、この道を真っ直ぐ、ただひたすらに真っ直ぐ歩いて行くのだ。決して後ろを振り返るな、戻ろうとするな。もしそのような行動をとったならば、村の掟により、私はお前にあらゆる拷問をもって死を与えねばならない。よいか。言いつけ通り、ただ真っ直ぐ歩け」

 村の司祭様がそう言ったので、わたしは森の中をただひたすらに歩いた。やがて夜の闇が深くなってきたが、それでも止まることなく歩いた。

 振り返ろうとも、戻ろうとも思わなかった。

 何故なら、わたしにとってそれは意味のないことだからだ。


 さて、少し疲れてきた。

 立ち止まるなとは言われなかったので、わたしはしばらく休憩することにした。

 大きな木の根元に座り心地の良い場所を見つけ、ゆっくりと腰を下ろす。

 その直後、昼間ならば何も感じないような微かな風が吹いた。

 わたしはブルッと身震いした。

 着衣は冬用だが、コートなどの上着はないので防寒対策は全く出来ていない。冬近い秋の夜の森では、薄着の部類に入るだろう。

 自分の腕で体を擦りながら、赤く色付く木々の葉の間から遥か頭上で輝く星々を見上げる。

 どのくらい歩いたか、あとどのくらい歩くのか考えていたら、ふいに何かの気配を感じた。

 多分、獣の類。

 ここでわたしはハッと気付いた。

 自分が何の生贄になっているのか知らなかったのだ。そして途端に迷った。今ここで食べられてもいいのかと。

 肝心なことなのに今になって気付くとはと自分に呆れもしたが、人か動物か、取り敢えず気配の相手を見てみないことにはどうしようもない。

 わたしは寒さに縮こまったまま、ゆっくりと近づいてくる気配がする方へ視線を凝らしてみた。

「またか」

 不機嫌そうな声。低く、どこか唸っているように聴こえる。

 しかし言葉を発したということは獣ではないということだ。

 人……だろうか?

 それにしても「またか」とはどういう意味なのだろう?

 相手の全体像がはっきり見えず、次の言葉を待ってみる。

「さっさと喰ってしまうか」

「!」

 わたしはビクリと肩を震わせ、反射的に体ごと左を向いた。その反動で体勢を崩しそうになったが、木の根っこに右手を着いて何とか踏ん張る。

 はぁ、びっくりした。

 いつの間に移動したのだろう?

 2度目に聴こえた声は思っていたよりも近く……というか、耳元で聴こえたため驚いてしまった。

 おかげで自分の近くにいる存在がくっきりと見えたのだが、声の主を足元から辿り、徐々に視線を上げたわたしは首を傾げた。

 これは……何だろう?

 『誰?』というより、『何?』と問うた方がしっくりくる。

 月明かりに照らされた声の相手は、なんと全身黒ずくめだったのだ。黒い手足の部分が分かるだけで、頭や体といった部分は人間の姿をしていない。

 あぁ、あれだ。

 子供が誰かを驚かす時、シーツを頭からかぶって幽霊の真似ごとをする、あれの姿によく似ている。あと、妙に大きい。

 見た目ずんぐりむっくりしており、眼光だろうか? 2つの穴から放たれる光が、そこが顔であることを思わせた。

「別に人間が美味しいとは思ってないのだが……」

 先程と同じ不機嫌そうな声が聴こえ、わたしは我に返った。

 そうか。またかと言ったのは、また生贄が来たということか。それならば、わたしはここで食べられてもいいということになる。

 もう歩かなくてもいいのかとぼんやり思っていたら、思いきり疲れ切ったような溜息が聴こえた。

「まぁ別に喰わなくてもいいか」

「それは困ります」

 焦ったわたしは、ここに来て初めて声を出した。

「……どういう意味だ?」

 会話したことに少し驚いてしまう。

 相変わらず不機嫌そうな声だ。

「食べてもわらないと生贄に来た意味がないからです」

「……」

 目だけなので表情が分からないが、ビリビリと肌で感じる威圧感が増しているのが分かる。

 反抗的な態度が気に食わないのだろうか?

「俺がお前を喰っても喰わなくても、他の奴に贄がないなら意味がない」

 他の奴と言われ、わたしはハッと思い出した。

 最初に集められたのはわたしを含め4人。他の女の子たちは何故か次々に帰って行った。そして司祭様は、わたしだけに森に行けとおっしゃった。

 1人でいいなら他の女の子を集める必要はなかったのでは、とぼんやり疑問に思っていたが……。

 もしかして本当は4人全員必要だった?

