第11話 ゴリラサプライズ

 入試が近付くにつれ、放課後の図書室も目に見えて賑わってきた。と言っても、聞こえてくるのはペンが走る音と、紙をめくる音、そして僅かなヒソヒソ声だけだ。

 俺と熊井は、例によって後藤さんと向かい合って勉強を教えてもらっている。と言っても、別に付きっきりというわけではない。後藤さんは基本的に読書に勤しんでいて、俺達が行き詰まった時に教えてもらう形だ。

 熊井は最初の方こそ俺に突っかかってきたが、俺があまり積極的に後藤さんにアプローチをかけないから無害と判断されたのか、ここ最近は大人しいものだ。だが、今日再び修羅場になるかもしれない。後藤さんも熊井も、俺の企みなど知る由もない。


「あっ、もうこんな時間。今日はもう終わりにしましょうか」


 後藤さんが図書室の時計を見て言った。もうすぐ6時を回ろうとしている。外も真っ暗だ。確かにこれ以上ここにいるのはよろしくない。後は家で勉強するとしよう。だが、その前に例の件を言っておかなくては……。


「……あのさ、2人とも。ちょっと話があるんだけど」


 俺の言葉に、2人が手を止めて訝しげな表情を浮かべる。


「はい、何でしょう?」


「俺の友達の乾って奴の家が洋菓子屋でさ。俺もよくあそこのケーキご馳走になるんだけど、すごい美味いんだ。で、もうすぐクリスマスじゃん? その日は売れ残りのケーキが毎年大量に余るらしいんだ」


「ふーん。で?」


 熊井が眉間に皺を寄せて苛立った態度を見せる。一瞬臆しそうになるが、ここで話を中断するわけにはいかない。


「今年で俺達卒業だし、記念にクリスマスパーティやるらしいんだ。それでさ……あの……2人も来ないか?」


「えっ……?」


「はあ?」


 戸惑う後藤さん。何言ってんだこいつと言わんばかりの熊井。「ごめん、やっぱいい」という言葉が出てきそうになるが、何とかそれを飲み込む。そして晴香の言葉を思いだす。多少強引にでも誘うんだ。この様子だと俺が引いてたら、この2人は絶対に歩み寄ってこない。まあ、後藤さんさえ来てくれれば別に熊井は来なくていいんだが、多分熊井が来ないと後藤さんも来ない。


「受験勉強で大変な時期なのは俺だって重々承知だ。でも高校生活最後のクリスマスだ。その時ぐらい息抜きしたって罰は当たらない。それに俺は、2人にお礼がしたいんだ。2人のおかげで、俺の成績はこの短期間で自分でも驚くぐらいに伸びてるんだからさ」


「梨央はともかく、何であたしまで?」


「熊井は俺にとっていい刺激になってるんだ。言い方は変だし志望校も違うけど、いわばライバルみたいなものだ。熊井が隣で頑張っているから、俺もここまで頑張ってこれたんだと思う」


「な、何だよ急に……気持ちわりいな」


 照れているのか、満更でもなさそうだ。こいつもこんな顔するんだな。しかしまあ、嘘ではない。恋路の邪魔者ではあるが、実際熊井がいなければここまで頑張れなかったかもしれないのだから。


「来るのは俺と乾と雉田。それと俺の妹と、雉田が他の12組の女子を多分何人か連れてくると思う。いろいろなケーキが食べ放題なんて機会、そうそうあるもんじゃないぞ。いきなりの誘いで驚くのは分かるけど、俺はただ皆で一緒に楽しみたいだけなんだ」


「……」


 ……暫しの沈黙。後藤さんは熊井の方をチラチラと見ている。やはり熊井次第というわけだな。後藤さんらしいと言えば後藤さんらしい。熊井は腕を組んで俯きながら考えている。

 この時期、一日たりとも遊んでなどいられないと思っているのか? それともケーキ食べ放題という言葉に惹かれているのか? 俺は緊張のあまり、何度も息を飲んだ。まるでクイズ番組で、司会者が正解か不正解かの発表を、目一杯焦らしているかのようだ。


「……本当にケーキ食べ放題?」


「ああ。少なくともホールケーキ5台分は確実に余るって言ってた。万が一売り切れたら、その時はパーティー用にちゃんと作るって」


「ふーん……」


 釣れる……これは釣れるぞ。高校生の身分でケーキ食べ放題など、滅多にある機会ではない。ましてや女は甘い物が大好きだ。断る理由などあるはずがない。


「……しょうがないなぁ。そこまで言うなら行ってやるよ」


「月乃が行くなら、私も行こうかな……」 


 よし! 俺は心の中で思い切りガッツポーズした。遂に主役が舞台に上がったぞ。後は当日どう立ち回るかだ。大丈夫、俺には心強い味方がたくさんいるのだ。必ずこの機会に後藤さんと親密になって、そして遅くとも卒業までには後藤さんと……。


「よ、良かった。じゃあ、前日までには時間と場所伝えるよ」


「はい、楽しみにしてますね」


 最初はどぎまぎしていた後藤さんだが、熊井が一緒に来るという事で安心したのか、いつもの笑顔を俺に向けてくれた。そして、自分が出した本を本棚に片付けるため席を立った。


「……ねえ」


 熊井が自分の持ち物を鞄にしまいながら、俺に声をかけてきた。


「ん?」


「お礼とか何とか言ってたけど、本音は梨央に告るつもりなんでしょ」


「な、何言ってんだ。皆の前でそんな事できるか」


「誘いに乗ったのは、正直言うとケーキに釣られたってのもあるけど、あんたが梨央に変な真似しないように監視するためでもあるんだからね。ここで断っても、あたしのいない所で強引に梨央だけ連れていく可能性もあるわけだしね」


