第25話『瑠花の真意』

 校舎を出て、俺は瑠花さんに連れて行かれる形で人気の少ない校舎裏まで来た。そこに幾つかあるベンチの1つに並んで座った。校舎裏と言っても地面はタイル張りになっているちゃんとした場所なので特に変な場所ではない。

「ごめんなさい。友達がキャーキャーうるさくて」

「気にしなくていいよ」

「きっと高校でも騒がれているからこそ、そういうことが言えるんですよね。荻原さん、お兄ちゃんよりもかっこいいし」

「あ、あはは……」

 別の意味で女子からキャーキャー騒がれるのは日常茶飯事だよ。話せば虚しくなるだけなので絶対にそのことは言わないけれど。

「うちの学校、男の先生がかなり少ないんです。だから、荻原さんみたいな人が来ると自然と騒いでしまうんでしょうね。あ、あたしもその1人なんですけど……」

「女子校だからね。それも分かるかもしれない」

「それで、今日はどうして授業参観に来たんですか?」

「1年生の妹がいてさ。荻原明日香って言うんだけど」

「荻原明日香……うちのクラスにはいませんね」

「隣のクラスだからな。3時間目はそっちの方に行ってた」

「じゃあ、どうして4時間目は2組の方に? 確か美咲先生が荻原さんのことを弟さんだと言っていたので、もしかして……お姉さんから観に来て欲しいと言われたり?」

 瑠花さんは屈託のない笑顔をして俺に問いかけている。

 そんな彼女を目の前にすると、まさか杏奈を虐めている中心人物であることが信じられなくなりそうだが、そのことに惑わされてはいけない。俺は杏奈のことを信じると決めたんだ。

「それもあるけど……実は他の理由もあってさ」

「へえ、どんなことですか?」

 まだ何も疑っていないみたいだな。そろそろ瑠花さんをここに来させた本当の理由を明らかにしていくか。

「ある生徒の様子を観に来たんだよ。そうだなぁ……名前は言わないけど、これを言ったら分かっちゃうかな」

「じらさないで早く言って欲しいですよぉ」

 急にアヒル口になって猫なで声で話してきたぞ。女王様と言うよりも小悪魔という方が似合うかもしれないな。

「赤い髪の女の子なんだけどね。君に引けを取らないツーサイドアップの可愛い女の子なんだけど」

 赤い髪と言った瞬間に瑠花さんの瞳が動いた。

 どうやら、瑠花さんが杏奈に対して虐めを行っていたことは間違いないみたいだな。

「へ、へえ……その子がどうかしたんですか?」

「ここ最近学校を休んでいたって姉さんから聞いてさ」

「多分、あたしの予想通りの子なら、担任の先生から風邪をこじらせてしまっていると聞いていますよ」

「じゃあ、その子はちょっと病弱なのかな。何故か担任でもないのに姉さん……荻原先生が弟の俺に、妹の授業参観のついでに2組も観に来てくれって言われてさ。その時に自分が国語の授業をしているからっていう理由もつけて。傍若無人だよな」

「あまり先生のことは悪く言えませんけど……荻原さんには同情します」

「良かったよ、瑠花さんも同じことを思ってくれて」

「そうですよ。それに、その女の子なんかのためにここまで来る必要はないですって」

「……なんかのため、って何なんだよ」

 その部分に垣間見える、瑠花さんからの杏奈に対する感情。こいつ、杏奈のことを何だと思って見ているのだろうか。

「ど、どうしたんですか? 何だか恐いですよ?」

「……優しく話すのが本当の俺だと思ってたのか?」

「えっ……?」

 そろそろ、ギアチェンジをしましょうか。

「お前のことが可愛いから気になって、ましてや2人きりで話したい、なんて少女漫画のようなセリフを本気で言うわけがないだろ? それに、お前の兄貴に感謝なんかこれっぽっちもなくて、むしろ恨みしかねえんだよ。お前の兄貴の所為でウルフとか呼ばれることになって俺の高校生活が台無しだぜ」

「も、もしかして……荻原さん、って……」

「やっと思い出したか。俺は3年前、お前の兄貴に大怪我を負わせた後輩だ。俺の妹が成瀬っていう女の子が白鳥女学院に通っていると聞いて調べてもらったらビンゴだ。あの時の恨みはまだ消えちゃいない。きっと、お前の兄貴に対して一番ダメージを与えるにはお前を利用するのが一番だと思ってね。さっきから思ってたんだけどさ、何でお前みたいな奴がここにいれるんだよ。確かここって髪を染めちゃいけなかったはずだよな?」

