第六話 解放ノ冥火

『……うふふ』

 聞こえないはずの、届かないはずの女子の声がイザミの鼓膜を確かに震えさせた。

 同時に全神経に怖気にも似た電流が貫き走る。

『彼女の右斜め後方五〇メートルから黒い光が来るよ』

 彼女が誰を指し示すのか、黒い光がなにか、愚鈍なイザミではない。

「クシナ、右に跳べえええええええええええええええええっ!」

 イザミの必死の叫びで本能を突き動かされたクシナはアスファルトを蹴っては跳ぶ。

 間を置かずして右斜め後方に立つ無傷のビルの中よりどす黒い光線が放たれ、クシナが先ほど立っていた場所を瓦礫ごと消失させた。

 ビルを押し退けるようにしてティラノサウルス型EATRがゆっくりと姿を現した。

「あ、危なかった……イザミさんがいなければ今頃は……」

 着地したクシナは五体満足であり星鋼機も無事であるも全身から冷や汗を流していた。

 汗を拭おうとヘルメットを脱げば、整った顔立ちと背中に流れる髪が露わとなる。

 だが実際に露わとなっているのは不意打ちによる心臓の早鐘であった。

「ビルの中に休止状態で待機していたのか……道理で見つからないはずだ」

 無傷のビルなら人っ子一人いないと思うだろう。そうだろう。

 EATRが狙うのはなんであろうと生きた人間のみ。

 建造物破壊は障害物排除の手段でしかないと、この一〇年、身に染みて知っている。

 ゴースト・ゼロが教えてくれなければ目の前からクシナはいなくなっていた。

(だが、何故おれに……ええい、今はEATRを倒すことに集中しろ!)

 接触ゼロのゴースト・ゼロについてはティラノサウルス型を倒した後だ。

「クシナ、おれの後ろ(バックス)につけっ!」

 返事よりも先にクシナはイザミの後方については大型ライフル銃を構え直す。

「バッテリーと弾は?」

「大丈夫です。バッテリーは七〇%を突破、残弾は一二発。イザミさんのお陰で消費を抑えられています」

「そうか――とにかく動いて狙いを絞らせるなっ!」

 二発目の黒き光線がティラノサウルス型の口部より解き放たれた。

 跳び上がるように回避したイザミとクシナは瓦礫やビル壁を蹴っては不規則に動くことで敵に狙いを絞らせない。

 ティラノサウルス型はどっしりと二脚で身構えているように見えるも眼だけはしっかりとイザミとクシナの動きを捕捉しているときた。

「解放ノ冥火、相変わらずなんて威力だ」

 ビル壁を蹴って跳躍を繰り返す中、イザミは舌打ち交じりに言った。

 瓦礫、人間問わず消失の無へと還す無慈悲な特異光学兵装、解放ノ冥火。

 デヴァイス<緋朝>に警告として保存されていたEATRの特殊兵装の名前だ。

 ディナイアルシステムの不可視の鎧は戦車砲の直撃すら耐え切ろうと解放ノ冥火の前ではいとも容易く貫通を許す。

 恐ろしいのは全EATRの口部に実装されている点だ。

 防ぐより避けるのが最良であり、不幸中の幸いは弾速が高水圧放水より少し速いこと、高威力の割に有効射程は一〇〇メートルきっかりと短く、一〇一メートルを過ぎることなく消失することであった。

