第三四話 黄泉比良坂

「くっ、なんて重力だっ!」

<裂け目>へと飛び込んだイザミとカグヤを出迎えたのは血液すら凍結させる重圧だった。

 まるで業務用冷凍庫に放り込まれたような寒気が肌をざわつかせ、無形の圧迫感が皮膚を通して骨まで潰さんと締め上げてくる。

 この空間は異常なまでの高重力に支配されていた。

「カグヤ、ディナイアルシステムの出力を最大にしろ。このままだと押し潰されるぞ」

「言われてなくても」

 不可視の鎧の出力を最大にして無形の重圧を緩和する。

 だが重圧をベクトル操作で凌ごうと不可視の鎧が音鳴き悲鳴をあげる。

「飛び込んだと思えば真っ逆さまかよ」

 空へと飛び込んだつもりだったが<裂け目>に入るなり身体は急こう配の坂道を下降し続けている。

 急激に反転した感覚に戸惑う暇はなく、光一つない路を進んでいた。

「黄泉比良坂って知っているか?」

 ふとカグヤはぽつりとつぶやいた。

「ヨモツヒラサカ? なんだ、それ?」

「おれたちが元いた世界にある国、ニホン――まあこっちの世界でヒノモトに該当する国の神話に出てくるこの世とあの世の境界とされる坂のことだ」

「坂……なるほど確かに下っている以上、坂だな」

「父さんたちはヨミガネの語源があの世を意味する黄泉であることを突き止めていた。この世ならぬ異形の金属――黄泉金(ヨミガネ)と」

「だが、ヨミガネが人間を殺戮する理由がいまだ分からない」

「そうだが、理由は自ずと分かるだろう」

 全ヨミガネを総括するマスタープログラムならば理由を知っていよう。

 イザミは一度、謎の空間でマスタープログラムと言葉を交えた身だが、はっきりとした目的を確認できなかった。

『はい、二人とも無駄話はそこまで――来るよ』

 背後に前触れも無くヒメが現れ、警告を発する。

 幽霊相手に後ろを振り返る暇など状況は与えてくれず、正面よりヨミガネが迫っていた。

『数は……数えるのが無駄だね。種類も入り乱れているからいちいち報告するのも面倒だ。三〇秒後に接敵するよ』

 観測機が仕事を放棄した。

 ただ確かなのは大多数のヨミガネがイザミとカグヤの進行に塞がったという一点のみだ。

「マスタープログラムに続いているんだ。防衛としてそれ相応の数がいるのは当然だろう」

「行くぞ、カグヤ。こいつらを蹴散らしてマスタープログラムからミコトを救い出す!」

 イザミはデヴァイスから大剣へと、カグヤはデヴァイスから刀へと変化させる。

 掴むのは己が抱く意志、意志ある限り道はある。

 道こそ己、己尽きぬ限り貫き続ける。

 そして、意志は力となる。

「邪魔をするなっ!」

 ただ家族を救う強き意志の元、イザミは大剣を振るう。

「おれはイザミと違って慈悲はないぞっ!」

 ただ両親に託された意志を為す。

 紡がれる意志の元、カグヤは刀を振るう。

 ほの暗き黄泉路の中にて戦闘による光芒が生まれては消えていく。

 黒紫色の異形を緋色が断ち、蒼色が裂く。

 いささかの衰えなく、緋と蒼は螺旋を描きながら奥へ奥へと下り続ける。

 貪る金属を物言わぬ金属と変え続ける中、路は唐突な終わりを迎えた。

「こ、ここは……?」

 イザミは足先から引っ張られる引力――重力を感じた。

 暗き路の果てにあったのは整然とした工場だった。

 降り注ぐ遺骸と<匣>を不可視の鎧で跳ね除ける中、金属板の上に着地する。

 人の気配がまったくない静寂でいながら無機質な空間が広がっていた。

「製造工場か……それもヨミガネの」

 ベルトコンベヤーに音なく運ばれているのは獣の部位だ。

 あちらは脚、腕、砲塔や爪、牙、弾薬がラインの上を走り、終わりなく製造されている。

<匣>が見当たらない限り、中枢パーツの組み込みはコンベヤーが続く先なのだろう。

『その通り。なにより驚くべきなのはここが世界と世界の狭間にあることだ』

 ヒメは興味深く興奮しながら言った。

『マスタープログラムの自己進化には袋小路がない。最初は元の生まれた世界、それも地上にいた。けど、元いた世界から他の世界に渡るには世界を区切る壁を破らねばならない。破るとなれば膨大なエネルギーが必要で、たどり着いた時にはカツンカツンの枯渇状態だ。だからマスタープログラムは考えた。世界の壁を破って往復するよりも壁と壁の間に拠点を構えたほうが効率は良いってね』

「ヨミガネ特有の成長進化か……」

 驚き気味にイザミは呟いた。

『世界と世界の狭間を一軒家に例えるなら一階と二階の間にあるはずのない一・五階をねじ込んで自室とする。そうすることで今まで二度は越えねばならなかった世界の壁を一度だけで済ませられる……本当に侮れないよ』

 イザミは別世界同士を行き来するにはどれほどのエネルギーを消費するか知らない。

 それどころか世界と世界の狭間に別なる空間を建造し維持し続けることも。

 実際に世界を渡った身だとしても乗ったバスの製作費用と目的地までたどり着くまでに消費される燃料を知らないのと同じように。

「ヒメ、そのマスタープログラムの居場所は分かるか?」

 ミコトが無事であるのを祈りながら。

『この狭間で一番エネルギー反応が高い地点がマスタープログラムなら……あそこだよ』

 ヒメは透き通った指先で螺旋状に渦巻きながら地底へと伸びる縦穴を指さした。

 一見、ブラックホールのように見える暗き縦穴は奥底を曝け出すことなく、逆に入り込む者を飲み込む畏怖を携えている。

 イザミはカグヤと言葉交えずただ頷き合っては駆け出さんとする。

 当然のこと、侵入者を排除せんと金属の床が開き、中よりケージに収められたヨミガネが出現した。

 背面に重火器を針山のように携えたヤマアラシ型。

 一度火を噴けば都市一つは消し去る砲撃能力を持つヨミガネだ。

「どけ! 所詮、お前らは前座なんだよっ!」

 大剣握るイザミはヨミガネを真正面から薙ぎ払った。

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