「そ、それはっ……!」

「理由なんて聞く必要がないだろう。どんな事情であれ黒い髪の生徒以外は白鳥女学院に通う資格なんてねえんだよ!」

 ああ、辛い。

 嘘をつくことでさえ辛いっていうのに、その上、物凄い剣幕で人を傷つけるようなことを言わなければならないなんて、普通なら人間としてどうかしている。

 でも、こうでもしないと瑠花さんには……杏奈をいじめる生徒には分からない。いじめられた人間がどのようなことをされていたのか。その時、どのような思いを抱くのか。同じようなことに遭ってみないと。

 瑠花さんはすっかりと怯えていた。俺の演技の所為で彼女に恐怖心を抱かせてしまったようだな、これは。

「……そう言われて今、どう思った? 赤い髪の女の子……いや、間宮杏奈は君から赤い髪のことに関して、今と同じようなことを言われたと話している。瑠花さんがやったことってこういうことなんだよ」

 もう、嘘をつく必要はないので再び優しい口調で問いかける。

 分かってくれ、杏奈がどんな苦しみを味わっているのかを君自身で。

 しかし、


「本当のことを言って何が悪いんですかっ! 赤い髪なんて染めない限りできないことじゃないですか!」


 涙を流しながら瑠花さんはそう言った。彼女は勘違いをしているようだ。

「杏奈から赤い髪のことについて何も聞いてないのか? いや、瑠花さんは聞いていないはずだ。本当のことを知っているなら、君に杏奈をいじめるようなことはできない」

「い、いじめって……あたしはそんなことをした覚えはありませんっ!」

「杏奈は実際に赤い髪のことを散々に言われて嫌がっているんだ!」

「だったらはっきりと嫌だって言えばいいじゃないですかっ! ずっと学校に来ないのだって嫌だって言えない間宮さんが全て悪いじゃないですか。それなのに、どうしてあたしが責められるんです?」

 瑠花さんは嘲笑っていた。自分の方が優位に立っているように。

 やっぱり、そう言ってきたか。

 ――虐めも不登校も嫌だと言えない方が全て悪い。

 虐めている人間が必ずと言っていいほど言ってくる鉄板の言葉。そして、俺の知っている中で一番嫌いな言葉でもある。

「何も言えないんですか? 荻原さんは年上の方ですから、何か良い答えを期待していたんですけど、所詮は狼なんですね。吠え続ければ怯えて泣きながら謝ってくれるとでも思っていたんですか? あたしのこと、甘く見ないでくれません?」

 先輩の妹だけあって頭の回転が良いようだな。

 しかし、そのようなことを言ってくる目の前の少女が、あの先輩の妹だとは思えなかった。もし、それを本気で言っているとしたなら。

「何もないならあたし、帰りますよ?」

「待てよ」

「……なんですか? 一応、最後に聞いてあげますが」

「2つ、瑠花さんに言いたいことがある」

「2つも? まあ、いいですけど。捨て台詞を聞くのは嫌ですけどね」

「じゃあ、まず1つ目。いじめというのは相手が嫌だと思った瞬間にいじめと言うんだ。瑠花さん、君のやったことは歴としたいじめなんだ。君の友達を自分の味方につけて、複数人で杏奈に対して、髪が赤いことを口実にして嫌がらせをしたんだ」

「じゃあ、荻原さんもあたしのことをいじめていますね。あたし、間宮さんのことをいじめているって身に覚えのないことを言われて、凄く嫌な思いをしていますから」

「……そうか。別に俺のことをどう思ったっていいさ。それに俺は無理矢理、瑠花さんに杏奈にいじめをしたと認めさせるような乱暴な人間じゃないんでね。それよりも、君に教えておきたいのはむしろ次のことだ」