 この手の特殊兵装に対抗するには一〇〇メートル以上の射程外からの狙撃が有効とされていたが、EATRは適応進化により狙撃に対して強固な装甲を持つようになった。

 確実に仕留めるにはディナイアルシステムの斥力場込みの近接武器による質量で装甲を破砕するか、至近距離から銃弾をお見舞いするしかない。

「おれが突っ込む……援護を任せた」

「はい、任されました」

 ぎゅっと大剣を掴むイザミの頭上にいるクシナは空となったマガジンを宙で交換しながら鋭い目と声音で応えた。

「行くぞっ!」

 イザミは瓦礫着地にて生じた衝撃を加速へと織り交ぜ、距離を一気に詰めんとする。

 大剣を両手で担いでは姿勢を限りなく低く、脚力は一切緩めない。

 剣先を天に構え、舞い上がる瓦礫の破片を空気の壁共々切り裂くようにして猛進する。

『ぐぎゃぎゃあああああああああああっ!』

 対してティラノサウルス型も応戦するように二本の脚で瓦礫と人間の遺体を踏み潰しながらイザミに猛進する。

 口腔内に収納された砲口が伸展される気配はないが、びっしり鋭く並んだ歯と鎌のような爪が血を求めていた。

 イザミが大剣を振り下ろしたのとティラノサウルス型がアスファルトに足爪を食いこませて身体を反転させたのは同時だった。

 緋色の大剣と重厚な尾が激突、緋色と闇色の火花が飛び散った。

「ぐっ、ぐぐぐっ!」

 今の今まで一振りで破砕してきた大剣が尾で受け止められ、鍔迫り合いとなる。

 激突時の衝撃は不可視の鎧で流されようと状況は好機へと流れない。

「なんて硬さだ!」

 舌打ちする暇などイザミにはなかった。

「イザミさんっ!」

 後ろからクシナの声が飛ぶよりも先にイザミは交差する尾を刀身で流しては右へとアスファルトを削るようにして回避する。

 ティラノサウルス型はすぐさま身体を反転させ、口内直撃コースの銃弾をあろうことか意図的に口で受け止めようと大口を開いている。

 命中する寸前、口内にほの暗い光が集った。

『ガリ、モゴモゴ……――ペッ!』

 硬いものを齧る音、咀嚼する音、そして吐き捨てる音がティラノサウルス型からした。

 吐き捨てられたのはクシナが放った銃弾だ。

 まるで道端に捨てられたガムのように原型留めぬ銃弾が瓦礫の上に転がり落ちる。

「た、弾を食べた、だと……ちぃっ!」

 驚嘆する暇は即ち死への隙を招く。

 イザミはアスファルトを蹴ってはティラノサウルス型から一〇〇メートル以上の距離を取る。

 解放ノ冥火の有効射程に立ち続ける愚行は犯さなかった。

「先の光、恐らくは解放ノ冥火を応用したのでしょうか?」

 クシナはスナイパーだけあって観察力はイザミの上を行く。

 ディナイアルシステムの不可視の鎧は解放ノ冥火に貫通を許すなど相性が悪い。

 応用されれば斥力場を完全無効とする防壁を展開してくる危険性を孕んでいた。

「そうだとしても、様子からして口内炎みたいに口内でしか発生できないようだな」

 戦闘に適応し成長進化する。

 EATRのなによりも恐ろしいところだ。

 そう遠くない日、EATRは星鋼機を完全に追い越すだろう。

 追い越されれば星鋼機頼みの人類に残された道は滅びしかない。

『が、ガガガガ―――コ、ココッコ――ケケケン』

 突撃することもなく不動を維持するティラノサウルス型の口内よりノイズが放たれる。

『グゲ、ゲゴゴゴ、ゲホゲイジゲホ、ゲゲイボ、グゲヘヘヘヘヘっ!』

 解放ノ冥火ではなくむせるようなノイズにイザミとクシナは眉根を潜めた。

 一先ずの間をおいて口内よりひしゃげた円筒が飛び出ては瓦礫の上を転がり、変形した銃弾と寄り添った。

「筒……まさか砲身か?」

 目を凝らせばティラノサウルス型の口内からあるべき砲身が消えている。

 ティラノサウルス型もまた己の口内よりなにが飛び出したのか気づいたようで、短い手で触れて確かめようとするも、短いゆえに下あごにすら届かず無残にも空を切る。

