第27話『3年間の決着-中編-』

「大輔、助けて……」

 由衣は菅波部長のすぐ側に腕を後ろで固定されてしまっている。

 制服を着ているってことは、もしかしたら琴音と同じことを考えて、授業参観に来るつもりだったかもしれない。

「大輔君、あの人は誰なんですか?」

「菅波大雅。俺が中学の時に所属していたサッカー部の部長だ」

「つまり、2人の話の中で出てきたラスボスってわけだね。成瀬さんに色々と脅迫をしてきた物凄く悪い奴。倒さなきゃいけない相手か」

「……その通りだ、片岡。よく覚えておくといい。日本にも悪知恵だけが妙に働く奴がいるってことを」

「そうだね、僕も同じことを思ってた。椎名さんを人質に取っている時点で良い人には絶対に見えない。成瀬さんのときはともかく、あの人の場合は」

「片岡が俺と同じ考えで安心したぜ」

 そう、俺達の考えは1つにまとまっている。3年前の事件で一番責任を取るべき人間は俺達の前に立っている菅波大雅であると。そして、本人が目の前に現れた以上、関わった人間全てに対して今すぐに謝罪をすべきだと。

 俺は部長のことを睨み付ける。

「由衣を人質に取って何をするつもりだ?」

「口の利き方に気をつけてくれないか。仮にも俺はお前の先輩なんだからさ」

「ふざけるな! お前みたいな奴に誰が敬語なんか使うかよ! お前の自己中心的な理由の所為で、瑠花さんを怖い目に遭わせた上に成瀬先輩に脅迫しやがって!」

「荻原、落ち着くんだ!」

「落ち着いていられますか! あいつは先輩を利用したんですよ!」

 3年前のあの時と一緒だ。

 由衣を人質に取られ、彼女の怯えきった目をまざまざと見せられて、3年分の怒りが湧き上がってくる。

 俺は右手を震えるほどに力強く握る。

 菅波はそんな俺の姿を面白がって見ている。その目はまるで、檻の中に閉じ込められ泣きわめく動物を見て嘲笑うかのように。黒い髪を右手でたくし上げる仕草が憎たらしくてたまらない。

「菅波、お前……何をするつもりで椎名を人質に取った?」

「この女が白鳥女学院にいたことは予想外だったが、好都合なことさ。元々は成瀬、お前に対する口封じのためにここまでやってきたんだ」

「……どういうことだ?」

「お前が3年間、荻原の様子を伺っているように、俺も成瀬の様子を伺っていた。理由はもちろん、決勝戦のことについての計画を荻原へばらされないためにな」

「菅波や俺は間違ったことをしていたんだぞ! 3年前のあの事件での一番の被害者は他ならぬ荻原だ。荻原に話したことのどこが間違っているんだ!」

「……自分の立場を分かって言ってるのか? 俺が本気を出せば、成瀬を桜沢東から退学させることだってできることは分かってるだろ?」

 菅波の家は、桜沢市の中でもかなり力のある地主だと聞いたことがある。市内の公立高校に対しては、あいつの言葉の影響力がかなりあるってわけか。

「そんなのは勝手にしてくれ。俺はやっぱり荻原には嘘はつけない。お前に何の力が持っていようと今は荻原の味方だ! とんでもない手のひら返しをする奴だって思われても仕方ねえけどな……」

 先輩ははっきりとした口調でそう言った。

 その勇ましさは俺が最初に出会った頃の先輩のように見える。確実に成瀬先輩は俺の知っている先輩に戻ったんだ。

「先輩……ありがとうございます」

「荻原……」

「菅波はあんなことを言っていますが、元々の原因は3年前の決勝戦。後半に独断で行った俺のプレーでしょう? 菅波の怒りがそこから始まっているのなら、俺が決着を付けなければならないんです。先輩はただ、菅波に利用されただけなんですから」

 そう、本当は俺と菅波の問題なんだ。世間では俺の問題のように言われているけれど、発端となった決勝戦前半のプレーは菅波が企てたこと。それなら俺が真っ向から立ち向かわないと意味がないだろう。

「菅波。由衣を離してもらおうか」

「……それは呑むことのできない要望だな」

 そう簡単に離すわけがねえだろ、ってわけか。

「そういや、由衣がいたのは好都合なことだったこと。その理由についてまだ訊いていない。おそらく、俺に対する脅迫とかそのような類だと踏んではいるけれど」

「荻原に自分の犯したことを認めさせるためだ」

「……は?」

 あまりにも陳腐な理由に思わず気の抜けた声を出してしまう。

「成瀬と会って……本当のことを知らされれば、荻原は絶対に自分のしたことは間違っていないと言い張ると思ってさ」

「当たり前だろ。菅波が間違っていたのが真実なんだから」

「ほら来た、そういう風に言うんじゃねえかと思って、ここに来ようとしていた荻原の幼なじみには人質になってもらったわけだ。椎名だったか? この女はお前にとって大切な奴なんだろ? そいつが無事であって欲しいなら、今すぐに自分のやったことは全て間違っていたことを認めろ! これは部長だった俺からの命令だっ!」

