第28話『3年間の決着-後編-』

 菅波に拘束され、周りにも数人の男子生徒がいる中で、由衣をすぐに助けられる方法はないのだろうか。

 そう考えているうちに部長は由衣の胸倉を鷲掴み、制服を引き裂こうとしている。このまま指でも咥えて見てろって言うのかよっ!


「お兄ちゃん!」

「大輔!」


 校舎の方から明日香と姉さんの声が聞こえた。そして、次の瞬間、姉さんからサッカーボールが投げられた。

 2人はきっと、この状況を打破できるかもしれないと思ってこのボールを投げたんだ。

 それは俺のサッカーの技術を信頼した上でのこと。相手の方が圧倒的に人数の多い中では確かにこの方法しか由衣を助ける方法はない!

 ボールを受けようとするが、俺の頭上を軽く通り越してしまう。あまりにも角度がありすぎると菅波には――。

「俺に任せろ!」

 先輩はボールにいち早く反応し、姉さんから投げられたボールを受け止める。そして、俺に向かってボールを蹴った。

 ――思い出せ、あの時と同じように蹴れば良いんだ。

 先輩からボールを受け取るのは実に3年ぶりだった。ゴロではなく宙に浮いたボールだったが、先輩が俺に向かってパスを送ってくる。

 狙いは部長の顔だ。一発やってやろうじゃないか!

 この三年間のぶつけてやるんだ!


「こっちを向きやがれ! 菅波大雅!」

「はあっ?」


 菅波がこちらの方を向いた瞬間、ちょうど俺の前にサッカーボールが回り、

「これでも食らえっ!」

 俺は部長の頭に目がけ全力でシュートを放つ。

 それは、南アフリカのワールドカップの試合で、日本人選手が放ったフリーキックの時と全く一緒だった。ボールは無回転で1回もぶれることなく、ターゲットである菅波の顔へと軌道を描いていく。

 そして、菅波の顔にクリーンヒット。その証拠に鈍い音が響き渡った。

「由衣! こっちへ走れ!」

 菅波の手が放された瞬間、由衣が俺の方に向かって走ってくる。

 俺は手を伸ばし、由衣の手を掴んだ瞬間に俺の胸の中に引き込ませる。

「由衣、もう大丈夫だ」

「大輔……! 私、ずっと怖くて、寂しくて。一昨日はごめんなさい、本当にごめんなさい……」

「気にするな。俺も杏奈も由衣のことを怒ってないから。一昨日だって、3年前のことだってお前は何も悪くないんだから」

 泣き出す由衣の背中を俺は優しくさする。

 くそっ、一昨日の夜……あんな風に由衣を突き放すようなことをしなければ、こんな目に遭わずに済ませられたのに。今、こうして泣くこともなかったのに。本当に俺は馬鹿な人間だよ。

 俺は由衣のことを一度、しっかりと抱きしめる。由衣を安心させるために。自分の気持ちを一度整理するために。そして、

「琴音、由衣のことを頼む。俺にはまだやらなきゃいけないことがある」

「分かりました」

 由衣を琴音に渡し、俺は再び菅波と対峙する。

「荻原、よくも俺の邪魔をしてくれたな……3年前も、そして今回も!」

「悪かったな。でも、俺は……お前の邪魔をすることが正しいと思っただけだ。それに忘れたのかよ、俺の女に手を出すんじゃねえって。お前の態度次第では出るとこ出させてもらうぞ」

「だからお前はウルフだって呼ばれるんだよ! 人のことを散々傷つけやがって! 俺の将来のために素直に駒になっちまえばそれで済んだのに、それさえもできないなんてお前は愚民以下の存在なんだよ!」

 さっきの一撃で堪忍袋の緒が切れてしまったのか、俺に対する苦言が更に酷くなっている。本当に懲りない奴だ。

「それにさっきから聞いてりゃ、お前がサッカーを離れたのは俺の所為みたいになっているじゃねえかよ」

「当たり前だ。お前があんな自分勝手な計画を思いつきさえしなければ、俺はサッカーを止めることなんて絶対になかった。それのどこが間違っているんだ!」

「間違ってるだろうがっ! あの日の部室でお前を殴ったのはどこのどいつだ? お前の隣に立っている成瀬だろ! それに、あの後だってサッカーを続けようと思えばいくらでも続けることだってできたはずだろ! お前が弱いからサッカーを止める結果になったんだよ。ああ、だけどそんなことも分からねえか! お前は人を傷つけることしか脳のない狼なんだからな!」

 と、菅波は高らかに笑い上げながら俺のことを罵った。

 さすがに俺もここで黙って突っ立っていることはできなかった。右手を力強く握りしめて部長の所へ走ろうとした。しかし、

「駄目です、大輔さん!」

 杏奈が俺の右手を両手で力強く握りしめる。

「離してくれ! あいつはこの3年間を……平穏に過ごせるはずだった時間を奪った奴なんだぞ!」

「大輔さんの気持ちは分かりますけど、それでも他人に暴力を振るってはいけないと思います! その時点であの人と同じ立場になってしまいますから……」

「杏奈……」

「今の話を聞いた周りの人達は全員、大輔さんの味方です!」

 杏奈からの真摯な言葉に俺も思い止まる。

 確かに杏奈の言っていることは正しいことだ。俺もそうしたいのは山々だけれど、この3年間という時間を苦しみながら過ごしてきたこと。そして、先輩や瑠花さん、由衣までをも巻き込んだこと。それを考えたらどうしても怒りが湧いてならない。