 これは困ったことになった。

 どうすればいいか悩んだが、取り敢えず―――。

「あなたはお腹が空いていないのですか?」

 目の前にいる黒ずくめに食欲を訪ねてみる。

「……」

 わたしを見下ろす眼光が少し揺れた気がした。

 何かを考え込んでいるようだが、やっぱり表情は分からない。

 そして少しの沈黙の後、「……好んで人間を喰いはしない」とポツリと答えが返ってきた。

 これは好都合だ。

「ならば、わたしは他のところに生贄に行きます。もし知っているなら場所を教えて頂けますか?」

「…………」

 今度の沈黙は長かった。

「…………」

 これは、いつまで待てばいいのだろう?

「………………」

 答えを待たずに去った方がいいだろうか?

 いや。わたしから質問していながら、答えを聞かずに去ってしまうのもどうだろう?

 いろいろ考えを巡らしていたら、やっと「……お前」と声が聴こえた。

「何のために生贄になった?」

 その答えは既に決まっている。

「村の掟だからです」

「その村の掟とやらを守っているのはお前だけだぞ」

 どういう意味だろう?

 わたしは口に出さず、首を傾げて瞬きを繰り返すことでその意味を問うた。

「1人は金を貢ぎ、1人は色を与え、1人は地位を約束した。そうやってお前以外は生贄を免れた」

 はぁ……なるほど。

 この黒ずくめがどうやってその経緯を知ったのかは疑問だが、どうして自分だけが残ったのか納得した。

 どれもわたしにはないものだ。

 なにしろわたしは天涯孤独の身。

 何日も食事をしていないから体は痩せ細り、生贄だから今は少し見栄えよくしてもらっているが、普段の服は破れそうなほど薄い生地の上下が一枚ずつだけ。風呂にも入れないため、水で濡らした布で体を拭いてはいたが、体や髪の毛からは異様な匂いが漂っている。自分でも臭いと思う。

 たまに近所の人が渋々持ってくるご飯で食い繋いでいたが、明日をも知れぬ身だった。

 そんなわたしのような身の上ならば仕方ないと思うが、免れる方法があるのなら使うのが普通で、その方法がなければ運命に身を委ねるだけだ。

「生贄になるのを素直に受け入れるのか?」

 また問われる。

「わたしには、それを断る理由がありません」

 2つの眼光がまた揺れた。

「……自分が喰われることに恐怖を感じないのか?」

「怖いかどうかは分かりませんが、いずれ死ぬ身なら誰かの役に立ちたい。そのための生贄です。村の掟以前に、わたしの意思でここまで来ました。だから食べてもらわなくては困るのです」

 そこまで言って、わたしはまた困った。さっきの話を思い出したのだ。

 わたしの痩せ細った身では、他の3人の身代わりが出来そうにない。

 出来ないということは、生贄をもらえなかった他の……妖怪か魔物かよく分からないが、この黒ずくめの仲間が生贄を求めて村を襲う可能性もある。

 こうしてはいられない。

 わたしは生贄を待つ他の者のところに行こうと腰を上げた。

「どこへ行く?」

「あなたがわたしを食べないのであれば、生贄を必要としている者のところに行きます」

 村が被るかもしれない被害を出来るだけ最小限に抑えたい。

 わたしは司祭様に言われた通り、再び真っ直ぐに歩き始めた……のだが、急に目の前が闇に包まれた。

「人間は好みではないが気が変わった。俺が喰う」

 頭上から聴こえた声に、目の前の闇が黒ずくめの体だったことに気付く。

 音もなく瞬時に移動し、わたしの行き先を通せんぼしたようだ。

 しかし、とわたしは黙考した。

 食べてもらうのはいいのだが、やはり他の者のことが気になる。この黒ずくめが人を好みでないなら村を襲うまでのことはしないだろうが、他の者は分からない。

 この黒ずくめに食べられるよりは、他の者のところに行った方が生贄の意味がありそうだ。

「!」

 そこまで考え至った時、いきなり黒ずくめの2つの眼光が自分の目線まで下りてきた。中腰にでもなったのだろうか?

 間近で視線を捉えられ、身動きが取れない。

「お前がここに留まるなら他の奴らが村に手出ししないよう、俺が取り計らってやる。それぐらいの権限と地位を持ってるからな」

「……」

 取り引き、みたいなものなのだろうか?