 そう、大切なことは2つ目だ。金髪の瑠花さんなら、きっと分かってくれる。こいつは本心からこんな立ち振る舞いをするような子じゃない。

「杏奈の赤い髪。あれは生まれつきのものなんだよ」

「えっ……」

 さっきまでの威勢のいい表情が一瞬にして消え去った。

「あの赤い髪は杏奈のお母さんから受け継いだ親子の証なんだ! それに、小さい頃の写真を見せて生まれつきの髪であることを示せれば、白鳥女学院を退学することはおろか、髪を黒くする必要すらない。金髪の瑠花さんだって杏奈と全く同じ立場じゃないのか?」

「あ、あたしは……」

「瑠花さんがどうして杏奈の赤い髪に難癖をつけたのかは知らない。でも、生まれつき黒い髪を持たない君なら、杏奈の気持ちが痛いほどに分かるだろう? 確かに杏奈は君よりも弱い心の持ち主かもしれない。だけど、瑠花さんが俺みたいな狼じゃなければ、杏奈の気持ちが少しでも分かると思うんだ」

 杏奈が不登校の状態までになった理由。何度も言っているように、杏奈のメンタルが弱いというのも一因にあると思う。しかし、1番の原因は、母親から受け継いだ大好きな赤い髪の存在自体を否定してされてしまったことなんだ。

「あたしはっ……」

「俺は瑠花さんの言った言葉が、杏奈の心を傷つけてしまったということを分かって欲しい。分かってくれれば、これ以上俺がとやかく言うようなことは絶対にしない」

 俺は杏奈の最大限の手助けをすることはできる。

 でも、今回の問題はあくまでも杏奈と瑠花さんの間にあることだ。虐めをしたという事実を瑠花さんに無理矢理にでも認めさせるようなことはできない。

 暫く無言の時が流れる。いや、正確には……隣で泣いている瑠花さんの声だけが微かに聞こえていた。

「成瀬さん……」

 その声が聞こえた瞬間、瑠花さんは声の主の方へ顔を向ける。

 そう、杏奈が俺と瑠花さんの前に立っていたのだ。後ろには琴音と片岡もいる。

「間宮さん、あ、あたし……」

 明らかに杏奈の方がしっかりとした面立ちをしていた。それはまるで、今までの立場が逆であったかと思わせるかのようで。

 杏奈がちらっと俺の方を見た。きっと、ここに立っているだけでも彼女は緊張で胸が張り裂けそうなのだろう。その上、瑠花さんに自分の想いを言うことは杏奈にとってかなりの勇気が必要なのだと思う。

 俺は杏奈の背中を押す意味を込めて静かに頷いた。すると、杏奈もそれに答えるかのように軽く頷き、

「成瀬さん。私、成瀬さんに自分の髪のことを色々と言われて、どうして私の髪は他の人と違って赤い髪なんだろうって思ったの。どうして、お母さんから赤い髪が似ちゃったんだろうって悲しんだの。この髪は何をしたって決して離れることのできないものだから。誰の所為にもできないから」

「誰の所為にもできない……」

「だからこそ、私は……学校に行かなくなった。この赤い髪は私が生きている限りずっとあるものだから、白鳥女学院にいる資格がないって成瀬さんに言われて……弱い私が選んだやるべきことは学校に行かないこと。そうすれば、成瀬さんや他の人達にも嫌な思いをしないで済むって勝手に思い込んでいたの」

 だから、杏奈は……黒のトリートメントを買っても使うことは一度もなかったのか。学校に行かなければ髪は赤いままでいい、という考えが一番いいと決めたから。

「でも、それは間違ってた。そんなことだと何にも解決しないって、大輔さんが教えてくれたの。気づけばお母さんが悲しんでいた。成瀬さん達のことを考えてなんて偉そうなことを言っていたけど、自分のことしか考えてなかった。本当はまた何を言われるのかが怖くて、自分で勝手に逃げていただけだって大輔さんのおかげで気づいたの。それに、私はお母さんと同じこの赤い髪が大好きだって分かった」

 杏奈は力強い目つきをして瑠花さんの顔を見る。

「この赤い髪は私の大切なものなの。だから、もう……髪のことは言わないで」

 ついに、杏奈は自分の想いを瑠花さんに伝えることができた。もう、お前は弱い人間なんかじゃない。自分の意志を自分の口で言える強い女の子だ。

 瑠花さんは今、どんな気持ちでいるのだろう。自責の念に押しつぶされそうになっているのだろうか。逆に苛立ちを抱いているのだろうか。

 ゆっくりと瑠花さんの口が開いていく。

「可愛かったから」

「えっ?」

「……入学して初めてのホームルームで自己紹介したじゃない。間宮さんの番が来て前に立ったとき、凄く可愛い子が一緒のクラスになったんだって思ったわ。他の子とは一段と違った可愛さがあって、何よりもその赤い髪がとても似合っていて。間宮さんの赤い髪を見て、初めて他の人の髪のことで羨ましいって思った」

