第10話 大柄でパワフル

 今日は後藤さんが用事があるらしく、放課後の図書室での勉強会はお休みだ。ここのところ毎日だったから、こうして乾と下校するのも久しぶりだ。駅の地下鉄のホームで電車を待っている時、雉田が階段を降りてくるのを見つけ、俺は手を振って呼んだ。雉田の方も俺達に気付き、早足でこちらに歩いてくる。


「やあ。今日は図書室行かないの?」


「ああ、後藤さん用事あるって」


「そうなんだ。残念だったね」


「まあいいさ。毎日付き合わせちまうのも悪いしな。でも勉強は家でしっかりやるつもりだ」


「……俺は未だに信じらんねえよ。猿山ともあろう者が、門木大学目指して猛勉強なんてよ」


 そりゃどういう意味だ。と言いたいところだが、俺自身も信じられない事をしているのだから、乾の言う事は至極正論だ。だが、それよりももっと信じられない事実を、先日俺は知ってしまった。この2人にはまだ熊井の事は話していない。

 電車がやってきた。ドアが開き、降りる人間がいなくなると同時に俺達3人は車内に足を踏み入れる。空いてはいるが、3人並んで座るほどのスペースは無いため、奥側の扉に寄りかかった。電車が走り出すと同時に、俺は例の件を切り出した。


「雉田。お前のクラスに、熊井って女子いるよな」


「あ、うん。後藤さんと1番仲がいい女子だね。熊井さんがどうかしたの?」


「実はな……」


 俺はあの日の事を話した。つまり、熊井月乃という女の本性を。乾はもちろん、雉田もこの事には流石に驚いたようだ。


「ほ、本当にそんな事言ってたの?」


「ああ。ありゃ冗談言ってるような目じゃなかったぞ」


「確かに仲が良すぎるな~とは思ってはいたけど……。でもまさか、熊井さんがそんな目で後藤さんを見ていたなんて」


 雉田が腕を組み、唸りながら首をかしげる。


「熊井って、あのギャルっぽい子だよな。確か結構可愛かったと思ったが。ん~、しょうがねえなぁ。そんじゃここは俺が間に入って、男の魅力ってやつに気付かせてやるとするか。そうすりゃ猿山も安心して後藤と付き合えるしな」


 乾がにやけた顔で言った。清々しいまでに下心丸出しだ。だが乾が熊井を後藤さんから引き離してくれれば助かる。まあ別に引き離さなくてもいいが、せめて恋愛対象から外してくれれば、事は穏便に済みそうだ。


「てわけで猿山。熊井もクリスマスパーティーに誘うんだ。そこで俺が熊井と親密になり、お前は後藤と親密になる。それで皆ハッピーのwin-winだ」


「えー、僕は?」


「お前は普段からモテんだからいいんだよ! なんだったら、お前のファンも数人連れてこいよ。可愛い子限定だぞ。そこで俺様特性のクリスマスケーキを振る舞ってやれば、もしかしたら俺に心変わりしてくれるかもしれねえしな」


 こいつは可愛ければ誰でもいいのか……。こんなんだから、恋愛経験は多くてもどれも長続きしないんだろうな。


「まあ……僕だけハブられるのも面白くないから、何人か声かけとくよ」


「よし。いや~、今から楽しみだな猿山よ。いい友達持ったなお前は」


 乾が俺の肩をバンバンと叩いた。どこまでお調子者なんだこいつは。肝心の後藤さんが来るかどうかまだ分からないってのに。

 そうこうしている内に、電車は乾の最寄り駅に到着した。そして乾はいつも以上に上機嫌に降りていった。


「乾君が計算してるかどうかは分からないけど、他の女子も連れていくってのは、なかなかいい案だと思うよ」


 雉田が乾の背中を見送りながら呟いた。


「どういう意味だ?」


「熊井さんは、恋のライバルである猿山君にこそ自分の本音を宣戦布告としてぶちまけたみたいだけど、流石に他のクラスメートには知られたくないんじゃないかな。だって今まで、そんなの噂にすら聞かなかったんだもん」


「なるほど……。他の女子の手前、自分の本性はさらけ出せないってわけか。つまり、俺の後藤さんへのアプローチを堂々と妨害する事はやりにくいと」


 もし乾がそこまで考えてるなら大した物だな。まあ多分無いだろうけど。

 俺の家の最寄り駅に到着し、雉田ともここで別れた。まだ夕方だというのに、日は既に沈みきっている。ここのところ冷えるし、本格的に冬が近付いてきている事を肌で実感する。即ち、クリスマスも近いという事だ。後藤さんにも都合というものがある。誘うなら早めに誘った方がいいな。

 街灯に照らされる静かな住宅街を歩く事約10分。俺は我が家に帰ってきた。


「ただいま」


「お帰り~」


 妹の晴香はるかが、リビングでテレビを観ながら応えた。両親の靴が無い。そういえば今日は2人でデートするとか言ってたな。いい歳してお熱いことで。まあいい、それより勉強だ。