「人をケダモノみたいに言わないでくれよ……」


「ふん、男なんて皆ケダモノじゃない。女の子を性欲を満たす道具としか見てないんだから」


 凄い言われようだな。もしかして、過去に男に何か嫌なことでもされたのか? それが熊井を同性愛に走らせたとか……。そこまで考えて俺は思考を停止させた。

 やめよう。そんなのは憶測でしかないし、真実を確かめる必要もない。熊井の恋路を邪魔しようというつもりはないが、かといって俺も大人しく引くつもりもない。後藤さんの心をどちらが先に射止めるか。どちらが勝っても恨みっこなしだ。


「まあとにかく、受験の事はその日だけは一旦忘れて、皆で楽しもうぜ。俺が考えてるのはそれだけだ」


「そういう事にしといてあげる。ただし、わざわざ呼びつけておいて、肝心のケーキが不味かったら承知しないよ」


「その点は安心していい。乾の両親はもちろん、乾自身も見かけによらず菓子作りの腕はピカイチだ」


 さり気なく乾の株を上げておく。これは乾のためでもあり、もちろん俺のためでもある。熊井が乾とくっついてくれれば、これほど都合のいい事はない。


「ごめん月乃、お待たせ。帰ろっか」


「うん!」


 さっきまでの俺に対する態度とは一変、熊井の目は純粋な恋する乙女のような目に瞬時に変わった。女ってのは本当によく分からないな……。


「じゃあ猿山君、また明日。クリスマスパーティー、楽しみにしてますね」


「お、おう。期待しててくれ」


 俺は図書室から出て行く2人の背中を見送り、少し時間を置いてから退室した。すぐに出て行くと、何となく後ろから付け回しているような気分になるからだ。

 校門から出る直前、俺はピタリと足を止めて左右を確認した。あの日以来、無意識に取っている行動だ。後藤さんという素敵な女性と知り合うきっかけになったとはいえ、もう轢かれるのは御免だ。車が来ていない事を確めてから、再び足を前に踏み出す。


 これまでの事や、今度のクリスマスパーティーの事をモヤモヤと考えている内に、いつの間にか自宅の前に到着していた。悩んでいても仕方ない。後はなるようにしかならないのだ。そう開き直り、俺はドアノブに手をかけた。


「ただいま」


「お帰りなさい」


 母さんが夕食を作りながら応えた。匂いから察するに、今日は豚の角煮かな。俺の大好物だ。今日の夕食に心躍らせながら、俺はリビングを横目に階段を上る。

 2階の自室に入ろうとした時、対面の晴香の部屋から話し声が聞こえてきた。誰かと電話しているようだ。


「うん。うん。オッケー、任せて。ほんじゃ、またパーティーでね。バ~イ」


 パーティーで? てことは、今話してたのは乾か。電話を終えた晴香が部屋から出てきた。


「あっ、お帰り兄貴。今ちょうど乾君とパーティーの件で話してたんだよ」


「へえ。どんな事を?」


「まあ、作戦会議ってやつかな。あくまで主目的は兄貴の恋の成就だから、ただ遊んでお終いってわけにもいかないでしょ」


 何と……そこまで考えてくれてたのか。つくづく良い友人と妹を持ったものだ。


「それより、兄貴の方は上手く誘えたんでしょうね? ここまでお膳立てさせておいて、来てくれませんでしたーとか言わないでよね」


「だ、大丈夫だよ。今日誘ったら、来てくれるって言ってくれたし」


「あら、そうなの。じゃあ、後は私らに任せてよ」


 晴香がそう言って、真っ平らな胸をドンと叩いた。


「ところで、どんな作戦を立てたんだ?」


「それは秘密」


「おいおい……当事者の俺に秘密にしてどうすんだよ」


「兄貴に話したら、絶対ぎこちなくなって自然に振る舞えなさそうだし。パーティーには兄貴のライバルも来るんでしょ? 私らがグルになって、兄貴とその人をくっつけようとしている事は勘付かれたくないでしょ」


 まあ、確かに……。任せろって言ってくれてるんだから、恋愛素人の俺は下手な事はしない方がいいのかもしれない。しかしやはり、作戦内容が何も分からないというのは不安だ。当日まで、俺の心に安息というものは訪れそうにない。

 晴香の肩越しに、晴香の部屋に掛かっているカレンダーを見る。来週は期末テスト。そして再来週がクリスマスだ。期末テストでコケたら、せっかく教えてくれた後藤さんに合わす顔がない。逆に満足のいく結果を残せれば、それは大きな自信になる。


「そうだな。じゃあ、任せるよ。俺は期末テストの勉強するから」


「はいよ。兄貴、ここ最近本当に人が変わったよね。今まで野球以外は何もしてこなかったのにさ。よっぽどいい人見つけたんだね」


「……ああ。あんないい子は他にいないよ」


「ふふ、私も会うの楽しみになってきたよ。ちゃんと紹介してよね」


 ……多分後藤さんを見たら、めちゃくちゃ驚くんだろうな。別にサプライズにするつもりはないんだが、何となく言い出せずにいる。しかし、兄がゴリラみたいな女の子に惚れて、それに協力しようなどと思うだろうか。後藤さんの良さは、会って話してみないと分からない。だからそれまで、晴香には黙っておこう……。

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