第三五話 黄泉竈食ひ
深い、昏い、遠い、光さえ喰らい、意志を闇へと落とす縦穴を二つの天剣は降下する。
「イザミ、分かるか、この感覚……」
「ああ、落ち続けるごとに骨が凍り付きそうな感覚が増している」
いくら意志を強く持とうと降下し続ける限り、寒気は消えず、寒気は怖気として意志を蝕んでいく。
無形の圧力も降下を拒むように増し続け、不可視の鎧は今以上に悲鳴を上げていた。
『二人とも、そろそろ底にたどり着くよ』
ヒメからの観測結果が届けられる。
『エネルギー反応とは別の反応あり、これは――彼女だよ』
彼女が誰か分からぬならばイザミに家族の資格はない。
足裏に展開する不可視の鎧が床の感触を察知する寸前、姿勢を崩すことなく着地する。
同時に視界を喰らう暗闇は弾かれ、眩き光が空間の底を満たした。
周囲を円状の壁に覆われたこの地点は、中枢と呼ぶよりも古代のコロッセウスと呼ぶ方がふさわしく、機材らしき機材がないほど殺風景であり異質だった。
ただし、異様なまでの寒気は消えるどころか増していた。
「ミコトっ!」
イザミは空間の中央にある王が座るような椅子にミコトの姿を発見した。
無事を確かめるため一目散に駆けつける愚行は犯さない。
「……マスタープログラム、どこだ! 出て来いっ!」
イザミの声は虚しく反響し、吸い込まれては消えた。
ここが最奥であるならば必ずやマスタープログラムが存在しているはずだが、いるべき姿形が一切見たらない。
いる、という気配は確かに存在している。
見えないからいないというのは早計であり、死に至る油断を招く。
「うっ、ううっ……」
椅子、いや玉座よりミコトの呻き声がした。
「ミコト、無事かっ!」
まだマスタープログラムの生体コアにされていない。
ケガらしいケガもなく、謎空間で邂逅した時に目撃した生体コアであった少女の身体中に食い込んでいたケーブルも見当たらなかった。
「い、イザくん……」
一秒でも早く家族を抱きしめてやりたい。
一方で一歩でも進めば死を招くと本能が警鐘を鳴らしている。
カグヤもまた警戒を解くどころか一層鋭く構えており、四方に目を走らせていた。
「ねえ、イザくん、私ね、知っちゃったの……」
ざわり、とミコトが言葉を発すると同時にイザミの肌を鋭利な寒気が切りつけた。
「どうしてヨミガネが、みんなを殺すのか……それはね、人類を生かすためだったの」
抑揚なくほの暗い声音のミコトにイザミは狂った、いや狂わされたのかとの疑念を抱く。
「ヨミガネが元いた世界はね、地下資源とか沢山あって工業が盛んだったけど、その分、食糧生産技術が衰退の一途を辿っているの。原因は増えすぎた人口。誰も彼も機械の便利さに酔ったお陰で食べ物が当たり前にあるって理由で畑を耕そうとしない。家畜を育てようとしない……草取りすらしようとしない」
口を閉じさせようと思わなかった。
敵がミコトを介して喋らせているのかとの疑念を抱こうと周囲に変化はない。
だから、耳を傾け続けるしかなかった。
「食糧の奪い合いを発端とした世界規模の大戦が起こったのは当然の流れ……誰もが今日の食料を巡って奪い合い殺し合う。でも機械工学が発達したせいで戦うのはドローンっていう無人兵器だから人命はまったく失われない。失われないから飢え続ける人たちは増えていくの。中には食糧問題を解決しようと持てる粋を持って食糧生産施設を建造してもその施設を奪い合う争いを起こす……飢えは解決しない。それどころか世界中の誰もが飢え、死んでいく……この先にあるのは遅かれ早かれ人類滅亡だった」
滅亡の窮地に立ったからこそ、最悪の状況を最悪な形で回避しようとする者たちが現れたのは必然であった。
「食料が足りないのは人口が増えすぎたせい。なら飢餓による滅亡を回避するにはどうすべきか、答えは単純だった」
「……最悪だな、おい」
直感した事実にイザミは呆然と言葉をどうにか絞り出すことしかできなかった。
「そうだよ。だって多いのなら減らせばいい。食糧を奪い合う必要のない数まで人口を減らし調節する――完成したのが人口調整システム<ヘグイ>……」
「ヘグイ……なるほど、黄泉竈食ひ(よもつへぐい)のことか」