「兄貴。もうすぐ兄貴の好きな映画始まるよ。観ないの?」


「ん……いや、俺は自室で勉強するわ」


「べ、勉強!? 兄貴が勉強!? えっ、何、どうしたん?」


 晴香がこれでもかと言うぐらいにオーバーリアクションで驚いた。まるで超常現象でも目の当たりにしたような態度だ。まったく、失礼な奴め。


「俺だって受験生だぞ。勉強ぐらいしても不思議じゃないだろ」


「いやまあ、そうなんだけど……。大学なんてどこでもいいとか言ってなかった? 何、もしかして好きな人と同じ大学にでも行こうとしてるの?」


「!?」


 な、何て鋭い奴だ。晴香は昔から勘が良く、特にこういった色恋沙汰にはめっぽう反応がいい。だがそれ故に、自分の周りの片思い事情にいち早く気付き、キューピッド役としてその恋を成就させた事は何度かあるらしい。もしかしたら、この晴香も味方に付ければ、俺の恋も成功率が上がるのでは?


「あっ、もしかして当たってる? へえ~……野球馬鹿な兄貴も、遂に女の子に興味を持つようになったか。まあ、引き出しの裏とかベッドの下にあんな本を隠し持ってるぐらいだから、そういう欲求は前からあったんだろうけど」


「う、うるさいな! ていうか何でお前が隠し場所知ってんだよ!」


「あれで隠してるつもり? お母さんに見つかる前に、別の場所に移した方がいいと思うよ~。ぷぷぷ」


 晴香が馬鹿にしたような笑みを浮かべた。くそ、こいつ最悪だ。プライバシー侵害にも程がある。しかも、思春期の少年が最も家族に触れてほしくない部分に、平然と首を突っ込んできやがって。今度こいつの部屋も荒らしてやろうか。

 いや待て……ここでこいつの機嫌を損ねるのは得策ではない。味方は1人でも多い方がいい。俺は顔を真っ赤に染めながらも、ぶん殴ってやりたい衝動を堪えた。


「で、どんな人よ? 兄貴の初恋のお相手は。可愛いの?」


「……可愛いっていうかまあ……個性的だよ。大柄でパワフルな子だ」


 ゴリラにしか見えない女の子とは流石に言えず、精一杯オブラートに包んで言った。後藤さんの魅力は、実際に会って話させないと伝えようがないのだ。


「ふーん。今度紹介してよ。どんな人なのか気になる」


「家族に紹介する程親密じゃねえよ……。クラスだって違うし、放課後にちょっと会って話すだけだ」


「そうなんだ? もっと積極的に攻めればいいのに。このまま卒業しちゃったら、それっきりで終わっちゃうよ。同じ大学に行ければまだチャンスはあるけど」


 その言葉が、俺の心にグサリと突き刺さった。そうなのだ。まだ俺達はお互いの電話番号すらも知らない。こうして毎日猛勉強してはいるものの、現実的に考えると、門木大学に受かる可能性ははっきり言ってかなり低い。今度のクリスマスパーティーで何も進展がなかったら、そのまま卒業して永久にお別れなんて事も充分にあり得る。


「……なあ、晴香。今度、乾の家でクリスマスパーティーやるんだ。お前も来ないか?」


「えっ? 私も行っていいの? 乾君とこのケーキ美味しいから、行っていいなら是非行きたいけど」


 晴香はちょっとした驚きの表情を見せた後、何かに納得したかのように小悪魔のように口元を綻ばせた


「ははーん、なるほど。その好きな人も来るから、仲良くなれるように私に協力してほしいってわけね?」


 本当に鋭い奴だな……。我が妹ながら恐ろしい。だが、それと同時に頼もしい。親切心半分、野次馬半分といったところだろうが、結果的に俺が後藤さんと付き合える事になれば、この際細かい事は気にしていられない。


「まあ、出来れば……」


「もう、しょうがないな~。他でもない兄貴の頼みだから、協力してあげるよ。その代わり、上手くいったら成功報酬貰うからね!」


 何だよ成功報酬って……。まあいい。とにかく、舞台の準備は着々と進んでいる。後は、主役を舞台に上げるだけだが……果たして上手くいくかどうか。それを失敗してしまうと何の意味もない。


「でもよ、まだその子には声かけてないんだ」


「あれ。何だ、そうなの? まあ、兄貴が女の子をパーティーに誘うなんて想像出来ないしねぇ。ちなみに、どんなタイプの性格なの?」


「どっちかというと、内気で大人しい子だな。図書室で読書するのが趣味だから」


「そういうタイプなら、多少強引にでも誘った方がいいよ。出来れば来てほしいな~、じゃなくて、来て下さいお願いします! 何でもしますから! ってな具合でね。何なら土下座までしてもいいんじゃない?」


「いや、流石にそこまですると逆に引かれるだろ……」


「まあ土下座は冗談として、とにかく行かなきゃ悪いなって思わせるんだよ。罪悪感を感じさせちゃえばこっちのもんよ」


 何か言い方がアレだが、まあ一理ある。後藤さんの性格を考えると、押しが強ければ案外あっさりと承諾してくれるかもしれない。よし……覚悟は決まった。次に後藤さんに会った時、誘ってみるとするか。

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