 わたしは黒ずくめが意外と律儀なことに驚いた。

 何も言わずバクリと食べればいいものを、生贄であるわたしにも選択肢を与えてくれている。村の人がどうなろうと知ったことではないだろうに。

「どっちだ?」

 答えを求められた。

 不思議な感覚に陥りながらも、わたしは黒ずくめの言葉を信じることにした。

 まぁ、逃げたところですぐに捕まるのも分かりきっているので、信じるしかないと言った方が的を射ているが……。

 無言で肯いたわたしに、黒ずくめはもう一つ取り引きをしてきた。

「これでお前は俺に喰われることが決まったわけだが、俺がお前を喰う代わりに1つだけ望みを叶えてやる。言え」

「……」

 この取り引きは予想外だった。

 今までの生贄にも同じことをしてきたのだろうか?

「金か? 美貌か? 権力か? お前の望むものを1つ叶えてやる」

 鋭い眼光を前に、わたしは少し目を伏せ考えた。

 言い連ねた言葉は、今までの生贄が望んだことなのだろうか?

 食べられることが決まっているのに、それは意味があることなのだろうか?

 いずれかを手に入れたとしても、空しいだけのような気がする。

 そう思うのは、わたしがその全てに魅力を感じていないからだろうか?

 いや、違う。空しいのは……わたしかもしれない。

「何もいりません」

 わたしは首を横に振った。

 本当に何もいらなかった。

 この身一つで森の中に来た。この身一つしかなかった。この痩せ細った身一つで、ずんぐりむっくりの黒ずくめが腹一杯になることはないだろう。

 ということは、黒ずくめにとっては割に合わない取り引きだ。

 そしてわたしにとっては意味のない取り引き。

「……」

 黒ずくめは無言のまま、わたしから眼光を逸らした。そして地面を黒い手で指差す。

「見えるか? そこに人間の骨と干乾びた肉片がある。あそこには頭蓋骨の一部、その隣には右腕の骨。分かるか? ここら一帯に立ち込めている人間の腐敗臭が。全て俺が生贄として来た人間を喰った跡だ」

 指差す方向へ顔を向けると、夜目が効いてきた視界に黒ずくめの言った通りのものが映る。少し鼻を効かすと生ゴミのような鼻を突く匂いも確かにしてきた。

 盲点だった。

 真っ直ぐ前を見て歩いてきたため足元に目を向けておらず、自分の体から放たれる匂いに麻痺し、周りの匂いにも気付かなかったのだ。

 この黒ずくめは、わたしの末路を教えているのだろうか?

 そう思ったが、どうやら違うようだった。

「死を前にして、何かを強く望むことはないのか?」

「……」

 もしかして、何かを望んで欲しいのだろうか?

 そう思ったわたしは、黒ずくめをジッと見つめてみた。

 逸らしていた眼光は再びわたしに向けられている。何故かその眼光が少し和らいでいるように見えた。

 取り引きしないと、わたしを食べることが出来ないのだろうか?

 それだとわたしも困るので、眉根を寄せて必死に考えてみた。

 その時、ふと村の女の子たちのことを思い出した。

 両親に愛され育った女の子たちは、みんな綺麗で輝いて見えた。流行の衣装を身に纏い、化粧などもしていたのだろうが、内から溢れ出る愛らしさはみんな同じで、わたしは少し……羨ましさを感じていたのだ。

 あぁ、そうか。

 わたしは空っぽだった。

 そう気付いてからは、家の外を見なくなった。見なければ望むこともない。羨むこともない。

「……」

 考え過ぎて思いを馳せてしまった。

 我に返ると、目の前の眼光がわたしの答えを待っていた。

 死を前にしても強くは望まないのだが、もし願うのなら―――。

「では、わたしに笑い方を教えて下さい」

 女の子たちの内から溢れ出る愛らしさは、笑顔となって表れていた。

 わたしは笑った記憶がない。

 小さい頃は笑っていたかもしれないが、今は笑うことを忘れてしまった。

 最期に笑って逝けるのなら、きっとわたしの人生も悪いものではなかったと思えるはず。

 それはわたしにとって意味のあることだ。

「……そんな望みは予想外だ。人間のことはよく分からないがいいだろう。その願い、叶えてやる」

 少し戸惑ったようだが、取り引きは成立したようだ。

 そして黒ずくめとの奇妙な生活が始まった。

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