「カグヤ、なんだ、そのヨモツヘグイってのは?」
黄泉があの世を指す言葉であることから、黄泉繋がりなのは気づいていた。
「要はあの世で煮炊きされた食べ物で食事をすることだ。食べればあの世の住人となり、この世に戻れなくなる。食糧問題が端を発している以上、これほどピッタリな名はないだろう。あの世の人ならばこの世の食物は必要ないと……自虐的なほどにな」
この世ではなくあの世の食物を食らうことで、あの世の存在となり人類を調整する。
黄泉とは地下の意味もあることから縁の下の力持ちと人類存続の支えになったのだろう。
「自ら黄泉堕ちを決意した最初の一五人は<この心身、黄泉堕ちて鋼になろうとただ人類存続のために>と誓い合い、ヨミガネとして人類調整に貢献した……」
イザミは謎の空間においてマスタープログラムが飢え続ける者なる言葉を発したのを思い出す。
「だけどね、いくら人口を調整して人類を存続させようと、世界から飢えが減るどころか逆に満ち溢れている。さらにね、世界は一つだけじゃないって気がつけば自らの能力で世界を越える装置を生み出し活動範囲を広げていたわ」
「おれたちが生まれた世界もその一つだったわけか……」
「迷惑な話だ。その世界の抱える問題はその世界の中だけで解決しろ。勝手に問題持ち込んで押し付けるなど大迷惑だ」
「どうして大迷惑なの? 世界が違えども住まう人たちが飢え続ける者たちである事実には変わりないよ?」
ミコトは合点行かぬ顔でカグヤに言い返す。
カグヤもまた餓えることは隠しようのない事実であるため沈黙で返すしかなかった。
「人間は食べないと生きていけない。折角減らしたのに、食べると増えていくの。調整しても調整しても終わりは見えない。ある時、マスタープログラムは一つの結論に辿りついたの……餓えている人たちを殺し尽くせば飢えは解決するって」
「ちぃ、典型的な暴走ときたか」
忌々しくもカグヤは舌打ちをした。
一方でイザミは飢えからの解放に疑問なるひっかかりを覚えていた。
「ふん、人類存続と謳いながら救済の皮を被った虐殺か。人類を雑草かなにかと勘違いしているようだな」
「雑草なんていう草の名はないよ。ヨミガネはしっかりと自分が調節した人たちを記憶している。私たちが住まう世界では今日、三五六名を調整した。トオル・ササヤ、マリア・カーバイン、シーン・ファルゲン、レンカ・トオミネ……彼らがどんな人生を経て終えたか、しっかりと記憶してあるの……」
ほの暗き眼差しで語るミコトにイザミはカグヤ諸共目を見開き、ぞわりなる悪寒が神経を締め上げ、呼吸を妨げる。
記録した人名に一体どのような意味があるというのだ。
人の生き死を、ただの女子中学生が語ることではない。
「み、ミコト、なのか?」
玉座に座するミコトは本当にミコトなのか、イザミの驚愕を疑念と困惑が上塗りしていく。
「私は私だよ……だけど、悲しいな……この一〇年間、ずっと家族としてイザくんと過ごしてきたのに……世界のためにイザくんに死んでもらわないといけないなんて……」
声音には悲壮感が漂っていた。悲哀があった。静かな殺意があった。
「イザくんたち天剣者がしていることは人類存続を妨げている行為なんだよ。人が増えれば食糧は減る。イザくん、私たちの家庭菜園でどれだけの人が賄えるか知っているの?」
「……商売ではなく趣味の範囲だからな、家族全員でも危ういぞ」
「そうだよ。それに私たちが住まうヒノモトでは食料自給率の低下が問題になっている。いくら輸入で賄っているからって輸入元がダメになったら自ずとどうなるか分かるはずだよ?」
食料となる野菜や穀物、動物に何らかの病気が発生すれば輸入は終息と安全が確保されるまで当然、停止せねばならない。
停止している間、国内で生産された食糧で賄おうと全員分の賄う食料はない。
どうなるかなど、想像は容易い。
買占め、略奪と一度崩れれば歯止めは効かないだろう。
なによりも遅かった――
その事実が刃となりイザミの心に突き刺さった。
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