第29話『次なる道』
菅波も逃げていったので、ひとまずはこれで大丈夫かな。
杏奈達の方に振り返ると、目の前に由衣が立っていた。
「由衣……」
「大輔、今まで本当にごめんね。自分のことばかり考えてて、大輔のことを全く考えてなかった。間宮さんに謝ろうと思って白鳥女学院に行こうと思ったら、正門前であいつ等に捕まっちゃって。本当に私って……最低な幼なじみだよ、ね。何だかんだで大輔に迷惑ばかりかけて、大輔に対していいことを全くできていないなんて」
この前、杏奈を巻き込み形で言い争ってしまったせいか、由衣の心にはまだ罪悪感が根深く残っているのか。もう、罪悪感を抱き続けている必要はないんだ。
「……お前は何も悪くない。むしろ、お前がいなきゃ……俺は普通に高校に通えなかったかもしれない。琴音や片岡、杏奈にも会えなかったかもしれない。お前が毎日励ましてくれたから、俺はここに立っていられるんだ」
「大輔……」
「それに、今……凄くすっきりしてるんだよ。もう、3年前のことには全て決着がついたんだ。由衣はもう何も罪悪感を抱く必要はないんだ」
「で、でも……私、高校でウルフのことを流しちゃったんだよ?」
「気にするなよ。真面目に生活していればいずれは分かってくれるだろうから。それに、由衣はこれからも俺の幼なじみとして付き合ってくれるんだろ?」
「それはもちろん……あ、当たり前じゃない」
「じゃあ、それでいいじゃないか」
人の信頼は長い間をかけて積み上げていけばいい。失ってしまったら、取り戻していけばいい。それはとても難しいことかもしれないけれど。3年前のことはもうかなりの人間に広まってしまったけれどいずれ無くなるだろう、きっと。
俺は由衣の頭を撫でて、成瀬先輩の方へと歩いて行く。
「先輩、ありがとうございました」
「……いや、俺は自分の本来すべきことをしただけさ。それにしても、さっきの無回転シュートは見事だったな」
「いえ。先輩のパスさえなければできなかったので」
「そうか。もし、あんなことが無かったら次の部長は荻原に決めていたんだ」
「俺にそんな大役は務まりませんよ」
「そんなことはない。部長に必要なことはいかに人に信頼されるかだ。見てみろよ、こんなに多くの人がお前を取り囲んでいるんだぜ?」
気づけば俺の周りには杏奈、由衣、琴音、片岡、瑠花さんがいた。そして、今までの出来事を見ていた人達が俺達に向かって歓声を上げている。こんなに多くの人が俺のことを好意的な感じで見てくれているのは初めてだった。3年もの間、ずっと非難の視線を浴びせられていたから、今のこの状況が夢のようで。
「お前を信じなければここには誰もいなかったはずだ。それに、俺だって……お前がこういう結末に導いてくれると信じていた。だからこそ、俺は何度もお前に話しかけようと思ったんだ」
「そうですか……」
「久しぶりに荻原と話して、あのシュートを見て……やっと本気になってサッカーができる気がしてきたぜ。お前のおかげで自分の考えるサッカーが何か確認できたし」
「3年生ですからね。最後の大会……頑張ってください」
「ああ。今度は自分の実力をフルに出して、中学の頃に行くことのできなかった全国の舞台に立ってみせるぜ」
「期待しています」
「じゃあ、俺はトレーニングでもしてくる。今日は本当にありがとう。また、何時か会おう。瑠花は午後の授業を頑張れよ」
「うん! 頑張ってね、お兄ちゃん!」
「ああ。じゃあな」
先輩は手を挙げ、歩いてとこの場を立ち去っていった。
先輩も俺と同じく、3年前の柵が払拭できたみたいだな。きっと、先輩ならチームを率いて全国大会に出場できるだろう。
「大輔さん」
「……どうした? 杏奈」
「大輔さんのさっきのシュート凄くかっこよかったです! 本当に大輔さんって何でもできる方なんですね」
「褒めすぎだよ。姉さんと明日香が投げてくれたボールがあって、先輩のバスがあって、由衣や琴音、片岡、瑠花さん、そして杏奈がいたからこそあのシュートが撃つことができたんだ。俺一人じゃどうにもできなかったはずさ」
「大輔さん……」
「杏奈のことも無事に解決できて良かった。考えてみれば、瑠花さんが杏奈をいじめていた理由が自分の照れ隠しなんてかなり可愛いじゃねえか。これからは少しでも自分の想いを素直に伝えられるといいな」
「は、はい……」
俺のことを見つめてくる瑠花さんの目が、初めて話したときの琴音の目と同じように見えるのは何故なのだろう? また俺は言葉の選択を間違えてしまったのかな。と、とりあえず頭でも撫でておこう。
「ひゃうっ、お兄ちゃんよりも気持ちいい……」
瑠花さんを正気に戻すどころか狼狽させてしまったぞ。
「ま、間宮さん! もうすぐ昼休みが終わっちゃうし、一緒に教室に戻ろう!」
「う、うん……いいけど」
「ほら早く!」
「にゃあっ! だ、大輔さんっ! 私はこれで失礼しますっ!」