「そう、だったんだ……」

「間宮さん、1人でいるときが多かったから、話しかけるチャンスはいくらでもあった。あたしはいつも友達に囲まれているけど、それは周りから話しかけてきてくれて……自分から声を掛けたことなんてほとんどなくて。間宮さんにどんな言葉を掛けてあげればいいのかさっぱり分からなかったわ。上手く自分の気持ちを言えないのが災いして、ようやく間宮さんに最初に掛けた言葉が赤い髪はおかしい、だったの」

 つまり、今回の虐めの発端は……瑠花さんが杏奈に対する自分の想いを素直に伝えられなかったことにあるのか。俺の予想通り、杏奈に原因があったわけじゃなかったんだ。

 杏奈は静かに瑠花さんの目を見て話を聞いている。

「そんなことを言っちゃいけないって分かってた。でも、周りが便乗して間宮さんに同じことを言うようになった。そうしたら、自然と間宮さんの髪がおかしいってことが本当だと思い込んじゃって。間宮さんが悲しんでいる顔を見ると快感に思えてきちゃって。……最低だよね、あたし」

「そんなことないよ」

「どうして? あたしは間宮さんのこと、虐めてたんだよっ! 何よりも大事にしているものをあたしは否定したんだよ?」

「でも、本心は……違うんでしょう?」

「間宮、さん……」

「この赤い髪が羨ましいなんて思われたことは初めてなの。良いねって言ってくれる人は多かったけど、羨ましいって言ってくれる人は誰も言わなかった。成瀬さんだけだよ。回り道しちゃったけど、本当の気持ちを言ってくれてありがとう」

 まさに、満面の笑みで杏奈は瑠花さんにそう言った。

「じゃあ、2人はもう仲直りってことで良いよな? 少なくとも俺からはそう見えるけれど。琴音、片岡、お前等から見てどう思う?」

「そうですね。もうすっかりと2人は仲の良いお友達です」

「柊さんに同意だね。良いことなら、自分の気持ちを伝えることに何も恐れる必要はないのさ。そうだよね? 荻原君」

「……そうだな」

 どっかのヒーローみたいなことを言いやがって。頼もしい奴だよ、お前は。

「じゃあ、仲直りのしるしに握手だ」

 俺は杏奈と瑠花さんの右腕を掴んで、強引に2人に握手をさせる。

 それに対して二人は驚いているようだが、次第に微笑みへ変わっていった。

 これで、何とか1つ問題が解決できたか。残るは由衣の機嫌を元に戻すということなんだけれど……早めに由衣の所へ行って謝らないといけないな。

「あの……荻原さん」

「どうかした? 瑠花さん」

「その……さっきはすみませんでした。色々と生意気なことを言ってしまって。しかも間違っていたことをあのような無粋な態度で」

「気にするなよ。俺だって杏奈の気持ちを分かって欲しいがために、瑠花さんには恐い思いをさせちゃって。俺こそすまなかった」

「いえっ……あのことが無かったら、きっと間宮さんの気持ちを実際にこの身で知ることはできなかったでしょうし」

「……そうか。そう言ってくれると心が軽くなる」

 あれはちょっとやり過ぎたと後悔していたところだし。俺のことを知っている奴が見ていたらそれこそまた狼だって言われそうだ。

 しかし、杏奈に嫌なことを言ってしまった原因が、自分の気持ちを上手く伝えられないというのだから、瑠花さんも可愛い女の子だと思う。虐めがあったことは然るべきことであるが、理由が理由だけに今は微笑ましくも思える。

 さてと、杏奈と瑠花さんは午後も授業があるらしいし、俺達はここから退散するとしますか。他の子に対しては2人で力を合わせれば大丈夫なことだろう。

 ベンチから立ち上がって、杏奈と瑠花さんに話しかけようとした時だった。


「……久しぶりだな、荻原」


 その声は俺をあの時に戻すのであった。

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