 俺が今、部長にすべきこと。答えは1つだけだ。

「……ごめん、杏奈」

「大輔さん……」

「一発だけあいつを殴ってくる。それで全てを終わらせる。だから、お前のこの手を放してくれ」

 俺がそう言うと、杏奈はそっと俺の手を放してくれた。ごめんな、こんな家庭教師で。

 俺は菅波の方へ歩き始める。

「菅波。確かに俺は弱い奴だよ。お前の言う通り、サッカーに復帰しようと思えば幾らでもチャンスはあったんだ」

「……お前ら、全員で荻原を始末しろ!」

 俺の言うことに全く聞こうとせず、菅波は取り巻き達にそんな命令を下す。

 10人ぐらいいるだろうか。屈強でいかにも柄の悪い不良とも言える男達が俺の方に向かっ走り出している。

 菅波が俺のことをウルフって言うなら、お望み通り本領を発揮してやるよ。

「お前ら、俺をどこの誰だと思ってるんだ」

 俺の前で立ち止まる取り巻き達に、俺はドスの利いた低い声でそう言う。

「今の話を聞いて部長の言っていることが全て正しいと思うなら相手になってやる。だけど、その時は血を流すことになることは覚悟しておけよ。俺は人を傷つけることしかできないウルフなんだからな。俺の息の根を止める覚悟がなければ、さっさとここから逃げるべきだ。少しでも俺の言うことが正しいと思えたとしたら尚更だ。そのくらいの猶予は与えてやるよ。その位の良心はまだ残ってるんだ」

 こいつらだって人間だ。菅波のように性根が完全に腐りきっていなければ、どちらが正しいかなんて分かりきっていることだろ?

 俺の予想通り、誰一人として俺に殴りかかろうとしてくる奴はいない。

「お前らっ! 俺の言うことが聞けないのかっ!」

 菅波の馬鹿馬鹿しい雄叫びがやけに虚しく響いている気がする。まだこいつ等の気持ちが分からないのか。

 そして、取り巻き達の1人が逃げ出すと、次々と全員が逃げていった。その時に周りの観衆が騒いだが何一つ危害を加えることはなかった。

「さあ、菅波1人だけになったな」

「くそっ! あいつ等裏切りやがって! 後で覚えてろよ……」

「所詮、人の子だったってわけだ。……なあ、さっき俺に言っただろ? 俺は狼で弱い奴だって。それ、まさしくお前のことじゃねえのか? いや、お前は自分よりも弱いと思っていた狼にも勝てない惨めな人間だ」

「はあっ?」

「卑怯な手を使ってまで試合に勝とうとして、俺のプレーで負けてしまった恨みを成瀬先輩に晴らさせる。菅波は自分の力で何をやった? 何もしてないだろ」

「俺はあの部活の長なんだぞ! 俺に力がなきゃあいつ等だって言うことは聞かなかったんだ!」

「それはお前が生まれてきた家の権力っていう後ろ盾があったからだろ? お前自身についてきてる奴なんて誰一人いなかっただろうが」

「そ、それは……」

「お前は他人を利用して自分の利益を生もうとした。歯向かう奴には容赦なく制裁を下そうとする。何の心も持っていない最低野郎だ」

 俺は菅波の前に立つ。みっともねえ面してやがるぜ。

「俺からの要求は3年前のことに関わった人間全てに謝罪することだ。お前の考えが変わるまでは二度と関わってくるな。俺の大事な奴らに手出しすることは尚更だ」

「ふざけるな! 荻原の言うことなんか誰が聞くかよ!」

「……そう言うと思ってたよ」

「何だって?」

 杏奈と約束をした。1回だけ、菅波のことを殴ると。三年分のことだ、この一発は相当重いものになるだろうな。

 俺は再び右手を力強く握りしめる。


「自分のしたことを今一度よく考えることだな! その前に、先輩、瑠花さん、由衣……そして俺からの怒りを噛みしめろ!」


 その瞬間、俺は3年分の怒りを拳に託して菅波の左頬を殴った。

 先ほどよりも大きな鈍い音が鳴り響く。それはこの3年間の出来事に終止符が打たれたかのように。

 菅波は力なく倒れ込んだ。俺のことを見ることもしなければ、俺に向かって言葉を出すこともしない。

「菅波の感じている痛みよりもずっと辛いものを俺達は3年間味わってきたんだ。それだけはよく覚えて置けよ」

 菅波に対する最後の喝を入れる。

 俺がそうするや否や、菅波は左頬をさすりながら走って去っていった。ここで追ったところで何も変わらないと思ったので、追いかけることはしない。

ようやく、これで全てが終わったってわけか。菅波の口から謝罪の言葉が聞けなかったので少しもやもやする部分はあるけど、まあ大丈夫だろう。

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