杏奈は瑠花さんに強引に手を引かれ、走って校舎の方へと行ってしまった。あの様子なら教室に戻っても大丈夫そうだな。
時計を見ると昼休みが確かに終わる5分前になっていた。俺の個人的なことの所為で2人の貴重な昼休みを奪ってしまったな。
そして、残ったのは俺、由衣、琴音、片岡だけになった。
「琴音と片岡も今日は色々と付き合わせてすまなかったな。挙げ句の果てには俺の個人的なことに巻き込ませる形になっちまって」
「気にしないでください。むしろ、大輔君の抱え込んでいた悩みが解決できて良かったですね」
「そうだね。やっぱり、荻原君から日本のことを学ぶことにして正解だったよ。この昼休みで君からたくさんのことを教わった気がする。迷惑だなんてとんでもない。僕はむしろ荻原君に感謝しているよ。やはり、君はヒーローだね」
「ヒーローは大げさだなぁ」
「それにしても、さっきの荻原君のシュートは最高だったね。あれって、正面から観ているとまた違うんじゃないかな? 椎名さん、どうだった?」
「えっ? ええと……よく覚えてないかな。大輔が蹴った瞬間に私、目を瞑っちゃっていたから」
「そっか。怖くて見ていられないか」
「で、でもね……蹴った瞬間の大輔は凄く格好良かったよ。あんな姿を見たのは3年ぶりだったから……」
もじもじしながら由衣は俺の顔を見てそう答えた。
あの事件以降……由衣の前でボールに触れたことは一度もなかったからな。それまでは、由衣は時間さえあれば公式戦の応援にも来てくれたし。あいつにとっての俺はサッカーをしている荻原大輔なのだと思う。
「私も椎名さんと同じことを思っていましたよ。あの時の大輔君の顔は本当にサッカーが大好きなんだなって私にも伝わってきましたし」
「……そうか」
由衣に比べて付き合いの時間がごく僅かな琴音でも分かってしまうのか。確かに先輩にも部長にも色々と言っていた部分もあったし、あの聴衆のほとんどが琴音と同じように俺がサッカー好きであると分かったかもしれないな。
「じゃあ、俺達もそろそろここから退散するとしようか。せっかくここまで来たんだ、何か昼飯でも食って帰ろうぜ」
「いいですね、そうしましょう。片岡君は行きがリムジンでしたけどどうします?」
「僕も是非行かせてもらうよ。ちょっと家にいる使用人に連絡してくる」
と、片岡は携帯を持って少し離れた所に移動した。使用人というのは、リムジンを運転していた人のことかな? 使用人だなんて金持ちのセリフだよなぁ。
「じゃあ、片岡の連絡が終わったら行くことにするか。由衣は行くよな……って、由衣。どうしたんだ?」
気づかない間に、由衣は俺の来ているジャケットの裾を掴んでいた。そして、何時になく汐らしい。
「あ、あのさ……大輔。さ、さっき菅波部長に言ったことなんだけど……その」
「何だよ。お前らしくないな。はっきり言えって」
「じゃあ、その……訊くけど、俺の女に手を出すなって菅波部長に言ったじゃない。あれってどういう意味なの? 図々しいかもしれないけど、その言葉って一昨日の夜の答えだと思っていいのかな」
そんなことを覚えていたとは思わなかった。何せ、あの時は結衣を助けることに無我夢中で何の脈絡もなく言ってしまったのが本音なんだけれど。でも、答えないと。
「そんなこと……確かに言ったな。だけど、それは勢いに任せたというか。でも、あいつに……菅波部長に由衣が奪われるのだけはどうしても気に食わなかっただけだ」
「そっか……そうなんだ。それでも、結構嬉しいかも」
その時に見せた久しぶりの由衣の笑顔が何故か妙に可愛らしく見えた。俺の気づかない間に由衣は女らしく成長しているかもしれないな。
「幼なじみとして当然のことを思っただけだ。嬉しがる必要なんて全くないんだぞ」
「あっ、嫉妬してるんだ? ね、そうなんでしょ? 私が捕まえられている間、菅波部長に対して凄い剣幕だったもんね」
幼なじみとしての気持ちを言っただけなのに、どうしてそんな風に言われなきゃいけないんだ。段々とイライラしてきた。
「……馬鹿かお前は。こっちがいらねえって言っているのに、無理矢理にでも料理を食わせるお前のことを誰が嫉妬するかよ!」
「別に照れなくて良いんだよ?」
でも、由衣の笑顔を取り戻したかったのは本当だ。今のような由衣の笑顔を間近で見たかったのも本当だ。
「荻原君、椎名さん、柊さん。僕も一緒に行くことにするよ」
「おうおう! そうかそうか! じゃあ出発するか!」
そう、今は。
こうして誰かと笑って過ごせる時間を何よりも取り戻したかったんだ。他の人間が普通だと思っていることが俺の夢だったんだ。3年の時を経てその時を迎えられることができて俺はとても嬉しい。
今は5人だけど、今度は杏奈を交えて5人で過ごせれば何よりだと思った。
こうして、3年にも及ぶ「ウルフ」としての生活は幕を閉じたのだった。
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