第12話 ゴリラショック
「猿山」
「はい」
先生に名前を呼ばれ、教卓へと足を運ぶ。そして渡される1枚の紙。そこには、赤いインクで大きく85と書かれていた。
「前回の中間テストはマグレじゃなかったみたいだな。やれば出来るんじゃないか」
「どうもッス」
クラスメート達から「お~」という溜め息交じりの声が漏れる。これで全ての期末テストの結果が出た。全テストの学年平均点は72点。そして俺の平均点は83点。あれだけ意味不明だった数学や英語も75点という大健闘だ。
俺の努力の成果というよりは、ポンコツの俺をここまで育て上げた後藤さんが凄すぎる。これだけの点を取れば、心置きなくクリスマスパーティーを楽しめるだろう。
「はあ~、大したもんだな。つい最近まで俺と大して変わらない成績だったのによ。そんなにあいつと同じ大学に行きたいのかよ」
休み時間、平均点を下げるのに大きく貢献した乾が、からかうように声をかけてきた。
「ああ。俺は本気だ。ここまで来て今更引き返せるかってんだ」
「まあ今のお前なら、門木は無理にしてもそこそこの大学には行けるだろうな。でもその前に、ある意味それ以上に大事なイベントがあるのを忘れてないよな」
忘れるわけがない。そう、いよいよ明日だ。今は放課後に勉強を教えてもらうだけの仲に過ぎないが、明日の内容次第で一気に関係が深まる可能性がある。そう思うと、今から緊張してきた。果たして本当に上手くいくのだろうか。不安ばかりが募る
そういえば、明日は土曜日で学校は休みだ。となると恐らく皆私服で来るだろう。後藤さんの私服姿は見たことがない。普段どんな服を着ているのだろう。意外と可愛らしい服装なのか、それともやはりゴリラっぽい何かなのか。見た目が見た目なだけに、全く想像出来ない。
「おい、聞いてんのか?」
「えっ? あっ……すまん」
しまった。また乾が何か喋ってたのに頭に入っていなかった。
「ったくお前って奴は……。とにかく、明日は閉店後からだから、8時スタートだぞ。遅れんなよ。まあ、晴香ちゃんも付いてるから大丈夫だとは思うが」
「わ、分かってるよ。後藤さん達にも時間と場所は言ってあるし、メモも渡してあるから」
「メモ? 何だよ、そんなのメールでいいじゃ…………あっ」
どうやら察したようだな。そう、俺は未だに後藤さんと電話番号の交換すら出来ていないのだ。明日のパーティーでの第一の目標は、とにかく電話番号なりメルアドなりの交換だ。俺の携帯の男臭い電話帳は、母さんと晴香以外の女の連絡先の登録を、今もずっと心待ちにしている事だろう。待っていろ……もうすぐ叶えてやるからな。
*
翌日。さっきから晴香は俺の部屋のタンスやクローゼットを漁り、俺の服を次から次へとゴミのようにポイポイ投げていく。部屋はまるで空き巣にでも入られたかのような酷い有様だ。俺はそれに対して文句の1つも言えず、全身鏡の前でただ縮こまっている。
「もう! さっきから何なのこれ! 何でこんなのしか持ってないの!?」
「……」
晴香と共に出発しようとした直後、晴香は信じられないと言うような目で俺を凝視した。要するに、俺の服装がまるでパーティーに適さないというのだ。友達と遊ぶだけならともかく、今回の主目的はそうではないのだからと。
俺は晴香に腕を引っ張られて強引に部屋に連れ戻され、着せ替え人形のように着せられては脱がされというのを繰り返している。高3にもなって、中学生の妹にこんな事をさせられるとは。情けなくて涙が出てくる。
「くぅ~……仕方ない。このコーディネートが1番マシかなぁ」
晴香が口惜しそうに呟いた。確かに最初の俺の服装よりも大分マシになった気がする。センスの無い服の山の中から、よくここまでまともに仕上げられたものだ。晴香にはコーディネーターの才能があるのかもしれない。これなら後藤さんに見せても恥ずかしくないだろう。