「……口から出る臭い玉かよ」

「正確には細菌と白血球の死骸の塊である膿栓(のうせん)です」

 殺戮の権化がコントなど笑えない。

 イザミはうがい時にポロリと口から出てきた記憶があるも、クシナも出るのかふと余計な疑問を抱いた。

 だが、戦闘中であること、好機なことでイザミはこの疑問を打ち切った。

「恐らくは先の防御で中の砲身がダメになったのでしょう」

「慣れねえことするから、そうなるんだよっ!」

 イザミは吐き捨てるなり大剣の剣先を後方に向けた姿勢で一気に距離を詰めた。

 ティラノサウルス型もマヌケに確かめ続けているわけでもなく、瓦礫を両脚で踏みしめ再度迫る。

 このまま激突すれば先のような鍔迫り合い。

 ところがティラノサウルス型は二の徹は踏まずして、スラスタの噴射抜き、純粋な脚力のみでどのビルよりも高く跳び上がってはイザミの頭上を獲る。

 身体を宙で反転させた後、背面ロケットブースターの全力噴射と重量ある尾でイザミを圧死させんとした。

「イザミさんっ!」

 クシナが叫びながら銃弾を放つもアンチマテリアルライフル型は狙撃に特化したタイプであるためマシンガンのような速射機能がない。

 次弾を手動装填するボルトアクションではなく、発射ガスを利用した自動装填のオートマチックであるため連射は可能であろうと連射能力は劣る。

 加えて連射しようならばオートマチックの特性上、次弾発射の反動により狙撃精度が落ちる。

 腰だめに構えたクシナは連射のブレをものともせず確実に命中させる腕があろうとティラノサウルス型の降下を阻止するだけの効果はなかった。

「……はああああああああああああっ!」

 イザミは迫りくる死に怖気ることなく裂帛の気合を込めた声で空気を強かに震わせる。

 同調するように大剣は緋色の相を深め、放たれた同色の粒子が更なる幅広で長大な刀身を形成する。

「せいはあああああああああああああっ!」

 覇気を刀身に纏わせた大剣を上空から迫るティラノサウルス型に激突させた。

 ティラノサウルス型は尾で受け止めるが、一秒も受け止めることができなかった。

 爆煙にて黒紫の粒子が雪のように降り注ぎ、鉤爪の前足が瓦礫の仲間入りを果たす。

「まぢ、これはきついぞ……」

 次いで途方もない疲労感と眩暈がイザミを襲う。

 先の斬撃は<緋朝>に内包されたパワーを一時的に解放したもの。

 原理は不明だが戦意高揚にて感情が一定の段階まで高ぶった時のみ使用可能となる。

 EATRを一撃で葬り去るだけの高い威力を持とうと使用後には凄まじい疲労感と眩暈が訪れるため乱用はできない諸刃の剣であった。

「お、おおっ……」

 立ち続けるのも不安定となってイザミは正面から倒れかかるもビックバンなクッションが受け止めてくれた。

「大丈夫ですか?」

 クッションの正体はクシナのビックバンなおっぱいだ。

 疲労が性欲を食っているために、イザミは女の乳に顔を埋めている自覚はあるも男の性が湧き上がらずにいる。

 悔しいどころか死にたいと抱くのは男の原罪であった。

「一撃で仕留められたから良いとしても戦闘後にこうも倒れては心配する者の身になってください」

 クシナからお叱りの言葉が飛んできたのと黒紫の塊が激突したのは同時だった。

「なっ、なんだと!」

 イザミの身体を蝕む疲労感を驚愕が一瞬で喰らいついた。

 クシナの星鋼機の不可視の鎧に突進したのは屠ったはずのティラノサウルス型。

 両断したはずが生存しており、側面スラスタを全開にして不可視の鎧と衝突を繰り返している。

 よく見れば五体満足ではなく、重厚な尾を筆頭に、鉤爪の前足、強靭な二脚は欠損している。

 恐らくはトカゲの尻尾切りのように部位を捨て駒とすることで仕留めたと誘発させ奇襲への布石とした。

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