第一章:貪る金属と幽霊

第一話 家

 寝起きは最悪だ。

 またしても帰宅するなり玄関で力尽き、眠りに落ちてしまった――ようだ。

 同居人から寝るならベッドでとしっかり釘を刺されているにも関わらずまたやってしまった。

 背中には硬く冷たいフローリングの感触が伝わる一方、後頭部には人肌程度に温かく、柔らかな感触が伝わっている。

 目覚めの時間の次はお仕置きの時間だと雨津イザミは霞かかる思考で後悔した。

「あ、おっきした?」

 うっすらと瞼を開けば、やや頬を膨らませた同居人の少女が膝枕にてご立腹だ。

 柔らかで温かな感触の正体は同居人、岩戸(いわと)ミコトの膝である。

「あ~おれはまた寝ていたのか……」

 意識が覚めやらぬ中、イザミはミコトの顔をじっと見上げていた。

 肩に当たるか当たらないかの髪に、温和で優しげな顔立ち。優しそうな目尻と芯の強さを現す瞳はやや不機嫌気味に吊り上げられ、怒っているのが寝ぼけた思考でも分かる。

「うん、寝てたよ」

 膨れた声でミコトは言う。

 薄手のパジャマの上にカーディガンを羽織っては柔らかな太ももにイザミの頭部を恥ずかしげもなく乗せている。

 今年で一四歳となり女らしさ――胸とか尻の膨らみ――が増そうと異性のイザミと接するのに呵責や遠慮は見え隠れしない。

 かれこれ一〇年以上も一つ屋根の下で暮らしているのだ。

 異性だとしても互いに家族という色相が濃いからかもしれない。

「今回はどこまで行ったのかな~?」

「さてな」

 曖昧にイザミは視線逸らさず返す。

 如何様な敵と戦い、如何様な人物を救っては喜び、救えなかったことに哀しんだか。交戦データは記録されているため、閲覧すれば詳細は確認できるだろう。

 ただ終わったことを確認する気はなかった。

 後悔と死体を引きずるようものだからだ。

「言いたいことは色々あるけど……おかえり」

「ただいま」

 イザミにとってミコトは帰るべき日常であり、当り前であるべき日常である。

 生死を賭けて戦い続けるのが日常ではなく、ただ怠惰で退屈で平穏な日々こそが日常であり、ミコトなしでは考えられない。

 ミコトの膝枕のお陰で意識を覚醒させつつあるイザミは肺の中の空気を吐きだした。

「イザくん?」

 小首を傾げるミコトを他所にイザミは身体を反転させると同時に、力をもってパジャマのズボンをずり降ろす。

 次いでがっしりと腰に抱きつけば曝け出した青白いショーツに思いっきり鼻先を埋めては息を吸い込んだ。

 身体の反転から吸い込みまでおよそ二,五秒。

 女の甘い香りが鼻孔を擽り、イザミの性を融かし尽くす。

 ああ、日常の香りだと覚醒レベルを上昇させる。

「ふえっ!」

 状況を把握したミコトから困惑と驚愕の声がしようともう遅い。

 イザミはミコトの香りを二度三度深呼吸にて堪能しては満足するように起き上がった。

「うがあああああああああああああああああああああああっ!」

 瞬間、顔を真っ赤にしたミコトは野獣のように吼えてはアッパーでイザミを殴りつけた。


 あの世で二度寝したとの錯覚を抱くほどの拳だった。

「朝からお、女の股に顔突っ込んで深呼吸するなんてどこの変態紳士よ! 家族だからって限度があるわ!」

 キッチン前に立って朝食の支度をするミコトはかなりのご立腹である。

 下顎を赤く腫らしたイザミは素直に謝らねば飯抜きだと思った。

「悪い。帰って来たって実感が欲しくてついな……」

「気持ちは分かるけど、わたしの気持ちも考えてよ!」

「分かった」

 イザミは唇を噛みしめて意を決する。

 半ば本能で行ってしまった痴態だが言い訳はしない。

 家族として、男としてミコトに不快感を与えた責任を取る必要がある。

「ミコト、おれの股に顔を埋めて香りを嗅ぐんだ! それがおれの責任だ!」

 堂々とイザミは臆することなく身体を大きく広げて見せた。

 ズボンと下着は降ろしていない。

 ミコトのパジャマを下ろし、下着を曝け出した以上、ミコトの手自らイザミの衣服と下着を降ろすことこそ公平であると判断したためである。

「……バカ」

 ミコトはイザミの股に顔を埋めることも、香りを堪能することもない。

 出荷される家畜を見るような冷ややかな目をただ向けており、冷蔵庫から取り出した太めのソーセージを素早い包丁捌きで輪切りにしていた。

 ブラインドタッチならぬブラインドカットの見事な早技である。

 拍手喝采を贈るべき両手は男の本能で下腹部を守らねばならなかった。

「……大人しく座っています」

 男の危険を感じたイザミは大人しく席に着く。

「ご飯出来るまでシャワーでも浴びて来なさい」

 手に握る包丁を鈍く輝かせるミコトの目に冗談は一切なく、イザミはハイとYESの二択しかなかった。

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