「ああ! もう時間ないし! ほら、さっさと行こ!」
「お、おう!」
一瞬、誰のせいだよという言葉が出かかって、慌てて飲み込んだ。俺のせいだな、うん。
乾の家は駅1つ分しか離れてないから、自転車で20分程度で行ける。飛ばせばギリギリ間に合うだろう。俺と晴香はそれぞれの自転車に跨がり、目一杯ペダルを踏み込んだ。街灯に照らされた夜道を並んで疾走する。住宅街の裏道をすり抜け、田んぼ道を走り抜ける。田んぼのカエル達の合唱が、まるで俺を勇気づけてくれているように思えた。
そういえば、晴香とこうして並んで自転車で走るなんて、何年ぶりだろうか。フラフラとバランスを崩しながら、必死に俺の後ろを付いてきていたのを覚えている。俺が中学に入ってからは部活で忙しくなり、晴香と関わる機会は少なくなっていったが、知らない間に随分と頼もしくなったものだ。それとも、俺が成長してないだけなのか。
「7時56分……間に合ったね」
乾の家の洋菓子屋、ワンワンスイーツの看板が視界に入った。駐輪場に自転車を止め、呼吸を整える。全力で飛ばしてきたせいで、真冬だというのに服の下が汗ばんでしまっている。まあそれは仕方ない。俺達は並んで店内に入った。
「いらっしゃ……あら、浮夫君に晴香ちゃん! 久し振りね!」
「どうも、おばさん」
「こんばんわ! 今日はご馳走になりますね」
乾のお母さんと会うのも半年ぶりぐらいだ。相変わらず美人で愛想が良くて、元気そうで何よりだ。
「もう皆来てるのかな?」
「えーと、あと女の子が2人来るはず……あっ、ちょうど来たみたいね」
自動ドアが開く音に振り返ると、そこには後藤さんと熊井の姿があった。後藤さんは、白のニット帽、白のマフラー、白のトレンチコートと、実に冬らしい格好だった。いずれも規格外のサイズである事は言うまでもない。それでも、初めて見る後藤さんの私服姿に、俺は興奮と動揺を隠すので精一杯だ。
「こんばんわ~」
「お邪魔しまーす」
「はい、こんばんわ。寒い中大変だったわね。もう準備出来てると思うから、中で待っててね。お店閉めたら、すぐにケーキ持っていくから。2階に上がって突き当たりの部屋よ」
「ありがとうございます。それじゃ、お邪魔しますね」
後藤さんは俺と晴香に軽く微笑んでから、カウンター横をすり抜けて中へと入っていった。それに対して、熊井は目も合わせようとしない。やれやれ、嫌われたものだ。まあ別にいいんだけど。
「……ん?」
晴香が、目を見開いて口をパクパクさせていた事に、俺は今更気付いた。そうだ、乾のお母さんが全くのノーリアクションだったから忘れていたが、これが後藤さんを初めて見た者の正常なリアクションだ。ゴリラがいきなり現れて日本語を喋れば誰だって驚く。むしろ何で乾のお母さんは何ともなかったんだ。
「ね、ねえ兄貴……。念のため……本当に念のため確認するんだけどさ。あの人じゃないよね?」
晴香が小声で耳打ちしてきた。晴香には大柄でパワフルな子としか伝えていなかった。後藤さん以上にそれに該当する女性は、日本にはいないだろう。
「……晴香、心配するな。俺は正気だ。それに、すぐに俺が言っていた事の意味が分かるから」
「そ、そんな事言ったって……」
「ついでに言うと、今一緒にいた金髪が三角関係のお相手だ」
「……」
自分の知らない新世界を目の当たりにして唖然とする晴香を尻目に、俺は後藤さん達に続いていった。晴香も乾のお母さんに促され、ようやく俺の後に付いてきた。ショックを隠しきれない顔だ。やはり先に教えておくべきだったかもしれない。下手すれば卒倒されてもおかしくなかったからな。俺は少しばかり反省しながら、乾宅の玄関を上がった。
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