第三六話 マスタープログラム
「イザくん、死んで」
玉座に座する愛すべき少女の目に嘘偽りはなかった。
「人類が生き続けるために、イザくんは邪魔なの」
頭部をハンマーかなにかで加減なく殴られたほどの衝撃だった。
「ミコト、お前は……」
呆然と、イザミは声を発することしかできない。
幼き頃の記憶はなく、ただあったのは戦う力であった。
だが、イザミは孤児であっても孤独ではなかった。
いつも側に、帰るべき日常にミコトなる家族がいた。
泥だらけで家に帰れば風呂に入るよう促し、朝眠っていれば目覚ましが鳴る前に起こしに来る。
昼食の弁当だって彼女手製だ。
甲斐甲斐しく世話焼きな性格をしたミコトが――
今――人類存続のためにイザミを殺そうとしている。
「ほかの誰でもない私の手で殺してあげる」
愛おしくミコトは微笑んだ。
空間が軋む。
ミコトが座する玉座を中心に亀裂は刻み、亀裂を割って機械の腕が二対現れる。
校庭でミコトを連れ去ったあの黒紫色の腕。
手は五指ではなく猛禽類の鍵爪、肋骨状のパーツがミコトを玉座ごと取り込み、透明なシャッターで内包する。
内部が溶液で満たされる中、黒紫色の装甲はカビが増殖するように上半身を構築し昏き眼球が頭部となって肉食恐竜の頭部骨に近似した兜が被さった。
下半身はなく、身体の構築を終えれば音もなく静かに浮き上がった。
『飢え続ける者よ、抗いは飢えを招く愚行。死なる変革を受け入れよ』
ミコトの声から一転、無機質でいながら異様さを持つほの暗き声が発せられた。
「マスタープログラム、空間に潜んでいたのかっ!」
「ミコトっ!」
ついに姿を現したマスタープログラムはミコトを生体コアとして取り込んでいた。
全てはミコトを通して代弁していたに過ぎず、明確な殺意を持って二つの天剣を排除せんとする。
『彼女が生体コアとなるにはまだ時間がかかるはず! どうして!』
『どうしてだと? それがお前の限界なのだよ、幽霊。我は常に進化を繰り返す。自らを成長させていく。餓えぬお前に用はない。消えろっ!』
『ぐうううっ――なんて干しょ……ぶちっ!』
ただマスタープログラムが言葉を発しただけでヒメは押し潰されたように消えてしまった。
「ヒメっ!」
イザミに嘆く暇など与えられない。
マスタープログラムの爪先より不可視の波動が放たれ、真正面から受けた不可視の鎧に亀裂が走る。
重力に指向性を持たせた攻撃だった。
指向性故、不可視の鎧が生み出すベクトル操作が相殺される。
「な、なんて圧力だっ!」
「ダメだ、維持できな……ぐあああああっ!」
破砕音がけたたましく響き合い、イザミはカグヤ共々壁面に叩きつけられる。
空間そのものが発する圧力を今の今までディナイアルシステムの不可視の鎧で守ってきたが、たった今、マスタープログラムにて破砕された。
背面からの衝撃で呼吸が一時的に麻痺する。
必死に空気をかき集めようとするが、その前に膨大な重圧が肉体に襲いかかった。
生身で深海に放り込まれたような圧力が全身を押し潰さんとする。
呼吸さえ妨げられ、骨どころか内臓が悲鳴を上げる。
だが、マスタープログラムの思惑通りに終わらせない。
あと五秒。
あと五秒あれば緋陽機、蒼天機共に再起動を果たし、不可視の鎧を再展開できる。
「うおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
イザミは全身より緋色の燐光を放ちて重圧を押し退ける。
「はあああああああああああああああっ!」
カグヤは全身より蒼色の燐光を放ちて重圧を押し退ける。
裂帛の気合と共に握るのは各々の武器。
再稼動を果たした不可視の鎧にて重圧の中、立ち上がれば合わせることなく不可視の波動を放ち続ける爪へと切り込んだ。
緋色と蒼色の火花が散り、切断された左右の爪が手首ごと宙を舞った。
「痛い、痛い、痛いいいいいいいいいいいいいいいいいいいいっ!」
マスタープログラムの中よりミコトの悲痛な叫びが届く。
見ればミコトの両手首に赤い筋が生まれていた。
紛れもなく今先程イザミとカグヤが切り落としたマスタープログラムの手首と同じ位置だ。
『愚かな。このコアは我であり、我はコアである。破壊するならば破壊するが良い。解放したくば解放するが良い。コアの破壊と解放は我に終わりを与えようと、それ即ちコアの終わりとなる』
繋がり一体となった故に、マスタープログラムにダメージを与えれば生体コアであるミコトにも同じダメージが伝えられる。
『お前たちがこのコアを取り戻したい願望など百も承知。だが取り戻させはせぬ。解放させはせぬ――我と同じように犠牲を背負う覚悟があるのならば討つが良い!』
ヨミガネによる世界への侵攻を終わらせるにはマスタープログラムを討つしかない。
<匣>より人間を解放する<天解>こそが最後の希望だった。
だが、マスタープログラムの解放はミコトの命が天へと解放されることになる。
「世界一つか、女一人か。ちぃ、典型的な姑息な手を使いやがって」
吐き気を催す邪気にカグヤは嫌悪感を一切隠さなかった。
「ミコト!」
破壊も解放も出来ぬイザミとカグヤをマスタープログラムは嘲笑う。
『所詮、黄泉路へと堕ちぬ者には背負えぬ覚悟。我らは選んだ。幾多の生命を刈り取り、犠牲とすることで人類存続を為す。破壊? 解放? コア一人の命を天秤にかけ、攻撃を躊躇する者に世界を存続させる資格なしっ!』
マスタープログラムの周囲が歪み、今までにない不可視の圧力がイザミとカグヤを潰さんとする。
不可視の鎧が先以上に悲鳴を上げ、展開維持の限界へと追い込まれていく。
『最低限の慈悲にて救うべき者の声で解放してやろう』
不可視の圧力が唐突に消える。
攻撃するチャンスであろうとも攻撃を行えばミコトにダメージが及ぶ。
同等の痛みを与えられるならば死なる痛みは死へと繋がり迂闊に攻撃などできはしない。
「あっ、ああ、ああああああああああっ!」
ミコトの全身が激しく痙攣、両目と口が大きく開かれ、悲痛なる痛みを叫ばせる。
「あ、あ――緋陽機緊急停止プログラム作動……」
イザミの意志に反してミコトの声に従った緋陽機<緋朝>は自らを停止させた。
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