 部長は俺に向かって罵声を浴びせる。

 つまり、俺が自分のやったことを間違いだったと認めなかったら、由衣を傷つけますよと言いたいわけか。これ以上に滑稽な話はない。

「……俺が怖じ気づいてお前に謝るとでも思ってるのか?」

「何だと?」

「むしろもっと腹立たしくなってきたぜ。由衣に……俺の女に手を出したら絶対に許さねえからな!」

 大切な奴を助けたいからこそ、俺は真っ向から立ち向かってやる。ここで俺が謝って由衣が解放されても、それが由衣の一番に望んでいることじゃないことくらいは幼なじみである俺には分かってるんだよ。

「お前、本当にそんなことを言っていいと思ってるのかよ? 実際に椎名は俺達に捕らえられているんだぞ! そんな状況の中よく言えたもんだな!」

「そんなことで考えが曲がっちまうほど、お前みたいに性根が腐ってなんかねえよ。俺が謝ってお前に何の得があるんだよ。あるんだから俺に謝れって言っているんだろ? それを言ってみろよ!」

 さあ、言ってみろ。俺の腹を立たせるようなひん曲がった理由を菅波自身の口から一度言ってみるといい。

 しかし、部長は高らかに笑い上げた。

「荻原、お前は馬鹿か?」

「どういうことだ?」

「すっかりと荻原に騙されるところだったぜ。考えてもみろよ。重要なことは実際に起こったことだ。荻原が独断であんなことをしたから、俺達は負けて俺と成瀬が獲得するはずだったスポーツ推薦がなかったことになったんだ。荻原、お前はな……俺と成瀬の未来を奪ったんだぞ! 俺はそのせいで希望の高校には進学できなかった。それなのに何でお前じゃなくて、むしろ俺の方が謝らなきゃいけないんだよ! 自分の未来のためなら他人を使ってでも掴み取ることの何が悪いんだ! 悪いんだったらそれなりの理由があるはずだろう? さあ、言ってみろよ!」

 それが菅波の本音、ってわけか。

 やっぱりかなり性根が腐っているみたいだ。聞こえはいいが、部長の言っていることは全て間違っている。

「間違っているぜ、お前の言うことは」

「成瀬? 急にどうしたんだ」

「理由……それは荻原の言うことが正しいからだ。それに、それを賛同している人間は俺達だけじゃない。周りをよく見てみるんだな、菅波!」

 先輩が言うまで俺は全く気づかなかった。

 これだけの騒ぎだ。白鳥女学院の生徒、その父兄が俺達を取り囲んでいた。ここから見える校舎の全ての窓からも多くの人が俺達の様子を見ている。思えばかなりざわついていた。何で今まで気づかなかったのか不思議なくらいに。

「これだけの人数の中で、菅波の考えに賛成する人が何人いるだろうな? 全員が荻原の言うことに賛同するに決まってるだろ!」

 周りを見てみると俺の顔を見て頷く人ばかりだった。ウルフって3年間呼ばれ続けて人から避けられてきた所為か、今の状況が不自然にしか思えない。

 でも、俺の言っていたことは間違っていなかったんだな。

「菅波。理由を話してやるよ。お前、サッカー舐めてるだろ。サッカーはチームメイトのことを信頼して、自分の力を存分に発揮するスポーツなんだ。成瀬先輩を脅迫した時点で勝てるわけがないんだよ。それなら、そんなひん曲がった考えを持つ部長がスタメンから外れた方が、よっぽど試合に勝っていた可能性が高かったはずだぜ。相手がどんなに強くあろうと、正面から立ち向かうのが本来のサッカーなんだ。それが人の戦いなんだ。それさえも分からないような奴に、人の善悪を言う資格なんかねえんだよ!」

「ふざけるな! もういい! 荻原がそう言うならもう実力行使しかない!」

 部長がそう言うと、彼の仲間に捕らえられていた由衣を自分の方に引き寄せる。由衣に危害を加えようとするつもりだぞ!

 どうする? 今から俺が走ったところで彼の取り巻き達に行く手を阻まれるだけだし、先輩や片岡に手伝ってもらっても、どさくさに紛れて由衣が傷つく可能性がある。

 何かないのか? この場をたった一発で逆転できる方法は!

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